海防艦「占守」の無線兵装について
海防艦「占守」電探室異状なし(北村栄作 1990年6月 光人社)を読んで以前から気になって居たところを、今回手持ち資料とネットの力で整理してみました。
まずは海防艦「占守」のことを今まで恥ずかしながら“せんしゅ”との読みと思い込んでいました。
海防艦の艦名の付与は、本邦の島からとっており、占守島から命名されています。
今回の調査で占守は、“せんしゅ”ではなく、“しむしゅ”と呼ぶことが判明しましたが、戦後生まれの方ではこれを読むことが出来る方は大変歴史通の方ではないでしょうか。
それでは、本邦内の占守島はいったいどこにあるのでしょうか。
正解は千島列島北東端の島で、敗戦後ロシアの実効支配下にあります。
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海防艦「占守」の艦型概観
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占守竣工時(レーダーなし)
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戦後の占守(引揚船用に改造、22号レーダーあり)
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「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。


海防艦(新型)の無線兵装(日本無線史抜粋)
海防艦は従来一般に老杆艦を以て当てられていたが、対潜警戒、海上警備の重要性あり、新艦の建造が計画せられ、昭和15年まず4隻の完成を見た。
無線兵装は送信機は短3号、長波4号各1台と2号電話及び超短波電話機各1台、受信機は4台程度で、小型艦の割合に大勢力送信機を搭載し、前後楼間の距離又極めて短いため、自艦送信妨害の問題と、能率良き空中線展張の問題で、装備上色々苦心が払われた。
太平洋戦争中期以後は護衛艦としての整備に重点が置かれるようになり、対飛行機協同用電話機及び応急用小型電信機の増補が積極的に行われた。
又任務の変化に伴い、艦型は縮小の一途を辿り、短波送信機も特5号送信機に換装せられた。
その結果自艦送信妨害は大いに緩和せられた。

搭載無線機の概要
YT式短3号
出力1KWの自励式短波送信機であるが、明昭電機株式会社の製作にかかるものである。
使用周波数 4,000 ~ 15,000Kc
構成は、原振、増幅方式の電信専用である。
使用真空管は、発振器UX-202A、増幅菅UV-814、12号発振(UX-860)、電力増幅UV-812、整流菅HV-972、KN-158、HX-966である。
※ 東洋無線電信電話株式会社と明昭電機株式会社は姉妹会社であるが、両会社は昭和13年11月に合併して、資本金400万円なる東洋通信機株式会社となった。
同社製一連の無線機は“YT式”と呼称された。

長波4号
概要
自励連結式の所謂簡単式長波送信機(3号は出力1KW、4号は出力0.5KW)で優秀品とは云えないが、十年以上も使い慣れたもので艦船及び陸上に装備されて実用されている。
92式4号送信機  出力500Kw 自励

特5号送信機
長波、短波兼用送信機の特徴を生かして、電波特に短波の安定性を向上した兵器の要望があったので、これに応えて完成したものが本機である。
本機は長波は91式特送信機と同じく、単なる自励発振型送信機であるが、短波は原振器附になっており、駆潜艇その他小型水上艦艇に装備された。
97式特5号送信機  出力150w

2号無線電話機
中波無線電話機で、出力30W、送話機改1は翼板電圧を500Vより1000Vに増大したもの、送話機改2は自励式で電信は空中線電鍵操作のもの、同改3は格子電鍵操作に改良したもの、受話機改1は高周波増幅1段、再生式検波、低周波増幅2段のもの、同改2は周波数範囲を拡大したもの、送話機改3に原振器を附けたものを送話機1型と呼ぶ。
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追加工事
2号2型電波探信儀

艦戦無線兵装標準(昭和18年6月の改訂版)
甲海防艦
送信機   短波4号(1/2kw)1台
短波7号     1台
中波5号(1/4kw)1台
2号電話機 1台・・・・・・・・・・・・・・・・・・実用品ではなく運用に難あり
隊内電話機(機上用)1台・・・・・・・・・・・・・・実際は配備されていない
受信機   長短兼用受信機(92式特受信機)  3台
同上 水晶制御式(3式特受信機) 1台 ・未配備可能性あり
電波探信儀 対飛行機用(1号3型)2台・・・・・・・末期の海防艦にのみ設置
      対水上艦用(2号2型)1台
電波探知機 米波用 1台・・・・・・・・・・・・・・米国側で使用していない波長
      糎波用 1台


