日本帝国陸海軍電探開発史

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2023年11月

2式1号電波探信儀1型のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

諸元表
略称---------------------------------------------11-2,3号
目的---------------------------------------------陸上海岸に固定装備対空遠距離見張用
周波数 ----------------------------------------- 100Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 500cps
パルス幅 ----------------------------------------20μs
尖頭電力出力-------------------------------------40 kw
測定方式-----------------------------------------最大感度法
出力管-------------------------------------------pp TR1501
受信機検波菅-------------------------------------UN-954,RE-3
空中線 ------------------------------------------送信:2×2 受信:4×2 水平
IF、mcs -----------------------------------------第一中間周波数21.5Mhz、第二中間周波数3.5Mhz、帯域幅±250Khz
受信利得----------------------------------------120 db
最大範囲----------------------------------------編隊250km 単機130km
測距精度----------------------------------------1~2km
測方精度----------------------------------------2~3°
電源--------------------------------------------
重量--------------------------------------------8,700 kg
製造-------------------------------------------東芝、住友、日本音響(日本ビクター)
製作台数---------------------------------------
a-0-1

a-0-2

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、RADAR MODEL 2-11とある
製造会社の記載はないが、日本電気株式会社、東芝及び日本ビクター(日本音響)である。
日本側での制式呼称は、2式1号号電波探信儀1型である。
なお、米軍へ提出されたブロックダイヤグラムは、一部制御ラインに不適切な箇所があると判断して、こちらで修正を行っている。
 a-1

ブロックダイヤグラムでは、次の5つのブロックの機能で構成されている。
Antenna Unit  Transmitter Unit   Receiver Unit  Indicator Unit  Monitor Unit   

空中線(Antenna Unit)

受信用空中線は半波長ダイポール水平4列2段、送信用空中線は半波長ダイポール水平2列2段を各々左右に配置した空中線と5cmの金網を後方に配置した反射板とによる構成である。
空中線は電探室と一体化して設置し、全体を電動モーターにより回転する仕組みの構造となっている。
なお、空中線の引き込みは、並行2線式の饋電線を使用している。
 a-2

a-3

a-4


受信機(Receiver Unit)
本受信機はダブルスーパーヘテロダイン方式で、高周波増幅1段、第1中間周波増幅2段、第2中間周波増幅3段、低周波増幅2段構成である。
高周波部は高周波増幅、第一混合部にエーコン管のUN-954、局部発振に同じくUN-955を使用し、爾後新開発されるレーダー受信機の標準回路構成となる。
第1中間周波増幅部は日本無線が新開発した五極管RE-3による2段増幅構成で、中間周波数は21.5MHz、帯域幅は±250KHzである。
第二混合はRE-3で、第2局部発振は3極・5極複合管Ut-6F7で構成された水晶発振方式である。
第2中間周波数増幅はRE-3による3段増幅方式で、中間周波数は3.5MHz、帯域幅は±250KHzである。
検波はRE-3で、検波信号の低周波増幅はRE-3の1段増幅、最後のRE-3はカソードフォローで低インピーダンス変換して指示機の垂直入力信号となる。
本受信機の総合利得は120dbである。
なお、新開発の新型万能増幅管RE-3を採用した受信機は、海軍では11号、12号、21号、陸軍ではドイツのウルツブルグレーダーのコピー品のタチ-24の合わせて4機種のみである。
b-1

b-2

使用真空管
 b-3


送信機(Transmitter Unit)
UZ-42 → XB-767A → UY-80 7→ TB508C×2 → TR-1501×2
本送信機の使用周波数は100Mhzである。
まず前提条件として、送信管TR-1501プッシュプルで自励発振を行うが、グリッドには負電圧をかけて動作しないカットオフ状態とさせておく。
指示機で生成した500hzの矩形波の入力を微分回路により同期パルスを作り、緩衝増幅UZ-42を介して同期パルスを作り、次段のサイラトロンXB-767Aの発振機能による送信同期パルス20μsを生成する。
次に、UY-807によるパルス増幅後、TB-508C×2によるパルス変調を行う。
この時、高圧の正の送信同期パルスが送信管TR-1501のグリッドを通過すると、カットオフ状態が解除され、送信管TR-1501が自励発振を行い送信同期パルスがアンテナから発射することとなる。
なお、この発振方式は、爾後新開発されるレーダー送信機の爾後の標準回路構成となったが、送信同期パルスの生成にサイラトロンを使用する方式は、本機と陸軍のタチ6などの初期型のみである。
 c-1

c-2
 
使用真空管
 c-3


指示機(Indicator  Unit)
【捕捉説明】送信同期パルスと掃引周波数の関係
指示機の仕組みを理解するためには、本機レーダーが使用するパルス繰返し周波数が重要である。
本機の送信機のパルス繰返周波数の仕様は、仮称1号電波探信儀1型が1,000Hz、送信電力を強化した2式1号電波探信儀1型では500Hzを採用している。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数500Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は300Kmとなる。
パルス繰返し周波数1,000Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は150Kmとなる。
また、指示機に必要なブラウン管の水平軸用の「のこぎり波」の掃引周波数とパルス繰返し周波数との一般的には関係式は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数 ÷ 2 
あくまでこの関係式も原則であり、本機1号電波探信儀1型や2号電波探信儀2型原型機などの初期型では例外も存在しており、この初期型の場合や東芝などが戦争後期に採用した正弦波掃引方式の関係式は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数

同期用正弦波発生部
UY-76(発振) → UZ-6C6(飽和増幅)
同期用正弦波発生器により、指示機の電子マーカー(測距目盛)用に15Khzの正弦波を生成する。
この考え方は、爾後の同期用正弦波発生器では送信同期パルスの周波数を基準とするように変更されたが、初期開発では電子マーカーを基準に正弦波を発生させている。
この正弦波は次段の飽和増幅UZ-6C6で矩形波に変換され、指示機のブラウン管の電子マーカー、ブラウン管の水平掃引用及び送信機の送信同期信号用の3つの機能部で使用される。
なお、送信同期パルスは500Hzを設定していることから、同期用正弦波発生器で発生させた15Khzを分周する必要がある。

受信信号増幅部
UZ-6302(増幅)→ブラウン管の垂直軸の偏向板へ

電子マーカー(測距目盛)部
UZ-6302(飽和増幅)→UZ-6C6(C級増幅/プレート検波)→ブラウン管の垂直偏向板へ
同期用正弦波発生部からの15Khzの矩形波をUZ-6302(飽和増幅)で増幅し微分回路にて電子マーカーのパルスを生成し、次段のUZ-6C6(C級増幅/プレート検波)でグリッドバイアスを深くし、わざと歪ませて増幅/検波することにより、電子マーカーとしての目盛を生成する。
これをブラウン管の垂直軸の信号入力用とは別の偏向板に印加する。
なお、15Khzの電子マーカー(距離目盛)とすれば、1目盛20kmとなる。
復元モデルでの表示事例
 d-1

水平掃引部
「Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)」→「Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)」→UY-76(のこぎり波生成)→UY-76(電圧増幅)→UZ-42(電力増幅)→ブラウン管の水平軸の偏向板へ

【Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)】の分周回路により15Khzを1/5分周して3Khzの矩形波を作る。更に次の【Kt-6H6A(整流)→UY-76(発振)】の分周回路により1/6分周して目的の500Hzの矩形波を生成する。次に、UY-76(のこぎり波生成)の出力で積分回路を介して「のこぎり波」を生成し、UY-76(電圧増幅)でのこぎり波を増幅する。
これをUZ-42(電力増幅)により電力増幅してブラウン管の水平軸の偏向版に印加する。

送信同期信号部
UZ-6D6(飽和増幅)→UZ-6C6(飽和増幅)→UZ-6C6(飽和増幅)→UY-76(カソードフォロー)→送信機と監視機へ
d-2

d-3

使用真空管
 d-4

【回路技術の解説】
・パルス技術を採用した分周回路(1号電波探信儀1型にも採用)
分周回路の回路動作解説(仮称2号電波探信儀2型原型機の説明書からの抜粋)
真空管V1(第一図参照)は切換開閉器に依り周波数30kc及び60kcの発振をなす発振管で真空管V2にてそれを増幅する。従ってV2にて増幅された波形はV1の発振器の出力大なる為、V2の増幅器の出力は図の如く矩形波なり。
次に其の出力は真空管V3-2(第二図参照)なる整流菅を通して蓄電器に接続されている。V3-2は整流菅なる為にプラスの半サイクルの部分だけ整流菅を通じて蓄電器(C12)に充電する。
したがって蓄電器両端の電圧プラス波形の来れる都度に図の如く階段状に上昇して来る。
この様な階段状の電圧は次の発振管V7のグリッドに接続されて居る。
この真空管V7(第三図参照)は周波数30kcを1/10に降下させるもので、発振管のグリッドを図の如く深くマイナスにして置く。次にこのグリッドに上述の如き階段状の電圧が加え発振する迄のグリッド電圧になる瞬間発振する。と同時に蓄電器に充電されていた電圧は放電し再びグリッドはマイナスとなる。
即ち30kcの発振器出力により充電された電圧(階段状に上昇した電圧)10階段目にV7の発振管が発振すれば其の発振周波数は30kcの1/10即ち3kcとなる。
尚抵抗R27を調整して確実に10段目で発振する様に調整する事が出来る。
即ち陽極電圧が高ければ早く発振し低ければ入力電圧(階段状電圧)大なるを要す。
したがって3,000サイクルの周波数は第4図の如き波形となる。
 d-5

※機能詳細は下記のURLの指示部を参照願います。
2号電波探信儀2 型 原型機のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について


監視機(Monitor Unit)
受信信号増幅部
UZ-6C6(増幅)→ブラウン管の垂直軸の偏向板
水平掃引部
UZ-6C6(飽和増幅)→UY-76(のこぎり波生成)→ブラウン管の水平軸の偏向板へ
500Hzの矩形波を入力とし、UZ-6C6(飽和増幅)した矩形波、次のUY-76(のこぎり波生成)の出力部の積分回路を介して「のこぎり波」を生成し、ブラウン管の水平軸の偏向板へ印加する。
 e-1

使用真空管
 e-2



【総合コメント】
・仮称1号電波探信儀1型と2式1号電波探信儀1型との相違について
送信機の仕組みの変遷
日本初の初期型の仮称1号電波探信儀1型の送信機は発振部と終段の電力増幅部の2ステージで構成しているが、これがもとで送信効率が悪化し、全くパワーが出ないシステムとなってしまった。
このため、2式1号電波探信儀1型では、終段の電力増幅部を直接自励発振させて1ステージのシンプルな構成にすることにより、送信パワーを100%だせるように改善し、送信菅も更に大型化することにより尖頭電力出力5Kwから40Kwに大幅に改良を施した。
確かに送信機構成を2ステージから1ステージの回路変更することによりパワーアップを果たしてが、2ステージ方式の資料がないので確かではないが、陸軍の初期型のタチ6と同様に周波数変更が可能な機能を付属させていたのだろう。
敗戦末期の本土防衛となるとB-29のRCM機により電波妨害が盛んに行われている。
電波妨害がされればレーダーの使用周波数を変更すればよいのだが、1ステージの送信機では送信周波数の簡単には変更はできない構造である。
このような経緯により、日本のレーダーは、1ステージの送信機構成のため電波妨害に対応することができなかったことになった。
唯一、ドイツのウルツブルグレーダーのコピー品であるタチ24にのみ送信周波数の変更機能を見ることができる。
 f-1

