日本帝国陸海軍電探開発史

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カテゴリ: 電探共通資料

昭和18年9月駆逐艦「島風」零感度用電磁ラッパを用いた電探射撃、発射に関する実施及びその経過と成績・所見について

旧軍無線機に関する大量のYahooオークション取引情報を永年PCにバックアップしていたが、このままではデータの塊に過ぎず情報利用が困難なことから、データベース化すべく整理するこことした。
オークション取引情報のデータは2004年から取得しているので、あらためて20年前の2004年から調査を開始したら途端に下記の「昭和18年9月駆逐艦「島風」零感度用電磁ラッパを用いた電探射撃、発射に関する実施及びその経過と成績・所見について」下記の9つのオークション取引情報をPCから発掘した。
1.電探射撃事前準備 駆逐艦「島風」機密兵器新設の請求書類3枚
2.電探射撃実施計画 軍極秘 駆逐艦「島風」機密第15号の9 他1枚
3.電探射撃実施細目 軍極秘 駆逐艦島風電探利用研究射撃実施細目
4.電探訓練研究目的 軍極秘 駆逐艦「島風」機密第15号の11 他に1枚
5.電探訓練研究目的 軍極秘 島風機密命令第15号の2・第15号の3
6. 島風電探射撃実施、経過の概要 駆逐艦「島風」電探射撃表 海軍用紙24枚
7. 島風電探射撃実施経過・概要及び成績・所見 軍極秘 駆逐艦「島風」電探利用射撃実施計画と成績・所見
8.電探取扱調整参考資料 軍極秘 電波探信儀取扱調整参考資料 第二艦隊司令部
9.電探参考資料 軍極秘 第五艦隊機密文書 電波探信儀参考資料
このオークション情報は多くのガリ版刷りの文書であるが、生データの貴重な起案文書も見受けられる。
残念なことに、すべてYahooオークション取引情報のため見本の3つの写真データしか掲載されていないので、断片的な内容の情報しか把握できない。
当時は、日本のレーダー開発には余り興味もなく入札には参加していなかったようだ。
このYahooオークション取引情報をもとに「昭和18年9月駆逐艦「島風」零感度用電磁ラッパを用いた電探射撃、発射に関する実施及びその経過と成績・所見について」の実態を明らかにするこことした。

島風 (島風型駆逐艦)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E9%A2%A8_(%E5%B3%B6%E9%A2%A8%E5%9E%8B%E9%A7%86%E9%80%90%E8%89%A6)
6. 島風電探射撃実施、経過の概要 駆逐艦「島風」電探射撃表 海軍用紙24枚
出品者の情報
出品者(評価): yamato_ozawa (617)
商品の情報
現在の価格: 7,000 円
残り時間: 1 日 (詳細な残り時間)
最高額入札者: edt156v_2003 (18)
数量: 1
入札件数: 1 (入札履歴)
開始価格: 7,000 円
入札単位: 250 円
出品地域: 公開されていません
開始日時: 2004年9月 21日 11時 41分
終了日時: 2004年9月 28日 21時 41分
オークションID: g6146367
商品の情報
使用輪18年9月5日 内海西部海面において島風の搭載する電探全てを利用射撃・雷撃射撃を行い その実績と所見(故障改良等)を記録したもの。
其の他配員状況・電探員の技量程度・学校教育に関する艦側の所見(学校教育と実戦の差) 
電探及び電波探知機装備図・電探室内装備図・探信記録・故障状況調査表・附加装置等図入り多数 
このときの目標艦は日本丸 駆逐艦 浮上潜水艦
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【文字起こし版】
駆逐艦「島風」電探射撃(通校委員)
一.島風電探射撃実施、経過の概要
 主要訓練研究項目に対する経過〇並所見
1.電探の全幅利用する駆逐艦射撃雷撃
2.島風装備電探の誤さを測定・精度に及ぼす影響
 (測距各精度及び成績表別紙参照)
3.兵器施設配員の検討
(一)兵器施設
1.能力
2.兵器改善を要する事項
3.兵器改善事項
(二)配員
三.其の他雑件
1.電探射撃通信連絡装置
2.電探射撃の標的
3.電探故障状況(射撃当日)
4.電探室及兵器各部温度調査表

b-3
 
八.附加装置(零感度用電磁「ラッパ」)に就て
(一)〇〇附加装置は第一図の如く甲、乙二個の電磁「ラッパ」を有し従来に比し多少「ラッパ」は小型なり(口径415(内径390)長さ680)
乙電磁「ラッパ」は第三図に示すが如く甲電磁「ラッパ」より4cm程度長〇〇外 尚B点に於ては細かに長短調整可能が如く螺旋となしあり
第一図 (附加装置)マスト上に当たるめ実験中仮装備せしもの
第二図 附加装置電磁ラッパ(受信用)送信用
第三図 (附加装置)
2.作動原理
二個の「ラッパ」の長短即ち〇・・・・
【考察】
従来の2号電波探信儀2型水上見張レーダーは、アンテナが受信用の電磁ラッパ1本と送信用電磁ラッパ1本で、電磁ラッパの口径は400mmの構造である。
空中線(Antenna Unit)
電磁ホーン(口径480mm、長さ950mm、アンテナ利得13db)、円形導波管(口径75mm)
 b-4

受信用電磁ラッパ1本を使用して方位角測定には最大感度法を用いたため測定精度は高くなく、基本的には水上見張レーダーとして採用されている。
今回射撃管制レーダー用の附加装置(零感度用電磁「ラッパ」)として、受信用に左右2本の電磁ラッパを用いた等感度法により、方位角の測定精度の向上を目指している。
ここで、問題なのは本資料が作動原理に関する項目が、「2.作動原理二個の「ラッパ」の長短即ち〇・・・・」のみで動作原理の説明資料を見ることができない点である。
このため、動作原理は、こちらで推論せざるを得ない。
通常の2号電波探信儀2型に受信用電磁ラッパに単純に左右2本に改造したアンテナシステムを考えると、左右からの電磁ラッパにより受信信号を受けることになり、目標物にこの電磁ラッパを真正面に向けた場合には最大の受信信号を取出すことができる。
これは、左右の電磁ラッパから入る受信信号が同相であるからである。
今回の射撃管制レーダーとしてのアンテナシステムの特長は、附加装置(零感度用電磁「ラッパ」)と称する2本の電磁ラッパは、(甲)の電磁ラッパがA点で680mmの固定長であるのに対して、(乙)の電磁ラッパのB点で4cm(40mm)の長さ調整が可能なような螺旋構造となっていることにある。
この2号電波探信儀2型レーダーは、磁電管(マグネトロン)を用いた使用周波数3Ghzであることから、波長ではいえば10cmとなる。
これに対して、(乙)の電磁ラッパはB点で4cmほど電磁ラッパ菅長を可変にできる。
これだけの基本情報を元に、定性的な動作原理を説明すると以下の通りと考えられる。
(甲)の電磁ラッパでは管長680mmで波長100mmの定在波が発生していると考えれば、(乙)の電磁ラッパが管長680mm±25mmで長さ調節すれば、こちらの定在波は(甲)の電磁ラッパの定在波と比較すれば、定在波の位相が90度(π/2)遅れることを意味する。
そうゆう意味では、(乙)の電磁ラッパは位相調整器の機能を持っていることになる。
このことから、受信機からみると、(甲)の電磁ラッパから受信する信号波と(乙)の電磁ラッパから受信する90度(π/2)が遅れた信号波を同時に受信できることになる。
これは左右のアンテナから電子的に位相が90度(π/2)異なった受信信号を受信機に同時に印加することになるが、目標物に真正面に向けた(完全調定)時の方位角の場合には受信信号の合成ベクトルは零となるはずである。
これが零感度用電磁「ラッパ」と称する等感度方式の基本原理であり、いわゆる原始的なフェーズド・アレイ・レーダーの元祖といえよう。
 b-4-1

このような仕組みで受信した反射パルスは見張用指示機(Indicator for waring)のブラウン管に見ると、当然Aスコープであるが2号電波探信儀2型レーダーのパルス繰返し周波数である2500Hzの反射パルスがブラウン管に1本の線として表示されるが、目標物に対して電磁ラッパの向きにより、左右の受信信号レベルが異なっているので低くなったり、高くなったり表示レベルは一定とはならない状態として観測される。
この状態で電磁ラッパを目標物に真正面に向けた(完全調定)時には、左右の受信信号の合成ベトクルは零となるのでブラウン管の反射パルスの表示レベルは零なり反射パルスを観測することができなることになる。
この状態の方位角を測定すれば、最大感度法と比較して目標物に対して高い精度の方位角が測定できることになる。
なお、本実験のために従来の2号電波探信儀2型水上見張レーダーを射撃管制レーダーとして改造した箇所は、アンテナ装置の受信用電磁ラッパを付加装置((零感度用電磁「ラッパ」))に変更しただけで、その他レーダー設備には一切の変更を行っていない。
指示機としては、見張用指示機(Indicator for waring)と測距儀(Range Unit)の2つが用意されている。
実験結果については、9つのYahooオークション取引情報の範囲内では、本試験の成否は不明であるが、下記の公式資料により本実験は残念ながら完全な失敗に終わっていることになる。

上記の資料に関しては、公式資料から背景から顛末が下記のように記載されている。
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会の抜粋版
(対水上射撃用電波探信儀)
海軍の対水上射撃用電波探信儀に対する要望は、戦争初期から一貫して非常に強かった。
しかしその要求性能は著しく高く、常に日本海軍がその性能を誇っていた前橋頂上の主測距儀と同等若しくはそれ以上なることを要求されていた。
即ち戦艦にあっては大口径砲の最大射程即ち40粁乃至50粁の距離に於て測的可能なること、その作動も測距儀と同等若しくはそれ以上に安全にして信頼性大なることが要求され、且つ重量容積に於ても相当過酷な制限が附せられていた。
そのため本機の研究はまず有効探信距離を増大することを主眼としたが、中々にその要求を満たすに至らなかった。
しかるに昭和18年春頃から暗夜又は狭視界時に敵は電波探信儀を用いて射撃を加えて来ることが明らかになって来、これに由って急激に射撃用電波探信儀に対する要求の切実度を増してきた。
即ち有効距離よりも、測的精度及び操縦追尾性能の改善に重点を置くに至ったのである。
ここに於て2号1型に空中線切替装置を附し、2号2型には受信電磁ラッパを2個とし、これに切換装置を附し、左右切換を行う等感度方式として測角精度を向上せしめ、且つ精密測距装置を附して、測距性能を高め、有効距離を幾分犠牲にしたものを作った。
これらをまず戦艦大和に仮装備し、射撃用電波探信儀としての性能実験を行ったが、その結果、一部に改良を施すことに依り、実用可能との一部の結論を得、昭和18年末から昭和19年1月頃にかけ、急速整備の態勢を整えたのであるが、その後の研究の進展意の如く成らず、技術陣は大いに苦慮した。
2号1型は昭和18年末から19年1月にかけ、必死の調製実験が行われ、巡洋戦艦および重巡洋艦に整備を下命されたが、調整困難のためどうしても所期の性能を発揮できなかった。
しかしなお那智その外一、二の艦に対し、装備し実用を計ったが、暫くして整備中止を下命され、装備済のものも撤去復旧せしめられた。
2号2型系のものは、昭和18年10月軍艦大和に於ける実験に使用した切換方式が不完全であることが判り、早くも整備の線から脱落したのである。

研究射撃雷撃の経過について
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【文字起こし版】
距離3浬にて標的捕捉距角2.2浬にて射撃開始せるも弾着水柱不明 其の他概ね順調に経過せり 下記経路図は電探測距を示す
8.第二日目(9月5日)1100頃より研究雷撃開始する距離15浬より探信開始せるも目標(響)捕捉困難にして距離6.2浬にて捕捉爾後測距に引続き距離3浬にて発射す(発射雷数二本)
感度稍々(やや)不良にして且自艦高速振動に依り直接波反射波共可成り「ピッチング」ありたる他順調に経過せり
9.1200研究射撃雷撃終了各部温度上昇
状況計測 魚雷採取の上1500呉入港

1.電探射撃事前準備 駆逐艦「島風」機密兵器新設の請求書類3枚
商品の情報
昭和18年6月20日 発令 島風艦長 あて先海軍技術研究所長 島風機密第24号の5 24号の6 24号の7の3枚です。
電探用角度受信機の新設・技手派遣の要請等
 c-1
【考察】
昭和18年6月20日時点では島風の仮称2号電波探信儀2型は故障中とのことで、故障原因は真空管の損傷と抵抗器1本損傷で修理部品が呉海軍工廠に在庫なしとのことである。
磁電管M-60、M-311、高圧水銀整流管HV-966A、変調部の増幅管P-220、P-112、受信機の増幅管UZ-6302や回路設計ミスによる格子抵抗器R408番200KΩの損傷等である。
磁電管などはある程度の使用時間で寿命となるために取り換える必要があったのだろう。
戦後米軍の指摘で回路設計ミスに関して軍は根本的に対策を打っていないとあったが、指摘どおりのようである。
ただし、兵員のレーダー保守に関する技術レベルは一般的に高そうである。
実験に関して、新たに艦橋に電探用角度受信機の新設を要望している。
角度受信機とは、セルシンモーターのことで、現代でいうシンクロ・モーターのことである。
新設要望は、アンテナの回転部に角度送信機があり、アンテナが回転に連動して変移情報を電探室にある角度受信機に送信するのだが、今回の試験に合わせて艦橋にも並列接続して角度受信機をもう1台新設して実験結果を直接観測したいといった意味合いだろう。
角度受信機の事例(陸軍のタセ2号のもの)を以下に示す。
c-2

c-3

2.電探射撃実施計画 軍極秘 駆逐艦「島風」機密第15号の9 他1枚
商品の情報
ガリ版4ページ 昭和18年8月27日 第二艦隊機密命令に基づき電探研究射撃の実施・指令及びその計画書 
他の1枚は「軍極秘」島風エンジンの性能表
 d-1


3.電探射撃実施細目 軍極秘 駆逐艦島風電探利用研究射撃実施細目
出品者の情報
商品の情報
ガリ版B4 13ページ 昭和18年9月4日 伊予灘で電探訓練した時の実施細目を指示 
表紙に「軍極秘」の朱印があります。
 d-2


4.電探訓練研究目的 軍極秘 駆逐艦「島風」機密第15号の11 他に1枚
商品の情報
ガリ版2枚 昭和18年9月4日 12.7㎜砲射撃(水上)の要表 江間修海軍中尉を指揮官として50口径主砲の射撃実習要綱を指令 
他の1枚は島風エンジンの性能表
d-3

 
5.電探訓練研究目的 軍極秘 島風機密命令第15号の2・第15号の3
商品の情報
ガリ版6ページ 昭和18年6月10日 第15号の2は主砲12.7粍の訓練射撃命令 
第15号の3は25粍機銃の訓練射撃命令 
実施細目を通達 表紙に「軍極秘」の朱印が捺してあります。
 d-4

7.実施経過・概要及び成績・所見 軍極秘 駆逐艦「島風」電探利用射撃実施計画と成績・所見
商品の情報
薄紙ガリ版と海軍用紙ページ数多数 
昭和18年9月10日 島風機密第15号の14 
第二艦隊機密命令第241403号に基づき電探射撃を実施。その経過と成績・所見を全ての細目にわたり記録 
このときの目標艦は駆逐艦「長波」
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【文字起こし版】
駆逐艦島風電探試験成績表18-9-17
第一回
時刻 目標 測定距離 測距儀に依る距離 測定方向角 実際の方向角 感度 記事
10-14-13長波 4000m  3100m       85°    83° 感3 +900、+2度
10-14-28長波 4000m  3100m       86°    83° 感3 +900、+3度
10-14-45長波 4200m  3100m       88°    83° 感3 +1100、+5度
10-15-07長波 4250m  3100m       88°   82.5° 感4,5 +1150、+5.5
10-16-38長波 4000m  3150m       95°    98° 感4,5 +850、+3
10-17-15長波 4000m  3200m       105.5°  103° 感4,5 +800、+2.5
10-17-40長波 4000m  3350m       104°  103°  感4,5 +650、+1
10-17-50長波 4000m  3300m       104°  103°  感4,5 +700、+1
10-18-30長波 4400m  3550m       105°  104°  感5 +950、+1
10-19-20長波 4600m  3650m       100°  102°  感5 +950、+2

