戦後の自衛隊の警戒管制レーダーの開発の歩みについて
2023年11月02日に日本初の完成装備品移転としてフィリピンに警戒管制レーダーの初号機を納入するニュースが報じられたが、一体世間ではこのレーダーの機能を把握している人は関係者以外殆ど皆無であろう。
このフィピンへの初号機納入のニュースを契機に、戦後の航空自衛隊の警戒管制レーダーの開発の歩みについて概観するのも一興と思い考察するこことした。
フィリピンに警戒管制レーダーの初号機を納入(2023年11月02日)
日本初の完成装備品移転
フィリピンに納入した警戒管制レーダー初号機
三菱電機株式会社は、2020年8月にフィリピン国防省と警戒管制レーダーを納入する契約を締結し、日本国内での設計・製造・試験を経て、このたび2023年10月に初号機をフィリピン空軍へ納入しましたのでお知らせします。本件は、2014年4月に日本政府の防衛装備移転三原則が制定されて以降、初めての海外政府に向けた国産完成装備品の移転となります。
当社は今後、2基目以降の納入に向けて尽力していきます。また、防衛装備移転三原則に基づき、抑止力の向上を通じてわが国の安全保障に貢献するとともに、日本政府と連携し、各国政府や企業との共同開発、装備品移転、サプライチェーンへの参加などに取り組んでまいります。
今回フィリピンに輸出される警戒管制レーダー(固定式J/FPS-3×3基、移動式JTPS-P14×1基)については、該当レーダーは米国のライセンス生産品なのか純国産品なのか明らかにされていないが、防衛省としては、民間企業である三菱電機による外国へ輸出する軍需品については純国産品であることが常識なのかもしれない。
しかしながら、今回フィリピンに輸出される警戒管制レーダーの型式はJ/FPS-3とあるがも、米国ではAN/FPS-3の型式のレーダーがあり、同じFPSの型式を使用している。
なお、米軍のレーダーシステムの名称付与基準は改の通りである。
Joint Electronics Type Designation System(JETDS)では、すべての米軍のレーダーおよび追跡システムに一意の識別英数字の指定が割り当てられている。
「AN」(Army-Navy)の文字は、3文字のコードの前に配置されている。
3文字のコードの最初の文字は、電子機器をホストするプラットフォームの種類を示し、A=航空機、F=固定(陸上)、S=船舶搭載、T=地上輸送可能。
2 番目の文字は機器の種類を示し、P=レーダー (パルス)、Q=ソナー、R=無線である。
3 番目の文字はデバイスの機能または目的を示し、G=射撃管制、R=受信、S=検索、T=送信。
したがって、AN/FPS-6は、陸海軍の「固定、レーダー、捜索」電子機器の6番目の設計を表している。
いい機会なので、このJ/FPS-3をベースとして戦後の航空自衛隊の警戒管制レーダーの開発の歩みを概観するこことした。
終戦後の在日米軍の動きを見ると、朝鮮戦争が始まる前、アメリカの占領軍司令部は、日本列島とその周辺の領空管理に特別な注意を払っていなかった。 本州及び沖縄には、主に航空機の飛行を追跡するために使用されたレーダーSCR-270/271(最大190 km)とAN / TPS-1B / D(最大220 km)があった。
レーダー 左:SCR-270/271 右:AN / TPS-1B

その後、AN / FPS-3、AN / CPS-5、AN / FPS-8レーダー、およびAN / CPS-4高度測定レーダーは、300 km以上の探知範囲が可能で、日本にあるアメリカの軍事基地に配備された。
朝鮮戦争後は、在日米軍の兵力は駐留当時10万を超えていたが、昭和32年以降大幅な削減、撤退を行った結果、昭和35年現在では半数に満たない兵力となっている。とくに陸上部隊は全面撤退している。これに伴って施設も逐次返還されており、昭和32年当時1078件が昭和34年9月末266件に減少している。
全国24カ所の管制センター(レーダー・サイト)は昭和35年末までに全面移譲され日本本土の防空は航空自衛隊にすべて委ねられることになる。
移譲されたレーダーには、索敵用AN/FPS-3、AN/CPS-1、5、AN/TPS-1D、AN/FPS-20、測高用AN/TPS-10D、AN/FPS-6である。