・同期発振器の使用周波数の選定について
仮称1号電波探信儀1型では、同期発振の基準周波数に15Khzを採用している。
この理由は、初期型の仮称1号電波探信儀1型では、原発振には正確性を考慮して120Khzの水晶発振子を採用し、これを分周して15Khzとして電子マ-カーを基準とした同期発振器としたことが理由のようである。
この電子マーカー用の15Khzを基準として、分周回路により、1/5と1/6分周回路により、送信同期信号の500Hzを生成している。
同時期に開発した仮称2号電波探信儀2型でも、30kc及び60kcの発振器に依り電子マーカー(距離目盛)を、次にその1/10の分周回路により3kc及び1.5kcの送信同期信号を生成している。
この分周回路には最新のパルス技術を採用したアナログ回路が採用されているが、製作費用の増大と過渡現象を利用するため高度な保守能力が必要となり、爾後のシステムには分周回路の採用が避けられるようになった。
具体的には、同期発振器の基準を電子マーカー(距離目盛)から送信同期信号に変更し、逆には、電子マーカー(距離目盛)は送信同期信号の高調波を利用して生成するように変更している。
低周波周波数の送信同期信号を基準としたため、誤差の少ない音叉発振器を利用した同期発振器も多数製作されている。
この送信同期信号の基準周波数の誤差が大きければ、測定すべき測距精度に大いに影響することになる。

・送信同期パルスの生成方法とパルス幅に関する考察について
パルス発射型のレーダに関する技術データが全くない初期のレーダー開発の状況の中、暗中模索の結果、サイラトロンXB-767Aを使用したパルス生成にたどり着いたのだろう。
このサイラトロンXB-767Aを使用してパルス幅20μsの送信同期パルスで実用化したレーダーということになる。
送信同期パルスについては、反射係数を高めるには、ある程度パルス幅は大きい方が反射率には有利であるが、パルス受信によるブラウン管への画面表示を考慮すればパルス幅は小さいほうが解像度は高くなる。
現場の開発陣は、このパルス幅の設計にどう折り合ったのだろう。
なお、爾後のレーダーにはサイラトロンXB-767Aを使用しなくて、矩形波に微分回路を介したシンプルなパルス発生回路を使用している。
 f-2

システムの再現のためサイラトロンTY-66Gを使用したパルス発生回路による実験を行うと、パルス幅が1.94msと規格値には届かない悪い結果となった。
 f-3

爾後のレーダーシステムには、下記のような微分回路によりパルスを発生させている。
 f-4

海軍のレーダーの送信同期パルスのパルス幅を調査すると、下記のとおりであり、1号電波探信儀1型がパルス幅20μsの設定は適正であることが判る。
なお、射撃管制レーダーなどには測定精度を高めるためパルス幅は短くしている。
早期警戒レーダー
20μs    2-11、14   
10μs    2-12、2-21、3-13、14、22
射撃管制レーダー
10μs    32
3μs    43(L-3)、41(S3)
2.5μs   23
PPI系レーダー
2μs   玉3
1.2μs  51

・分周回路の動作説明
海軍技術研究所では、初めてのレーダー開発に当たり、日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士が技術顧問として参画しており、その門下である日本ビクターの技術陣がサポートしている。
このようなことから、彼らテレビ技術者が当時最新のパルス技術を活用した分周回路を考案し実用化したものと思われる。
 f-5

当時の最新技術のパルス回路では分周のためのスレッドホールド(閾値)の判定が真空管の動作点の曖昧さなどにより誤差が発生することから、保守要員は付属の監視機(観測用オシロスコープ)により、1/5分周であれば、矩形波が5つでループしていることを確認し、不良であれば調整する必要があった。
このようなことから、爾後のレーダーシステムでは本分周回路の採用は行って居ない。

【参考情報】
・制空権を失うと早期警戒レーダーは無力となる。
 g-1





参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
「電波探信儀及電波探知機装備工事心得」 国立文書館
米国国立公文書館
オシロスコープの設計と取扱い 昭和33年6月 藤巻安次 誠文堂新光社
無線工学ハンドブック 昭和16年7月 日本ラジオ協会 
Anatoly Koshkarov氏提供資料
Yahooオークション情報
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本海軍の三式水中探信儀の技術的な考察について

2023年11月18日に「中国、豪軍艦に音波探知作動 日本近海で潜水員が軽傷」なるニュースが報じられたが、この音波探知機(アクティブソーナー)の機能を把握している一般の方は少数であろう。
この現代版の音波探知機(アクティブソーナー)の先祖である戦時の日本海軍の水中探信儀との関係を論じるのも一興と思い考察するこことしたい。

中国、豪軍艦に音波探知作動 日本近海で潜水員が軽傷
2023/11/18 19:25 Sankei
オーストラリアのマールズ副首相兼国防相は18日、日本の排他的経済水域(EEZ)で潜水作業をしていたオーストラリア海軍のフリゲート艦に対し、中国軍の駆逐艦が14日に音波探知機(ソナー)を作動させる危険な行為をしたとして「深刻な懸念」を表明した。複数の潜水員が音波を浴びた影響とみられる軽傷を負った。
最近のオーストラリアと中国の関係改善の動きに影響する可能性がある。マールズ氏はソナー作動を「危険で未熟な行動だ」と批判した。
発表によると、フリゲート艦「HMASトゥーンバ」は国連制裁の監視活動のため航行。寄港の準備のため、潜水員がスクリューに絡まった漁網を取り除く作業をしていた。
トゥーンバは、国際的に認知された信号を使い、潜水作業を行う意思を周囲に伝達。中国駆逐艦にも近寄らないよう直接要請していた。(共同)
 a-1

以下水中探信儀に関しては全くの専門外であるが、当時の探信儀の指示機とレーダーである電波探信儀の指示機の関係性を踏まえて、海軍の3式水中探信儀に関する解説を行う。

海軍電気技術史 名和武[ほか]編 1947年からの抜粋
3式探信儀
此の方式は昭和16年の遣独使節団調査により原理的に判明し直ちにこの方式の研究試作を開始せられた。昭和18年には独逸特設巡洋艦来訪の際現品を調査するを得て玆(ここ)に詳細の計画は完了し続いて試作に成功した。原理的には目標より反射して来た音波を2個の相等しい受波器に受けて之を和働及び差働の2種の接続に分けてブラウン管の上下及び左右の偏向板に加えて目標の方向を直視せしめんとするもので93式、軽便式等の最大感度法の探信儀に比し捜索幅遥かに大で且方向精度も良好であった。この指示器は目標音を聴音することも出来可視式聴音器としても利用出来た。
尚この探信儀に於て始めて送波器の整流覆を完成し装備した。之は送波器を厚さ1粍程度の鉄板の流線形覆で包む事により送波器に直接衝突する水流による雑音が非常に減少しこの利益は鉄板を音波が通過する損失を補って余りあるものであった。従って整流覆は高速艇に取付けて極めて有効であった。尚この操縦装置は直接水流を受けないので非常に簡単化し得られ手動で操作し得ることとなった。
この3式探信儀は昭和18年以後急速に発達し巡洋艦、駆逐艦は勿論商船にも装備され、又一応装備を中止してきた潜水艦にも之を装備のことせられた。用途により構造を少しづつ異にし数種の型を生じた。

更に、もう一つの資料として、米軍のReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
3式探信儀シリーズ
このシリーズの開発は、ドイツ人技術者がドイツ軍の同等モデルの完全な設計図と仕様を携えて到着した後、1942年に開始された。 
1945年3月に完成したモデル6を除き、すべてのモデルが前年に生産され、最終的に合計800セットが製造された。 主に駆逐艦、商船、潜水艦にそれぞれ搭載されたモデル2、3、4の概略図は、付属の(A)、(B)、(C)に収められている。
1. 送信パネル - 通常の発振回路が採用され、高周波発生器は後に 1945 年 4 月に 2 型用に代替品として開発された。出力容量はモデルに応じて 250 ワットから 2.5 kW まで様々であった。 パルスは索敵指示機から自動的に制御され、モデル4 を除いて掃引時間を変更することが可能である。
2. 送波器(プロジェクター) - すべてのモデルに磁歪プロジェクターが使用されました。 モデル 1 には、互いに 60°の角度で設置された 2 つの独立した 14.5 kc プロジェクターと、独立した制御および受信装置(ギア)を備えた独立した 13 kc プロジェクターが組み込まれていた。 もう1つのモデルは、2つの独立した磁歪ユニットからなるスプリット・タイプのプロジェクターを採用していた。 ユニットは、エキサイター パネルとフィルター ジャンクション ボックスのさまざまな周波数に沿って並べて取り付けられていた。 機械システムによる手動トレーニングは、電気システムが取り付けられたモデル 4 と代替モデル 2 を除くすべてのモデルで採用された。
3. サウンドドーム - 英国式のサウンドドームがモデル1、2、3に装備され、モデル1のドームはエレクトロ・メカニカル・システムと連動して開閉式、他の2モデルは開閉式ではなかった。
4. レシーバー - モデル 1 を除くすべてのモデルに使用される約 120db ゲインのダブル チャネル ストレート ヘテロダイン アンプ、3 つのプロジェクターが組み込まれている。 バンドパスチューニングはモデル 1 と初期のモデル 2 セットでのみ使用された。
5. 記録器(レコーダー)-ケミカル・レコーダーは、モデル1の場合のみ標準装備されており、2つ付いている。 これらは英国型A/S 14とほぼ同じコピーで、必要な個別の駆動装置は下にある共通の制御ボックスから取り出される。 自給式ドライブを組み込んだ英国型A/S 3も使用されているが、これは標準ではない。 (図5は最初のタイプの2台のレコーダーを示している)。
 a-2
6. 距離と方位表示 - 方位表示を取得する原理は次のとおりである。
エコーがプロジェクターの 2 つの素子によって受信されると、それぞれによって生成された起電力がベクトル的に加算および減算され、結果として得られる 2 つの起電力が増幅され、移相器回路によって位相がシフトされる。
ブラウン管(C.R.Tube)のプレートに印加されると、画像が生成され、画像の視覚的角度(Φ)とブラウン管のプレートの角度(θ)の関係が計算される。
(θ)の関係は次の式で与えられる:
Φ = (πd/λ)×θ
ここで、 d = ツインユニットの中心間の距離
         λ= 送信される波長
距離表示は、ブラウン管(C.R.管)画面(スクリーン)の静電掃引か、振動ミラーと目盛りからなる機械的システムによって行われる。後者の方式はドイツのプロトタイプでは標準的で、半透明の鏡を通して照明された目盛りを観察する方式で、操作者への負担はほとんどない。
4000メートルレンジのみのモデル4を除き、2つ以上のレンジが用意されている。 モデル5と6では、目盛りがリニアではなく対数になっている。
7. アタック計器 - アタック計器は装備されておらず、通常英国型レコーダーで使用されるものは日本の設計では省略されている。艦橋に2本目のブラウン管(C.R.管)が装備されている場合もある。
8. 校正装置 – 4型 には、小型の20 RC プロジェクターおよび関連する発振器送信装置が校正の目的で設置されている。 プロジェクターは、潜水艦のクラスに応じて、メインプロジェクターから 3 ~ 10 メートル前方に取り付けられている。