8.電探取扱調整参考資料 軍極秘 電波探信儀取扱調整参考資料 第二艦隊司令部
商品の情報
ガリ版B412ページ 昭和18年10月17日第二艦隊機密第4号の28 
電探2号1型(対空用)の詳細解説、連合艦隊司令部付 橋本大佐の第二艦隊における講話記録 
表紙に「軍極秘」「駆逐艦島風」の朱印が捺してあります。
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9.電探参考資料 軍極秘 第五艦隊機密文書 電波探信儀参考資料
商品の情報
ガリ版26ページ 昭和18年6月25日第五艦隊司令部発令 
主に敵戦闘機・爆撃機に対しての電探戦闘方法の細目を指示 
表紙に「軍極秘」「駆逐艦島風接受」の朱印が捺してあります。
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その後の対水上射撃用電波探信儀の開発の経緯については下記の通りである。
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会の抜粋版
(対水上射撃用電波探信儀)
二号二型系のものは、昭和十八年十月軍艦大和に於ける実験に使用した切換方式が不完全であることが判り、早くも整備の線から脱落したものである。
この結果昭和十九年三月射撃用電波探信儀研究促進に関する会議が開かれた。
その席上、使用出来ない主砲五砲台よりも、使用可能の主砲四砲台の方が有効である。
一砲台撤去しても射撃用電波探信儀を装備すべきだとの意見も出る位で、重量容積に対する制限も著しく緩和され、精度は多少悪くとも一応は射撃の出来る電波探信儀を同年六月末までに整備すべししの厳重な決議があった。
玆(ここ)に於いて二号三型(波長五八糎)、三号二型(波長一〇糎)及び二号一型の改良型が登場し、研究実験に異常の努力が集注せられた。
同年七月には二号三型及び三号二型が略完成したが、この頃には既に艦隊は殆ど全部内地を出港し、昭南島方面に集中中であった。
これがために装備上の制約も加わり二号三型は有効距離が少し不足と云う理由に依り、又三号二型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で実装備を断念するに至ったのである。
?に於いて窮余の策として、同年七月各艦に緊急装備した二号二型の操縦装置を改善し、これを以て決戦に臨むことに決意された。
即ち増力機の操縦装置竝に電探射撃に必要な諸関係装置を、人員と共に昭南島方面に特派し、第一〇二工作部に於いて最後の整備を行ったのである。
水上艦船の一斉整備は事実上これを以て終り、この装備の状態を以て緋想なる比島沖の決戦に突入したのである。この後対水上射撃用電波探信儀に対する要望は、急激に下火となったのであるが、研究は更に継続され、三号一型及び三号三型は昭和十九年末に至り完成し、同二十年一月、水雷学校所属の特一号練習艇に於いて実艦実験を実施し、略満足すべき結果を得た。
三号二型は出来る限り能力の増大をはかるため、従来採用した電磁ラッパのみを回転する方式を廃し、機器も電磁ラッパと共に回転する方式とし、且つ偏波面を整正にする目的を以て、矩形電磁ラッパを採用し、且つこれを大型となし、空中線利得を二十数dbに増大した。
左右二個の受信電磁ラッパの切換装置としはラッパの喉元で半円形のアルミニュウム板を電動機で回転して行う方式を用いている。
三号一型は、三号二型が重量、容積大で、非現実的であるとの非難に対し、二号三型に使用した架台竝に反射鏡を使用し、導波管を架台内部に収め、本体は同軸ケーブルを用いて接続し、空中線装置のみを回転する方式のものである。
三号三型は既装備の二号二型に小改造を施し、従来の有効距離を短縮することなしに、測角、測距精度を要求値に高めんとし、従来の旋回装置に矩形電磁ラッパを取付け、受信電磁ラッパを円筒式切換機器に依って切換え、旋回部に二重同軸ケーブルを用いて従来の導波管をその儘使用するものである。
しかし、三号一型及び三号三型はいずれも完成の時期を失し、実装備を見ずして、終戦となったのである。

なお、各レーダーの詳細については、下記のURLアドレスを参照願います。
2号電波探信儀3型(S8A)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

3号電波探信儀1型(31号)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について
http://minouta17.livedoor.blog/archives/32619401.html

3号電波探信儀2型(32号)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について
http://minouta17.livedoor.blog/archives/33200273.html

3号電波探信儀3型(33号)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について


【総合コメント】
・2号電波探信儀2型の射撃管制レーダーの開発失敗について
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会の抜粋版
(対水上射撃用電波探信儀)
2号2型系のものは、昭和18年10月軍艦大和に於ける実験に使用した切換方式が不完全であることが判り、早くも整備の線から脱落したのである。
上記公式資料のとおり、実験早々「切換方式が不完全である」との同じ理由で落第しているが、落第点の原因を考えることにしよう。
まず、今回の駆逐艦島風電探試験成績表は下記のとおりである。
駆逐艦島風電探試験成績表18-9-17
第一回
時刻 目標 測定距離 測距儀に依る距離 測定方向角 実際の方向角 感度 記事
10-14-13長波 4000m  3100m       85°    83° 感3 +900、+2度
10-14-28長波 4000m  3100m       86°    83° 感3 +900、+3度
10-14-45長波 4200m  3100m       88°    83° 感3 +1100、+5度
10-15-07長波 4250m  3100m       88°   82.5° 感4,5 +1150、+5.5
10-16-38長波 4000m  3150m       95°    98° 感4,5 +850、+3
10-17-15長波 4000m  3200m       105.5°  103° 感4,5 +800、+2.5
10-17-40長波 4000m  3350m       104°  103°  感4,5 +650、+1
10-17-50長波 4000m  3300m       104°  103°  感4,5 +700、+1
10-18-30長波 4400m  3550m       105°  104°  感5 +950、+1
10-19-20長波 4600m  3650m       100°  102°  感5 +950、+2
【考察】
一般的な従来の2号電波探信儀2型の水上見張レーダーの性能諸元は下記のとおりである。
2号電波探信儀2型の能力は、対戦艦35キロメートル、対駆逐艦17キロメートル、測距精度500メートル、測角精度3度である。
このデータと今回の射撃管制レーダーとの性能を比較すると以下のように考えられる。
射撃管制レーダーの測角精度は測定データのばらつき及び異常値もあるが、概ね1度から2度の範囲にはいっているので改造効果は認められる。
なお、この測定には、見張用指示機(Indicator for waring)が使用されている。
一方、測定距離に関しては、測距儀(Range Unit)を使用して水上見張レーダーの500mに対して、倍以上の測定誤差があることが判る。
したがって、海軍としてはこの測定距離の誤差を問題視したに違いない。
この原因を考えると、アンテナを附加装置(零感度用電磁「ラッパ」)に改修したことにより、受信機の受信信号は零となるときに見張用指示機(Indicator for waring)を使用して方位角の正確な測定ができる。
この実験データ結果からアンテナを附加装置(零感度用電磁「ラッパ」)に改修する効果はあったと判定できる。
この時の測定はアンテナの方向を角度受信機で読み取ることで可能となる。
e-0-0

 
一方、2号電波探信儀2型用の測距儀(Range Unit)を使用するということは、受信信号の最大レベルで測定する一般的な方式のままである。
これでは、受信信号レベルを意識的に最小にした信号レベルを測定するのであれば、測定誤差が大きくなることが想定される。
なお、試験成績表に「感度」の評価項目があるが零感度方式にもかかわらず感3から感5といった受信信号の強度が示されている。
一般的には感1が最小、感5が最大感度を示すはずだが、これは一体どういう意味を指しているのかを考えると以下の対応が考えられる。
最初に見張用指示機(Indicator for waring)を使用し方位角を測定した後、距離測定時には目標物から電磁ラッパの方向を少しずらし反射パルスが測距儀(Range Unit)のブラウン管で観測できるところで距離測定を行った。
このため、測距精度が悪化したのではないだろうか。
このため海軍では、「切換方式が不完全であることが判った」と判定されているが、実際は海軍とメーカー間のインターフェースの不整合が原因ではないだろうか。
【背景説明】
東京芝浦電気(社史からの抜粋)
当社はこの要請に応じて全力をあげて電探用送信機の試作に従事し、新規の真空管を製作することも含め昼夜兼行、ついに1か月後に所期の成果をおさめた。
これにより当社の技術的能力はきわめて高く評価され、またこの電探用送信機はその後も電探の一つの基本形となり、多数生産された。
その後製作された電探は、陸海軍ともに陸上用、船舶用、航空機用などそれぞれ数十種におよんだ。
その中には陸軍の対空用標定機のように全装置を当社で製作納入したものもあったが、海軍用として送信機及び指示機がおもであった。
戦争中、特に設計されたものの中に13号電探がある。

東京芝浦電気の社史からわかるように、海軍技術研究所からメーカー発注される電探(レーダー)についてはシステム一式の一括発注方法は少なく、送信機、受信機、指示機などと分割発注することが多い。
これは、海軍技術研究所が研究及び開発の主体でありメーカーは仕様のとおりに作ればよいとの驕りがみられる。
このため海軍用レーダー開発の各メーカーは、システム全体を把握することが困難でトラブルがあったとしてもメーカー提案ができにくい風土が相互に形成されたのではないか。
2号電波探信儀2型については、センチ波の磁電管(マグネトロン)を使用したレーダー開発できるメーカーは当時日本無線しかおらず、本来なら一括発注されたものだが、実際はアンテナと送信機及び受信機のみが日本無線で生産され、指示機は別メーカーが生産提供した可能性がたかい。(事実確認はできていない!)
このような理由で、開発メーカーとしては今回新開発した零感度電磁ラッパに対して測距儀への配慮が欠落したのではないか。
【次期開発への展開】
この試験結果を受けて、日本無線では射撃管制レーダーの開発の対応として、電子的位相調整方式から左右アンテナの機械的スイッチング機構による等感度方式とするとともに、アンテナも円形から更に大型な矩形型に変更してアンテナ利得も高利得なるように大幅な設計変更を行っている。
 e-0-2


・射撃管制レーダーの開発失敗の根本的な原因分析について
対水上射撃用電波探信儀のためには、最大感度方式から等感度方式による角度測定の精度を向上する必要がある。
当時日本陸海軍では日米開戦初頭におけるシンガポールとマニラ占領による英米の対水上射撃用電波探信儀の実物の鹵獲品や技術資料を入手しており、これを参考に60から200MhzのVHFによる対空射撃用電波探信儀を開発し、地上部隊に配備していた。
ただし、センチ波による対水上射撃用電波探信儀の開発には難航していたというよりも、2号電波探信儀2型の受信機の動作不安定や感度不足などにより対水上見張用電波探信儀としてのレーダーの本質的な課題の段階で難航していた。
しかしながら、昭和19年度になると対水上射撃用電波探信儀開発に対する等感度方式も日本の独自技術が発揮されるに至った。
2号1型は東芝の技術陣が従来の英国が開発した位相環(Phase Ring)方式から独自方式の発電板によるパルス制御方式を採用したが、技術的問題で公式資料のとおり撤去するに至った。
仮称三式二号電波探信儀一型指示装置関係取扱説明書案の解説

また本題の2号2型は日本無線が担当しているが、日本無線は陸上用の対空射撃用電波探信儀には参画しておらず、従来のノウハウがないまま今日でいうフェーズド・アレイ・レーダーの仕組みを考案したが、軍部には「切換方式が不完全」と判定され早々に撤去されるに至った。

【戦後日本無線がメーカーとして日本陸海軍への批判】
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
日本無線
e. 製造されたレーダー。日本無線の工場は注意深く2つの部分に分けられており、陸軍用の機器を製造する部門と海軍用の部門があった。一つのセクションで働くエンジニアは他のセクションに入ることは許されていませんでした。また、彼らのエンジニアは、艦船や航空機、地上の位置に設置された機器のテストを製造後に観察することも許されていませんでした。この方針は、会社の関係者から強く批判された。

【日本海軍技術研究所への批判】
研究員といっても帝国陸海軍の軍人であり、官尊民卑というか日本海軍技術研究所のほうがメーカーより優れていると錯覚しいたのであろう。
新規開発兵器には当然問題点が内在しており、これを研究員とメーカーが団結して課題を克服する必要がある。
新規開発した2号1型や2号2型も技術的なトラブルが発生するのは当然のことであったと思われる。
海軍技術研究所の研究員や海軍工廠の技術者のみで新規開発レーダーのトラブルに如何に対処しようとも開発したメーカーを含めて技術検証しないと問題点を根本的に改善することはできないのは自明の理ではないのか。
資料をみるかぎり、陸軍ではメーカーまかせの委託開発方式で海軍との垣根はさほどなく、技術的な干渉の話はあまり聞かない。

・昭和18年9月駆逐艦「島風」電探射撃、発射に関する実施による事故発生か?
本試験は電探射撃管制レーダーを使用した雷撃実験である。特に島風には零式5型5連装魚雷発射管3基が設備されていることから、電探による雷撃の効果を試したものである。
本試験で用いた曳的艦である駆逐艦「響」のウィキペディアを参照すると、下記の記述がある。
北方作戦の終了後は瀬戸内海での訓練任務に戻るが、その途中の8月9日から15日まで横須賀で魚雷発射管の改装が行われ、九三式魚雷の搭載が可能となった。その後は瀬戸内海に移ったが、魚雷発射訓練中に駆逐艦「島風」の発射した魚雷1本が誤って命中するという事故に遭い、再び横須賀に回航されて9月11日から16日の間に修理が行われた。
どうも事実かどうか不明であるが、この試験期間において島風が誤射したのか、模擬弾が的ではなく曳的艦である駆逐艦「響」に命中したようだ。
今回の2号電波探信儀2型による射撃管制用レーダーの方位角の測定誤差は1度から5度あるので、曳的艦である駆逐艦「響」が曳航している的間の短い距離では、誤射もありうる精度といえよう。

・電探による魚雷戦への応用について
「昭和18年9月駆逐艦「島風」電探射撃、発射に関する実施及びその経過と成績・所見について」の目的は、日本海軍はセンチ波の2号電波探信儀2型については、レーダー実用の当初から射撃用途以外に雷撃にも使用目途で計画していたことが裏付けられた。
レーダー測距による魚雷発射が以下のとおり実戦で使用されているようだ。
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直からの抜粋
スリガオ海峡海戦
昭和19年10月25日午前4時15分ごろ旗艦那智のレーダーが25度方向11キロメートルに目標を探知した。(注、米資料によればその附近には米艦はいなかった)敵集団と判断した志摩部隊は、那智、足柄の順に右に回頭しつつ魚雷各8本を発射し、駆逐艦を突撃させた。
サマール島沖海戦で、25日午前8時18分大和はレーダーで捜索しつつ南下中、200度20キロメートル煙幕の中に戦艦らしい目標を探知し、主砲で4分間レーダー射撃を実施している。
【参考情報】
捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)(昭和19年11月11日)
※大和がレーダー射撃したのであれば、本戦訓に記載されていないのは何故だろうか。

・2号電波探信儀2型レーダーの受信機の性能問題について
アンテナが直径75ミリメートルの円形導波管を使用するラッパ型に改められ、これだけを回転して機器や測定員は動かなくてよいようになって大きく改善したものの、受信方式の本質的な欠陥に対してさしたる対策のないまま、日向実験後の昭和17年後半から暫くは足踏み状態が続いた。昭和18年に入って、「無いよりましだ」といった中途半端な状態で、先ず3月には水上艦艇として43号駆潜艇から、また4月からは潜水艦として伊号158潜水艦を手はじめに逐次各艦に装備されていった。
しかし、この受信機に採用された「超再生検波方式」は本質的に高感度であるが動作が不安定である。
これに代わる方法として日本無線の伊東伝一郎氏提案による「オートダイン検波方式」の採用が検討され、昭和18年末に試作し、翌19年3月には、従来のものに較べてはるかに安定しており実用できるとの見通しがついた。
しかしながら、実際には動作は安定するが感度不足が生じ、実用運用には問題があるとの現場から声があがっていたようだ。
この問題を根本的に改善したのは受信器を「スーパーヘテロダイン方式」が実現した昭和19年7月で、8月から装備替え工事が急いで進められた。
この「スーパーヘテロダイン方式」は小型の磁電管による局部発振部から鉱石検波器により受信信号を取出し、広帯域の中間周波増幅段で増幅することにより、広帯域で安定的かつ高利得の受信機を構築できる。
これにより、日本もセンチ波の実用化レーダーによる運用が確立したとことになった。
このような受信機の改良の期間を見ると、2号電波探信儀2型の射撃管制レーダー試験は何れも受信機の問題がある初期型の「超再生検波方式」を使用していることから、自ずと性能を発揮することは当初から困難であったことが判る。
ただし、「スーパーヘテロダイン方式」が実現した19年7月以降においては、最後の艦隊決戦である捷号作戦が決した後のため、日本では組織的な艦隊行動ができる艦船は消滅していた。

・2号電波探信儀2型のレーダーの測定精度について
2号電波探信儀2型の能力は、対戦艦35キロメートル、対駆逐艦17キロメートル、測距精度500メートル、測角精度3度であった。
参考資料 22号射撃管制レーダーの性能(実測データ)
 e-3
※実測データから見る限り、測距装置の精度は合格だが、方位角の精度が悪すぎたのではないだろうか。

※参考情報 水上射撃用レーダーの測定精度について
日本 2号電波探信儀2型 
対戦艦35キロメートル、対駆逐艦17キロメートル、
測距精度500メートル、
測角精度3°

日本 2号電波探信儀3型(S8) 
探知距離 対戦艦22km
測距精度 ±50m
方位角精度 ±3.0°

日本 2号電波探信儀3型(S8A) 
探知距離 25km
測距精度 ±50m
方位角精度 ±0.4°
仰角精度 ±0.4°

日本 3号電波探信儀1型
探知距離 35km
測距精度 ±250m
方位角精度 ±1.0°

日本 3号電波探信儀2型
探知距離 30km
測距精度 100から250m
方位角精度 ±0.5°

日本 3号電波探信儀3型
探知距離 30km
測距精度 ±100m
方位角精度 ±0.5°

米国 SGレーダー
大型船で15マイル(24km)
レンジ精度は±100ヤード(91メートル)
方位精度:±2°

米国 フェイズド・アレイレーダー FH Mark 8
40,000ヤード(約36km)。
レンジ精度:±15ヤード(13.72m 
方位精度:0.1°から2ミル(0.11°)

米国 艦船搭載射撃制御レーダー FD Mark 4
駆逐艦で16,000ヤード、戦艦で25,000ヤード(22.8km)
距離精度、±40ヤード(36.5m)
方位精度±4ミル(0.23°)
仰角精度、(10°以上)±4ミル(0.23°)