なお、航空警戒管制業務の引継ぎの進捗に伴い、サイトを完全に運営するに必要な人的、物的条件の整備緊急の用務となっているが、昭和35年度は歳出予算に907百万円、国庫債務負担行為として458百万円の増額をはかっている。
我が国のレーダーサイトは、逐次米軍より自衛隊へ移管されたが、昭和34年9月末においてほぼ半数が移管された。これらのレーダーサイトにおいては、24時間レーダースコープに写る航空機を監視及び追跡のうえ敵味方機を識別し、不明機や遭難機があれは直ちに必要な報告及び指令を発し、飛び立った邀撃戦闘機や遭難捜索機を所要の地点へ、或は帰還する航空機を夫々の航空基地へ誘導する等の任務を遂行している。
日本での航空自衛隊の発足後、アメリカは軍事援助の一環として、AN / FPS-20B二次元レーダーとAN / FPS-6高度測定レーダーを提供した。 これらのレーダーステーションは、長い間空域監視レーダー制御システムのバックボーンであった。 日本の最初のレーダー基地運用は 1958 年に始まった。 監視中、航空状況に関するすべての情報は、無線中継とケーブル通信回線を介してリアルタイムでアメリカ側に並行して情報提供された。
昭和35年(1960年)、空域管理機能はすべて日本側に移管された。 同時に、日本の全領土は、独自の地域防空コマンドセンターを持ついくつかの部門に分割された。 北部セクター (三沢の作戦センター) の部隊が北海道と本島北、中央部門(入間市のオペレーションセンター)が東京や大阪といった工業地帯が密集する本州、そして西部作戦センター(春日)は本州、四国、九州の島々の南西部を監視した。
AN/FPS-3、AN/FPS-20の概要
種類 一般監視レーダー
周波数 Lバンド (※Lバンド 0.5 - 1.5 Ghz "Long":対空捜索用レーダー)
PRF 440
パルス幅 4μS
回転数(RPM) 3.3、5、10回転
Lバンド早期警戒・地上管制迎撃レーダーシステムである。このデザインは1950年にBendix AN/FPS-3として誕生し、FPS-20にアップグレードされ、その後、追加のアップグレードが適用されるにつれて12種類以上のバリエーションが生まれた。
AN/FPS-6レーダーの概要
AN/FPS-6レーダー(AN/FPS-6 Radar)は、アメリカ空軍防空司令部が使用していた長距離高度探知レーダーである。AN/FPS-6レーダーは1950年代後半に実用化され、その後数十年にわたって米国の主要な高度探知レーダーとして機能した。また、イギリス空軍のAMESタイプ80とともに使用されました。ゼネラル・エレクトリック社が製造したSバンドレーダー(※Sバンド 1.5 - 5.0Ghz "Short":対水上捜索用レーダー等)は、2700MHzから2900MHzの周波数で運用され、1953年から1960年の間に、/FPS-6と移動式AN/MPS-14が約450機生産された。

1960年7月1日より航空自衛隊による自主運用が開始された当時は、捜索用がAN/FPS-3およびAN/TPS-1D、測高用がAN/FPS-6およびAN/TPS-10Dであった。索敵レーダーの大半は1958年から1963年にかけてAN/FPS-20Aに、また測高レーダーの一部も1963年から1965年にかけてAN/FPS-89(FPS-6A)に換装された。
航空自衛隊の警戒管制レーダーの国産化の歩みについて
J/FPS-1の概要
昭和30年代中期の日本のレーダーサイトでは、捜索レーダーと測高レーダーという2種類のレーダーの組み合わせで目標機の方位・距離・高度を測定していた。この方式では、まず捜索レーダーによって多数の目標の距離や方位を求めた後に、所定の特定目標の方位へ測高レーダーを指向させて、いわゆる首振りの走査によって高度を検出するという二本立ての構成となっていたため、高度を測定できる目標数に限度があった。
航空自衛隊では、第2次防衛力整備計画において自動警戒管制組織(BADGE)の導入を予定しており、これにあわせたレーダーの能力の増進が求められるようになった。すなわち、1台のレーダーで捜索レーダーと測高レーダーの機能を兼ね備えること、あわせて捜索機能および特に測高機能を向上することが喫緊の課題とされた。この情勢を受けて、1961年12月12日の空幕会議においてレーダー能力増進計画が承認され、J/FPS-1開発の基本計画が承認された。