参考資料として、ウィキペディア(Wikipedia)』には「三式探信儀」に関する機能概要を抜粋しますが、詳細については下記のアドレスを参照願います。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三式探信儀
装置概要
三式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置で、これは2つの磁歪式振動子よりなる送受波器と二組の映像器と特殊受振器を使用して目標艦船の推進器音より発生する超音波の到来方向をブラウン管上に表示し、さらに任意の時刻に探信を行い目標までの距離を測定するもの
高速艦艇や空母、戦艦などの大型艦用で昇降式の「一型」、哨戒艦艇用の「二型」、商船用に二型を簡略化した「三型」、潜水艦用の「四型」、軽便探信儀に代わる駆潜艇や哨戒特務艇用の「五型」及び「六型」が存在した。
映像器
本器の作動原理は目標からの反響音を2個の磁歪式振動子よりなる送受波器で受け、それぞれの信号を和動と差動の2種類の接続に分けてブラウン管の上下左右の偏光板に加え、表示された直線状の光点の角度から目標の方向を直接読み取ろうとするものだった。反響音を探知した時にブラウン管に表示される光点は、送受波器が目標に正対すると直立し、少しでも横に向いて傾斜を持つとそれに合せて光点も傾くため、送受波器を旋回させて光点が直立する方向を求める事で目標の精確な方向を判定する事が可能で、光点が立った位置の距離目盛を読取る事で目標までの距離を判定する事ができた。この方式は九三式探信儀や軽便式探信儀等の最大感度法の探信儀と比較して捜索幅が遙かに大きく方向精度も良好だった為、捜索探知後の保続探知が格段に容易であった。また、700mから800mの範囲では受聴器を使用して推進器音を聴取する事もできたので、ブラウン管の映像と併せる事で可視式聴音機としても使用可能であり、視覚と聴覚を併用してより確実に目標を探知する事ができた。
発振器・送受継電器
発振器は送波器に高周波電力を供給する装置であり、三式探信儀の量産が始まった当初は一般的な真空管式の物が使用されていた。しかし、この装置は構造的に生産性が非常に悪く、また発信用真空管の生産が電波兵器用と競合して極めて不足し、整備に支障をきたす事が予想された。このため鹵獲した英国製探信儀ASDICの高周波発電機を参考として国産化した高周波発電機が日立製作所研究室での研究試作を経て量産された。この高周波発電機は16kcから19kcの可変周波数で、計画力量は2KVAであり、2秒おきに0.12秒の発信をさせた時に13kcで10KW以上の出力を得られ、0.12秒間の周波数降下は150サイクル程度であったため十分実用に供しえると判断された。また、この発電機を使用すれば発振装置が不用となり装置を非常に簡略化できる利点があったため、主に三式探信儀三型(商船用)に相当数使用された。送受波器と発振器および映像器間の電路の切換えを行う装置である送受継電器にはロータリー式の物が使用され、これはトルクモーター、送受切換部、扉開閉器、偏倚電圧短絡部などよりなっていた。
送受波器
送受波器は発振器から高周波電力を供給されて水中に超音波を発すると共に、目標からの反響音を受振して再び高周波電力に変換するもので、それまで九三式探信儀で使われていた水晶式に代わりAF(アルフェロ)合金を使用した共振周波数13~20kcの磁歪式送受波器が採用された。この送受波器は適当な間隔で横並びに配列された2つの角型磁歪式振動子で構成され、送波の場合はこれを同一の位相で使用して約60度程度の方向性を持たせ、受振の場合は個別に使用して受振方向による位相差によりブラウン管上に傾きを持った光点を得る物だった。なお送受波器はキール線上に開口する事による船体強度等に対する配慮からキール線を外して装備された。このため装備位置の反対舷の目標に対する探知能力が甚だしく低下したので、海防艦等の対潜艦艇は1隻につき本機を2組を装備していた。
探知性能
三式探信儀の探知性能について、1944年(昭和19年)10月12日に呉で開かれた対潜兵器懇談会の摘録では海防艦「千振」による試験成績と、「大体2700mまで効果があり、最短距離は100m迄なり」という対潜訓練隊の評価が記録されている。ただし、水測兵器の性能は水中の環境や目標および自艦の状況により大きく変化した。
※赤字は明らかに機能的に誤り箇所を示す

水中探信儀に関する基本的な技術情報
海水中を伝搬する音波は、音源からの距離が離れるにしたがって弱くなっていく。
音は空気中を 340 m/秒の速さで伝わるが、水中ではその4倍以上の約 1500 m/秒で伝わる。 しかも、 低周波であるほど減衰が少なく、14KHz の音波を用いるソナー(水中音波探査機) では有効距離 4,500mであるが、4KHz と云う低周波では、有効距離は 18,000m と云う。

3つの資料から類推して、3式探信儀の機能を整理すると以下の通りとなる。
・3式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置である。
・3式探信儀1型は巡洋艦及び駆逐艦(13、14.5Khzの超音波)、2型は哨戒艦艇(13、16Khz)、3型は商船(16Khz)、4型は潜水艦(20Khz)、5型及び6型(16又は14.5Khz)は小舟艇である。
1型と2型は超音波発振器を2つ使用する方式で、その他のものは1つを使用する方式である。
・エコー送信信号には、一定周波数連続波(Pulse Continuous Wave, PCW)を使用する。これは一定周波数の連続波をパルス変調したものであり、具体例では、2秒おきに0.12秒間だけ発信した正弦波を使用している。
・送波器(プロジェクター)には、 すべてのモデルに磁歪プロジェクターが使用された。
なお、高周波発生器は後に 1945 年 4 月に 2 型用に代替品として開発された。
※参考資料 磁歪発振器とは
日本のレーダーでは、低い周波数のマスター発振器としては、音叉発振器がよく採用されているが、30Khzという高域の超音波領域には対応できない。
このため、日本無線のウルツブルグレーダーのコピー版のタチ24の開発では、正確な30Khzの正弦波を生成する仕組みとして「Magnetostriction OSC 磁歪発振器」を新たに導入したようだが、この磁歪発振器を水中探信儀の送波器(プロジェクター)にも使用している。
磁歪振動子の励振の概要
 a-3

・指示器には距離と方位表示 するため、エコーがプロジェクターの 2 つの素子によって受信されると、それぞれによって生成された起電力がベクトル的に加算および減算され、結果として得られる 2 つの起電力が増幅され、2種類の接続に分けてブラウン管の上下と左右の偏光板に加え、表示された直線状の輝線の角度から目標の方向を直接読み取ろうとするものだった。
※ブラウン管の輝線の表示イメージ
 a-4

・指示器は、目標物に対する方位角及び距離を測定する機能を有している。
なお、方位角の測定法には単純な最大感度法ではなく、等感度法を採用し測定精度の向上が図られている。
・開発及び製造会社は、日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)である。

・3式水中探信儀の全体イメージについて
コピー画像がため品質が悪く全体像しか把握できない。
 a-5

1950年(昭和25年)、大洋漁業から日本電気に、鯨を捕るための超音波探知機の開発を依頼し、日本電気では戦時中の3式水中探信儀を改良した鯨探信儀を開発した。
詳細は、下記のURLを参照願います。
天翔艦隊南氷洋分遣隊 三式探信儀南氷洋を行く

 a-6


哨戒艦艇用3式探信儀2型の解説
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
3式探信儀2型に関する資料はこの回路図1枚だけである。
b-1

 
この回路図では、動作を説明することには不十分なことから回路図からブロックダイヤグラムを作成する。
 b-2

更にこのシステムの動作を解説するにあたり、送波器と受波器の配置を推定すると下図の配置が考えられる。
 b-3

動作説明
目標物の方位角の測定法
仮に目標物が第4象限にあると場合を想定すると、第4象限用に配置している送波器13Khzの超音波のエコーを受波器Y1で受信した信号をY軸の値とし、受波器X1で受信した信号をX軸の値とする。
更に、第1象限用に配置している送波器16Khzの超音波のエコーを受波器Y2で受信した信号をY軸の値とし、受波器X2で受信した信号をX軸の値とする。
Y軸とX軸として得られた信号値をY軸ではY1+Y2と加算し、X軸ではX1-X2と減算したものを指示器のブラウン管の上下の偏向版に「Y1+Y2」を印加し、左右の偏向版に「X1-X2」を印加することにより、ブラウン管上の表示としてベクトル合成した輝線を生じさせている。
勿論、この輝線の傾きと目標物とは一致しないが、目標物との輝線の傾きの相関関係はあることになる。
正確に目標物と水中探信儀の送受波器が垂直になった場合には、目標物と輝線は一致することになる。
このようにY軸とX軸の情報取得には2波のエコー情報が必要である。
この処理の仕組みはドイツのS装置をもとに開発されたものである。
b-4


 

目標物の距離の測定法
目標物の方位角の測定法ではブラウン管の上下と左右の偏向版に受信信号を加減算して印加して輝線の傾きとして表示したが、距離測定では、ブラウン管の上下の偏向版に「Y1+Y2」を印加するが、左右の偏向版に独立したサイラトロンによる「のこぎり波」を生成して左右の偏向版に水平掃引波として印加する。
このような表示方式は、電探のAスコープと同じものである。
なお、この水平掃引波の周波数は、潜水艦に対して最大探知距離は3500メートルとあるので、水平掃引周波数は、4.6秒程度は必要となる。
このため、ブラウン管の観測では、エコー取得まで2から3秒たってから表示することから距離測定には熟練な動作が求められたものと思われる。
b-5


潜水艦用3式探信儀4型の解説
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
3式探信儀4型に関する資料はこの回路図1枚だけである。
c-1


 
この回路図では、動作を説明することには不十分なことから回路図からブロックダイヤグラムを作成する。
特徴としては、超音波の発振器は20Khzの1波のみである。
2型にはなかった校正用発振器が付属し微弱な超音波を発振させるために、本体機器の前方に設置している。
 c-2

動作説明
目標物の方位角の測定法
目標物は第1象限にあることを想定し、第1象限用に配置している送波器20Khzの超音波のエコーを受波器Y1で受信した信号をY軸の値とし、受波器X1で受信した信号をX軸の値とする。
Y軸とX軸として得られた信号値をY軸では、指示器のブラウン管の上下の偏向版に「Y1」を印加し、左右の偏向版に「X1」を印加することにより、ブラウン管上の表示としてベクトル合成した輝線が生させている。
勿論、この輝線の傾きと目標物とは一致しないが、目標物との輝線の傾きの相関関係はあることになる。
正確に目標物と水中探信儀の送受波器が垂直になった場合には、目標物と輝線は一致することになる。
この時、指示器のブラウン管では、Y軸とX軸から見ると、丁度45度の向きである。
 c-3


目標物の距離の測定法
3式水中探信儀2型のように超音波2波を使用し便宜的にY軸とX軸の合成起電力を生成すれば、前述のようなAスコープ表示により距離測定は可能であるが、超音波1波ではこのような方式は成り立たない。
ここからは推定にすぎないが、1波使用の探信儀には校正発振器を付属させているに着目する。
目標物を標定し垂直となった場合には、ブラウン管に表示される垂直の輝線の大きさは目標物との距離に比例することになる。
このため、事前に校正装置により目標物の測定データを校正しておけば距離測定が可能になるものと思われる。
ただし、目標物に対する大きさによるエコーの反射係数は無視しているのだろう。
このため、測距に関する測定精度は低いものが推定される。


【総合コメント】
・ドイツのS装置(S-Anlage)の入手について
三式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置である。これを裏打ちする資料として下記の資料がある。
伊号潜水艦訪欧記 2013年4月 伊呂波会 潮書房光人社からの抜粋
第二次遣独艦
伊号第八潜水艦(艦長内野信二海軍大佐)…ヒトラーが日本に無償譲渡するUボートU1224号をドイツから日本に回航する要員60名を乗せ、昭和18年(1943年)6月1日呉港を出港、同8月31日ブレスト港に到達、同10月5日ブレスト港を出港し帰路についた。同12月5日シンガポールのセレター軍港に入港した。
同12月21日呉港に入港。
交換兵器の中で、S装置2組と記載されている。
 d-1

ただし、3式探信儀は昭和18年末に国産化されたとあることから、ドイツの技術情報をもとに独自開発したものであり、S装置(S-Anlage)の現物入手との直接な関係はないようだ。

・4秒以上の水平掃引によるブラウン管表示の遅延対策について
潜水艦に対して最大探知距離 3500メートル 水平掃引周波数は4.6秒必要となる。
このためブラウン管の表示が長くなるような残光性が重要な要素となる。
日本電気では、1944年9月から1945年5月までに残光性スクリーンを持つ陰極線の開発を行っている。
陸軍の機上用電波暗視機(タキ14)用のブラウン管と思われるが、海軍の水中探査機にも活用されたのかもしれない。
A short survey of japanese radar Volume 1
残光性スクリーンを持つ陰極線(1944年9月から1945年5月まで)
特殊な持続特性を持つ蛍光材料の実験的な研究がレーダー用に行われた。このタイプの陰極線(CRT)が生産された。レーダーの観点からの機械的および電気的な要件が分析され、これらの特徴を備えたブラウン管が製造された。