陸軍の対空射撃管制レーダーの性能比較
 e-4


【参考情報】
・2号電波探信儀2型の指示機の操作方法について
A short survey of japanese radar Volume 3に22号の各種指示機の操作方法が具体的に記載される文書があった。
A short survey of japanese radar Volume 3からの抜粋
ディスプレイは2本のA型ブラウン管を使用する。「見張用指示機」と呼ばれる1本のブラウン管は、60kmまでのすべてのターゲットエコーを表示し、5kmごとに距離目盛が表示される。測距調整用クランクを回すと、3マイクロ秒幅の距離パルスが移動する。2番目のスコープ(測距儀担当オペレーター用)は、測距調整用クランクで選択された距離の約1000mを拡大表示する。スコープの前には拡大鏡があり、5インチブラウン管に相当する大きさになっている。目標物の輝線の先端がスコープに刻まれた垂直線とちょうど重なるようにセットすると、真の測距距離がダイアルで読み取れる。
22号セットの詳細な回路図は付録IIに含まれている。
22号セットのいく分か簡略化されたバージョンである改3は、潜水艦の艦橋内に設置されている。下の写真の1つに示されているように、並べて取り付けられた2つのホーンが使用されている。表示は75 mmの単一のスコープでA型のものである。潜水艦からの測定距離は戦艦に対して約10 kmである。

測距装置(測距儀)(Range Unit)
 e-1
(註)正面右下が位相調整器であるが、回転用クランクハンドルと距離メーターが見える。
本位相調整器には、ゴニオメーターが使用されているようだ。

位相調整器の拡大機能について
A short survey of japanese radar Volume 3からの抜粋では、【測距調整用クランクで選択された距離の約1000mを拡大表示する。】とあるが、この意味は位相調整器の位相範囲が角度180度で測定距離60kmとなるものが、減速用の歯車機構により角度180度で測定距離1kmに拡大する仕組みがあることを意味する。
したがって360度1回転で測定距離2kmとなるので、位相調整器のクランクを30回ほど回転させれば、測定距離60kmとなるような仕組みと考えればいいのだろう。
このバーニア機構により1度の測定距離は5.56mとなる。
測距装置の読取り精度を仮に±2度とすれば、測定誤差は±11.12mとなる。
ただし、実際の公式資料での22号の測距の測定精度500mとあるので、実際の精度は±9度のようだが、この実際の精度であれば射撃管制レーダーとしての運用は困難だったということのようだ。
この精度不良の原因は、アンテナに電磁ホーンを採用していることに大きな要因があるように思われるが、やはりセンチ波を使用するのであればパラボラアンテナを採用することが原則であろう。

方位角測定用の角度受信機の画面
e-2


【お願い】
本オークション情報の提供依頼について
昭和18年9月駆逐艦「島風」零感度用電磁ラッパを用いた電探射撃、発射に関する実施及びその経過と成績・所見について
出品者(評価): yamato_ozawa (617)
最高額入札者: edt156v_2003 (18)
開始価格: 7,000 円
開始日時: 2004年9月 21日 11時 41分
終了日時: 2004年9月 28日 21時 41分
オークションID: g6146367
最終的に誰が落札したかは不明ですが、本件落札者のかたには是非資料の電子情報を提供して頂ければ幸いです。
理由
附加装置(零感度用電磁「ラッパ」)の作動原理が欠落しおり、小生の推論が正しいものか検証したい。




参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「続日本無線史」第一部 昭和47年 続日本無線史刊行会
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 昭和54年11月 原書房
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
A short survey of japanese radar Volume 1 1945年11月20日
A short survey of japanese radar Volume 3 1945年11月20日
無線工学ハンドブック 昭和29年11月 社団法人日本電波協会
電気回路1
https://www.osakac.ac.jp/labs/matsuura/japanese/lesson/ElectricCircuit/
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



本文アドレス    http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022335.html
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東芝の軍用簡易テレビジョン装置に関する考察について

東京芝浦電気株式会社八十五年史に、戦時中に「軍用簡易テレビジョン装置」なるものを開発したとして、その写真を掲載している。
コメントには、「小型アイコノスコープを使用し昭和18年に完成、カメラを爆撃機の後尾銃座の所に取付け操縦席でテレビ像を見て射撃照準をする」とある。
 a-1

レーダー分野と異なるが、このような特異な軍用簡易テレビジョン装置については、戦時中に軍部がどんな目的で開発を行ったか興味があったので少し深堀して調査するこことした。

「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋  P413
電視(テレビジョン)が実用されれば軍事上著しい効果をもたらすことは多言を要しないが、陸軍では研究初期に於ける走査にニポー円盤を用うるようなものでは軍用として実用の可能性もないので、暫く研究着手を見合わせ民間に於ける進歩を俟(ま)つたのである。
然るに昭和5年(1930年)末ファーンズワースにより特殊走査管の研究が発表され、我が国に於いても東京電気株式会社がこの研究に乗り出し、軍用の可能性に関し稍々(ようやく)見透しが着いたので昭和9年(1934年)度から研究項目とし研究計画に載せ本格的基礎研究に着手した。
当時考えられた電視の用法は主として敵情報又は戦況の後方に於ける視察にあったから、当時の技術として已むを得なかった中介フィルム式に適応させ、繋留気球等から活動写真に撮影し、そのフィルムを落下し、地上で至短時間に現像その他の処理を行って、これを送像装置にかけると云う計画であった。
陸軍では送受像装置の研究試作を東京電気株式会社に依頼して行った。送像走査管は走査線数120本、毎秒像数25枚のもの、受像はブラウン管に依るものであった。結果は軍用として実用を距ることなお遠いものであった。
 a-2

フィルムの処理方法は調査の結果、現像、定着、水洗、乾燥、送像、剥膜、感光膜定着等の処理をエンドレスに行い得る可能性とその試作も送受像装置の研究に比すれば短日月の間に竣工し得ることが判ったので、送受像装置の研究進捗を待つこととし直ちに着手しなかった。この装置は後にアイコノスコープの出現によって中介フィルム式の必要が薄らぎ、反って徒労を避け得た賢明なものであった。
その後走査線を200本に向上したが、この種走査管では早晩行き詰まりを予期していた折、アイコノスコープ出現して再び曙光を認めたのである。東京電気株式会社不断の努力研究により逐次進歩して終に走査線441本、画面比3対4、フレーミング25、フィールド50の跳躍走査にまで達した。
 a-3

以上送受像装置の研究進展に伴い、無線送受信機の研究試作の段階に達したので、東京電気株式会社の完成した2キロワット水晶制御式短波無線機に範を採り、自動貨車装輪式として、その試作を同社に依頼したのである。
陸軍ではかくして電視の実用化愈々(いよいよ)近きにありとの目途を得、専任者を定めて深刻に研鑽せしめつつあったが、爾他諸研究の促進と経費の重点使用による不足等により昭和12年(1937年)度より本研究を一時打切りとしなければならなくなった。
本研究に於ては良く陸軍に協力し精励努力した送受像装置関係の長島躬行、無線装置関係の今岡賀雄の努力は一通りではなかった。
なお、前記試作送受像装置及び無線送受信装置に関しては日本テレビジョン学会発行テレビジョン年報に詳記されているので詳細に就いては、これを参照されたい。

同 P137
航空技術研究所に於ける電波兵器の研究状況は如何であったかと云うと、同所としては昭和13年、4年(1938、9年)頃から短波自体の到来を予想しつつ、通信以外如何なる方向に利用の途を拓くべきかを考究していた。着目せられる事項の第一は航法及び爆撃器材への応用即ちまず対地高度計を、次いで対地速度計を完成し、而して出来ればこれら計器を総合して自動航路描画機を構成することである。その第二は偵察器材、爆撃器材として飛行機上に-超短波送受のため所望の高度を採ることが出来る-於ける電視機、暗視機使用の能否及びその軍事的価値を研究することである。  
一部省略
次に第二の電視、暗視の研究に就いては技術本部から以前通信学校研究部時代東京電気株式会社をして試作させた電視装置の移管を受けると共に当時東京電気と相並んで電視の研究を行いつつあった住友通信株式会社をしてとり会えず半固定装置の試作研究を行わしめることとした。これは昭和15、6年(1940、41年)頃のことである。
その頃、欧州戦場には既に電波警戒機、電波標定機が出現し、殊に英国防空部隊はこれら器材を巧みに利用し、夜間の邀撃戦闘に於て照空燈の照射の助けを借りることなく戦闘機を活動させ、高射砲の射撃を指導しているとの情報が伝えられていた。併し国軍に於てはこれらの器材の研究は一応技術本部で行われていたので、航空としては寧ろ電視、暗視の方へ重点を置いていたのである。   
一部省略
そこで作戦上の要求もあり、旁々(かたがた)電視機の完成は姑(しばら)く揩き、まず第一着手として、機上電波警戒機、機上電波標定機及び機上電波暗視機の研究に、万般の努力を傾注するこことなった。然るに地上電波兵器の完成に同様全力を挙げていた技術本部側に一時民間製造会社の試作能力を前面てに借用したいとの切なる希望があり、航空技術研究所は大局的見地からこの要望を容れて、自所の試作注文品の完成期日を多少延期し示差き部分的研究に専念したのであった。これがため機上電波兵器の実用化が少なくとも一ヶ年遅延したのも、設計試作能力の極めて局限せられている我無線工業会の実情真に己(や)むを得ざる所であった。然るに昭和17年(1942年)中期以降米英側に於ける機上用及び艦船用電波兵器の働きは逐次活発となり、に昭和18年(1943年)に入るとそれによって大西洋に於ける独逸潜水艦の活動は殆ど封殺せられ、また後方海上連絡線が危険に晒されることによって独、伊軍の北阿作戦は完全に失敗に帰する等枢軸側の趨勢既に覆うべくもあらぬ状態となった。尤もかくて防勢に立った独逸側に於ても米、英の空よりする攻撃に対して電波兵器の活動は運用上、技術上相当注目に値するものがあった。他方東亜方面に於ては米国側電波兵器の活動によって我は得意の奇襲戦、夜襲戦を封じられたのみか遂に彼の奇襲、夜襲の危険に晒され、主客転倒その位置を換うるの事態に立ち至った。戦力を支配する電波兵器の威力は正に驚異的である。さればその完成を促進することは国軍作戦上の至上命令であって、茲に昭和18年(1943年)6月多摩陸軍技術研究所の誕生を見るに至ったのである。

以上のように日本無線史による陸軍の電視機に関する開発動向を概観する。
陸上部隊のための陸軍技術研究所は、昭和9年(1934年)度から研究項目とし研究計画に載せ本格的基礎研究に着手している。
更に陸軍では電視の実用化の目途がたったとして、専任者を定めて研究を進めたが、諸研究の促進と経費の重点使用による予算不足等により昭和12年(1937年)度より本研究を一時打切りとしなければならなくなった。
一方、航空技術研究所に於ける電波兵器の研究状況昭和13年、4年(1938、9年)頃から、通信以外の用途に応用すめるかを考究していた。着目した事項の第一は航法及び爆撃器材への応用即ちまず対地高度計を、次いで対地速度計を完成し、出来ればこれら計器を総合して自動航路描画機を構成することであった。その第二は偵察器材、爆撃器材として電視機、暗視機使用の能否及びその軍事的価値を研究することである。 
なお、陸軍地上部隊としては電波兵器(レーダー)器材の研究は陸軍技術本部で行われていたので、航空としては寧ろ電視、暗視の方へ重点を置いていたようだ。   
しかしながら、昭和17年(1942年)中期以降米英側に於ける機上用及び艦船用電波兵器の働きは逐次活発となり、防勢に立った独逸側においても、米、英の空軍の攻撃に対して電波兵器の開発が活発化したことにより、我が国で電波兵器(レーダー)器材への開発に集中するこことし、それ以外の電視機などの新規開発は中止されることになったのだろう。
なお、昭和18年(1943年)6月に陸軍技術研究所と航空技術研究所の電波兵器(レーダー)の研究開発を一本化した多摩陸軍技術研究所の誕生を見るに至った。

このような経緯により、開発メーカーである東芝は電視機(テレビジョン)の軍事研究の中止を受けることになるのだが、兵器化されないのであればこの研究成果を世に問うても何等制限を受けることはない。
このような経緯で堂々と月刊専門雑誌「無線と実験 昭和17年10月号」に研究成果を公開してメーカーとしての幕引きとしたのだろう。
なお、東京芝浦電気株式会社八十五年史には、「小型アイコノスコープを使用し昭和18年に完成」とあるが、昭和18年度はレーダー開発・生産一色となりその外、当面実用化が困難な電視機(テレビジョン)などが研究対象から除外されているはずであり、更に雑誌の掲載が昭和17年10月号であることから、昭和18年度に開発というのは誤記と判断される。

月刊専門雑誌「無線と実験 昭和17年10月号」
携帯用として設計せるテレビジョン端局装置の諸機構 
東京電気株式会社研究部機器設計課 篠崎健吉
 b-1

記事概要
携帯型テレビジョン端局装置と称され、小型のトラック1台で運搬できる程度のものが実現した。筆者の研究室に於て、昭和17年春完成したこの種装置に就き、その概要を紹介する。
カメラと4個のケースとで足りる。この重量は約187kgで、カメラ・ケーブル50mを使用すれば、総重量292kgとなり、消費電力は約800Wである。
カメラは対象物の状況に応じて、数台を適時切替へて使用することができる。
カメラの焦点調節用セルシン電動機(シンクロモーターのこと)の如く、必要欠くべからざるもののみを整備している。
横偏向(水平同期)周波数が11,025c/s、垂直同期周波数50c/sである。
b-2

b-3


戦時中の米国の軍用テレビジョン開発の動向について
MILITARY TELEVISION EQUIPMENT BUILT BY RCA 1940-1945からの抜粋
最初のブロックの開発作業は 1940 年に始まりました。
すべてのメーカーのブロック システムはすべて、水平レート 14,000 Hz、毎秒 40 フレーム、ノンインターレース、垂直走査線 350 本という規格に準拠していた。
ATE、ATF、ATG、ATH テレビカメラ/送信機シリーズは、ブロック 1 として知られている。カメラと送信機は 1 つのケースに収納されている。 このセットは、78、90、102、および 114 MHz の 4 つの固定周波数で構成されている。 両側波帯伝送を使用しているため、チャネル幅は 9 mc である。 RF電力は15ワットである。 ピックアップ管は 1846 アイコノスコープ、出力管は 829 である。入力電圧は 12.5 VDC である。 システムのコンポーネントは、CRV-59AAA から AAD カメラ送信機、CRV-21ABY ダイナモーター、CRV-66ACS から ACV アンテナ、および CRV-60AAR モニターである。
Signal Corps バージョンのカメラ/送信機は SCR-549-T1、T2 である。 受信機はSCR-550-T1、T2である。 陸軍空軍セットは、デザインが若干変更されている点を除いて海軍セットと似ている。
c-1

c-2

使用目的
・テレビを備えたパイロットのいない飛行機を高速で地球に急降下させ、飛行機の翼の応力を研究した
・大型の海軍航空機の銃座にカメラが設置され、テレビによる射撃管制の照準器が作成された。
・航空母艦、巡洋艦、戦艦では、小型カメラを使用して、船全体が撮影された。
・最初の原子爆弾用のプルトニウム製造が行われたワシントン州のデュポン社ハンフォード工場では、これらのカメラは原子炉に積み込むクレーンを監視するために使用された。
・1943 年の国防研究委員会 (NDRC) 開発契約に基づき、RCA の下請けである NBC は、無操縦機、実験機、または無線操縦機から管制機や無線操縦機への航空機計器の伝送を遠隔測定するのに適したテレビの狭帯域システムを開発した。
・テレビ誘導を備えたROCと呼ばれる中角誘導爆弾型ミサイルの使用が含まれていた。 このシステムは、ミサイルの機首に設置された小さな円筒形のカメラ ユニット、小型送信機、電源、およびダイポール アンテナで構成されていた。
・この装備は長距離、高高度の偵察活動のために開発された。 有人操作向けに設計されており、高精細度テレビ画像の制作に比べて重量と複雑さは二の次でした。

【総合コメント】
・東芝のテレビジョン端局装置の仕様について
テレビジョンの走査線は明記されていないが、横偏向周波数が11,025c/s÷垂直同期周波数50c/s=220.5であることから、飛越走査(Interlace scanning)を採用しているとすれば、1画面当たりの走査線数は220.5本となる。
なお、端数の0.5というのは、最初の1本、又は最後の1本がその水平の長さが画面の幅の半分しかないことを示している。
したがって、水平方向へふらせるのは、1画面あたり220.5×2=441回、そして1秒間当たり50c/s÷2=25回となる。
このことから、走査線が441本で,毎秒画数は25枚であることが判るが、これは昭和15年の東京オリンピックのTV放送を目指した我が国のテレビの放送基準に適合している。
なお、戦後日本が採用したNTSC規格は、走査線が525本で,毎秒画数は30枚である。

・東芝のテレビジョン端局装置の真の使用目的について
あくまで建前は民生用の携帯型テレビジョン端局装置として解説を行っているが、2台のカメラを50mのケーブルで接続して遠隔監視できる機能がある。
しかも、カメラは無人でカメラの焦点調節はセルシン機構(シンクロモーター)により遠隔で行われる機能も付与している。
TV放送であれば、カメラマンがカメラを操作するのが基本であるが、何故か無人による遠隔監視装置として設計されている。
このことから、爆撃機の後部座席に銃座を設け、操縦席で遠隔射撃するのであれば、左右に無人カメラを設置と敵機の標定のためには複眼と焦点調節は必須であり、本機においてその機能を全て満足していることが理解できる。
ただし、昭和17年10月の無線と実験のこの記事を読んでも陸軍の「軍用簡易テレビジョン装置」とは当時の読者は想像だにしなかっただろう。

・米国の開発動向
米国では軍用テレビジョンを多目的用途に活用していたが、日本と同様海軍の大型航空機の銃座に活用にも計画していたようだ。
更に、航空機の銃座にはテレビ使用から、ロックオン機能付き(?)のレーダーを応用する方式に進化しているが、当時では技術不足なのか頓挫したようだ。
AN/APG-15Bレーダー
ボーイングB-29Bは革新的な尾部銃システムを採用した。これは新たに導入されたAN/APG-15Bレーダー火器管制システムによるもので、ゼネラル・エレクトリック社のガンコンピューターと“Ella”としても知られるIFF(Identification Friend or Foe)ユニットに接続されていた。
この先進的なレーダー・システムは、接近する敵機を探知し、追尾射撃に必要な計算を自動的に行うことができた。しかし、AN/APG-15Bシステムは困難であり、現場では効果がないことが判明したため、ほとんどの航空機から取り外されることになった。
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・日本海軍のテレビジョン開発に関する動向について
海軍がパルス式レーダーを開発しているとの情報が陸軍に伝わると早速陸軍も同じくレーダー開発に着手する。
また、陸軍・登戸研究所で大型マグネトロンを使用した殺人光線として利用可能について研究すると、対抗して海軍では高出力殺人光線「Z」が計画・開発実験を開始する。
同様に、陸軍で「軍用簡易テレビジョン装置」の開発を進めると、海軍でも同様な開発が進められると想定していたが、公式資料を見る限り写真電送装置(ファックス装置?)や特殊画字伝送装置などの開発を行っているが、テレビジョン応用までの実用化研究を行っていないようだ。

・アイコノスコープの見本(国産品)
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・参考情報
昭和15年のテレビジョン実験放送風景

テレビジョン 日映科学映画製作所製作
https://www.youtube.com/watch?v=i7-ipaNCkdw

・暗視機の開発について
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
住友通信工業株式会社 生田研究所
暗視管(ノクトビジョン管)(1943年1月から1945年7月まで)
直径45mmと80mmのノクトビジョン管用の半透明なAg-Cs光電カソードに関する実験が行われたが、予想された結果は得られませんでした。
Noctovision Tube (Jan. 1943 to July 1945) 
Experimental work has been made on Ag - Cs semi-transparent, photocathode for tubes 45 mm, and 80 mm, in diameter. Anticipated result has not been obtained.