1962年、東芝、日本電気、三菱電機の3社に対して委託研究が発注され、各社においてそれぞれ異なる方式に基づいて研究が行われた。東芝は米EG社のDefocus方式、日本電気は米ヒューズ社のFRESCAN方式を参考にして開発を進めたのに対して、三菱電機は同社独自の位相差方式を用いて開発を進めた。昭和37年度末、航空幕僚監部と防衛庁内局、技術研究本部によって3社からの提案に対する評価が行われ、下記のような優位点が評価されて、三菱電機の案が採用されることとなった。
1972年より運用を開始し、1977年までに7ヶ所のレーダーサイトに導入された。ただし大規模な施設整備が必要となるなどの問題があり、以後の換装はJ/FPS-2に切り替えられたほか、性能の陳腐化と維持管理の問題から早期の退役が図られることになり、後継としてJ/FPS-3やJ/FPS-4が開発されて、前者は1992年、後者も1999年より運用を開始した。
J/FPS-3の概要
航空自衛隊では、自動警戒管制組織の建設にあわせてレーダーサイトに国産の3次元レーダーを導入することになり、1972年よりJ/FPS-1(F-3D)の運用を開始した。しかし全国28ヶ所のレーダーサイトに対して、J/FPS-1が配備されたのは7ヶ所、よりコンパクトなJ/FPS-2も11ヶ所に留まった。残りのサイトはアメリカ空軍から引き継いだAN/FPS-20捜索レーダー(あるいはその派生型)およびAN/FPS-6測高レーダーの使用を継続していた。これらのアメリカ製レーダーは順次に近代化改修が図られていたとはいえ、その後継として、1990年代以降の航空脅威に対処できるレーダーの開発が求められるようになった。
一方、技術研究本部では既に1967年よりフェーズドアレイレーダーの研究を進めており、昭和46年度には最初の実験装置である「電子走査アクティブ空中線装置」を研究試作、続いて昭和47~48年度でSバンドの「新方式レーダ」を試作した。これは目黒の第1研究所12号館屋上に設置されて、羽田上空の航空機を捉えることに成功したが、これはアクティブ・フェーズドアレイ方式として日本初の成果であった。これらの成果を踏まえて、上記の開発要求書に先行する1979年より、既に東芝と日本電気、そして三菱電機の参加・協力のもとで、将来の警戒管制レーダーに関する部内研究が着手されていた。
1983年11月には試作機担当会社が三菱電機に決定され、技術研究本部を中心として官民一体となった設計製造が開始された。1986年10月より飯岡試験場において技術試験が開始され、1987年6月までにレーダー覆域の飛行試験36ソーティを実施して、実環境における基本的な機能・性能の確認を行った。また7月からは実用試験も同時に実施されて、地上試験および計171ソーティの飛行試験により技術的評価を行った。技術試験の成果は1989年1月の研究開発評価会議で、また実用試験の成果は同年5月の装備審査会調整部会で了承されて、1989年6月には部隊使用承認が下りた。開発経費は43億円とされる。
初号機は1992年3月31日に経ヶ岬分屯基地に配備されて、運用試験ののち、同年9月より運用を開始した。その後、1999年にかけて計7基が取得された
設計
予想される航空脅威に対処できるレーダーは、主侵攻方向に対する探知能力の大幅な向上とともに、高機動目標の追尾能力の向上も求められた。1つのレーダーでこれら2つの要求を両方とも実現することは困難であり、それぞれの狙いを明確にした遠距離用と近距離用の2つのレーダーで構成することとなった。これら2つのレーダーを分散配置することで、システムとしての抗堪性も向上させられるものと期待された。
これらのレーダーでは、素子アンテナごとに半導体マイクロ波送受信モジュールを有する半導体アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナが採用された。これは、電子走査による柔軟なビーム制御が可能で、また大電力・高感度受信化による小目標探知も可能な点に着目したものであった。ビーム走査用の移相器にはダイオード移相器を、送信電力の増幅用には電界効果トランジスタ(FET)増幅器をそれぞれ用いている。またアンテナ素子に電力を分配するための電力分配器には、軽量・小型のストリップライン型を用いている。
遠距離用空中線装置