・「中国、豪軍艦に音波探知作動 日本近海で潜水員が軽傷」の件
音は空気中を 340 m/秒の速さで伝わるが、 水中ではその4倍以上の約 1500 m/秒で伝わる。 しかも、 低周波であるほど減衰が少なく、14KHz の音波を用いるソナー (水中音波探査機)では有効距離 4,500mであるが、4KHz と云う低周波では、有効距離は 18,000m と云う。
探知能力を増大するのであれば、超音波領域から可聴周波数領域へ周波数変更を行う必要がある。
このような理由から、現代では長距離性能向上のため可聴周波数が使用されているのだろうが、この可聴周波数領域での強力な音波を発振すれば、人間は勿論のことイルカや鯨へ重大な影響を与えることになるだろう。
いつまで経っても、人間は其の他の生物世界に害を齎している。

・可視式聴音器としての機能について
戦後になってまとめられた海軍電気技術史に「この指示器は目標音を聴音することも出来可視式聴音器としても利用出来た。」とある。
聴音器として利用するためには、送波器の機能を停止し、受信状態にして聴音するわけだが、受信機は専用の超音波例えば16Khzや20Khzのフィルターを介しているので、このフィルターを介して超音波のみ聴くことになるが、目標の船舶や潜水艦な生の発声音と異なることになるのではないだろうか。
それとも、受信機のフィルターは解除して目標物の生の音声を聴音しているのだろうか。
回路図だけでは、運用面の動作を解明することは困難である。

・記録器の必要性の是非について
X軸若しくはY軸のエコー情報をもとに受信機出力から検波及び低周波増幅した可聴周波のエコー信号をグラフ化して記録するレコーダーのことである。
しかしながら、このような記録データをどう戦術的に活用したのか理解できない。
戦後の鯨探信儀にも記録器が付属しているようだ。

・アタック計器が搭載されていない理由
米軍のコメントに記載されている「アタック計器」なる機能がどのようなものか判然としないが、1960年の防衛年鑑のソナー(Sonar;Sound Navigation and Ranging)の項には、レーダー同様に、測的用(アタック・ソナー)と見張用(スカニング・ソナー)の別がある記載されている。
このことから、「アタック計器」とは攻撃用の測的用(アタック・ソナー)の機能の一部といえないだろうか。
現行の3式水中探信儀は、方位、距離の2要素の測定ができるが、目標物が潜水艦であれば深度の要素が必要となる。
このことから、「アタック計器」とは深度を測定するための機能と考えられなくもない。
レーダーでいえば、射撃管制レーダーの場合、方位、距離及び高度の3要素が必要なのと同様なのだろう。
しかしながら、当時の技術で深度測定が英米では可能であったのかは分からない。
「アタック計器」は深度測定のことではなく、単純な雷撃攻撃のための計算盤のようなものかも知れない。

・3式水中探信儀の搭載について
昭和19年6月以降については、3式水中探信の生産も順調のようで各種艦艇に搭載記録が残っている。
なかでも駆逐艦や哨戒特務艇には対空見張り用レーダーの13、水上見張り用レーダーの22号と共に3式水中探信儀が計画的な搭載されている。
しかしながら、船団護衛に活躍した二等駆逐艦や哨戒艇には旧式の93式探信儀のままで3式水中探信儀の新設記録が見当たらない。
戦争後期には商船はもとより護衛の哨戒艇の雷撃被害が増大しているが、3式水中探信儀の搭載があればある程度の被害を防止できたのだろうか。
日本海軍の船団護送に対する重要性の希薄さに驚くほかないのだが、特に、蓬・第三十八號哨戒艇の艦歴の記録を見ると残念でたまらない。


【参考資料】
海軍艦艇への3式水中探信儀の搭載状況について
駆逐艦 朝顔
 e-1

哨戒特務艇について
昭和19年11月に新設された類別で本土洋上における監視任務にあたりました。
従来この任務には特設監視艇が就いていましたが消耗が激しく、この補充用として昭和18年度、19年度計画により280隻の建造(建造番号2121~2400)が決定したものです。
しかし途中から海防艇の建造が優先されたため終戦までに完成したのは27隻にとどまりました。
木造の漁船式船体で喫水線幅が若干広い点を除けばほぼ標準型漁船と同様でした。

第三十八號哨戒特務艇の艦歴
 19.11.28:起工、仮称艦名:第2158號艦
 19.11.05:命名:達第363号:第三十八號哨戒特務艇
 19.11.05:類別等級制定:内令第1234号:種別:特務艇、類別:哨戒特務艇、艇型:第一號型
 19.11.05:本籍仮定:内令第1236号:横須賀鎮守府
 20.08.17:建造中止
 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
兵装
 九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃2基、爆雷12個、
 三式一号電波探信儀1基、三式水中探信儀1基

第三十七號哨戒特務艇の艦歴
 19.10.18:起工、仮称艦名:第2157號艦
 19.11.05:命名:達第363号:第三十七號哨戒特務艇
 19.11.05:類別等級制定:内令第1234号:種別:特務艇、類別:哨戒特務艇、艇型:第一號型
 19.11.05:本籍仮定:内令第1236号:本籍仮定:横須賀鎮守府
 20.03.28:進水
 20.05.04:横須賀海軍工廠に引渡し、艤装工事開始
 20.06.02:竣工
 20.06.02:本籍:内令第504ノ2号:呉鎮守府
 20.06.02:内令第504号ノ3:神戸港湾警備隊所属
 20.07.18:沈没
 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
 22.05.03:除籍:復二第327号
 喪失場所:N.-E. 横須賀
 喪失原因:米第38機動部隊艦載機による空爆
兵装
 九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃2基、爆雷12個、
 三式一号電波探信儀1基、三式水中探信儀1基

二等驅逐艦について
艦艇類別等級標準に初めて驅逐艦の等級が定められたのは大正元年8月28日(達第11号)で計画排水量千噸未満六百噸以上の中型驅逐艦が二等とされました。同日付で艦艇類別等級別表が改正され(達第12号)、櫻、橘の二隻が最初の二等驅逐艦に分類されました。昭和6年5月30日に三等が廃止され(軍令海第1号)以後基準排水量千噸未満の驅逐艦が二等とされました。
二等驅逐艦とされたものは全部で51隻ありますが、大東亞戦争までに多くの艦は除籍され、二等驅逐艦として参加したのは9隻だけでした。なお、このうち哨戒艇として参加したものが10隻、練習船として参加したものが5隻ありました。また、樫は滿洲國海上警察隊として大東亞戦争に参加しました。
第十八驅逐艦・第十八號驅逐艦・刈萱の艦歴
T10.10.12:命名:達第190号:「第十八驅逐艦」
 03.08.01:改名:達第80号(06.20附):驅逐艦「刈萱」(カルカヤ)
 18.10.24:門司~10.25舞鶴
 18.10.26:舞鶴海軍工廠にて探信儀、無線兵器修理
 18.11.16:無線兵器換装工事完成
 18.11.20:電波探知機装備工事完了
 18.11.20:舞鶴~11.21門司
 18.11.23:(第116船団護衛)門司~11.28高雄
 18.12.04:(J船団護衛)高雄~12.09佐世保
 18.12.10:電波探知機装備工事開始
 18.12.17:工事完了
19.05.01:探信儀、記録器装備完了
19.05.02:佐世保~ミ03・テ05船団護衛~05.07高雄
 19.05.07:(ミ03船団護衛)高雄~ ~05.10 0647 被雷沈没
 19.05.10:沈没
喪失場所:N15.47-E119.32 マニラ北西150マイル
 喪失原因:米潜水艦Cod(SS-224)の雷撃

哨戒艇について
昭和18年2月10日附軍令海第4号(同年2月15日施行)により艦船令に追加された種別で、同年2月15日から艦艇類別等級表に編入が開始された。
哨戒艇は元々昭和15年3月30日附軍令海第4号にて旧式驅逐艦の受け皿として特務艇の中に設けられた類別でした。
また各種の戦利艦艇も哨戒艇に編入された。

藤・第三十六號哨戒艇の艦歴
T08.05.24:命名:達第95号:二等驅逐艦「藤」(フヂ)
15.04.01:命名:達第72号:「第三十六號哨戒艇
19.11.01:哨戒艇長:海軍少佐 則武 茂
19.11.21:1030 第百二海軍工作部第二分工場第二船渠にて入渠
          九三式聴音機小艦艇用甲取付け
          二十五粍二聯装機銃未着の為、同三聯装機銃を装備
20.08.15:残存
 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
 21.08.10:除籍:複二第157号
兵装
(S20.04)
 四十五口径三年式十二糎砲1門、九六式二十五粍三聯装機銃1基、
 九四式二十五粍二聯装機銃1基、九四式二十五ミリ単装機銃2基、七粍七単装機銃、 
 高角式七十五糎探照燈1基、二米測距儀1基、電波探知機1基、
 三式投射機、爆雷装填台、爆雷60個以内、
 九三式聴音機小艦艇用甲1基

蓬・第三十八號哨戒艇の艦歴
T09.03.26:命名:達第31号:二等驅逐艦「蓬」(ヨモギ)
15.04.01:命名:達第72号:「第三十八號哨戒艇」
 15.04.01:類別等級制定:内令第197号:種別:特務艇、類別:哨戒艇、艦型:なし
 15.04.01:本籍仮定:内令第198号:佐世保鎮守府
19.11.23:(マタ34船団護衛)マニラ~ ~11.25 0115 被雷轟沈
 19.11.25:沈没
兵装
(19.10)
 四十五口径三年式十二糎砲2門、九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃4基、
 九二式七粍七単装機銃、三年式機銃2基、
 三八式小銃
 二式爆雷56個、九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、三式投射機二型2基、爆雷装填台2基、
 九三式探信儀1基、仮称電波探知機1基、一号三型電波探信儀1基。

潜水艦
水中聴音器のみ搭載の資料しかみつけることができなかった。
e-2

【参考資料】
水中聴音器の運用状況
 e-3

沖電気工業株式会社
沖電気100年のあゆみ(昭和56年11月発行)からの抜粋
生産品目は海軍の海と空の無線電信機、水測兵器をはじめ、弾丸、信管類も含まれた。
たとえば沖電気が得意とした水測兵器は、高浜工場にそのための特製水槽をつくるなどして、いわば専門工場であるのに、後発の陸軍は海軍といっしょに研究・開発するのをきらい、沖電気に高崎市の製糸工場を買収させ、陸軍のための水測兵器の生産に当てさせた。
主力工場の芝浦も高浜も、ともに陸海軍の管理工場だが、こうしていつしか芝浦工場は主として陸軍関係を、高浜工場は海軍関係をつくるという形になっていった。
陸海軍はたがいに、技術やノーハウを相手に知られることをきらい、秘密保持に努めたというから、間にはさまれた民間メーカーとしては余計な神経を使わされたに違いない。
沖電気の場合、陸軍と海軍とどちらの比重が高かったといえば、戦時中の生産高からいっても、また太平洋戦争末期に舞鶴海軍工廠長小沢仙吉を社長に迎えた点からみても、海軍のほうであったということができよう。