参考文献
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会
東京芝浦電気株式会社八十五年史 昭和38年発行
本邦軍用無線技術の概観 大西 成美
無線と実験 昭和17年10月号 
MILITARY TELEVISION EQUIPMENT BUILT BY RCA
https://www.qsl.net/w2vtm/mil_television_history.html
Aircraft Turrets And Defense Tactics 
https://www.youtube.com/watch?v=Hf3TV_sLnCc
TUBE AMP 研究室のブログ
私の秘蔵品です。 アイコノスコープ (撮像管 RCA1846) 
https://ameblo.jp/tube-amp-mania/entry-12559516639.html
A short survey of japanese radar Volume 1




戦後の自衛隊の警戒管制レーダーの開発の歩みについて

2023年11月02日に日本初の完成装備品移転としてフィリピンに警戒管制レーダーの初号機を納入するニュースが報じられたが、一体世間ではこのレーダーの機能を把握している人は関係者以外殆ど皆無であろう。
このフィピンへの初号機納入のニュースを契機に、戦後の航空自衛隊の警戒管制レーダーの開発の歩みについて概観するのも一興と思い考察するこことした。

フィリピンに警戒管制レーダーの初号機を納入(2023年11月02日)
日本初の完成装備品移転
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フィリピンに納入した警戒管制レーダー初号機
三菱電機株式会社は、2020年8月にフィリピン国防省と警戒管制レーダーを納入する契約を締結し、日本国内での設計・製造・試験を経て、このたび2023年10月に初号機をフィリピン空軍へ納入しましたのでお知らせします。本件は、2014年4月に日本政府の防衛装備移転三原則が制定されて以降、初めての海外政府に向けた国産完成装備品の移転となります。
当社は今後、2基目以降の納入に向けて尽力していきます。また、防衛装備移転三原則に基づき、抑止力の向上を通じてわが国の安全保障に貢献するとともに、日本政府と連携し、各国政府や企業との共同開発、装備品移転、サプライチェーンへの参加などに取り組んでまいります。
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今回フィリピンに輸出される警戒管制レーダー(固定式J/FPS-3×3基、移動式JTPS-P14×1基)については、該当レーダーは米国のライセンス生産品なのか純国産品なのか明らかにされていないが、防衛省としては、民間企業である三菱電機による外国へ輸出する軍需品については純国産品であることが常識なのかもしれない。
しかしながら、今回フィリピンに輸出される警戒管制レーダーの型式はJ/FPS-3とあるがも、米国ではAN/FPS-3の型式のレーダーがあり、同じFPSの型式を使用している。
なお、米軍のレーダーシステムの名称付与基準は改の通りである。
Joint Electronics Type Designation System(JETDS)では、すべての米軍のレーダーおよび追跡システムに一意の識別英数字の指定が割り当てられている。
「AN」(Army-Navy)の文字は、3文字のコードの前に配置されている。
3文字のコードの最初の文字は、電子機器をホストするプラットフォームの種類を示し、A=航空機、F=固定(陸上)、S=船舶搭載、T=地上輸送可能。
2 番目の文字は機器の種類を示し、P=レーダー (パルス)、Q=ソナー、R=無線である。
3 番目の文字はデバイスの機能または目的を示し、G=射撃管制、R=受信、S=検索、T=送信。
したがって、AN/FPS-6は、陸海軍の「固定、レーダー、捜索」電子機器の6番目の設計を表している。

いい機会なので、このJ/FPS-3をベースとして戦後の航空自衛隊の警戒管制レーダーの開発の歩みを概観するこことした。

終戦後の在日米軍の動きを見ると、朝鮮戦争が始まる前、アメリカの占領軍司令部は、日本列島とその周辺の領空管理に特別な注意を払っていなかった。 本州及び沖縄には、主に航空機の飛行を追跡するために使用されたレーダーSCR-270/271(最大190 km)とAN / TPS-1B / D(最大220 km)があった。
レーダー 左:SCR-270/271        右:AN / TPS-1B
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その後、AN / FPS-3、AN / CPS-5、AN / FPS-8レーダー、およびAN / CPS-4高度測定レーダーは、300 km以上の探知範囲が可能で、日本にあるアメリカの軍事基地に配備された。

朝鮮戦争後は、在日米軍の兵力は駐留当時10万を超えていたが、昭和32年以降大幅な削減、撤退を行った結果、昭和35年現在では半数に満たない兵力となっている。とくに陸上部隊は全面撤退している。これに伴って施設も逐次返還されており、昭和32年当時1078件が昭和34年9月末266件に減少している。
全国24カ所の管制センター(レーダー・サイト)は昭和35年末までに全面移譲され日本本土の防空は航空自衛隊にすべて委ねられることになる。
移譲されたレーダーには、索敵用AN/FPS-3、AN/CPS-1、5、AN/TPS-1D、AN/FPS-20、測高用AN/TPS-10D、AN/FPS-6である。
なお、航空警戒管制業務の引継ぎの進捗に伴い、サイトを完全に運営するに必要な人的、物的条件の整備緊急の用務となっているが、昭和35年度は歳出予算に907百万円、国庫債務負担行為として458百万円の増額をはかっている。
我が国のレーダーサイトは、逐次米軍より自衛隊へ移管されたが、昭和34年9月末においてほぼ半数が移管された。これらのレーダーサイトにおいては、24時間レーダースコープに写る航空機を監視及び追跡のうえ敵味方機を識別し、不明機や遭難機があれは直ちに必要な報告及び指令を発し、飛び立った邀撃戦闘機や遭難捜索機を所要の地点へ、或は帰還する航空機を夫々の航空基地へ誘導する等の任務を遂行している。

日本での航空自衛隊の発足後、アメリカは軍事援助の一環として、AN / FPS-20B二次元レーダーとAN / FPS-6高度測定レーダーを提供した。 これらのレーダーステーションは、長い間空域監視レーダー制御システムのバックボーンであった。 日本の最初のレーダー基地運用は 1958 年に始まった。 監視中、航空状況に関するすべての情報は、無線中継とケーブル通信回線を介してリアルタイムでアメリカ側に並行して情報提供された。

昭和35年(1960年)、空域管理機能はすべて日本側に移管された。 同時に、日本の全領土は、独自の地域防空コマンドセンターを持ついくつかの部門に分割された。 北部セクター (三沢の作戦センター) の部隊が北海道と本島北、中央部門(入間市のオペレーションセンター)が東京や大阪といった工業地帯が密集する本州、そして西部作戦センター(春日)は本州、四国、九州の島々の南西部を監視した。

AN/FPS-3、AN/FPS-20の概要
種類 一般監視レーダー
周波数 Lバンド (※Lバンド 0.5 - 1.5 Ghz  "Long":対空捜索用レーダー)
PRF  440
パルス幅 4μS
回転数(RPM) 3.3、5、10回転
Lバンド早期警戒・地上管制迎撃レーダーシステムである。このデザインは1950年にBendix AN/FPS-3として誕生し、FPS-20にアップグレードされ、その後、追加のアップグレードが適用されるにつれて12種類以上のバリエーションが生まれた。
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AN/FPS-6レーダーの概要
AN/FPS-6レーダー(AN/FPS-6 Radar)は、アメリカ空軍防空司令部が使用していた長距離高度探知レーダーである。AN/FPS-6レーダーは1950年代後半に実用化され、その後数十年にわたって米国の主要な高度探知レーダーとして機能した。また、イギリス空軍のAMESタイプ80とともに使用されました。ゼネラル・エレクトリック社が製造したSバンドレーダー(※Sバンド 1.5 - 5.0Ghz  "Short":対水上捜索用レーダー等)は、2700MHzから2900MHzの周波数で運用され、1953年から1960年の間に、/FPS-6と移動式AN/MPS-14が約450機生産された。
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1960年7月1日より航空自衛隊による自主運用が開始された当時は、捜索用がAN/FPS-3およびAN/TPS-1D、測高用がAN/FPS-6およびAN/TPS-10Dであった。索敵レーダーの大半は1958年から1963年にかけてAN/FPS-20Aに、また測高レーダーの一部も1963年から1965年にかけてAN/FPS-89(FPS-6A)に換装された。


航空自衛隊の警戒管制レーダーの国産化の歩みについて
J/FPS-1の概要
昭和30年代中期の日本のレーダーサイトでは、捜索レーダーと測高レーダーという2種類のレーダーの組み合わせで目標機の方位・距離・高度を測定していた。この方式では、まず捜索レーダーによって多数の目標の距離や方位を求めた後に、所定の特定目標の方位へ測高レーダーを指向させて、いわゆる首振りの走査によって高度を検出するという二本立ての構成となっていたため、高度を測定できる目標数に限度があった。
航空自衛隊では、第2次防衛力整備計画において自動警戒管制組織(BADGE)の導入を予定しており、これにあわせたレーダーの能力の増進が求められるようになった。すなわち、1台のレーダーで捜索レーダーと測高レーダーの機能を兼ね備えること、あわせて捜索機能および特に測高機能を向上することが喫緊の課題とされた。この情勢を受けて、1961年12月12日の空幕会議においてレーダー能力増進計画が承認され、J/FPS-1開発の基本計画が承認された。
1962年、東芝、日本電気、三菱電機の3社に対して委託研究が発注され、各社においてそれぞれ異なる方式に基づいて研究が行われた。東芝は米EG社のDefocus方式、日本電気は米ヒューズ社のFRESCAN方式を参考にして開発を進めたのに対して、三菱電機は同社独自の位相差方式を用いて開発を進めた。昭和37年度末、航空幕僚監部と防衛庁内局、技術研究本部によって3社からの提案に対する評価が行われ、下記のような優位点が評価されて、三菱電機の案が採用されることとなった。
1972年より運用を開始し、1977年までに7ヶ所のレーダーサイトに導入された。ただし大規模な施設整備が必要となるなどの問題があり、以後の換装はJ/FPS-2に切り替えられたほか、性能の陳腐化と維持管理の問題から早期の退役が図られることになり、後継としてJ/FPS-3やJ/FPS-4が開発されて、前者は1992年、後者も1999年より運用を開始した。
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J/FPS-3の概要
航空自衛隊では、自動警戒管制組織の建設にあわせてレーダーサイトに国産の3次元レーダーを導入することになり、1972年よりJ/FPS-1(F-3D)の運用を開始した。しかし全国28ヶ所のレーダーサイトに対して、J/FPS-1が配備されたのは7ヶ所、よりコンパクトなJ/FPS-2も11ヶ所に留まった。残りのサイトはアメリカ空軍から引き継いだAN/FPS-20捜索レーダー(あるいはその派生型)およびAN/FPS-6測高レーダーの使用を継続していた。これらのアメリカ製レーダーは順次に近代化改修が図られていたとはいえ、その後継として、1990年代以降の航空脅威に対処できるレーダーの開発が求められるようになった。
一方、技術研究本部では既に1967年よりフェーズドアレイレーダーの研究を進めており、昭和46年度には最初の実験装置である「電子走査アクティブ空中線装置」を研究試作、続いて昭和47~48年度でSバンドの「新方式レーダ」を試作した。これは目黒の第1研究所12号館屋上に設置されて、羽田上空の航空機を捉えることに成功したが、これはアクティブ・フェーズドアレイ方式として日本初の成果であった。これらの成果を踏まえて、上記の開発要求書に先行する1979年より、既に東芝と日本電気、そして三菱電機の参加・協力のもとで、将来の警戒管制レーダーに関する部内研究が着手されていた。
1983年11月には試作機担当会社が三菱電機に決定され、技術研究本部を中心として官民一体となった設計製造が開始された。1986年10月より飯岡試験場において技術試験が開始され、1987年6月までにレーダー覆域の飛行試験36ソーティを実施して、実環境における基本的な機能・性能の確認を行った。また7月からは実用試験も同時に実施されて、地上試験および計171ソーティの飛行試験により技術的評価を行った。技術試験の成果は1989年1月の研究開発評価会議で、また実用試験の成果は同年5月の装備審査会調整部会で了承されて、1989年6月には部隊使用承認が下りた。開発経費は43億円とされる。
初号機は1992年3月31日に経ヶ岬分屯基地に配備されて、運用試験ののち、同年9月より運用を開始した。その後、1999年にかけて計7基が取得された
設計
予想される航空脅威に対処できるレーダーは、主侵攻方向に対する探知能力の大幅な向上とともに、高機動目標の追尾能力の向上も求められた。1つのレーダーでこれら2つの要求を両方とも実現することは困難であり、それぞれの狙いを明確にした遠距離用と近距離用の2つのレーダーで構成することとなった。これら2つのレーダーを分散配置することで、システムとしての抗堪性も向上させられるものと期待された。
これらのレーダーでは、素子アンテナごとに半導体マイクロ波送受信モジュールを有する半導体アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナが採用された。これは、電子走査による柔軟なビーム制御が可能で、また大電力・高感度受信化による小目標探知も可能な点に着目したものであった。ビーム走査用の移相器にはダイオード移相器を、送信電力の増幅用には電界効果トランジスタ(FET)増幅器をそれぞれ用いている。またアンテナ素子に電力を分配するための電力分配器には、軽量・小型のストリップライン型を用いている。
遠距離用空中線装置
2次元(方位・仰角)走査方式。アンテナは数千素子から構成されている。そのうちのアクティブ・モジュールは全素子数の約50パーセントであり、これらのアクティブ・モジュールの配列は均等ではなく、サイドローブ特性の要求から、間引きした配列(シニング)を行っている。
近距離用空中線装置
時系列的に複数ビームを用いた1次元(垂直面内)走査方式。アンテナ素子数は遠距離用空中線装置の約2倍程度であるが、アクティブ・モジュール数は約20パーセント以下である。なおサイドローブ特性の要求から、アンテナの励振振幅にはウェイティングをかけている。
システム構成としては、これらの空中線装置のほか、信号処理装置および表示制御装置等から構成されている。遠・近距離用空中線装置のそれぞれに、対レーダーミサイルを誤誘導させてアンテナを保護するための擬似電波発生装置(デコイ)も設けられている。
上記の通り、本システムでは分散配置化による抗堪性の向上を図っているが、この際に光ケーブルを用いた遠距離・高速・大容量データ伝送技術を警戒管制レーダーで初めて採用し、レーダーアンテナとオペレーションルーム等を隔離する事によって要員・器材の安全確保を可能とした。また信号処理装置などは地下に設置されており、更に抗堪性を向上させている。
なお17中防に基づいて、本システムをミサイル防衛に対応して改修することになり、平成20・21年度に改修が行われてJ/FPS-3改となった。

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※ソーティ (Sortie)とは
後方の拠点から航空機や艦艇、もしくは部隊といった単一の軍事ユニットを展開または派遣する事を意味する軍事用語である。出撃する航空機や艦艇、部隊は単独か複数かにかかわらず、特定の任務を帯びているのが普通である。
航空戦では、個別に存在する機械の使用全般を示すのに用いられ、例えば、1つの作戦に6機の航空機が用いられれば、6ソーティと数えられる。