2次元(方位・仰角)走査方式。アンテナは数千素子から構成されている。そのうちのアクティブ・モジュールは全素子数の約50パーセントであり、これらのアクティブ・モジュールの配列は均等ではなく、サイドローブ特性の要求から、間引きした配列(シニング)を行っている。
近距離用空中線装置
時系列的に複数ビームを用いた1次元(垂直面内)走査方式。アンテナ素子数は遠距離用空中線装置の約2倍程度であるが、アクティブ・モジュール数は約20パーセント以下である。なおサイドローブ特性の要求から、アンテナの励振振幅にはウェイティングをかけている。
システム構成としては、これらの空中線装置のほか、信号処理装置および表示制御装置等から構成されている。遠・近距離用空中線装置のそれぞれに、対レーダーミサイルを誤誘導させてアンテナを保護するための擬似電波発生装置(デコイ)も設けられている。
上記の通り、本システムでは分散配置化による抗堪性の向上を図っているが、この際に光ケーブルを用いた遠距離・高速・大容量データ伝送技術を警戒管制レーダーで初めて採用し、レーダーアンテナとオペレーションルーム等を隔離する事によって要員・器材の安全確保を可能とした。また信号処理装置などは地下に設置されており、更に抗堪性を向上させている。
※ソーティ (Sortie)とは
後方の拠点から航空機や艦艇、もしくは部隊といった単一の軍事ユニットを展開または派遣する事を意味する軍事用語である。出撃する航空機や艦艇、部隊は単独か複数かにかかわらず、特定の任務を帯びているのが普通である。
航空戦では、個別に存在する機械の使用全般を示すのに用いられ、例えば、1つの作戦に6機の航空機が用いられれば、6ソーティと数えられる。
自動警戒管制組織(BADGE:Base Air Defense Ground Environment)の概要
1969年から2009年まで運用されていた航空自衛隊の防空指揮管制システム。略称はバッジ・システム。自動化された航空警戒管制システムであり、指揮命令、航空機の航跡情報等を伝達・処理する全国規模の戦術指揮通信システム(コンピュータシステム)である。
BADGE システムは、56 年からアメリカ空軍で使用されている SAGE 警報制御システムに次いで世界で 2番目のシステムになった。
1954年7月1日に発足した航空自衛隊は、その6年後の1960年7月より、自力での航空警戒管制組織の運用に着手した。当時の防空体制は、F-86DおよびF-86F戦闘機を要撃機としていたが、警戒管制は下記のような手動運用方式であった。
目標発見 - 防空監視所(SS)に設置されたレーダーのスコープ上で監視係員が発見
航跡情報表示 - SSから音声で報告を受け、防空指令所(DC)の表示係員が手書きで大型表示板に表示
識別 - 大型表示板に表示された航跡情報表示をもとに識別係員が敵味方識別
要撃 - 管制官が音声により要撃機に指令
その後、1961年7月18日に決定された第2次防衛力整備計画では、新戦闘機(F-X)としてのF-104Jやナイキ・エイジャックスなど、新たな防空手段の導入が決定されたことから、これとあわせて、航空警戒管制組織の自動化が模索されることとなった。これに応じて導入されたのがBADGEシステムである。
1962年度より採用機種の検討が進められ、ゼネラル・エレクトリック(GE)、リットン社、ヒューズ社の3社が技術提案を行った。二度に渡り調査団が派米されるなど慎重に検討が進められ、1963年7月1日、ヒューズ社が提案した戦術航空火器管制システム(Tactical Air Weapon Control System, TAWCS)の採用が決定された。決定理由は「完成が遅れることがあっても、ヒューズ社の提案が要求を満たし、費用が最低である」という点であった。
なお、1964年12月4日に締結された政府間合意に基づき、本システムの開発にはアメリカからの財政支援がなされている。
BADGE
ヒューズ社がアメリカ海軍向けに開発した海軍戦術情報システム(NTDS)の改良型であるTAWCSをベースとして[4]、日本アビオトロニクス(現:日本アビオニクス)社が航空自衛隊向けにカスタマイズしたものである。1964年12月に「航空警戒管制組織の自動化」として受注、1968年3月に領収され、点検評価を経て、1969年3月26日から、まず全防衛区域で昼間8時間の運用が開始された。
構成