日本電気株式会社
日本電気株式会社七十年史(昭和47年7月発行)からの抜粋
ミッドウェー及びガダルカナル島における敗退以後、軍のすべての計画は立て直さねばならなくなった。
いまや、戦争は主として開業及び空中に移り、かつ日本軍は守勢に立たされ、戦局は一大転機を迎えた。
その結果、わが国の兵器生産の主力は、従来の地上戦用の兵器から、航空機、航空機用兵器、さらに航空母艦及び小艦艇に変えられることとなった。
たとえば、無線通信機、電波探知機、高射砲と電波探知機とを連結した標定機(当時、社内では「た号」と呼んでいた)、方向探知機などの電波兵器や、水中兵器として水中聴音機、測深機、探信機などの音響兵器が第一線の兵器として重視されだしたのは、そのような理由からであった。
そのため、航空機工業と共に、無線兵器工業は最重点の地位を与えられるに至った。
これより先、すでに国内の軽工業はあげて重工業化され、航空機工業と無線工業には、戦時統制による物資の最優先割当がなされていた。
当社の無線部門が、短期間に拡張を重ね得たのは、そのためである。
特に玉川向製造所の拡充に投入された建設資金は、昭和17年から終戦の20年までの4年間に、1,280余万円に上った。
そして、昭和17年1月から終戦に至る期間において、玉川向製造所は搬送機器、無線機器及び電波探知機、水中聴音機及び超音波機器、真空管、電気部品など4億8,134万円を生産したが、そのうち4億円すなわち83%は軍用に供するものであった。

日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室からの抜粋 
第3節 軍需生産への転換と生産現場の混乱 p213
兵器生産の内実
表4-8は、戦時期における機種別に兵器生産の内容を示したものである。生産がピークを記録した1944(昭和19)年をみると、航空機用の方向指示機の生産額がもっとも多額であり、航空機用の無線装置・標定機、地上の方向探知機・標定機の4機種がほぼ同額であった。海軍向け航空兵器としては、主として「1式空3号無線帰投方位測定機、電波探信儀関係並びにブラウン管等」が生産されたが、1式空3号が方向指示機の中心であった。機上無線機の生産も玉川向製造所で行われた。パッシブソーナー(水中聴音機)の生産は沖電気株式会社と二分し、アクティブソーナー(探信儀)にも取り組んだ。また、43年に制式化された九三式探信儀を生産し、その生産規模は月産30から50台になった。三田製造所では、37から42年に信管部品を生産し、陸軍造兵廠に納入したが、その生産規模は月産約20万個で、最大の精工舎の3分の1であった。三田製造所では八八式高射砲信管、九二式対戦車砲信管も生産した。

軍艦メカ開発物語 1997年2月 深田正雄からの抜粋 P101
探信儀は自分で音を出して、目標に当たって返ってくるまでの時間をはかり、その時間と音の速力から、距離を計算するものである。この原理はレーダー(電波探信儀)と同じで、空中の電波探信儀にたいして音波探信儀、水中レーダーなどとも呼ばれる。
ところで、水中の音波の速さは秒速1450メートル(公式数値は1500メートル)で、短いパルス音をピンと出してから、目標に当たって返ってくるまでの時間は、電波に較べて各段に長い。
たとえば、10キロメートルのところにある目標から反ってくるのに、約13.8秒もかかるので、その間につぎのパルス音をだすわけにはいかない。
そこで、測定範囲をきめて、受信機の方ではまるい目盛盤の周辺の距離目盛りにそって、光の点を一定のはやさでまわしておき、目盛り0のところに光点があるとき、パルス音をピンと出して、荒天を電気的に動かすとともに耳で聴き、返ってきた音を耳できくと同時に光点を電気的に動かして、そのところの目盛りを眼で読んで、距離を求めるという方法がとられていた。
発射される音は超音波を用いていたが、単一周波数で波形もきれいであり、低周波になおして耳で聴くとピーンという澄んだ音である。
しかし、これが反射してくると、波は相手の形や距離によって形が崩れたり、減衰したりして、ジャッとかゴッとかいう乱れた音になってくる。これでも動かされる光点も、ボヤッとしたものになってくる。
また、円周をまわる光点の動きも相当はやく、例えば10キロメートルの距離を直径40センチの目盛りにすると、光点は約14秒で1回転するので、1秒間に8.6センチも動くことになり、読取りや判定には、なかなかの熟練を要するものであった。

【関連YouTube動画】
【ゆっくり解説】潜水艦を探知セヨ!・ソナーとはどんなものだったか?
https://www.youtube.com/watch?v=FXvS4LJsOlI





参考文献
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伊号潜水艦訪欧記 2013年4月 伊呂波会 潮書房光人社
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日本電気株式会社七十年史(昭和47年7月発行)
日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 原書房
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機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
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世界の艦船 1994年11月増刊号
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日本初の早期警戒レーダー開発に関する考察について

日本初の早期警戒レーダーの開発において、誰が何時、如何に組織化し、どのようなアプローチで開発が行われたかを考察してみた。

日本でパルス発射型レーダーを最初に開発した組織は、陸軍なのか、はたまた海軍なのかを各種資料により調査する。
陸軍は、日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)において衝撃波式の着想を得たので、直ちにこれを採用し、急遽試作に着手して昭和16年(1941)秋これが竣工を見たので、昭和16年(1941)年10月試験を実施した。元より移動性等は考慮の外として機能本位に試作されたもので後にこれを固定式、要地用としたのである。
試験の結果は概ね満足すべきもので、甲と比較して著しく優秀な点もあるので、当時の国際情勢上差し当たりこれを銚子に設置し、太平洋方面の警戒に使用するこことし、直ちに工事着手し昭和17年(1942年)6月竣工した。同年4月18日米軍の行った東京初空襲(ドーリットル空襲)の際は工事中で敵機はその直上を飛行したのであった。

一方、海軍では、第四科主任橋本宙二中佐を中核として各科主任の協力の下に順調に進み、間もなく陸上用の試作品として波長3メートル(出力5キロワット)のものが出来上がった。これを野比(神奈川県)の海軍機雷学校実習所構内に仮装備して実験を始め、昭和16年(1941年)9月8日には第一回の対航空機実験を行って中型陸上攻撃機単機に対して最大97キロメートルまで測定可能の成果を得た。
第二回の対航空機実験は電波の偏波面の検討を主目的にビームアンテナを改造して昭和16年(1941年)10月初旬から行い、前回と同一条件で中型陸上攻撃機単機は110キロメートル、3機編隊は145キロメートルまで測定可能との成果を得、見張用探信儀としては水平偏波を使用することが決まった。
実用第一号機は房総半島東岸の勝浦灯台付近に装備され、太平洋戦争が始まる直前の昭和16年(1941年)11月28日にその試験を完了した。

このことから、昭和16年(1941年)11月28日に海軍が仮称1号電波探信儀1型の初号機を勝浦に設置したのが日本初の早期警戒レーダーの元祖であることがわかる。
しかも、本機「仮称1号電波探信儀1型」は国産技術による初号機にもかかわらず、対空見張用レーダーとして空中線、受信機、送信機及び指示機の全ての基本機能を完全に満足しており、更に指示機などでは驚くことに電子マーカーの機能を採用するなど英米のレーダーと遜色のない製品に仕上げている。 
勿論、初期故障などの問題があったにせよ、日本のレーダーの手本として、その後多くのレーダー開発を牽引する母体となった。
何故、日本海軍の「仮称1号電波探信儀1型」は国産技術のみで、且つ短期、高性能のレーダー開発できたのか要因について以下に検討する。
まず、このレーダー開発を推進した当時の海軍技術研究所の組織図を示す。
 a-1

開発組織体制について
機密兵器の全貌 伊藤庸二 からの抜粋
この初期研究の総合計画は主として高柳氏と海軍技師新川浩氏のたてたものであった。これに対し、放送技術研究所の技師城見多津吉氏、山口清氏、日本電気株式会社の西尾秀彦氏、大澤清一氏等及びその一統が夫夫各部を担当した。総合実験は海軍技術少佐矢浪正夫氏が担当したのであった。

海軍技術研究所エレクトロニクス王国の先駆者たち 1990年10月 中川靖造からの抜粋
海軍技術研究所電気研究部長の佐々木清恭少将は、早急に進展させるため部員が総力をあげて協力するように指示した。
出張中の伊藤に代わってまとめ役を担当したのは、電波応用の研究を手掛けていた四科の橋本宙二造兵中佐である。
また佐々木部長は、伊藤の片腕と目されていた水間、新川技師の進言を入れて、テレビ研究の権威である日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士と日本電気技術陣の協力を要請した。これは、テレビと同じパルス技術とCRT技術表示技術が重要な決め手になるからである。
この模倣品の開発は以外に早く軌道に乗った。まず、伊藤研究室の新川技師が電離層研究で使っていた技術を活かし、パルス変調器を試作、これを二科(送信関係研究室)の作った超短波電話機を変調させることから始め、8月末にはともかく、波長4.2メートル(約71.5Mhz)、出力5キロワットの実験機を作り上げる。
さらにこの実験機をたたき台に改良を重ね、波長3メートルの対空見張レーダーの試作に成功する。
実験に使用された試作機と思われる仮称1号1型の原型機
a-2

完成した試作機は、三浦半島野比の海軍機雷学校実習所構内に仮装備され、垂直のビームアンテナを使い、本格的な実験を開始した。9月8日のことであった。
その結果、中攻単機(1式陸上攻撃機)の場合、最大97キロメートルまで測定が可能であることが攪乱された。
しかし、当時、飛行機の機体からの電波の反射状況については資料は何一つない、それだけに電波の偏波面が垂直でよいのか、皆目見当がつかなかった。
そこで関係者はそれを確かめるため、ビームアンテナの改良を進め、10月初旬、第二回目の飛行実験に挑戦した。すると条件は前回とまったく同じなのに、中攻単機で110キロメートル、3機編隊の場合は140キロメートルまで測定範囲を延ばすことに成功した。
その後、この試作機は問題個所を手直しし、兵器化されることになった。
生産を担当したのは、送信機関係が日本電気、受信機関係は日本ビクター、空中線旋回装置関係は富士電機製造がそれぞれ分担した。
「1号1型」と言われたこの陸上用対空見張の電波探信儀(電探)の1号機は、千葉県勝浦灯台附近の海抜80メートルの台地に据え付けられる。
 
2式1号1型の受信機(日本電気製)と指示機(東芝通信工業支社製)、仮称1号1型の送信機(日本電気製)、勝浦に設置した初号機の空中線とレーダー小屋
a-3

 
【コメント】
この開発組織の編成に関しては、海軍技術研究所のレーダー開発責任者である伊藤氏の独逸留学で不在であり、海軍技術研究所電気研究部長の佐々木清恭少将は、伊藤氏の片腕と目されていた新川技師の進言を入れて、テレビ研究の権威である日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士と日本電気技術陣の協力を要請した。
この初期研究の総合計画は主として高柳氏と海軍技師新川浩氏のたてたものであった。この開発グループは、放送技術研究所の技師城見多津吉氏、山口清氏、日本電気株式会社の西尾秀彦氏、大澤清一氏等及びその一統が夫夫各部を担当した。総合実験は海軍技術少佐矢浪正夫氏が担当したのであった。
プロジェクトリーダーは、形式上は海軍技術研究所であるが、その実態は研究所の嘱託の新川技師と技術顧問として日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士であり、メーカーとして日本電気技術陣が協力している。
なお、文面に記載はないが、受信機及び指示機に関しては、高柳氏のサポートとして日本ビクターが協力支援しているものと思われる。
ただし、本プロジェクトの技術成果は、すべて海軍技術研究所のものであり軍事機密として技術情報を独占しており、各メーカーには技術的成果のフィードバックがされていないようである。
この点については、日本電気が試作会社として陸軍のために最初にタチ-6の開発の中で露呈することになる。
タチ-6の受信機の設計ミス(?)により検波段を省略して中間周波段の受信信号を指示機の入力信号としたのは、日本電気の設計者は通信屋であり、取り敢えず中間周波の搬送波を含んだ受信信号をオシロスコープに表示できれば問題なしと考えたのだろう。
一方、海軍の設計者は高柳門下の日本ビクターは、テレビ屋であることから当然ながら受信信号は検波した低周波信号をオシロスコープ表示しないと反射した受信信号を正確に表現できないことを熟知している。
ようはブラウン管の表示画面の解像度をどう確保するかということである。
さらに、下図左側の画面イメージとなり、電子マーカー機能をも付与できなくなった。
というよりも、当時の日本電気には電子マーカーなどの機能を付与するなどの開発パワーの余裕もなかったのが実態であろう。
a-4