自動警戒管制組織(BADGE:Base Air Defense Ground Environment)の概要
1969年から2009年まで運用されていた航空自衛隊の防空指揮管制システム。略称はバッジ・システム。自動化された航空警戒管制システムであり、指揮命令、航空機の航跡情報等を伝達・処理する全国規模の戦術指揮通信システム(コンピュータシステム)である。
BADGE システムは、56 年からアメリカ空軍で使用されている SAGE 警報制御システムに次いで世界で 2番目のシステムになった。
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 2009年7月1日に、後継の自動警戒管制システム(JADGE:Japan Aerospace Defense Ground Environment、略称:ジャッジ)に換装された。
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1954年7月1日に発足した航空自衛隊は、その6年後の1960年7月より、自力での航空警戒管制組織の運用に着手した。当時の防空体制は、F-86DおよびF-86F戦闘機を要撃機としていたが、警戒管制は下記のような手動運用方式であった。
目標発見 - 防空監視所(SS)に設置されたレーダーのスコープ上で監視係員が発見
航跡情報表示 - SSから音声で報告を受け、防空指令所(DC)の表示係員が手書きで大型表示板に表示
識別 - 大型表示板に表示された航跡情報表示をもとに識別係員が敵味方識別
要撃 - 管制官が音声により要撃機に指令
その後、1961年7月18日に決定された第2次防衛力整備計画では、新戦闘機(F-X)としてのF-104Jやナイキ・エイジャックスなど、新たな防空手段の導入が決定されたことから、これとあわせて、航空警戒管制組織の自動化が模索されることとなった。これに応じて導入されたのがBADGEシステムである。
1962年度より採用機種の検討が進められ、ゼネラル・エレクトリック(GE)、リットン社、ヒューズ社の3社が技術提案を行った。二度に渡り調査団が派米されるなど慎重に検討が進められ、1963年7月1日、ヒューズ社が提案した戦術航空火器管制システム(Tactical Air Weapon Control System, TAWCS)の採用が決定された。決定理由は「完成が遅れることがあっても、ヒューズ社の提案が要求を満たし、費用が最低である」という点であった。
なお、1964年12月4日に締結された政府間合意に基づき、本システムの開発にはアメリカからの財政支援がなされている。
BADGE
ヒューズ社がアメリカ海軍向けに開発した海軍戦術情報システム(NTDS)の改良型であるTAWCSをベースとして[4]、日本アビオトロニクス(現:日本アビオニクス)社が航空自衛隊向けにカスタマイズしたものである。1964年12月に「航空警戒管制組織の自動化」として受注、1968年3月に領収され、点検評価を経て、1969年3月26日から、まず全防衛区域で昼間8時間の運用が開始された。
構成
当時府中基地に所在していた航空総隊作戦指揮所(COC)がトップとして、システム全体を統括した。当時、航空方面隊ごとに北部・中部・西部の3個防衛区域が設定されており、それぞれに防空管制所(CC)が設けられていた。実際にBADGEの警戒管制機能の中核となり、要撃機や地対空ミサイルへの指令を担当する防空指令所(DC)もこれに併設されるが、中部防衛区域のみ、笠取山分屯基地と峯岡山分屯基地に分割されていた。なお、システムはアメリカ軍のシステムとも連接されていたが、政治的な理由により、この計画は西太平洋北部情報利用プログラム(WESTPACNORTH Information Utilization Program)と呼称されていた。これにより、海軍戦術情報システム(NTDS)および琉球防空システム(Ryukyu Air Defense System)、韓国防空システム(Korea Air Defense System)との連接がなされていた。
主要構成器材・機能は下記のとおりであった。
RTS-IIレーダー追尾装置(Radar Tracking Station-II)
SSに設置され、捜索・測高レーダーからの情報を集中処理する。最初の自動捕捉で目標の位置を求め、続く自動追尾では追尾しながら真目標の速度・針路を計算する。これらの自動追尾は、電子攻撃(EA)や悪天候下においても継続的に実施できるよう措置されている。なお算出された目標情報は、下記の地対地データリンクを介してDC・CCに伝送される。
H-330B要撃計算機
バッジ・システム 航空現状表示用コンソール
DCに設置される大型の汎用コンピュータで、要撃諸元の計算伝送、フライトプランの挿入による自動的な各種情報の処理を行う。なおマンマシンインタフェースとしては、監視統制・識別・指揮・兵器割当・要撃管制の各コンソールのほか、戦術状況を総合的に表示する大型カラー・データ・スクリーンや、各基地の気象状況・待機状況を表示するステータスボードが配された。
バッジ・システム 航空現状表示用コンソール
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H-3118情報処理計算機
CCに設置された。H-330B要撃計算機とは異なり、基本的には目標情報・兵器待機状況等の表示に特化しており、連接されるコンソールも指揮用のもののみである。
HC-270地対地データリンク
SS・DC・CC間を結ぶ高速データ伝送装置。
地対空データリンク
要撃管制に必要な誘導諸元を自動的にパイロットに指示するための地上装置。UHF帯の時分割データリンク(Time Division Data Link, TDDL)を利用している。要撃機ではF-104Jより対応し、機上端末としてF-4EJではARR-670が搭載された。
組織構成は下記のようなものであった。

Active Phased Array Radarについて
戦後のActive Phased Array Radarの技術については全く知見はありませんが、ネット情報から類推すると以下の通りである。
個々のアンテナ素子自体が送受信機能を有しているということから、平面全体がアンテナ素子のマトリックスとして動作させることが可能となった。
この機能により個々のアンテナを有機的に作用させることにより放射ビームを自由に操作できることになる。
アンテナをマトリックス情報ととらえることが可能であれば、複数の目標物の方向や速度情報を同時に取得できることになる。
さらに、コンピーターの情報処理により多目標の同時解析/対応が可能となるのだろう。

フィリピンに納入した警戒管制レーダー初号機のJ/FPS-3
フェーズド・アレイ・アンテナの仕組み
素子アンテナごとに半導体マイクロ波送受信モジュールを有する半導体アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナが採用された。これは、電子走査による柔軟なビーム制御が可能で、また大電力・高感度受信化による小目標探知も可能な点に着目したものであった。ビーム走査用の移相器にはダイオード移相器を、送信電力の増幅用には電界効果トランジスタ(FET)増幅器をそれぞれ用いている。またアンテナ素子に電力を分配するための電力分配器には、軽量・小型のストリップライン型を用いている。
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Phased Array Radarとは一体どのようなレーダーなのか。
Phaseは工学系用語では「位相」と訳するが、変化の「段階、局面」の意味も有している。
Phased Outは段階的廃止と訳されるように、Phased Arrayは位相配列ではなく、多段(段階的)配列と和訳すべきではないだろうか。
開戦間もなく、シンガポール陥落のおり英軍の射撃管制レーダーの残骸と関連ドキュメントを鹵獲しており、この資料のなかに、射撃管制レーダーは上下及び左右に4つのアンテナを配置し上下及び左右の受信信号を比較する所謂等感度方式を採用している資料があった。その中にPhased Ringなる用語があったが、日本側は内容を理解することなく無条件に「位相環」と和訳している。
実際の資料をみても、位相とは無関係で単なる環(円)状のものを回転しながらスイッチングする機構にすぎず「位相環」というよりも、「環状多段(段階的)配列」のほうが相応しい。
ただし、現代のActive Phased Arrayとなると位相制御する機能が主目的と考えられることから、可変性(活性化可能な)位相配列と訳するが相応しいのだろう。
このようなこともあり、日本ではPhased Arrayを日本語訳せず、そのままカタカナの「フェーズド・アレイ」で使用されるのが通例である。
海軍4号電波探信儀3 型(L-1)の位相環(Phased Ring)の仕様
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このPhased Arrayを多段(段階的)配列と定義するとすれば、戦時の日本のレーダーに関して下記の機種事例が該当することになる。
陸軍では、超短波を用いたタチ1、タチ2タチ3、タチ4、タチ31、海軍では41号、42号、43号などの等感度方式の射撃管制レーダーが該当する。
写真は陸軍のタチ31レーダーを示す。
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マグネトロンを利用したセンチ波の射撃管制レーダーとしては、海軍の32号、33号レーダーが該当する。
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本システムでは、受信ラッパに個々に配置している導波管をモーターにより遮断するシャッターを設けて、アンテナ切換を可能としている。
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戦時中(WWⅡ)の同時期の米海軍のPhased Array RadarであるFIRE CONTROL RADAR、MARK8について
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Radar Equipment Mk.8
1943年1月の米軍のマニュアル「FIRE CONTROL RADAR、MARK8」を見ると、Mk.8 Mod.1のアンテナは14素子のMUSA(multi-unit-steerable-antenna)配列で、これらの素子は広帯域で水平に配置されている。
これにより、必要な水平指向性が得られ、アンテナを動かすことなく、隣接するアンテナ素子間へ段階的に移行(phase difference)させながら放射ローブ(radiation lobe)を操作することができた。
これは、Mk.34およびMk.38の射撃管制盤の上に配置され、船の動きの補償のために上下に移動する配置でサポートされていた。
水平は+15度から-15度の間で変えられる。42本のテーパー状の固体ポリスチレン製の棒(ポリロッド)が、3本ずつ14組(14列×3段)の垂直グループに分かれて突き出ている。
各ロッドは約3フィートの長さで、電圧を供給する導波管の端に取り付けられていた。
3本のロッドのグループはトライデント(trident)と呼ばれ、アンテナの独立した素子として機能した。
走査は、トライデントに供給される電圧を段階的絶えず移行(continually shifted the phase of the voltages)させる13個の機械式分配器(mechanical phase shifters)によって行われた。
これらはボールベアリングで回転し、アンテナの一端に取り付けられたモーターで駆動される。この駆動モーターの近くには、2スピードスキャン用のギアシフトモーターが取り付けられていた。
補助装置により、オペレータはスキャンの開始、停止、反転、スキャン速度の選択を行うことができた。シンクロ・ジェネレーターは、低速スキャン時にアンテナ・ローブの位置を遠隔地で指示するためにアセンブリに取り付けられていた。高速スキャン中は、ソレノイド・クラッチがシンクロ・ジェネレーターを切り離した。
このレーダー装置は主に主砲発令所 (Main Battery Plot)の射撃管制に使用された。距離精度は優れていた。方位精度は実質的に光学式と同等であった。射程内の照準(スポッティング)は優れていた。射程1000ヤード(914m)以内の落下は100ヤード(91m)単位で正確であった。方位角での照準(スポッティング)は、小さな偏向誤差(small deflection errors)に対しては実用的ではなかった。
アンテナは主砲発令所 (Main Battery Plot)またはローカル測距儀(Local rangefinder)で安定した動揺修正装置(垂直安定ジャイロ) stable vertical Mk. 41を備えていた。
アンテナが水平に保たれていないと、細いビームがターゲットの上や下に回転するため、アンテナへのレベル入力は必要であった。測距情報は電気的に主砲発令所に送信された。すべての操作・制御ユニットは、最初は射撃管制盤(ディレクタ)に搭載されていたが、後にその一部が主砲発令所に搭載された。操作には1名のレーダー・オペレーターとディレクター・トレイン・オペレーターが必要であった。
水上目標を確実に探知できる距離は、戦艦の16インチ45口径砲と測距儀の射程を上回っていた。距離と方位の識別は良好であった。目標の構成に関する重要な戦術的情報は、行動開始のかなり前に得ることができた。
3つのスイープが提供されました:
通常(Main)、拡張(Expanded)および精密探知(Precision sweeps)
通常探知(main sweep)で約90,000ヤード(約82,296m)を探知ことができきるも、わずか測定距離(range measurement)は45,000ヤード(82,296m)。この探知は、最初の接触と、目標の数、性質、移動に関する戦術的な情報の取得に使用された。
拡張探知(expanded sweep)は、最初の20,000ヤード(18,288m)の範囲を拡大して範囲識別を改善することができた。
精密探知(precision sweep)は、範囲単位に示された特定の範囲を選択し、適切な範囲関係でこの範囲から1,000ヤード以内の目標を示した。45,000ヤードまで使用された。正確探知(precision sweep)と高速ベアリング探知(high-speed bearing sweep)を使用して、レンジ・スポッティング(Range spotting)を取得した

機械式分配器(mechanical phase shifters)の仕組み
14個のアンテナ素子にはそれぞれ導波管が接続されており、付属のモーターにより個々の導波管の開閉を行うことにより、水平方向に配置している14個のアンテナが電気的に連続して動作させることにより、アンテナの物理的な首振り動作を不用としている。
したがって、mechanical phase shiftersというよりもmechanical distributorの意味あいが適当と思われる。
本方式は、奇遇にも日本の海軍32号の導波管切換と同一の方式であるように見える。
 c-2

レーダーの表示形式
基本的にはBスコープ表示であるが、精密射撃ではAスコープ表示も可能である。
なお、Bスコープは実際の図形とは異っている。
 c-3


【総合コメント】
・J/FPS-XXシリーズは純国産化のレーダーなのか
日本の自衛隊の警戒管制レーダーは、在日米軍から譲渡されたAN/FPS-3シリーズのAN/FPS-20とJ/FPS-6をベースに開発が行われた。
したがって、米軍のAN/FPSシリーズをベースにしながらも、日本独自仕様のJ/FPS-1を開発することになる。
J/FPS-1は上・中・下の3段のレーダーアンテナから構成されているのが大変ユニークである。
 c-4

1960年代当時の技術レベルと経済状況によると米軍の最新技術によるライセンス生産ができるような対等な関係は構築できず、結果として独自開発せざるを得なかったのだろう。
陸上及び航空自衛隊では、固定局のJ/FPS-1、J/FPS-2、J/FPS-3及び移動局のJ/TPS-P14を含め純国産品で米国のライセンスを使用していない。
海上自衛隊では、艦船レーダーには、対空、対水上用、航海用などあるが、当初は米国製であったが、現在ではイージス・システム艦の多目的同時処理能力レーダー(AN/SPY-1D)を除いては、すべて国産である。
左:J/FPS-2        右:陸上自衛隊のJ/TPS-P14
 c-5

・警戒管制レーダーの基本的なシステム構成について
戦後の米軍でも警戒管制レーダーには、方位と距離測定用2次元レーダーと高度測定用レーダーを組合せて測定している。
日本の旧軍のレーダーも米軍と同じく陸軍では方位と距離測定用2次元レーダーにタチ6、高度測定用レーダータチ20やタチ35を使用しているが、戦後米軍のレーダーも同じレベルの性能であったのは大変な驚きである。
戦後各方面から旧軍のレーダー技術が米軍と比較して未熟であったとの指摘がされているが遠距離の警戒管制レーダー分野においては、多少の測定精度の誤差はあったにせよレーダー性能では大差がなかったのではないか。

・タイへのレーダー輸出の顛末について
2018日3月27日 5:10
輸出を目指すレーダーは航空自衛隊が1991年から運用する「FPS-3」だ。26年間にわたって敵の戦闘機や弾道ミサイルを監視してきた実績があり、「性能は申し分ない」(元航空自衛隊幹部)。
タイ政府は早ければ4月にも結論を出す。FPS-3が選ばれれば日本初の本格的武器輸出となる。
政府は2014年に武器輸出の要件を緩和したが、その後、オーストラリアへの潜水艦輸出に失敗。この他にインドには救難艇、ニュージーランドには空から潜水艦を探知する哨戒機を売り込んだが契約には至っていない。
タイに輸出を目指すレーダーの価格は10億円超とみられ、総額4兆円超だった対豪潜水艦輸出に比べて小粒感は否めない。
だが、「輸出できれば同系レーダーの連続受注や戦闘機との通信、情報処理装置の受注など波及効果が期待できる」(政府関係者)。撤退する企業さえある斜陽の国内防衛産業にとっては朗報になる。
タイの国防費は年間およそ60億ドル。高性能なレーダーを整備できる規模ではないことから、日本の政府内には、価格競争に巻き込まれることを懸念して入札への参加に慎重な声もある。

2018年7月21日 22:4
防衛装備庁は、三菱電機が参加していたタイ空軍の防空レーダーの入札でスペイン企業が落札したと明らかにした。初の国産装備品輸出を狙ったが、2016年のオーストラリアへの新型潜水艦売り込みに続く失敗となった。政府は3月に国家安全保障会議(NSC)閣僚会合で、一定の条件を満たせば武器輸出を認める「防衛装備移転三原則」に基づき三菱電機の入札参加を承認していた。

・フィリピンへの警戒管制レーダー納入について
フィリピンの防空戦力をネットで調べて見ると以下のとおりである。
2005年10月には、最後のF-5A/B戦闘機が老朽化により退役し、それ以降は純粋な作戦機としての戦闘機を保有していない。
2012年、攻撃機としても使用可能な練習機であるT-50(軽攻撃機型はFA-50)もしくはM-346を、計12機調達する計画が発足し、T-50を売り込もうとしている韓国との交渉が進んだ。韓国との交渉の結果、運用法次第では平時の領空警備やゲリラ対処も可能な超音速性能を有すること、アメリカを代表する軍事企業であるロッキードマーティン社が設計を行った航空機であること、そして韓国側が提示した価格面での安さを選定理由として、T-50(FA-50)を2014年頃に調達することが決定した。

これらのフィリピンの航空戦力では、高度な警戒管制レーダーを導入しても、軽戦闘機(練習機に軽武装)による領空警備の邀撃行動をしても某国には太刀打ちできない。
これが東南アジア諸国の実態であるが、某国のような振る舞いをする輩には困ったものだということしか言えない。