当時府中基地に所在していた航空総隊作戦指揮所(COC)がトップとして、システム全体を統括した。当時、航空方面隊ごとに北部・中部・西部の3個防衛区域が設定されており、それぞれに防空管制所(CC)が設けられていた。実際にBADGEの警戒管制機能の中核となり、要撃機や地対空ミサイルへの指令を担当する防空指令所(DC)もこれに併設されるが、中部防衛区域のみ、笠取山分屯基地と峯岡山分屯基地に分割されていた。なお、システムはアメリカ軍のシステムとも連接されていたが、政治的な理由により、この計画は西太平洋北部情報利用プログラム(WESTPACNORTH Information Utilization Program)と呼称されていた。これにより、海軍戦術情報システム(NTDS)および琉球防空システム(Ryukyu Air Defense System)、韓国防空システム(Korea Air Defense System)との連接がなされていた。
主要構成器材・機能は下記のとおりであった。
RTS-IIレーダー追尾装置(Radar Tracking Station-II)
SSに設置され、捜索・測高レーダーからの情報を集中処理する。最初の自動捕捉で目標の位置を求め、続く自動追尾では追尾しながら真目標の速度・針路を計算する。これらの自動追尾は、電子攻撃(EA)や悪天候下においても継続的に実施できるよう措置されている。なお算出された目標情報は、下記の地対地データリンクを介してDC・CCに伝送される。
H-330B要撃計算機
バッジ・システム 航空現状表示用コンソール
DCに設置される大型の汎用コンピュータで、要撃諸元の計算伝送、フライトプランの挿入による自動的な各種情報の処理を行う。なおマンマシンインタフェースとしては、監視統制・識別・指揮・兵器割当・要撃管制の各コンソールのほか、戦術状況を総合的に表示する大型カラー・データ・スクリーンや、各基地の気象状況・待機状況を表示するステータスボードが配された。
バッジ・システム 航空現状表示用コンソール
CCに設置された。H-330B要撃計算機とは異なり、基本的には目標情報・兵器待機状況等の表示に特化しており、連接されるコンソールも指揮用のもののみである。
HC-270地対地データリンク
SS・DC・CC間を結ぶ高速データ伝送装置。
地対空データリンク
要撃管制に必要な誘導諸元を自動的にパイロットに指示するための地上装置。UHF帯の時分割データリンク(Time Division Data Link, TDDL)を利用している。要撃機ではF-104Jより対応し、機上端末としてF-4EJではARR-670が搭載された。
組織構成は下記のようなものであった。
Active Phased Array Radarについて
戦後のActive Phased Array Radarの技術については全く知見はありませんが、ネット情報から類推すると以下の通りである。
個々のアンテナ素子自体が送受信機能を有しているということから、平面全体がアンテナ素子のマトリックスとして動作させることが可能となった。
この機能により個々のアンテナを有機的に作用させることにより放射ビームを自由に操作できることになる。
アンテナをマトリックス情報ととらえることが可能であれば、複数の目標物の方向や速度情報を同時に取得できることになる。
さらに、コンピーターの情報処理により多目標の同時解析/対応が可能となるのだろう。
フィリピンに納入した警戒管制レーダー初号機のJ/FPS-3
フェーズド・アレイ・アンテナの仕組み
素子アンテナごとに半導体マイクロ波送受信モジュールを有する半導体アクティブ・フェーズドアレイ・アンテナが採用された。これは、電子走査による柔軟なビーム制御が可能で、また大電力・高感度受信化による小目標探知も可能な点に着目したものであった。ビーム走査用の移相器にはダイオード移相器を、送信電力の増幅用には電界効果トランジスタ(FET)増幅器をそれぞれ用いている。またアンテナ素子に電力を分配するための電力分配器には、軽量・小型のストリップライン型を用いている。

Phased Array Radarとは一体どのようなレーダーなのか。
Phaseは工学系用語では「位相」と訳するが、変化の「段階、局面」の意味も有している。
Phased Outは段階的廃止と訳されるように、Phased Arrayは位相配列ではなく、多段(段階的)配列と和訳すべきではないだろうか。