この点がアメリカの軍と製造メーカーの関係との相違であるが、技術的な進展のためにはおおきな隘路となっているし、メーカー側の不満・不信が生じる結果となっている。
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
e. 製造されたレーダー。日本無線の工場は注意深く2つの部分に分けられており、陸軍用の機器を製造する部門と海軍用の部門があった。一つのセクションで働くエンジニアは他のセクションに入ることは許されていませんでした。また、彼らのエンジニアは、艦船や航空機、地上の位置に設置された機器のテストを製造後に観察することも許されていませんでした。この方針は、会社の関係者から強く批判された。

上記の資料は、「海軍技術研究所エレクトロニクス王国の先駆者たち」中川靖造氏が当時の関係者からヒアリングされたものを取りまとめたものである。
<生産を担当したのは、送信機関係が日本電気、受信機関係は日本ビクター、空中線旋回装置関係は富士電機製造がそれぞれ分担した。>との記載があるが、日本電気の社史を見ると11号電探送信機、富士電機製造の社史では空中線旋回装置の製造記録があり、資料の信憑性は高そうだが、日本ビクターに関する事項についての確認だけはとれなかった。
ただし、下表の11号には日本音響(日本ビクターのこと)の製造記録があるので開発参画は3社であると断言できる。
なお、その外東芝の名もあるが、東芝の社史をみると、<陸軍の対空用標定機のように全装置を当社で製作納入したものもあったが、海軍用として送信機及び指示機がおもであった。>とある。
東芝の生産記録には1号1型電探送信機(40KW)とあるが、1号1型の兵器化後に軍にいわれた通りの仕様のもとで製品を納品するだけで、東芝からしたら納品した製品がレーダー全体でどのように使用されているのか不明なことから、本製品に対する自社としての改善の余地などは全くない状況となってしまった。
a-5

なお、上記表の日本音響とは日本ビクターのことであるが、海軍への納入品は多そうであるが、実際の製造記録や機器の写真類をみたことはない。
逆に、メーカーの社史には記録がないが、日本電気が受信機、東芝通信工業支社が指示機を製造している。
軍としては、やはり最後は大手の軍用機専用メーカーに頼ったのかもしれない。

仮称1号電波探信儀1型の特長について
まず、海軍技術研究所電気研究部として新川、高柳氏がレーダーの基本要件を決定しているはずだが、資料がないので以下にその諸元を推定する。
使用周波数       100Mhz
尖頭電力出力      5キロワット以上
パルス繰返周波数 1Khz
受信機         スーパヘテロダイン方式にて受信管には日本無線が開発した万能菅RE-3を採用のこと
空中線            ビームアンテナ(水平偏波) 

以上、仮称1号電波探信儀1型のオリジナル資料はなく、基本的には2式1号電波探信儀1型の資料をもとに解説する。

レーダー開発で重要な仕様要件は、使用周波数とパルス繰返周波数の2つである。
使用周波数を100Mhzとしているが、昭和15年当時のテレビ周波数は45Mhz帯であり、この倍以上の周波数に対応した実用機器を作ることになる。
勿論、受信管に関しては、当時でもRCAからのライセンス生産しているエーコン管であるUN-954やUN-955があり150Mhz帯までは充分対応できるし、テレビ製造のために開発した影像増幅のための国産の広帯域増幅管であるUZ-6303やUZ—6302も既に製造している。
送信管に関しても、送信効率は劣るが100Mhz程度の周波数の送信も可能である。
したがって、100Mhzに対応した受信機や送信機は、充分開発可能であることが判る。

次に、パルス繰返周波数に1Khzを採用するということは、以下の通りとなる。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返周波数1Khzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は150Kmとなる。
なお、最大測定可能距離は150Kmというのは、ブラウン管の掃引波形である「のこぎり波」には帰線消去部がある関係上、全体の20%程度をこれに見込むと実効の最大測定可能距離は120Km程度に低下することになる。
ここで、海軍技術研究所エレクトロニクス王国の先駆者たち 1990年10月 中川靖造からの抜粋した下記の文面を再度検討する。
<10月初旬、第二回目の飛行実験に挑戦した。すると条件は前回とまったく同じなのに、中攻単機で110キロメートル、3機編隊の場合は140キロメートルまで測定範囲を延ばすことに成功した。>とある。
試作機のパルス繰返周波数1Khzを採用していれば、この文面の140Kmの測定は不可能である。
ただし、パルス繰返し周波数500hzに落とすと測定は可能であるが、仮称1号電波探信儀1型が初期仕様にはパルス繰返周波数1Khzを採用しているのであれば、試作機での実験では120kmを越えていないことは明らかである。
中川靖造氏の本は、当時の関係者からヒアリングされたものを取りまとめたものであるが、ヒアリングの内容については常に技術的な精査が必要である。

送信機
担当は日本電気であるが、初号機の送信機であることから、思考錯誤されて開発されたものと推察される。
特に、送信機の尖頭電力出力5Kwとあるが、これは5Kwしか出力できない送信機を作ってしまったことを意味している。
海軍の仮称1号電波探信儀1型の資料がないので想像するしかないが、陸軍のタチ-6で同じ失敗例を見ることが出来る。(日本電気は海軍で開発した仮称1号電波探信儀1型の送信機を陸軍用のタチ-6にそのまま転用していると思われる)
この原因は、初期の送信機は発振部と終段の電力増幅部の2ステージで構成しているが、これがもとで送信効率が悪化し、全くパワーが出ないシステムとなってしまった。
その後、終段の電力増幅部を直接自励発振させて1ステージのシンプルな構成にすることにより、送信パワーを100%だせるように改善し、送信菅も更に大型化することにより尖頭電力出力5Kwから40Kwに大幅に改良を施した。
勿論、この改造に合わせ、パルス繰返周波数を500Hzに変更することにより理論的な最大測定可能距離を300Kmしている。(実効測定可能距離は250km程度)
 b-1

受信機及び指示機
担当は日本ビクター(戦時中は日本音響と名称変更)
テレビ研究の権威である日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士の指導のもと、テレビと同じパルス技術とCRT表示技術を活かした受信機及び指示機の開発を目指した。
昭和15年度前後の当時のテレビ技術の一端を示す。
当時のテレビジョンの仕様は、影像搬送周波数が45Mhz、音声搬送周波数が41.5Mhz、走査線数441本、毎秒像数が25、毎秒像交代数が50などであり、戦後の日本が採用したNTSC規格よりも低いレベルの仕様であった。
当然のことであるが、当時のテレビにはチャンネルは1つか想定されていないが、これは戦前・戦中は公共放送機間であるNHK以外の民放の放送局は存在しなかったからである。
参考資料は日本コロンビアのものである。
 b-2

テレビの構造からもわかるように、受信機及び指示機を一体化して、日本放送協会技術研究所の高柳健次郎博士の指導のもと日本ビクターが開発したと考えるのが自然である。
ただここでも、本来テレビ開発で専用に開発した真空管UZ-6303、UZ-6302などの広帯域増幅管の使用を海軍に禁じられ、ドイツの万能菅思想にがぶれた海軍により指定された日本無線の新開発したRE-3をいやいや採用したのだろう。
日本ビクターが関係した11号、12号、21号の受信機には、このRE-3が無理やり採用されているように見受けられる。
独逸のRV12F2000と国産化したRE-3
 b-3

なお、海軍技術研究所ではメートル波である1号電波探信儀1型と並行してセンチ波である2号電波探信儀2型を同時開発しているが、その指示機にも本機の設計を取り入れている。
試作機のものから制式化した受信機及び指示機の変遷を示す。
b-4

 

指示機には電子マーカー機能を付属させている。
13号指示機復元モデルによる表示画面例
 b-5


・当時の最新技術であるパルス技術とCRT表示技術の採用について
テレビ開発技術では、当時の最新技術であるパルス技術が採用されており、本開発ではこのパルス技術が多用されている。
パルス技術というキーワードは今日では使用されないが、昭和40年代の専門書では「パルス回路」全盛の時代のキーワードであったが、その後は「デジタル回路」の用語に取って代わられた。
本機では、指示機の分周回路とブラウン管の水平掃引の発振周波数の生成に「パルス回路」が使用されている。
なお、分周回路には、新たに回路設計したと思われる特筆したパルス回路技法が採用されている。


【総合コメント】
・日本初の早期警戒レーダーの誕生の考察について
海軍は、陸上用の試作品として波長3メートル(出力5キロワット)のものが出来上がった。これを野比(神奈川県)の海軍機雷学校実習所構内に仮装備して実験を始め、昭和16年(1941年)9月8日には第一回の対航空機実験を行って中型陸上攻撃機単機に対して最大97キロメートルまで測定可能の成果を得た。
陸軍は、偶々(たまたま)日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)において衝撃波式の着想を得たので、直ちにこれを採用し、急遽試作に着手して昭和十六年(1941)秋これが竣工し、昭和16年(1941)年10月試験を実施した。
日本電気では、研究所では昭和16年(1941)年4から5月ころから研究を超短波パルス発射のレーダの実用化に切り替えた。海軍技術研究所の要請もあって、昭和16年(1941)年7から8月に送信所を玉川、受信所を生田に置いて試験し、昭和16年(1941)年10月には送信所を生田、受信所を宇都宮から100kmの白子に置いて、宇都宮までの飛行機の反射を確認した。小林は「昭和16年(1941)年8月9日、生田上空で会社の飛行機の反射波がスクリーンの上に出た。その瞬間の喜びは例えようがなかった。」と日記に記している。
キーデバイス 日本電気の送信機
 d-1

考察
海軍技術研究所エレクトロニクス王国の先駆者たち 1990年10月 中川靖造からの抜粋
の中にのみ記載されている以下の文面を紹介する。
<伊藤研究室の新川技師が電離層研究で使っていた技術を活かし、パルス変調器を試作、これを二科(送信関係研究室)の作った超短波電話機を変調させることから始め、8月末にはともかく、波長4.2メートル(約71.5Mhz)、出力5キロワットの実験機を作り上げる。
さらにこの実験機をたたき台に改良を重ね、波長3メートルの対空見張レーダーの試作に成功する。>
この文章では、技術研究所内で超短波電話機を改造して実験機を作り、さらに実験機をたたき台に改良を重ね波長3メートルの試作に成功とあり、技術研究所内で試作したように読み取れるが、実際は、実験機をたたき台に日本電気に送信機、日本ビクターに受信機と指示機を発注したように考えられ、さらに深読みすると、その実態は実験機をたたき台の前の8月には試作依頼を行ったのではないだろうか。
ここで重要なキーパーソンは、日本電気であるが、昭和16年(1941)年8月9日にはレーダーの社内実験に成功している。
日本電気では、海軍については、仮称1号電波探信儀1型の送信機のみを、陸軍では、タチ-6の送信機、受信機及び指示機を納品している。
日本電気では、仮称1号電波探信儀1型の送信機のパートしか担当しなかったことから、日本ビクターが担当した受信機と指示機のシステムを把握できなったようである。
このような状況下で、陸軍は要求仕様もないまま、とりあえず試作会社とて日本電気に海軍に負けないようなレーダーを作れ!といった指示を出したのであろう。
日本電気としては、独自で全体システムを構想した結果、送信部と受信部は別々配置する後の要地用レーダーと呼ばれるタチ-6を開発した。
陸軍が望んでこのような仕様を作らせたのではなく、日本電気が作ったものを無理やり兵器の位置として考え、野戦用では不適当なので要地用とし兵器化したようである。
日本電気の受信機と指示機のインターフェースには重大な問題も指摘できるが、使用周波数を海軍よりも低い60Mhz帯に選択したことにより、レーダーとしての性能・安定度は申し分なく、陸軍としては終戦の最後の最後まで製造を指示していた。
d-2