92式特受信機の概観
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隊内電話機(機上用)の捕捉説明
.艦船並びに一般通信(海軍通信作戦史抜粋)
(ロ)護衛艦艇の隊内電話に航空機用隊内電話を採用し水上艦艇、航空機共同一電波使用に統一す。
昭和19年秋迄の護衛艦艇は未だ海防艦、駆逐艦等の編成なく個々の艦艇の寄せ集め式護衛船団にして、且1月の中殆碇泊休養の時間も少ない為、教育訓練の機も尠く思想の統一もなき為、之等船団部隊に於いては90式超短波及び2号電話機の如き電波の漂変甚しき電話は隊内電話として取扱困難であったので、取扱容易なる水晶制御式航空機用隊内電話を使用せしむることとし、極く一部の特設艇を除き之を装備し且護衛部隊の隊内電波を水上艦艇及び航空機共41350kcに統一し航空機との緊密なる連絡に資した。
右電話は之を重要船団にも装備せんとし、電話員の養成を開始したが、時恰も米軍沖縄作戦を開始し、南方よりの還送航路を遮断せるを以て実現に至らずして終わった。
※ 98式空4号隊内無線電話機
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2号2型電波探信儀の概観
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1号3型電波探信儀の概観
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1号3型電波探信儀の搭載参考事例
海防艦(丙型)第225号は昭和20年5月に竣工した。後楼13号レーダーを装備するためマストの高さも増し、三脚楼の形状も異なっている。
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電波探知機 糎波用
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“海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし”から関連項目を抜粋し紹介します。
「占守」は排水量1020トン、全長78m、最大幅9.1m、喫水3.05mの小型艦ながら、艤装、構造ともにこったものであり、建造時には軍艦ということで船首には菊の御紋章がかがやき、外観も風格を備え、艦長室の造作も、他の艦とかけはなれた立派なものだった。
艦橋塔は3層になっており、1層目に通信室、2層目に海図室、電探室、3層目が艦橋となっており、その後部が旗甲板で、上部には3mの測距儀が装備されていた。
上甲板全部には艦長室と士官室があり、兵員室は下甲板前・後部が当てられ、荒天通路に接して烹炊所、医務室、浴室などがあり、中部最下甲板は機関室で、デーゼル機関2基、発電機があった。
6m内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻がそれぞれ両舷に搭載され、前檣に電探のラッパ管、その後部に探照灯などが設けてあった。
・・・・・・・・・
22号電探は、電気的振動を発振・増幅されて、それを電波にかえて檣楼(しょうろう)にあるラッパ管内の送信アンテナより発信する。
波長8cm(誤記で実際は10cm)といわれる極超短波は光のように直進して、物体に当たると、山ビコと同じ原理で、ハネ帰ってくる特性を利用し、受信用のラッパ管内のアンテナで受けて、ブラウン管に映し出す。
その波型で距離、ラッパ管の奉公で物体の方位を知るものである。
このため、発振器・増幅器・整流器・送信器・受信器・受像器など、20もの機械があり、電探室は足の踏み場もない。
それらの器械には、今日のようなICも半導体もない。
すべて真空管・抵抗体で、その種類も何十種類、数も百ちかく、機内は電線が縦横に走っている。
機械を作動すると真空管に火がともり、それから発する熱気で、頭が痛くなってくるしまつ。
そして無理な作動を繰り返すと、真空管や抵抗体が「ボー」と燃え切ってしまうといった具合で、まったくむりがきかない。
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「占守」は僚艦とともに商船を護衛し、占守島の片岡湾をめざして大湊を出港した。
水中探信儀、電波探知機の性能を発揮し、見えない島嶼あるいは海底の起伏を精測して艦位の測定に大きい役割を果たした。
艦長はとっさの敵潜にそなえ、防寒服をまとって、つねに艦橋の椅子に待機していた。
目的地に着くという前夜、電波探知機のブラウン管に味方艦艇以外に、1隻の映像を右30度、距離5000mに発見、直ちに艦橋に報告する。
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「占守」はその後も引揚船として、武器は全部とりはずされ、甲板上に木製のデッキを急造して、五、六百人くらい乗艦できるように改造した。
そして、南方の島々に残留の旧陸軍部隊の復員艦として涙の汗を流し活躍したが、昭和22年7月に賠償艦としてソ連に引き渡された。


結言
占守は海防艦(甲型)の一番艦として、昭和15年6月に三井玉野造船所で竣工しました。
昭和16年12月にマレー上陸の陸軍輸送船の護衛をはじめ、その後ビルマ方面等の船団護衛に従事してまいりました。
昭和19年11月にマニラ湾南方で雷撃を受け損傷するも昭和20年8月北海道方面で終戦を迎えるこことなりました。
昭和20年10月除籍後、復員輸送艦となり、昭和22年7月賠償艦としてソ連に引き渡されました。
海防艦の一番艦として従軍し負傷しながらも終戦を迎え、戦後も外地からの復員輸送に従事しつつ、その後は責任を取って戦勝国へ賠償として引き渡れ、その外地で必死に働きかつ当地にて最後に死すといったところでしょうか。
海上自衛隊でも海上保安庁でもいいですが、小型艦で結構ですが、是非、新造艦に「占守」の命名をしてもらえれば、海防艦「占守」のことを後世に伝えることができるでしょう。
決してソ連の行為を含め過去の歴史を忘れてはいけません。




参考文献
海防艦「占守(しむしゅ)」電探室異状なし 北村栄作 1990年6月 光人社
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
丸スペシャル 海防艦 1979年6月 潮書房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』占守島、占守型海防艦
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