開戦間もなく、シンガポール陥落のおり英軍の射撃管制レーダーの残骸と関連ドキュメントを鹵獲しており、この資料のなかに、射撃管制レーダーは上下及び左右に4つのアンテナを配置し上下及び左右の受信信号を比較する所謂等感度方式を採用している資料があった。その中にPhased Ringなる用語があったが、日本側は内容を理解することなく無条件に「位相環」と和訳している。
実際の資料をみても、位相とは無関係で単なる環(円)状のものを回転しながらスイッチングする機構にすぎず「位相環」というよりも、「環状多段(段階的)配列」のほうが相応しい。
ただし、現代のActive Phased Arrayとなると位相制御する機能が主目的と考えられることから、可変性(活性化可能な)位相配列と訳するが相応しいのだろう。
このようなこともあり、日本ではPhased Arrayを日本語訳せず、そのままカタカナの「フェーズド・アレイ」で使用されるのが通例である。
海軍4号電波探信儀3 型(L-1)の位相環(Phased Ring)の仕様
このPhased Arrayを多段(段階的)配列と定義するとすれば、戦時の日本のレーダーに関して下記の機種事例が該当することになる。
陸軍では、超短波を用いたタチ1、タチ2タチ3、タチ4、タチ31、海軍では41号、42号、43号などの等感度方式の射撃管制レーダーが該当する。
写真は陸軍のタチ31レーダーを示す。
マグネトロンを利用したセンチ波の射撃管制レーダーとしては、海軍の32号、33号レーダーが該当する。
本システムでは、受信ラッパに個々に配置している導波管をモーターにより遮断するシャッターを設けて、アンテナ切換を可能としている。
戦時中(WWⅡ)の同時期の米海軍のPhased Array RadarであるFIRE CONTROL RADAR、MARK8について
Radar Equipment Mk.8
1943年1月の米軍のマニュアル「FIRE CONTROL RADAR、MARK8」を見ると、Mk.8 Mod.1のアンテナは14素子のMUSA(multi-unit-steerable-antenna)配列で、これらの素子は広帯域で水平に配置されている。
これにより、必要な水平指向性が得られ、アンテナを動かすことなく、隣接するアンテナ素子間へ段階的に移行(phase difference)させながら放射ローブ(radiation lobe)を操作することができた。
これは、Mk.34およびMk.38の射撃管制盤の上に配置され、船の動きの補償のために上下に移動する配置でサポートされていた。
水平は+15度から-15度の間で変えられる。42本のテーパー状の固体ポリスチレン製の棒(ポリロッド)が、3本ずつ14組(14列×3段)の垂直グループに分かれて突き出ている。
各ロッドは約3フィートの長さで、電圧を供給する導波管の端に取り付けられていた。
3本のロッドのグループはトライデント(trident)と呼ばれ、アンテナの独立した素子として機能した。
走査は、トライデントに供給される電圧を段階的絶えず移行(continually shifted the phase of the voltages)させる13個の機械式分配器(mechanical phase shifters)によって行われた。
これらはボールベアリングで回転し、アンテナの一端に取り付けられたモーターで駆動される。この駆動モーターの近くには、2スピードスキャン用のギアシフトモーターが取り付けられていた。
補助装置により、オペレータはスキャンの開始、停止、反転、スキャン速度の選択を行うことができた。シンクロ・ジェネレーターは、低速スキャン時にアンテナ・ローブの位置を遠隔地で指示するためにアセンブリに取り付けられていた。高速スキャン中は、ソレノイド・クラッチがシンクロ・ジェネレーターを切り離した。
このレーダー装置は主に主砲発令所 (Main Battery Plot)の射撃管制に使用された。距離精度は優れていた。方位精度は実質的に光学式と同等であった。射程内の照準(スポッティング)は優れていた。射程1000ヤード(914m)以内の落下は100ヤード(91m)単位で正確であった。方位角での照準(スポッティング)は、小さな偏向誤差(small deflection errors)に対しては実用的ではなかった。