・戦時中と戦後のレーダー開発メーカーの動向について
戦時中のレーダー御三家は、東芝、日本電気、日本無線の3社でしたが、戦後は三菱電機、日本電気、東芝の3社と変わるが、東芝の開発比重は大幅に低下している。
戦時の三菱電機のレーダー開発は不活発で、タキ3やIFF程度の開発しか行っていなかったが、戦後のレーダー開発では何故か目覚ましく重要なレーダー開発を主導している。
三菱電機に云いたいのは、真に必要な時にお国の為に尽くしてほしかったとの一言のみである。
日本無線は、戦後は軍事部門のレーダー開発から手を引き、民間部門のレーダー開発に徹したようだ。




参考文献
防衛年鑑 1960 昭和35年2月 防衛年鑑刊行会
装備年鑑1995 平成7年7月 朝雲新聞社 
米国国立公文書館
冷戦時代の日本の防空体制  2021年 6月15日 著者 リンニック・セルゲイ
https://ja.topwar.ru/183531-sistema-pvo-japonii-v-gody-holodnoj-vojny-sredstva-radiolokacionnogo-kontrolja-vozdushnogo-prostranstva-i-sistema-avtomatizirovannogo-upravlenija.html
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2式1号電波探信儀1型のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

諸元表
略称---------------------------------------------11-2,3号
目的---------------------------------------------陸上海岸に固定装備対空遠距離見張用
周波数 ----------------------------------------- 100Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 500cps
パルス幅 ----------------------------------------20μs
尖頭電力出力-------------------------------------40 kw
測定方式-----------------------------------------最大感度法
出力管-------------------------------------------pp TR1501
受信機検波菅-------------------------------------UN-954,RE-3
空中線 ------------------------------------------送信:2×2 受信:4×2 水平
IF、mcs -----------------------------------------第一中間周波数21.5Mhz、第二中間周波数3.5Mhz、帯域幅±250Khz
受信利得----------------------------------------120 db
最大範囲----------------------------------------編隊250km 単機130km
測距精度----------------------------------------1~2km
測方精度----------------------------------------2~3°
電源--------------------------------------------
重量--------------------------------------------8,700 kg
製造-------------------------------------------東芝、住友、日本音響(日本ビクター)
製作台数---------------------------------------
a-0-1

a-0-2

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、RADAR MODEL 2-11とある
製造会社の記載はないが、日本電気株式会社、東芝及び日本ビクター(日本音響)である。
日本側での制式呼称は、2式1号号電波探信儀1型である。
なお、米軍へ提出されたブロックダイヤグラムは、一部制御ラインに不適切な箇所があると判断して、こちらで修正を行っている。
 a-1

ブロックダイヤグラムでは、次の5つのブロックの機能で構成されている。
Antenna Unit  Transmitter Unit   Receiver Unit  Indicator Unit  Monitor Unit   

空中線(Antenna Unit)

受信用空中線は半波長ダイポール水平4列2段、送信用空中線は半波長ダイポール水平2列2段を各々左右に配置した空中線と5cmの金網を後方に配置した反射板とによる構成である。
空中線は電探室と一体化して設置し、全体を電動モーターにより回転する仕組みの構造となっている。
なお、空中線の引き込みは、並行2線式の饋電線を使用している。
 a-2

a-3

a-4


受信機(Receiver Unit)
本受信機はダブルスーパーヘテロダイン方式で、高周波増幅1段、第1中間周波増幅2段、第2中間周波増幅3段、低周波増幅2段構成である。
高周波部は高周波増幅、第一混合部にエーコン管のUN-954、局部発振に同じくUN-955を使用し、爾後新開発されるレーダー受信機の標準回路構成となる。
第1中間周波増幅部は日本無線が新開発した五極管RE-3による2段増幅構成で、中間周波数は21.5MHz、帯域幅は±250KHzである。
第二混合はRE-3で、第2局部発振は3極・5極複合管Ut-6F7で構成された水晶発振方式である。
第2中間周波数増幅はRE-3による3段増幅方式で、中間周波数は3.5MHz、帯域幅は±250KHzである。
検波はRE-3で、検波信号の低周波増幅はRE-3の1段増幅、最後のRE-3はカソードフォローで低インピーダンス変換して指示機の垂直入力信号となる。
本受信機の総合利得は120dbである。
なお、新開発の新型万能増幅管RE-3を採用した受信機は、海軍では11号、12号、21号、陸軍ではドイツのウルツブルグレーダーのコピー品のタチ-24の合わせて4機種のみである。
b-1

b-2

使用真空管
 b-3


送信機(Transmitter Unit)
UZ-42 → XB-767A → UY-80 7→ TB508C×2 → TR-1501×2
本送信機の使用周波数は100Mhzである。
まず前提条件として、送信管TR-1501プッシュプルで自励発振を行うが、グリッドには負電圧をかけて動作しないカットオフ状態とさせておく。
指示機で生成した500hzの矩形波の入力を微分回路により同期パルスを作り、緩衝増幅UZ-42を介して同期パルスを作り、次段のサイラトロンXB-767Aの発振機能による送信同期パルス20μsを生成する。
次に、UY-807によるパルス増幅後、TB-508C×2によるパルス変調を行う。
この時、高圧の正の送信同期パルスが送信管TR-1501のグリッドを通過すると、カットオフ状態が解除され、送信管TR-1501が自励発振を行い送信同期パルスがアンテナから発射することとなる。
なお、この発振方式は、爾後新開発されるレーダー送信機の爾後の標準回路構成となったが、送信同期パルスの生成にサイラトロンを使用する方式は、本機と陸軍のタチ6などの初期型のみである。
 c-1

c-2
 
使用真空管
 c-3


指示機(Indicator  Unit)
【捕捉説明】送信同期パルスと掃引周波数の関係
指示機の仕組みを理解するためには、本機レーダーが使用するパルス繰返し周波数が重要である。
本機の送信機のパルス繰返周波数の仕様は、仮称1号電波探信儀1型が1,000Hz、送信電力を強化した2式1号電波探信儀1型では500Hzを採用している。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数500Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は300Kmとなる。
パルス繰返し周波数1,000Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は150Kmとなる。
また、指示機に必要なブラウン管の水平軸用の「のこぎり波」の掃引周波数とパルス繰返し周波数との一般的には関係式は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数 ÷ 2 
あくまでこの関係式も原則であり、本機1号電波探信儀1型や2号電波探信儀2型原型機などの初期型では例外も存在しており、この初期型の場合や東芝などが戦争後期に採用した正弦波掃引方式の関係式は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数

同期用正弦波発生部
UY-76(発振) → UZ-6C6(飽和増幅)
同期用正弦波発生器により、指示機の電子マーカー(測距目盛)用に15Khzの正弦波を生成する。
この考え方は、爾後の同期用正弦波発生器では送信同期パルスの周波数を基準とするように変更されたが、初期開発では電子マーカーを基準に正弦波を発生させている。
この正弦波は次段の飽和増幅UZ-6C6で矩形波に変換され、指示機のブラウン管の電子マーカー、ブラウン管の水平掃引用及び送信機の送信同期信号用の3つの機能部で使用される。
なお、送信同期パルスは500Hzを設定していることから、同期用正弦波発生器で発生させた15Khzを分周する必要がある。

受信信号増幅部
UZ-6302(増幅)→ブラウン管の垂直軸の偏向板へ

電子マーカー(測距目盛)部
UZ-6302(飽和増幅)→UZ-6C6(C級増幅/プレート検波)→ブラウン管の垂直偏向板へ
同期用正弦波発生部からの15Khzの矩形波をUZ-6302(飽和増幅)で増幅し微分回路にて電子マーカーのパルスを生成し、次段のUZ-6C6(C級増幅/プレート検波)でグリッドバイアスを深くし、わざと歪ませて増幅/検波することにより、電子マーカーとしての目盛を生成する。
これをブラウン管の垂直軸の信号入力用とは別の偏向板に印加する。
なお、15Khzの電子マーカー(距離目盛)とすれば、1目盛20kmとなる。
復元モデルでの表示事例
 d-1

水平掃引部
「Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)」→「Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)」→UY-76(のこぎり波生成)→UY-76(電圧増幅)→UZ-42(電力増幅)→ブラウン管の水平軸の偏向板へ

【Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)】の分周回路により15Khzを1/5分周して3Khzの矩形波を作る。更に次の【Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)】の分周回路により1/6分周して目的の500Hzの矩形波を生成する。次に、UY-76(のこぎり波生成)の出力で積分回路を介して「のこぎり波」を生成し、UY-76(電圧増幅)でのこぎり波を増幅する。
これをUZ-42(電力増幅)により電力増幅してブラウン管の水平軸の偏向版に印加する。

送信同期信号部
UZ-6D6(飽和増幅)→UZ-6C6(飽和増幅)→UZ-6C6(飽和増幅)→UY-76(カソードフォロー)→送信機と監視機へ
d-2

d-3

使用真空管
 d-4

【回路技術の解説】
・パルス技術を採用した分周回路(1号電波探信儀1型にも採用)
分周回路の回路動作解説(仮称2号電波探信儀2型原型機の説明書からの抜粋)
真空管V1(第一図参照)は切換開閉器に依り周波数30kc及び60kcの発振をなす発振管で真空管V2にてそれを増幅する。従ってV2にて増幅された波形はV1の発振器の出力大なる為、V2の増幅器の出力は図の如く矩形波なり。
次に其の出力は真空管V3-2(第二図参照)なる整流菅を通して蓄電器に接続されている。V3-2は整流菅なる為にプラスの半サイクルの部分だけ整流菅を通じて蓄電器(C12)に充電する。
したがって蓄電器両端の電圧プラス波形の来れる都度に図の如く階段状に上昇して来る。
この様な階段状の電圧は次の発振管V7のグリッドに接続されて居る。
この真空管V7(第三図参照)は周波数30kcを1/10に降下させるもので、発振管のグリッドを図の如く深くマイナスにして置く。次にこのグリッドに上述の如き階段状の電圧が加え発振する迄のグリッド電圧になる瞬間発振する。と同時に蓄電器に充電されていた電圧は放電し再びグリッドはマイナスとなる。
即ち30kcの発振器出力により充電された電圧(階段状に上昇した電圧)10階段目にV7の発振管が発振すれば其の発振周波数は30kcの1/10即ち3kcとなる。
尚抵抗R27を調整して確実に10段目で発振する様に調整する事が出来る。
即ち陽極電圧が高ければ早く発振し低ければ入力電圧(階段状電圧)大なるを要す。
したがって3,000サイクルの周波数は第4図の如き波形となる。
 d-5

※機能詳細は下記のURLの指示部を参照願います。
2号電波探信儀2 型 原型機のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について


監視機(Monitor Unit)
受信信号増幅部
UZ-6C6(増幅)→ブラウン管の垂直軸の偏向板
水平掃引部
UZ-6C6(飽和増幅)→UY-76(のこぎり波生成)→ブラウン管の水平軸の偏向板へ
500Hzの矩形波を入力とし、UZ-6C6(飽和増幅)した矩形波、次のUY-76(のこぎり波生成)の出力部の積分回路を介して「のこぎり波」を生成し、ブラウン管の水平軸の偏向板へ印加する。
 e-1

使用真空管
 e-2



【総合コメント】
・仮称1号電波探信儀1型と2式1号電波探信儀1型との相違について
送信機の仕組みの変遷
日本初の初期型の仮称1号電波探信儀1型の送信機は発振部と終段の電力増幅部の2ステージで構成しているが、これがもとで送信効率が悪化し、全くパワーが出ないシステムとなってしまった。
このため、2式1号電波探信儀1型では、終段の電力増幅部を直接自励発振させて1ステージのシンプルな構成にすることにより、送信パワーを100%だせるように改善し、送信菅も更に大型化することにより尖頭電力出力5Kwから40Kwに大幅に改良を施した。
確かに送信機構成を2ステージから1ステージの回路変更することによりパワーアップを果たしてが、2ステージ方式の資料がないので確かではないが、陸軍の初期型のタチ6と同様に周波数変更が可能な機能を付属させていたのだろう。
敗戦末期の本土防衛となるとB-29のRCM機により電波妨害が盛んに行われている。
電波妨害がされればレーダーの使用周波数を変更すればよいのだが、1ステージの送信機では送信周波数の簡単には変更はできない構造である。
このような経緯により、日本のレーダーは、1ステージの送信機構成のため電波妨害に対応することができなかったことになった。
唯一、ドイツのウルツブルグレーダーのコピー品であるタチ24にのみ送信周波数の変更機能を見ることができる。
 f-1

・同期発振器の使用周波数の選定について
仮称1号電波探信儀1型では、同期発振の基準周波数に15Khzを採用している。
この理由は、初期型の仮称1号電波探信儀1型では、原発振には正確性を考慮して120Khzの水晶発振子を採用し、これを分周して15Khzとして電子マ-カーを基準とした同期発振器としたことが理由のようである。
この電子マーカー用の15Khzを基準として、分周回路により、1/5と1/6分周回路により、送信同期信号の500Hzを生成している。
同時期に開発した仮称2号電波探信儀2型でも、30kc及び60kcの発振器に依り電子マーカー(距離目盛)を、次にその1/10の分周回路により3kc及び1.5kcの送信同期信号を生成している。
この分周回路には最新のパルス技術を採用したアナログ回路が採用されているが、製作費用の増大と過渡現象を利用するため高度な保守能力が必要となり、爾後のシステムには分周回路の採用が避けられるようになった。
具体的には、同期発振器の基準を電子マーカー(距離目盛)から送信同期信号に変更し、逆には、電子マーカー(距離目盛)は送信同期信号の高調波を利用して生成するように変更している。
低周波周波数の送信同期信号を基準としたため、誤差の少ない音叉発振器を利用した同期発振器も多数製作されている。
この送信同期信号の基準周波数の誤差が大きければ、測定すべき測距精度に大いに影響することになる。

・送信同期パルスの生成方法とパルス幅に関する考察について
パルス発射型のレーダに関する技術データが全くない初期のレーダー開発の状況の中、暗中模索の結果、サイラトロンXB-767Aを使用したパルス生成にたどり着いたのだろう。
このサイラトロンXB-767Aを使用してパルス幅20μsの送信同期パルスで実用化したレーダーということになる。
送信同期パルスについては、反射係数を高めるには、ある程度パルス幅は大きい方が反射率には有利であるが、パルス受信によるブラウン管への画面表示を考慮すればパルス幅は小さいほうが解像度は高くなる。
現場の開発陣は、このパルス幅の設計にどう折り合ったのだろう。
なお、爾後のレーダーにはサイラトロンXB-767Aを使用しなくて、矩形波に微分回路を介したシンプルなパルス発生回路を使用している。
 f-2

システムの再現のためサイラトロンTY-66Gを使用したパルス発生回路による実験を行うと、パルス幅が1.94msと規格値には届かない悪い結果となった。
 f-3

爾後のレーダーシステムには、下記のような微分回路によりパルスを発生させている。
 f-4

海軍のレーダーの送信同期パルスのパルス幅を調査すると、下記のとおりであり、1号電波探信儀1型がパルス幅20μsの設定は適正であることが判る。
なお、射撃管制レーダーなどには測定精度を高めるためパルス幅は短くしている。
早期警戒レーダー
20μs    2-11、14   
10μs    2-12、2-21、3-13、14、22
射撃管制レーダー
10μs    32
3μs    43(L-3)、41(S3)
2.5μs   23
PPI系レーダー
2μs   玉3
1.2μs  51

・分周回路の動作説明
海軍技術研究所では、初めてのレーダー開発に当たり、日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士が技術顧問として参画しており、その門下である日本ビクターの技術陣がサポートしている。
このようなことから、彼らテレビ技術者が当時最新のパルス技術を活用した分周回路を考案し実用化したものと思われる。
 f-5

当時の最新技術のパルス回路では分周のためのスレッドホールド(閾値)の判定が真空管の動作点の曖昧さなどにより誤差が発生することから、保守要員は付属の監視機(観測用オシロスコープ)により、1/5分周であれば、矩形波が5つでループしていることを確認し、不良であれば調整する必要があった。
このようなことから、爾後のレーダーシステムでは本分周回路の採用は行って居ない。

【参考情報】
・制空権を失うと早期警戒レーダーは無力となる。
 g-1





参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
「電波探信儀及電波探知機装備工事心得」 国立文書館
米国国立公文書館
オシロスコープの設計と取扱い 昭和33年6月 藤巻安次 誠文堂新光社
無線工学ハンドブック 昭和16年7月 日本ラジオ協会 
Anatoly Koshkarov氏提供資料
Yahooオークション情報
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本海軍の三式水中探信儀の技術的な考察について

2023年11月18日に「中国、豪軍艦に音波探知作動 日本近海で潜水員が軽傷」なるニュースが報じられたが、この音波探知機(アクティブソーナー)の機能を把握している一般の方は少数であろう。
この現代版の音波探知機(アクティブソーナー)の先祖である戦時の日本海軍の水中探信儀との関係を論じるのも一興と思い考察するこことしたい。

中国、豪軍艦に音波探知作動 日本近海で潜水員が軽傷
2023/11/18 19:25 Sankei
オーストラリアのマールズ副首相兼国防相は18日、日本の排他的経済水域(EEZ)で潜水作業をしていたオーストラリア海軍のフリゲート艦に対し、中国軍の駆逐艦が14日に音波探知機(ソナー)を作動させる危険な行為をしたとして「深刻な懸念」を表明した。複数の潜水員が音波を浴びた影響とみられる軽傷を負った。
最近のオーストラリアと中国の関係改善の動きに影響する可能性がある。マールズ氏はソナー作動を「危険で未熟な行動だ」と批判した。
発表によると、フリゲート艦「HMASトゥーンバ」は国連制裁の監視活動のため航行。寄港の準備のため、潜水員がスクリューに絡まった漁網を取り除く作業をしていた。
トゥーンバは、国際的に認知された信号を使い、潜水作業を行う意思を周囲に伝達。中国駆逐艦にも近寄らないよう直接要請していた。(共同)
 a-1