・仮称1号電波探信儀1型は国産の独自技術による製造について
実用第一号機は房総半島東岸の勝浦灯台付近に装備され、太平洋戦争が始まる直前の昭和16年(1941年)11月28日にその試験を完了した。
太平洋戦争開始前であるから、早期警戒レーダー11号は、英米のノウハウは一切使用していない国産の独自技術である。
シンガポールの攻略(昭和17年(1942年)2月15日降伏)
シンガポールで英軍のGL MKⅡシステムの鹵獲とSLC装置(サーチライト・コントロールの略称)のマニュアルであるニューマン・ノートを取得した。
ニューマン文書として取りまとめ、昭和17年(1942年)6月22日南方軍兵器技術指導班編として関係機関に配布した。
大東亜戦争の初戦のフィリピン作戦によるコレヒドール攻略では、KSRHラジオから全軍へ降伏を命じるウェンライト中将(昭和17年(1942年)5月6日降伏)で終結したが、この占領により、米軍の新兵器である電波兵器のDetectorの SCR-271とlocatorのSCR-268(この時点では、Radarという言葉はなかった)、を鹵獲した。

・東京初空襲(ドーリットル空襲)に海軍は対応できなかった原因について
東京初空襲(ドーリットル空襲)では本土防衛は陸軍の所管なのか陸軍には衝撃が走ったが、海軍への批判や内部反省の資料はない。
しかしながら、勝浦灯台近辺に設置した仮称1号電波探信儀1型の見張用レーダーは、昭和16年(1941年)11月28日には設置されている。
昭和17年(1942年)4月18日米軍の行った東京初空襲(ドーリットル空襲)の際の海軍レーダーは探知の警報を発することが出来なかったのは何故か。
以下理由は考えられるが、真の原因は不明である。
・実験的な試験運用のみで、来襲時には運用していなかった
・常時監視の運用体制ができていなかった
・感知したが敵機との判別ができなかった
・初期故障の重大欠陥問題があったのか
・単なる機器の故障中
<追加資料>2024.06.09
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直からの抜粋
日本海軍は、陸上用の対空見張用レーダーを開戦の直前、昭和16年11月下旬に千葉県勝浦に設置し、これに改良を加えたものを翌17年2月、横須賀の衣笠砲台に装備していたが、いずれもこの敵爆撃機の来襲を捕捉することができなかった。敵機がレーダーに捕捉されるのを避けるため、低空で来襲してきたからである

・日本の射撃管制レーダーの開発について
射撃管制レーダーについては、英米の鹵獲したレーダー技術をもとに日本流改善しながら開発をおこなっており、デッドコピーしたわけではないが、逆にデッドコピーできるだけの優れた真空管や電子部品が製造できず、日本で製造可能な資材をもとに開発したのが実態である。
唯一、独逸のウルツブルグレーダーのみデッドコピーを試みたが、1例を示すと、独逸では60Khzの水晶振動子を製作できるが、日本ではこの規格の水晶振動子を作ることが出来なかったようで磁歪発振器で代替えしている。
射撃管制レーダーでの必要な要素技術の入手
・アンテナ切換による等感度方式
・アンテナ切換を実現するための位相環(Phase Ring)方式
・ゴニオメーターの活用方法
・高度の測定方法
・指向性アンテナとしての八木アンテナの活用方法

・無視した技術
米軍のSCR-268には敵味方識別装置であるIFFとの接続インターフェースがあるが、この技術の実用化が敗戦末期まで実現できなかった。

・対空用早期警戒レーダーの機能改善への取り組みについて
対空用早期警戒レーダーが開発されれば、単機の探知距離や編隊若しくは大型の認識可能であるが、次に編隊の数量や機種の識別など次のステップの開発が必要となるがそのような開発の動きは見られない。
特に、対空用早期警戒レーダーについては方位と距離の測定のみで高度情報の取得に研究所も部隊からの要求も希薄に感じられる。

・陸海軍研究所のレーダー実用化に関する特質
陸軍は試作が失敗すれば、メーカーを変えるか別物の開発に着手する。
事例 タチ1からタチ3
海軍の場合は、試作が失敗しても、改1として改良して失敗箇所を改善行う。
何故なら、開発プロジェクトを海軍が自ら主宰しており、失敗プロジェクトにはできなかったからではないだろうか。

・米軍からの批評(A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋)
日本の軍事指導者たちには、陸軍と海軍の研究、開発、生産、運用を完全に分離することを長い間主張した者たちに対して非常に厳しい批判を向ける必要がある。日本の科学者の数は、アメリカよりもはるかに限られており、当初から不十分でした。それなのに、二つの部局内で多くのプロジェクトが時には並行して秘密裏に研究されることを要求することで、その効果をほぼ半減させることを主張することは、愚かさの頂点でした。
我が国の軍事指導者と民間指導者が、陸軍と海軍のための共通の研究においてすべての才能を結集するための先見の明と広い心を持っていたことは、大いに評価されるべきです。我が国の物理学者、数学者、エンジニアの電子研究と装置開発の技術に敬意を表します。私たちは、火器管制や地上制御迎撃において非常に正確なレーダーを構想し、製造することができました。これらは攻撃においては必須ではありませんでしたが、日本の科学者によって開発されれば、ガダルカナルから東京までの3年間、艦船と地上部隊を防衛する上で非常に役立ったでしょう。

参考資料
日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)
レーダの開発、生産についてみると、陸軍の超短波警戒機甲は波長5m、探知距離10km、800Hzのビートによる航空機来襲を探知するレーダで、1940年から400から500台が東京芝浦電気株式会社と日本電気(200台)で製作され、また超短波警戒機乙要地用は出力50kWのパルス型であり、警戒距離は150/300kmであった。42年から使用され、350台生産されたが、その大半(309台)は日本電気製であった。タ号Ⅰ型(地上用電波)標定機は出力5kW、波長は1.5mであり、43年から実用化されたが、生産された35台すべてが日本電気製であった。同Ⅲ型(TA-Ⅲ)も150台前記を日本電気が生産した。44年以降における海軍用生産機種をみると、玉川向製造所では、陸上用97式短号送信機1型(出力2kW)、97式短01号送信機(出力15kW)、11号電探送信機、12号電探受信機、13号電探指示機、22号電探指示機、41・42・43号電波探知機(電探)が生産されたとされ、大垣製造所では43号電探が生産された。

日本ビクター
1927年(昭和2年)に日本ビクター(設立時は日本ビクター蓄音器株式会社)は米国The Victor Talking Machine Companyの日本法人として設立された。
日中戦争が始まり、外資系企業への圧力が強まる中で1938年にRCA社は資本撤退。株式を日産コンツェルンに譲渡する。
日産コンツェルンの株式は東京電気(現・東芝)に売却され、東芝傘下に入る。ビクターは1943年にRCA社と資本関係が解消した後も、研究・技術開発で交流を続け、国産初のテレビ開発や、オーディオ技術へと結びつく。大東亜戦争(太平洋戦争/第二次世界大戦)が激化する中で、敵性語排除の動きを受け、社名を日本音響(株)と改称。生産工場も軍の管理となる。
d-3


富士電機製造株式会社
昭和16年には、海軍技術研究所から受注した電波探知機用の旋回盤を製作した。その後、電波警戒機、電波標定機にも加えて各種千数百台を製造した。
海軍2式1号電波探信儀1型(左)と陸軍のタセ1(右)の空中線旋廻装置
 d-4


RE-3真空管について
RE-3はHFからVHF用の5極管。日本無線JRCが海軍の要請により1940年3月に開発。レーダーの中間周波数増幅等に使われた。「小型管にして航空無線機に使用す。(田尾司六,解説真空管)。」ドイツTelefunkenの軍用の特殊な球を原形に,これを国産化改良したもの。文献にはSF 1A(電池管)の改良形とあり,またRV12P2000ともいわれるが,どちらも同じベースで,特性は似ている。欧州ドイツのUボートに搭載された無線機器には1台当たりRV12P2000が12本使用されていた。
中身は単なる5極管で米国6SJ7クラスの球に過ぎないが,ボタンステムを使用し,さらに電極引出しをエーコン管の様に側面から行う特殊なソケットを用いることにより,電極間容量を減らす構造としてVHFまで使用できる真空管だった。しかし,特殊な構造が災いして専用の製造設備が無いと作れない,また大量生産はできない。海軍は真空管最大手の東京電気(東芝)にも製造を依頼し,次に紹介するRE-3類似のRC-4が誕生。しかし製造量は多くならなかった。海軍は願いがかなわず,方向転換?レーダーの高周波段には使えないが,少なくとも中間周波数以下の増幅に使えるもっと大型の構造を持つ万能管へと進んだ。日本無線はRV12P2000のgmを倍にしたドイツTelefunkenの万能目的のST管NF-2を欧州ベースのまま国産化(FL2A-05A),さらに国内標準のオクタルベースに直したNF-6を作り,次にT管ガラスにアルミシールドを付けてオクタルベースとしたスマートなFM2A05Aを開発。




参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
海軍技術研究所エレクトロニクス王国の先駆者たち 1990年10月 中川靖造
電子兵器カミカゼを制す 平成7年7月 NHK取材班
A short survey of japanese radar Volume 1
日本の古いラジオ
https://radiomann.sakura.ne.jp/HomePageVT/Radio_tube_2_Rader.html#RE3
Yahooオークション情報
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日御碕特設見張所を事例とした電波兵器・無線兵装の装備の実際について

もう10年以上前の話となりますが、2012年8月16日18時10分のNHKの広島放送局のローカル番組である「お好みワイド」の中の終戦特集として、「中国地方の戦績を訪ねて」として「埋もれたレーダ基地(日御碕特設見張所)を後世に」番組が放送されました。
この活動の中心人物である「平和を願い島根の戦争遺跡を語る会」の西尾良一代表(74)=出雲市平田町により、日御碕特設見張所の関するレーダーの詳細な内容をご自身のホームページにアップされていたのですが、現在では大手プロバイダーのホームページやブログの業務廃止などが原因と思われますが、そのURLをアクセスすることはできません。
このためあらためて、日御碕特設見張所を事例とした海軍の特設見張所の電波兵器・無線兵装の装備の実際について紹介するこことします。
a-1

埋もれたレーダ基地を後世に(NHK放送の紹介)

高尾山(島根県出雲市)の海軍の日御碕特設見張所について
 a-2

a-3

現地には何時か訪問したいと常々考えていましたが、結局訪問する機会もなく、次第に体力も衰え、更に今般の熊出没のニュースに接すると、恐ろしい熊との遭遇を想像しただけで、もはや諦めるしかありません。
以下、「興味をもった観光名所、神社仏閣へ行ってみた」さんのブログからの抜粋
 b-1

b-2

b-3

b-4

b-5
 
拡張用の未設置のレーダー設備か?
 b-6

頂上に構築された1号電波探信儀1型のレーダー設備跡
 b-7

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 b-9

 検証作業
2式1号電波探信儀1型の基礎図と写真を比較すると、8本のアンカーボルトと電源ケーブルの引き込み設備が図面と一致している。
b-10



見張用電波探信儀の概要
日御碕特設見張所は、対空見張用で中距離の見張用設備として2式1号1型と3式1号3型のレーダー設備が配備されている。
 c-1


ファーザーのHPさんのブログからの抜粋
日御碕特設見張所
日付         呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年2月 電波探信儀装備予定、2/20配員完了
昭和17年3月 特設見張所 既設、 特設見張所 将来要望
昭和17年4月 2cm高角双眼望遠鏡1、7倍双眼望遠鏡2 配員 准士1、下士4、兵4
昭和17年5月 特設見張所 5月中工事着手
昭和17年6月 電波探信儀 装備工事実施中
昭和17年8月 特設見張所、甲戊(既設)、巳(未着手)
                電波探信儀1号1基、電波探信儀3号1基 
                95式短5号電信機1、92式特受信機改四1 
                12cm望遠鏡1、7倍稜鏡2
               (甲)訓令官房機密第2464号(17.2.26)
               (電波探信儀1号)訓令官房機密第2106号(17.2.18)
               (電波探信儀3号)訓令官房機密第8712号(17.7.13)
                1号は工事完成、3号は9月中に着手の予定
昭和17年9月 電波探信儀1号指定完成期(発電機入手後1ヶ月)官房機密第1236号(17.9.7)
                特設見張所(照聴所を除く)、乙、戊甲は工事中
昭和18年1月 探信所(甲戊)
昭和18年9月 艦本機密第3号ノ10906(18.8.13)陸上部隊電波探信儀用電動機換装の件通牒
昭和19年3月 探信所完備
昭和19年6月-8月 既設探信所
昭和19年9月 既設探信所、官房艦機密第4192号に依り3式1型電探装備工事中
昭和19年10月 既設探信所、電波探信儀2式1号1型1基 完備
昭和19年11月 電波探信儀2式1号1型1基 完備、3式1号3型1基 未着工(官房艦機密6924号)
昭和19年12月 既設 2式1号1型1基 完備、3式1号3型1基 工事中
昭和20年1月 完備 2式1号1型改一1 完備、3式1号3型1 工事中
昭和20年2月 完備 2式1号1型1、工事中 3式1号3型1
                呉警機密第33号の16、島後及日御碕各に仮称電波探信儀増備に伴う兵舎増築の件上申
昭和20年8月31日 引渡:
                電波探信儀 既装2、未装1
                ディーゼル交流発電機陸上用15KVA220V三相60KVA配付 1基
                建築物 兵舎1、其ノ他付属施設1
                敷地:3692m2、建物:89m2