アンテナは主砲発令所 (Main Battery Plot)またはローカル測距儀(Local rangefinder)で安定した動揺修正装置(垂直安定ジャイロ) stable vertical Mk. 41を備えていた。
アンテナが水平に保たれていないと、細いビームがターゲットの上や下に回転するため、アンテナへのレベル入力は必要であった。測距情報は電気的に主砲発令所に送信された。すべての操作・制御ユニットは、最初は射撃管制盤(ディレクタ)に搭載されていたが、後にその一部が主砲発令所に搭載された。操作には1名のレーダー・オペレーターとディレクター・トレイン・オペレーターが必要であった。
水上目標を確実に探知できる距離は、戦艦の16インチ45口径砲と測距儀の射程を上回っていた。距離と方位の識別は良好であった。目標の構成に関する重要な戦術的情報は、行動開始のかなり前に得ることができた。
3つのスイープが提供されました:
通常(Main)、拡張(Expanded)および精密探知(Precision sweeps)
通常探知(main sweep)で約90,000ヤード(約82,296m)を探知ことができきるも、わずか測定距離(range measurement)は45,000ヤード(82,296m)。この探知は、最初の接触と、目標の数、性質、移動に関する戦術的な情報の取得に使用された。
拡張探知(expanded sweep)は、最初の20,000ヤード(18,288m)の範囲を拡大して範囲識別を改善することができた。
精密探知(precision sweep)は、範囲単位に示された特定の範囲を選択し、適切な範囲関係でこの範囲から1,000ヤード以内の目標を示した。45,000ヤードまで使用された。正確探知(precision sweep)と高速ベアリング探知(high-speed bearing sweep)を使用して、レンジ・スポッティング(Range spotting)を取得した
機械式分配器(mechanical phase shifters)の仕組み
14個のアンテナ素子にはそれぞれ導波管が接続されており、付属のモーターにより個々の導波管の開閉を行うことにより、水平方向に配置している14個のアンテナが電気的に連続して動作させることにより、アンテナの物理的な首振り動作を不用としている。
したがって、mechanical phase shiftersというよりもmechanical distributorの意味あいが適当と思われる。
本方式は、奇遇にも日本の海軍32号の導波管切換と同一の方式であるように見える。
レーダーの表示形式
基本的にはBスコープ表示であるが、精密射撃ではAスコープ表示も可能である。
なお、Bスコープは実際の図形とは異っている。
【総合コメント】
・J/FPS-XXシリーズは純国産化のレーダーなのか
日本の自衛隊の警戒管制レーダーは、在日米軍から譲渡されたAN/FPS-3シリーズのAN/FPS-20とJ/FPS-6をベースに開発が行われた。
したがって、米軍のAN/FPSシリーズをベースにしながらも、日本独自仕様のJ/FPS-1を開発することになる。
J/FPS-1は上・中・下の3段のレーダーアンテナから構成されているのが大変ユニークである。
1960年代当時の技術レベルと経済状況によると米軍の最新技術によるライセンス生産ができるような対等な関係は構築できず、結果として独自開発せざるを得なかったのだろう。
陸上及び航空自衛隊では、固定局のJ/FPS-1、J/FPS-2、J/FPS-3及び移動局のJ/TPS-P14を含め純国産品で米国のライセンスを使用していない。
海上自衛隊では、艦船レーダーには、対空、対水上用、航海用などあるが、当初は米国製であったが、現在ではイージス・システム艦の多目的同時処理能力レーダー(AN/SPY-1D)を除いては、すべて国産である。
左:J/FPS-2 右:陸上自衛隊のJ/TPS-P14
・警戒管制レーダーの基本的なシステム構成について
戦後の米軍でも警戒管制レーダーには、方位と距離測定用2次元レーダーと高度測定用レーダーを組合せて測定している。
日本の旧軍のレーダーも米軍と同じく陸軍では方位と距離測定用2次元レーダーにタチ6、高度測定用レーダータチ20やタチ35を使用しているが、戦後米軍のレーダーも同じレベルの性能であったのは大変な驚きである。