以下水中探信儀に関しては全くの専門外であるが、当時の探信儀の指示機とレーダーである電波探信儀の指示機の関係性を踏まえて、海軍の3式水中探信儀に関する解説を行う。

海軍電気技術史 名和武[ほか]編 1947年からの抜粋
3式探信儀
此の方式は昭和16年の遣独使節団調査により原理的に判明し直ちにこの方式の研究試作を開始せられた。昭和18年には独逸特設巡洋艦来訪の際現品を調査するを得て玆(ここ)に詳細の計画は完了し続いて試作に成功した。原理的には目標より反射して来た音波を2個の相等しい受波器に受けて之を和働及び差働の2種の接続に分けてブラウン管の上下及び左右の偏向板に加えて目標の方向を直視せしめんとするもので93式、軽便式等の最大感度法の探信儀に比し捜索幅遥かに大で且方向精度も良好であった。この指示器は目標音を聴音することも出来可視式聴音器としても利用出来た。
尚この探信儀に於て始めて送波器の整流覆を完成し装備した。之は送波器を厚さ1粍程度の鉄板の流線形覆で包む事により送波器に直接衝突する水流による雑音が非常に減少しこの利益は鉄板を音波が通過する損失を補って余りあるものであった。従って整流覆は高速艇に取付けて極めて有効であった。尚この操縦装置は直接水流を受けないので非常に簡単化し得られ手動で操作し得ることとなった。
この3式探信儀は昭和18年以後急速に発達し巡洋艦、駆逐艦は勿論商船にも装備され、又一応装備を中止してきた潜水艦にも之を装備のことせられた。用途により構造を少しづつ異にし数種の型を生じた。

更に、もう一つの資料として、米軍のReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
3式探信儀シリーズ
このシリーズの開発は、ドイツ人技術者がドイツ軍の同等モデルの完全な設計図と仕様を携えて到着した後、1942年に開始された。 
1945年3月に完成したモデル6を除き、すべてのモデルが前年に生産され、最終的に合計800セットが製造された。 主に駆逐艦、商船、潜水艦にそれぞれ搭載されたモデル2、3、4の概略図は、付属の(A)、(B)、(C)に収められている。
1. 送信パネル - 通常の発振回路が採用され、高周波発生器は後に 1945 年 4 月に 2 型用に代替品として開発された。出力容量はモデルに応じて 250 ワットから 2.5 kW まで様々であった。 パルスは索敵指示機から自動的に制御され、モデル4 を除いて掃引時間を変更することが可能である。
2. 送波器(プロジェクター) - すべてのモデルに磁歪プロジェクターが使用されました。 モデル 1 には、互いに 60°の角度で設置された 2 つの独立した 14.5 kc プロジェクターと、独立した制御および受信装置(ギア)を備えた独立した 13 kc プロジェクターが組み込まれていた。 もう1つのモデルは、2つの独立した磁歪ユニットからなるスプリット・タイプのプロジェクターを採用していた。 ユニットは、エキサイター パネルとフィルター ジャンクション ボックスのさまざまな周波数に沿って並べて取り付けられていた。 機械システムによる手動トレーニングは、電気システムが取り付けられたモデル 4 と代替モデル 2 を除くすべてのモデルで採用された。
3. サウンドドーム - 英国式のサウンドドームがモデル1、2、3に装備され、モデル1のドームはエレクトロ・メカニカル・システムと連動して開閉式、他の2モデルは開閉式ではなかった。
4. レシーバー - モデル 1 を除くすべてのモデルに使用される約 120db ゲインのダブル チャネル ストレート ヘテロダイン アンプ、3 つのプロジェクターが組み込まれている。 バンドパスチューニングはモデル 1 と初期のモデル 2 セットでのみ使用された。
5. 記録器(レコーダー)-ケミカル・レコーダーは、モデル1の場合のみ標準装備されており、2つ付いている。 これらは英国型A/S 14とほぼ同じコピーで、必要な個別の駆動装置は下にある共通の制御ボックスから取り出される。 自給式ドライブを組み込んだ英国型A/S 3も使用されているが、これは標準ではない。 (図5は最初のタイプの2台のレコーダーを示している)。
 a-2
6. 距離と方位表示 - 方位表示を取得する原理は次のとおりである。
エコーがプロジェクターの 2 つの素子によって受信されると、それぞれによって生成された起電力がベクトル的に加算および減算され、結果として得られる 2 つの起電力が増幅され、移相器回路によって位相がシフトされる。
ブラウン管(C.R.Tube)のプレートに印加されると、画像が生成され、画像の視覚的角度(Φ)とブラウン管のプレートの角度(θ)の関係が計算される。
(θ)の関係は次の式で与えられる:
Φ = (πd/λ)×θ
ここで、 d = ツインユニットの中心間の距離
         λ= 送信される波長
距離表示は、ブラウン管(C.R.管)画面(スクリーン)の静電掃引か、振動ミラーと目盛りからなる機械的システムによって行われる。後者の方式はドイツのプロトタイプでは標準的で、半透明の鏡を通して照明された目盛りを観察する方式で、操作者への負担はほとんどない。
4000メートルレンジのみのモデル4を除き、2つ以上のレンジが用意されている。 モデル5と6では、目盛りがリニアではなく対数になっている。
7. アタック計器 - アタック計器は装備されておらず、通常英国型レコーダーで使用されるものは日本の設計では省略されている。艦橋に2本目のブラウン管(C.R.管)が装備されている場合もある。
8. 校正装置 – 4型 には、小型の20 RC プロジェクターおよび関連する発振器送信装置が校正の目的で設置されている。 プロジェクターは、潜水艦のクラスに応じて、メインプロジェクターから 3 ~ 10 メートル前方に取り付けられている。

参考資料として、ウィキペディア(Wikipedia)』には「三式探信儀」に関する機能概要を抜粋しますが、詳細については下記のアドレスを参照願います。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三式探信儀
装置概要
三式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置で、これは2つの磁歪式振動子よりなる送受波器と二組の映像器と特殊受振器を使用して目標艦船の推進器音より発生する超音波の到来方向をブラウン管上に表示し、さらに任意の時刻に探信を行い目標までの距離を測定するもの
高速艦艇や空母、戦艦などの大型艦用で昇降式の「一型」、哨戒艦艇用の「二型」、商船用に二型を簡略化した「三型」、潜水艦用の「四型」、軽便探信儀に代わる駆潜艇や哨戒特務艇用の「五型」及び「六型」が存在した。
映像器
本器の作動原理は目標からの反響音を2個の磁歪式振動子よりなる送受波器で受け、それぞれの信号を和動と差動の2種類の接続に分けてブラウン管の上下左右の偏光板に加え、表示された直線状の光点の角度から目標の方向を直接読み取ろうとするものだった。反響音を探知した時にブラウン管に表示される光点は、送受波器が目標に正対すると直立し、少しでも横に向いて傾斜を持つとそれに合せて光点も傾くため、送受波器を旋回させて光点が直立する方向を求める事で目標の精確な方向を判定する事が可能で、光点が立った位置の距離目盛を読取る事で目標までの距離を判定する事ができた。この方式は九三式探信儀や軽便式探信儀等の最大感度法の探信儀と比較して捜索幅が遙かに大きく方向精度も良好だった為、捜索探知後の保続探知が格段に容易であった。また、700mから800mの範囲では受聴器を使用して推進器音を聴取する事もできたので、ブラウン管の映像と併せる事で可視式聴音機としても使用可能であり、視覚と聴覚を併用してより確実に目標を探知する事ができた。
発振器・送受継電器
発振器は送波器に高周波電力を供給する装置であり、三式探信儀の量産が始まった当初は一般的な真空管式の物が使用されていた。しかし、この装置は構造的に生産性が非常に悪く、また発信用真空管の生産が電波兵器用と競合して極めて不足し、整備に支障をきたす事が予想された。このため鹵獲した英国製探信儀ASDICの高周波発電機を参考として国産化した高周波発電機が日立製作所研究室での研究試作を経て量産された。この高周波発電機は16kcから19kcの可変周波数で、計画力量は2KVAであり、2秒おきに0.12秒の発信をさせた時に13kcで10KW以上の出力を得られ、0.12秒間の周波数降下は150サイクル程度であったため十分実用に供しえると判断された。また、この発電機を使用すれば発振装置が不用となり装置を非常に簡略化できる利点があったため、主に三式探信儀三型(商船用)に相当数使用された。送受波器と発振器および映像器間の電路の切換えを行う装置である送受継電器にはロータリー式の物が使用され、これはトルクモーター、送受切換部、扉開閉器、偏倚電圧短絡部などよりなっていた。
送受波器
送受波器は発振器から高周波電力を供給されて水中に超音波を発すると共に、目標からの反響音を受振して再び高周波電力に変換するもので、それまで九三式探信儀で使われていた水晶式に代わりAF(アルフェロ)合金を使用した共振周波数13~20kcの磁歪式送受波器が採用された。この送受波器は適当な間隔で横並びに配列された2つの角型磁歪式振動子で構成され、送波の場合はこれを同一の位相で使用して約60度程度の方向性を持たせ、受振の場合は個別に使用して受振方向による位相差によりブラウン管上に傾きを持った光点を得る物だった。なお送受波器はキール線上に開口する事による船体強度等に対する配慮からキール線を外して装備された。このため装備位置の反対舷の目標に対する探知能力が甚だしく低下したので、海防艦等の対潜艦艇は1隻につき本機を2組を装備していた。
探知性能
三式探信儀の探知性能について、1944年(昭和19年)10月12日に呉で開かれた対潜兵器懇談会の摘録では海防艦「千振」による試験成績と、「大体2700mまで効果があり、最短距離は100m迄なり」という対潜訓練隊の評価が記録されている。ただし、水測兵器の性能は水中の環境や目標および自艦の状況により大きく変化した。
※赤字は明らかに機能的に誤り箇所を示す

水中探信儀に関する基本的な技術情報
海水中を伝搬する音波は、音源からの距離が離れるにしたがって弱くなっていく。
音は空気中を 340 m/秒の速さで伝わるが、水中ではその4倍以上の約 1500 m/秒で伝わる。 しかも、 低周波であるほど減衰が少なく、14KHz の音波を用いるソナー(水中音波探査機) では有効距離 4,500mであるが、4KHz と云う低周波では、有効距離は 18,000m と云う。

3つの資料から類推して、3式探信儀の機能を整理すると以下の通りとなる。
・3式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置である。
・3式探信儀1型は巡洋艦及び駆逐艦(13、14.5Khzの超音波)、2型は哨戒艦艇(13、16Khz)、3型は商船(16Khz)、4型は潜水艦(20Khz)、5型及び6型(16又は14.5Khz)は小舟艇である。
1型と2型は超音波発振器を2つ使用する方式で、その他のものは1つを使用する方式である。
・エコー送信信号には、一定周波数連続波(Pulse Continuous Wave, PCW)を使用する。これは一定周波数の連続波をパルス変調したものであり、具体例では、2秒おきに0.12秒間だけ発信した正弦波を使用している。
・送波器(プロジェクター)には、 すべてのモデルに磁歪プロジェクターが使用された。
なお、高周波発生器は後に 1945 年 4 月に 2 型用に代替品として開発された。
※参考資料 磁歪発振器とは
日本のレーダーでは、低い周波数のマスター発振器としては、音叉発振器がよく採用されているが、30Khzという高域の超音波領域には対応できない。
このため、日本無線のウルツブルグレーダーのコピー版のタチ24の開発では、正確な30Khzの正弦波を生成する仕組みとして「Magnetostriction OSC 磁歪発振器」を新たに導入したようだが、この磁歪発振器を水中探信儀の送波器(プロジェクター)にも使用している。
磁歪振動子の励振の概要
 a-3

・指示器には距離と方位表示 するため、エコーがプロジェクターの 2 つの素子によって受信されると、それぞれによって生成された起電力がベクトル的に加算および減算され、結果として得られる 2 つの起電力が増幅され、2種類の接続に分けてブラウン管の上下と左右の偏光板に加え、表示された直線状の輝線の角度から目標の方向を直接読み取ろうとするものだった。
※ブラウン管の輝線の表示イメージ
 a-4

・指示器は、目標物に対する方位角及び距離を測定する機能を有している。
なお、方位角の測定法には単純な最大感度法ではなく、等感度法を採用し測定精度の向上が図られている。
・開発及び製造会社は、日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)である。

・3式水中探信儀の全体イメージについて
コピー画像がため品質が悪く全体像しか把握できない。
 a-5

1950年(昭和25年)、大洋漁業から日本電気に、鯨を捕るための超音波探知機の開発を依頼し、日本電気では戦時中の3式水中探信儀を改良した鯨探信儀を開発した。
詳細は、下記のURLを参照願います。
天翔艦隊南氷洋分遣隊 三式探信儀南氷洋を行く

 a-6


哨戒艦艇用3式探信儀2型の解説
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
3式探信儀2型に関する資料はこの回路図1枚だけである。
b-1

 
この回路図では、動作を説明することには不十分なことから回路図からブロックダイヤグラムを作成する。
 b-2

更にこのシステムの動作を解説するにあたり、送波器と受波器の配置を推定すると下図の配置が考えられる。
 b-3

動作説明
目標物の方位角の測定法
仮に目標物が第4象限にあると場合を想定すると、第4象限用に配置している送波器13Khzの超音波のエコーを受波器Y1で受信した信号をY軸の値とし、受波器X1で受信した信号をX軸の値とする。
更に、第1象限用に配置している送波器16Khzの超音波のエコーを受波器Y2で受信した信号をY軸の値とし、受波器X2で受信した信号をX軸の値とする。
Y軸とX軸として得られた信号値をY軸ではY1+Y2と加算し、X軸ではX1-X2と減算したものを指示器のブラウン管の上下の偏向版に「Y1+Y2」を印加し、左右の偏向版に「X1-X2」を印加することにより、ブラウン管上の表示としてベクトル合成した輝線を生じさせている。
勿論、この輝線の傾きと目標物とは一致しないが、目標物との輝線の傾きの相関関係はあることになる。
正確に目標物と水中探信儀の送受波器が垂直になった場合には、目標物と輝線は一致することになる。
このようにY軸とX軸の情報取得には2波のエコー情報が必要である。
この処理の仕組みはドイツのS装置をもとに開発されたものである。
b-4


 

目標物の距離の測定法
目標物の方位角の測定法ではブラウン管の上下と左右の偏向版に受信信号を加減算して印加して輝線の傾きとして表示したが、距離測定では、ブラウン管の上下の偏向版に「Y1+Y2」を印加するが、左右の偏向版に独立したサイラトロンによる「のこぎり波」を生成して左右の偏向版に水平掃引波として印加する。
このような表示方式は、電探のAスコープと同じものである。
なお、この水平掃引波の周波数は、潜水艦に対して最大探知距離は3500メートルとあるので、水平掃引周波数は、4.6秒程度は必要となる。
このため、ブラウン管の観測では、エコー取得まで2から3秒たってから表示することから距離測定には熟練な動作が求められたものと思われる。
b-5


潜水艦用3式探信儀4型の解説
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
3式探信儀4型に関する資料はこの回路図1枚だけである。
c-1


 
この回路図では、動作を説明することには不十分なことから回路図からブロックダイヤグラムを作成する。
特徴としては、超音波の発振器は20Khzの1波のみである。
2型にはなかった校正用発振器が付属し微弱な超音波を発振させるために、本体機器の前方に設置している。
 c-2

動作説明
目標物の方位角の測定法
目標物は第1象限にあることを想定し、第1象限用に配置している送波器20Khzの超音波のエコーを受波器Y1で受信した信号をY軸の値とし、受波器X1で受信した信号をX軸の値とする。
Y軸とX軸として得られた信号値をY軸では、指示器のブラウン管の上下の偏向版に「Y1」を印加し、左右の偏向版に「X1」を印加することにより、ブラウン管上の表示としてベクトル合成した輝線が生させている。
勿論、この輝線の傾きと目標物とは一致しないが、目標物との輝線の傾きの相関関係はあることになる。
正確に目標物と水中探信儀の送受波器が垂直になった場合には、目標物と輝線は一致することになる。
この時、指示器のブラウン管では、Y軸とX軸から見ると、丁度45度の向きである。
 c-3


目標物の距離の測定法
3式水中探信儀2型のように超音波2波を使用し便宜的にY軸とX軸の合成起電力を生成すれば、前述のようなAスコープ表示により距離測定は可能であるが、超音波1波ではこのような方式は成り立たない。
ここからは推定にすぎないが、1波使用の探信儀には校正発振器を付属させているに着目する。
目標物を標定し垂直となった場合には、ブラウン管に表示される垂直の輝線の大きさは目標物との距離に比例することになる。
このため、事前に校正装置により目標物の測定データを校正しておけば距離測定が可能になるものと思われる。
ただし、目標物に対する大きさによるエコーの反射係数は無視しているのだろう。
このため、測距に関する測定精度は低いものが推定される。


【総合コメント】
・ドイツのS装置(S-Anlage)の入手について
三式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置である。これを裏打ちする資料として下記の資料がある。
伊号潜水艦訪欧記 2013年4月 伊呂波会 潮書房光人社からの抜粋
第二次遣独艦
伊号第八潜水艦(艦長内野信二海軍大佐)…ヒトラーが日本に無償譲渡するUボートU1224号をドイツから日本に回航する要員60名を乗せ、昭和18年(1943年)6月1日呉港を出港、同8月31日ブレスト港に到達、同10月5日ブレスト港を出港し帰路についた。同12月5日シンガポールのセレター軍港に入港した。
同12月21日呉港に入港。
交換兵器の中で、S装置2組と記載されている。
 d-1