戦後各方面から旧軍のレーダー技術が米軍と比較して未熟であったとの指摘がされているが遠距離の警戒管制レーダー分野においては、多少の測定精度の誤差はあったにせよレーダー性能では大差がなかったのではないか。
・タイへのレーダー輸出の顛末について
2018日3月27日 5:10
輸出を目指すレーダーは航空自衛隊が1991年から運用する「FPS-3」だ。26年間にわたって敵の戦闘機や弾道ミサイルを監視してきた実績があり、「性能は申し分ない」(元航空自衛隊幹部)。
タイ政府は早ければ4月にも結論を出す。FPS-3が選ばれれば日本初の本格的武器輸出となる。
政府は2014年に武器輸出の要件を緩和したが、その後、オーストラリアへの潜水艦輸出に失敗。この他にインドには救難艇、ニュージーランドには空から潜水艦を探知する哨戒機を売り込んだが契約には至っていない。
タイに輸出を目指すレーダーの価格は10億円超とみられ、総額4兆円超だった対豪潜水艦輸出に比べて小粒感は否めない。
だが、「輸出できれば同系レーダーの連続受注や戦闘機との通信、情報処理装置の受注など波及効果が期待できる」(政府関係者)。撤退する企業さえある斜陽の国内防衛産業にとっては朗報になる。
タイの国防費は年間およそ60億ドル。高性能なレーダーを整備できる規模ではないことから、日本の政府内には、価格競争に巻き込まれることを懸念して入札への参加に慎重な声もある。
2018年7月21日 22:4
防衛装備庁は、三菱電機が参加していたタイ空軍の防空レーダーの入札でスペイン企業が落札したと明らかにした。初の国産装備品輸出を狙ったが、2016年のオーストラリアへの新型潜水艦売り込みに続く失敗となった。政府は3月に国家安全保障会議(NSC)閣僚会合で、一定の条件を満たせば武器輸出を認める「防衛装備移転三原則」に基づき三菱電機の入札参加を承認していた。
・フィリピンへの警戒管制レーダー納入について
フィリピンの防空戦力をネットで調べて見ると以下のとおりである。
2005年10月には、最後のF-5A/B戦闘機が老朽化により退役し、それ以降は純粋な作戦機としての戦闘機を保有していない。
2012年、攻撃機としても使用可能な練習機であるT-50(軽攻撃機型はFA-50)もしくはM-346を、計12機調達する計画が発足し、T-50を売り込もうとしている韓国との交渉が進んだ。韓国との交渉の結果、運用法次第では平時の領空警備やゲリラ対処も可能な超音速性能を有すること、アメリカを代表する軍事企業であるロッキードマーティン社が設計を行った航空機であること、そして韓国側が提示した価格面での安さを選定理由として、T-50(FA-50)を2014年頃に調達することが決定した。
これらのフィリピンの航空戦力では、高度な警戒管制レーダーを導入しても、軽戦闘機(練習機に軽武装)による領空警備の邀撃行動をしても某国には太刀打ちできない。
これが東南アジア諸国の実態であるが、某国のような振る舞いをする輩には困ったものだということしか言えない。
・戦時中と戦後のレーダー開発メーカーの動向について
戦時中のレーダー御三家は、東芝、日本電気、日本無線の3社でしたが、戦後は三菱電機、日本電気、東芝の3社と変わるが、東芝の開発比重は大幅に低下している。
戦時の三菱電機のレーダー開発は不活発で、タキ3やIFF程度の開発しか行っていなかったが、戦後のレーダー開発では何故か目覚ましく重要なレーダー開発を主導している。
三菱電機に云いたいのは、真に必要な時にお国の為に尽くしてほしかったとの一言のみである。
日本無線は、戦後は軍事部門のレーダー開発から手を引き、民間部門のレーダー開発に徹したようだ。
参考文献
防衛年鑑 1960 昭和35年2月 防衛年鑑刊行会
装備年鑑1995 平成7年7月 朝雲新聞社
米国国立公文書館
冷戦時代の日本の防空体制 2021年 6月15日 著者 リンニック・セルゲイ
https://ja.topwar.ru/183531-sistema-pvo-japonii-v-gody-holodnoj-vojny-sredstva-radiolokacionnogo-kontrolja-vozdushnogo-prostranstva-i-sistema-avtomatizirovannogo-upravlenija.html
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