ただし、3式探信儀は昭和18年末に国産化されたとあることから、ドイツの技術情報をもとに独自開発したものであり、S装置(S-Anlage)の現物入手との直接な関係はないようだ。

・4秒以上の水平掃引によるブラウン管表示の遅延対策について
潜水艦に対して最大探知距離 3500メートル 水平掃引周波数は4.6秒必要となる。
このためブラウン管の表示が長くなるような残光性が重要な要素となる。
日本電気では、1944年9月から1945年5月までに残光性スクリーンを持つ陰極線の開発を行っている。
陸軍の機上用電波暗視機(タキ14)用のブラウン管と思われるが、海軍の水中探査機にも活用されたのかもしれない。
A short survey of japanese radar Volume 1
残光性スクリーンを持つ陰極線(1944年9月から1945年5月まで)
特殊な持続特性を持つ蛍光材料の実験的な研究がレーダー用に行われた。このタイプの陰極線(CRT)が生産された。レーダーの観点からの機械的および電気的な要件が分析され、これらの特徴を備えたブラウン管が製造された。

・「中国、豪軍艦に音波探知作動 日本近海で潜水員が軽傷」の件
音は空気中を 340 m/秒の速さで伝わるが、 水中ではその4倍以上の約 1500 m/秒で伝わる。 しかも、 低周波であるほど減衰が少なく、14KHz の音波を用いるソナー (水中音波探査機)では有効距離 4,500mであるが、4KHz と云う低周波では、有効距離は 18,000m と云う。
探知能力を増大するのであれば、超音波領域から可聴周波数領域へ周波数変更を行う必要がある。
このような理由から、現代では長距離性能向上のため可聴周波数が使用されているのだろうが、この可聴周波数領域での強力な音波を発振すれば、人間は勿論のことイルカや鯨へ重大な影響を与えることになるだろう。
いつまで経っても、人間は其の他の生物世界に害を齎している。

・可視式聴音器としての機能について
戦後になってまとめられた海軍電気技術史に「この指示器は目標音を聴音することも出来可視式聴音器としても利用出来た。」とある。
聴音器として利用するためには、送波器の機能を停止し、受信状態にして聴音するわけだが、受信機は専用の超音波例えば16Khzや20Khzのフィルターを介しているので、このフィルターを介して超音波のみ聴くことになるが、目標の船舶や潜水艦な生の発声音と異なることになるのではないだろうか。
それとも、受信機のフィルターは解除して目標物の生の音声を聴音しているのだろうか。
回路図だけでは、運用面の動作を解明することは困難である。

・記録器の必要性の是非について
X軸若しくはY軸のエコー情報をもとに受信機出力から検波及び低周波増幅した可聴周波のエコー信号をグラフ化して記録するレコーダーのことである。
しかしながら、このような記録データをどう戦術的に活用したのか理解できない。
戦後の鯨探信儀にも記録器が付属しているようだ。

・アタック計器が搭載されていない理由
米軍のコメントに記載されている「アタック計器」なる機能がどのようなものか判然としないが、1960年の防衛年鑑のソナー(Sonar;Sound Navigation and Ranging)の項には、レーダー同様に、測的用(アタック・ソナー)と見張用(スカニング・ソナー)の別がある記載されている。
このことから、「アタック計器」とは攻撃用の測的用(アタック・ソナー)の機能の一部といえないだろうか。
現行の3式水中探信儀は、方位、距離の2要素の測定ができるが、目標物が潜水艦であれば深度の要素が必要となる。
このことから、「アタック計器」とは深度を測定するための機能と考えられなくもない。
レーダーでいえば、射撃管制レーダーの場合、方位、距離及び高度の3要素が必要なのと同様なのだろう。
しかしながら、当時の技術で深度測定が英米では可能であったのかは分からない。
「アタック計器」は深度測定のことではなく、単純な雷撃攻撃のための計算盤のようなものかも知れない。

・3式水中探信儀の搭載について
昭和19年6月以降については、3式水中探信の生産も順調のようで各種艦艇に搭載記録が残っている。
なかでも駆逐艦や哨戒特務艇には対空見張り用レーダーの13、水上見張り用レーダーの22号と共に3式水中探信儀が計画的な搭載されている。
しかしながら、船団護衛に活躍した二等駆逐艦や哨戒艇には旧式の93式探信儀のままで3式水中探信儀の新設記録が見当たらない。
戦争後期には商船はもとより護衛の哨戒艇の雷撃被害が増大しているが、3式水中探信儀の搭載があればある程度の被害を防止できたのだろうか。
日本海軍の船団護送に対する重要性の希薄さに驚くほかないのだが、特に、蓬・第三十八號哨戒艇の艦歴の記録を見ると残念でたまらない。


【参考資料】
海軍艦艇への3式水中探信儀の搭載状況について
駆逐艦 朝顔
 e-1

哨戒特務艇について
昭和19年11月に新設された類別で本土洋上における監視任務にあたりました。
従来この任務には特設監視艇が就いていましたが消耗が激しく、この補充用として昭和18年度、19年度計画により280隻の建造(建造番号2121~2400)が決定したものです。
しかし途中から海防艇の建造が優先されたため終戦までに完成したのは27隻にとどまりました。
木造の漁船式船体で喫水線幅が若干広い点を除けばほぼ標準型漁船と同様でした。

第三十八號哨戒特務艇の艦歴
 19.11.28:起工、仮称艦名:第2158號艦
 19.11.05:命名:達第363号:第三十八號哨戒特務艇
 19.11.05:類別等級制定:内令第1234号:種別:特務艇、類別:哨戒特務艇、艇型:第一號型
 19.11.05:本籍仮定:内令第1236号:横須賀鎮守府
 20.08.17:建造中止
 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
兵装
 九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃2基、爆雷12個、
 三式一号電波探信儀1基、三式水中探信儀1基

第三十七號哨戒特務艇の艦歴
 19.10.18:起工、仮称艦名:第2157號艦
 19.11.05:命名:達第363号:第三十七號哨戒特務艇
 19.11.05:類別等級制定:内令第1234号:種別:特務艇、類別:哨戒特務艇、艇型:第一號型
 19.11.05:本籍仮定:内令第1236号:本籍仮定:横須賀鎮守府
 20.03.28:進水
 20.05.04:横須賀海軍工廠に引渡し、艤装工事開始
 20.06.02:竣工
 20.06.02:本籍:内令第504ノ2号:呉鎮守府
 20.06.02:内令第504号ノ3:神戸港湾警備隊所属
 20.07.18:沈没
 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
 22.05.03:除籍:復二第327号
 喪失場所:N.-E. 横須賀
 喪失原因:米第38機動部隊艦載機による空爆
兵装
 九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃2基、爆雷12個、
 三式一号電波探信儀1基、三式水中探信儀1基

二等驅逐艦について
艦艇類別等級標準に初めて驅逐艦の等級が定められたのは大正元年8月28日(達第11号)で計画排水量千噸未満六百噸以上の中型驅逐艦が二等とされました。同日付で艦艇類別等級別表が改正され(達第12号)、櫻、橘の二隻が最初の二等驅逐艦に分類されました。昭和6年5月30日に三等が廃止され(軍令海第1号)以後基準排水量千噸未満の驅逐艦が二等とされました。
二等驅逐艦とされたものは全部で51隻ありますが、大東亞戦争までに多くの艦は除籍され、二等驅逐艦として参加したのは9隻だけでした。なお、このうち哨戒艇として参加したものが10隻、練習船として参加したものが5隻ありました。また、樫は滿洲國海上警察隊として大東亞戦争に参加しました。
第十八驅逐艦・第十八號驅逐艦・刈萱の艦歴
T10.10.12:命名:達第190号:「第十八驅逐艦」
 03.08.01:改名:達第80号(06.20附):驅逐艦「刈萱」(カルカヤ)
 18.10.24:門司~10.25舞鶴
 18.10.26:舞鶴海軍工廠にて探信儀、無線兵器修理
 18.11.16:無線兵器換装工事完成
 18.11.20:電波探知機装備工事完了
 18.11.20:舞鶴~11.21門司
 18.11.23:(第116船団護衛)門司~11.28高雄
 18.12.04:(J船団護衛)高雄~12.09佐世保
 18.12.10:電波探知機装備工事開始
 18.12.17:工事完了
19.05.01:探信儀、記録器装備完了
19.05.02:佐世保~ミ03・テ05船団護衛~05.07高雄
 19.05.07:(ミ03船団護衛)高雄~ ~05.10 0647 被雷沈没
 19.05.10:沈没
喪失場所:N15.47-E119.32 マニラ北西150マイル
 喪失原因:米潜水艦Cod(SS-224)の雷撃

哨戒艇について
昭和18年2月10日附軍令海第4号(同年2月15日施行)により艦船令に追加された種別で、同年2月15日から艦艇類別等級表に編入が開始された。
哨戒艇は元々昭和15年3月30日附軍令海第4号にて旧式驅逐艦の受け皿として特務艇の中に設けられた類別でした。
また各種の戦利艦艇も哨戒艇に編入された。

藤・第三十六號哨戒艇の艦歴
T08.05.24:命名:達第95号:二等驅逐艦「藤」(フヂ)
15.04.01:命名:達第72号:「第三十六號哨戒艇
19.11.01:哨戒艇長:海軍少佐 則武 茂
19.11.21:1030 第百二海軍工作部第二分工場第二船渠にて入渠
          九三式聴音機小艦艇用甲取付け
          二十五粍二聯装機銃未着の為、同三聯装機銃を装備
20.08.15:残存
 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
 21.08.10:除籍:複二第157号
兵装
(S20.04)
 四十五口径三年式十二糎砲1門、九六式二十五粍三聯装機銃1基、
 九四式二十五粍二聯装機銃1基、九四式二十五ミリ単装機銃2基、七粍七単装機銃、 
 高角式七十五糎探照燈1基、二米測距儀1基、電波探知機1基、
 三式投射機、爆雷装填台、爆雷60個以内、
 九三式聴音機小艦艇用甲1基

蓬・第三十八號哨戒艇の艦歴
T09.03.26:命名:達第31号:二等驅逐艦「蓬」(ヨモギ)
15.04.01:命名:達第72号:「第三十八號哨戒艇」
 15.04.01:類別等級制定:内令第197号:種別:特務艇、類別:哨戒艇、艦型:なし
 15.04.01:本籍仮定:内令第198号:佐世保鎮守府
19.11.23:(マタ34船団護衛)マニラ~ ~11.25 0115 被雷轟沈
 19.11.25:沈没
兵装
(19.10)
 四十五口径三年式十二糎砲2門、九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃4基、
 九二式七粍七単装機銃、三年式機銃2基、
 三八式小銃
 二式爆雷56個、九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、三式投射機二型2基、爆雷装填台2基、
 九三式探信儀1基、仮称電波探知機1基、一号三型電波探信儀1基。

潜水艦
水中聴音器のみ搭載の資料しかみつけることができなかった。
e-2

【参考資料】
水中聴音器の運用状況
 e-3

沖電気工業株式会社
沖電気100年のあゆみ(昭和56年11月発行)からの抜粋
生産品目は海軍の海と空の無線電信機、水測兵器をはじめ、弾丸、信管類も含まれた。
たとえば沖電気が得意とした水測兵器は、高浜工場にそのための特製水槽をつくるなどして、いわば専門工場であるのに、後発の陸軍は海軍といっしょに研究・開発するのをきらい、沖電気に高崎市の製糸工場を買収させ、陸軍のための水測兵器の生産に当てさせた。
主力工場の芝浦も高浜も、ともに陸海軍の管理工場だが、こうしていつしか芝浦工場は主として陸軍関係を、高浜工場は海軍関係をつくるという形になっていった。
陸海軍はたがいに、技術やノーハウを相手に知られることをきらい、秘密保持に努めたというから、間にはさまれた民間メーカーとしては余計な神経を使わされたに違いない。
沖電気の場合、陸軍と海軍とどちらの比重が高かったといえば、戦時中の生産高からいっても、また太平洋戦争末期に舞鶴海軍工廠長小沢仙吉を社長に迎えた点からみても、海軍のほうであったということができよう。

日本電気株式会社
日本電気株式会社七十年史(昭和47年7月発行)からの抜粋
ミッドウェー及びガダルカナル島における敗退以後、軍のすべての計画は立て直さねばならなくなった。
いまや、戦争は主として開業及び空中に移り、かつ日本軍は守勢に立たされ、戦局は一大転機を迎えた。
その結果、わが国の兵器生産の主力は、従来の地上戦用の兵器から、航空機、航空機用兵器、さらに航空母艦及び小艦艇に変えられることとなった。
たとえば、無線通信機、電波探知機、高射砲と電波探知機とを連結した標定機(当時、社内では「た号」と呼んでいた)、方向探知機などの電波兵器や、水中兵器として水中聴音機、測深機、探信機などの音響兵器が第一線の兵器として重視されだしたのは、そのような理由からであった。
そのため、航空機工業と共に、無線兵器工業は最重点の地位を与えられるに至った。
これより先、すでに国内の軽工業はあげて重工業化され、航空機工業と無線工業には、戦時統制による物資の最優先割当がなされていた。
当社の無線部門が、短期間に拡張を重ね得たのは、そのためである。
特に玉川向製造所の拡充に投入された建設資金は、昭和17年から終戦の20年までの4年間に、1,280余万円に上った。
そして、昭和17年1月から終戦に至る期間において、玉川向製造所は搬送機器、無線機器及び電波探知機、水中聴音機及び超音波機器、真空管、電気部品など4億8,134万円を生産したが、そのうち4億円すなわち83%は軍用に供するものであった。

日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室からの抜粋 
第3節 軍需生産への転換と生産現場の混乱 p213
兵器生産の内実
表4-8は、戦時期における機種別に兵器生産の内容を示したものである。生産がピークを記録した1944(昭和19)年をみると、航空機用の方向指示機の生産額がもっとも多額であり、航空機用の無線装置・標定機、地上の方向探知機・標定機の4機種がほぼ同額であった。海軍向け航空兵器としては、主として「1式空3号無線帰投方位測定機、電波探信儀関係並びにブラウン管等」が生産されたが、1式空3号が方向指示機の中心であった。機上無線機の生産も玉川向製造所で行われた。パッシブソーナー(水中聴音機)の生産は沖電気株式会社と二分し、アクティブソーナー(探信儀)にも取り組んだ。また、43年に制式化された九三式探信儀を生産し、その生産規模は月産30から50台になった。三田製造所では、37から42年に信管部品を生産し、陸軍造兵廠に納入したが、その生産規模は月産約20万個で、最大の精工舎の3分の1であった。三田製造所では八八式高射砲信管、九二式対戦車砲信管も生産した。

軍艦メカ開発物語 1997年2月 深田正雄からの抜粋 P101
探信儀は自分で音を出して、目標に当たって返ってくるまでの時間をはかり、その時間と音の速力から、距離を計算するものである。この原理はレーダー(電波探信儀)と同じで、空中の電波探信儀にたいして音波探信儀、水中レーダーなどとも呼ばれる。
ところで、水中の音波の速さは秒速1450メートル(公式数値は1500メートル)で、短いパルス音をピンと出してから、目標に当たって返ってくるまでの時間は、電波に較べて各段に長い。
たとえば、10キロメートルのところにある目標から反ってくるのに、約13.8秒もかかるので、その間につぎのパルス音をだすわけにはいかない。
そこで、測定範囲をきめて、受信機の方ではまるい目盛盤の周辺の距離目盛りにそって、光の点を一定のはやさでまわしておき、目盛り0のところに光点があるとき、パルス音をピンと出して、荒天を電気的に動かすとともに耳で聴き、返ってきた音を耳できくと同時に光点を電気的に動かして、そのところの目盛りを眼で読んで、距離を求めるという方法がとられていた。
発射される音は超音波を用いていたが、単一周波数で波形もきれいであり、低周波になおして耳で聴くとピーンという澄んだ音である。
しかし、これが反射してくると、波は相手の形や距離によって形が崩れたり、減衰したりして、ジャッとかゴッとかいう乱れた音になってくる。これでも動かされる光点も、ボヤッとしたものになってくる。
また、円周をまわる光点の動きも相当はやく、例えば10キロメートルの距離を直径40センチの目盛りにすると、光点は約14秒で1回転するので、1秒間に8.6センチも動くことになり、読取りや判定には、なかなかの熟練を要するものであった。

【関連YouTube動画】
【ゆっくり解説】潜水艦を探知セヨ!・ソナーとはどんなものだったか?
https://www.youtube.com/watch?v=FXvS4LJsOlI





参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
海軍電気技術史 名和武[ほか]編 1947年
軍艦メカ開発物語 1997年2月 深田正雄
伊号潜水艦訪欧記 2013年4月 伊呂波会 潮書房光人社
沖電気100年のあゆみ(昭和56年11月発行)
日本電気株式会社七十年史(昭和47年7月発行)
日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 原書房
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
防衛年鑑 1960 昭和35年2月防衛年鑑刊行会
米国国立公文書館
天翔艦隊南氷洋分遣隊 三式探信儀南氷洋を行く
http://tensyofleet.blog.fc2.com/blog-entry-42.html
大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
「駆逐艦朝顔」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011154
「昭和20年8月31日 大阪警備府管下 艦艇艦艇船体兵器機関艤装品目録」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C0801120130
世界の艦船 1994年11月増刊号
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』





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