海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班からの抜粋
見張用電波探信儀配備表其一の表(内容加工済)
 c-2

この見張用電波探信儀配備表には、日御碕が2ヵ所あるが、ピンク表示の日御碕は、実際は日ノ御碕(和歌山県日高郡日高町)のことである。
この資料では、終戦時には電波探信儀は、11号×1台と13号×2台とあり、無線設備は送信機MW250WとSW250W各1台と全波受信機1台の構成となっている。
※MWとは中波、SWとは短波、全波とは長波から短波を全て包含していることを意味している。
無線設備は大型の2台の送信機であることから重要拠点としての特設見張所であることがわかる。

以上、2点の資料では情報の矛盾もあるが、以下に集約できる。
電波兵器は、1号電波探信儀1型を1基、3式1号電波探信儀3型を2基と無線兵装として95式短5号電信機を1基、92式特受信機改四を1基を配備していたようである。
なお、昭和18年1月には、探信所としての監視業務を開始している。

電波兵器及び無線兵装の設備の紹介
電波兵器
2式1号電波探信儀1型 受信機、指示機、送信機、空中線
なお、受信機は日本電気、指示機は東芝通信工業である。
※日本電気は、1943年(昭和18年)2月から1945年(昭和20年)11月まで、住友通信工業株式会社と社名変更していたことから、本機は1943年(昭和18年)2月以前に製造されたものと判断される。
 d-1

3式1号電波探信儀3型 電源部、送信機、受信機、空中線
 d-2

無線設備 92式特受信機と95式短5号送信機
d-3

TM式短移動無線電信機(一般的な特設見張所には下記の送信機が配置されている)
 d-4


電波兵器及び無線兵装の技術的解説については、以下のURLを参照のこと。
2式1号電波探信儀1型改1、2、3

3式1号3型(Type 3Mark 1 Model 3)(13)レーダー

全波受信機 92式特受信機

短波送信機  95式短3号、短4号、短5号送信機

TM式短移動無線電信機




参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「続日本無線史」第一部 昭和47年 続日本無線史刊行会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
「電波探信儀及電波探知機装備工事心得」 国立文書館
2式1号電波探信儀2型改2改造報告 防衛省戦史資料室
海軍通信作戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
高尾山 ~旧海軍レーダー施設跡~  http://yooshi01.seesaa.net/article/475057242.html
本邦軍用無線技術の概観   https://minouta17.hatenablog.com/
ファーザーのHP  https://www17.big.or.jp/~father/index.html
日御崎電波探信所
https://www17.big.or.jp/~father/aab/kure/hinomisaki/hinomisaki.html
山陰中央新報デジタル
米国国立公文書館
Anatoly Koshkarov氏提供資料
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玉3夜間戦闘機射撃用電探のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

玉3夜間戦闘機射撃用電探の概観
a-0


続日本無線史に玉3の機能の概要が簡潔にまとめられているので紹介する。
d. PPI方式による航空機用電探
1回捲きの並列型平面ゴニオメーターをお互いに直交した半波長アンテナに接続し、これを円形指向性アンテナと組合せれば、その合成指向性はカージオイドとなり、ゴニオメーターの回転とともに指向性は回転する。海軍技術研究所の依頼を受けて国際電気通信株式会社が中心となって、このアンテナ装置を双発戦闘機(月光および極光)の胴頭に装着し、2mシータ装置と組み合わせて夜戦用レーダーとする研究(呼称:玉3夜間戦闘機射撃用電探)を完成した。第2図は試験装置を示す。エコーの表示はゴニオメーターの回転に同期したPPI方式として、敵機の位置をブラウン管の中心から三日月形までの距離と方向とで直覚する。当時としては斬新な考案によった。一式陸攻の尾端に装備した結果では、最大使用可能距離10km、探知確実距離4km、正面精度±5度、哨戒範囲180度であった。この装置は数十台製作されたようである。
アメリカは終戦のころ拿捕した本装置についてその性能をMITにおいて分析研究した由であった。
e.回転ビームアンテナに関する研究
一般にアンテナの指向性はフーリエ級数に従い多分円指向性の合成とみなされるので、多分円成分を有する放射状アンテナ系にある形状の捜索コイルを結合すれば、かなり尖鋭な単向指向性を回転させることができる。国際電気通信株式会社においては小型の回転ビームアンテナから第3図に示すような高利得の装置までも製作したが、終戦を迎えいずれも実用されるにはいたらなかった。
戦時中に回転ビームに用いる基本装置として宮憲一は90度定位相差分波器と平面ゴニオメータ―を組み合わせた。
 a-1
なる原理による広帯域移相器を開発した。これは前述のHFレーダー、HFーMUSAなどに利用された。そのほか、指向性の回転に便利な多分円ゴニオメーターの考案も行った。
 a-2


この上記文面をすぐ理解することのできる人は、今日の日本ではもはや皆無に近い状況ではないだろうか。
この文面を理解のための重要なキーワードである<カージオイド及びゴニオメーター>の基本的な機能をまず解説することにする。

<カージオイド>とは、下記の1アマの試験の解答例が分かりやすいので紹介する。
無線工学 > 1アマ > H13年08月期 > A-20からの抜粋
方向探知用アンテナの動作原理
まず、ループアンテナの動作の基礎として確認しておきたいのは、ループアンテナは「変化する磁界に比例した電圧を発生する」という点である。
これに対して、ダイポールアンテナやグランドプレーン等の垂直系アンテナなどは、電界に比例した電圧を発生する。
 このことは、もし、同じ位置にループアンテナとダイポールや垂直アンテナをおいて、両者に発生する電圧を比較すると、位相がπ/2ずれている、ということを意味する。
電磁波は(放射源から十分遠方においては)電界と磁界の位相はπ/2ずれているからである。

無題600

では、方向探知(略して「方探」)用のアンテナについて見て行くことにする。
方探アンテナとしてとして実用になるには、持ち運べる(せいぜい車に積める程度の)大きさが望ましく、感度のゼロ点が1箇所のみでなければならない。
 これを、ループアンテナで実現するには、例図のようにループアンテナを垂直アンテナと組合せる。
ループアンテナの8の字の指向性で、片方の「丸」エリアが正方向の磁界に対して正の電圧を発生させるとすると、もう片方の「丸」エリアは負方向の磁界に対して正の電圧を発生させる仕組みになっている。
 ここで、垂直アンテナの発生電圧の位相をπ/2ずらす(普通は遅延線で遅らせ)。
こうすると、磁界同士(ループアンテナの方を遅らせれば電界同士)の強度の合成になり、水平面の指向性はループ面に水平な方向に最大値とディップを持つ、カージオイド形になる。

<1回捲きの並列型平面ゴニオメーターをお互いに直交した半波長アンテナに接続し、これを円形指向性アンテナと組合せれば、その合成指向性はカージオイドとなる>とは、下図のシステム構成を考えればよい。
 a-4

直交する半波長ダイポールアンテナ(X、Y軸に相当)を駆動するモーターにより 900 rpm(玉3の場合)で回転させる。
この2 対のダイポールにつながるピックアップコイルは、回転コイルによって供給され、半波長ダイポールアンテナ(X、Y軸に相当)からの合成された受信信号を取出すことが出来る。
なお、θアンテナは位相をπ/2するために90度定位相差分波器を設備して固定設置されている。
このような仕組みで、合成指向性はカージオイド特性を持った回転ビームアンテナを構築することができる。
なお、玉3の使用周波数は150Mhzであることから、波長換算すると2mとなるが、1/2波長は1mのダイポールアンテナが必要となるが、アンテナ自体は短縮型アンテナとしてコンパク化し機首に収容可能としている。

<ゴニオメーターによる信号とのアドレッシングについて>
ゴニオメーター(セルシン変圧器と同じ意味)は1つの回転子と2つの互いに直交した固定子コイルを持っており、その関係は、もし回転子コイルに電圧を加えた時に、いずれか一方の固定しコイルに誘起する電圧が、回転子コイルの軸と、着目している固定しコイルの軸となす角θの余弦に比例するようになっている。したがって、他方の固定子の誘起電圧は上記の角θの正弦に比例するわけである。
図に示す接続では、陰極線管の水平および垂直偏向コイルで生じる偏向力は、それぞれcosθ及びsinθに比例する。したがって合成磁界の大きさは一定でθに無関係であるが、基準軸に対してこの角θだけ傾いている。
そこで必要な大きさの偏向電流を回転子に流してやり、空中線と同期して回転子を回転すれば、PPI表示に必要な回転時間軸掃引が得られる。
同時に輝度変調として、ブラウン管のG1に受信機からの受信信号を印加すれば、ゴニオメーターでPPI表示に必要な回転時間軸掃引が行われることにより、受信信号とブラウン管表示域のアドレッシングに画面表示ができることになる。
なお、時間軸発生源には、送信同期パルスをもとにした「のこぎり波」を一般的に使用するが、本機では正弦波掃引方式を採用しており正弦波を使用する。
 a-5

具体的には、時間軸発生器で「のこぎり波」や「正弦波」を生成し、ゴニオメーターの回転子に偏向電流として流してやる。固定子1にはcosθに比例した誘導電圧が固定子2にはsinθに比例した誘導電圧がそれぞれ発生する。
固定子1と固定子2の誘導電圧の合成ベクトル電圧に対応する画面上のX軸とY軸のアドレスが回転時間軸として生成されることになる。

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、Radar Gyoku 3とある。
製造会社は記載されていないが、日本無線株式会社の社史には生産記録がある。
日本側での制式呼称は、19試空2号電波探信儀11型であるが、一般的には「玉3」と呼ばれることが多い。
b-1


空中線(Antenna Unit)
空中線の構造は、Radiator、Pick UP Coil、Plain Goniometer、θ Type Antenna、Selsyn Motorの5つの主要パーツから構成している。
具体的には、直交する2つのダイポールアンテナ、データ授受用ピックアップコイル、新たに開発した平面型ゴニオメーター、θアンテナ及びセルシンモーターである。
ダイポールアンテナは、回転速度は毎分900回とA short survey of japanese radar Volume 3
に記載されている。
通常PPI装置には1つの、ゴニオメーター又はセルシンモーターが使用される。
特異なことは、本機ではゴニオメーターとセルシンモーターとは同義語であり、本機には2つのゴニオメーターを使用していることになる。
動作の詳細については、指示機のセクションで解説するここにする。
アンテナは送受共用のために放電管が採用されている。
 c-1

c-2


送信機(Transmitter Unit)
真空管構成は以下のとおりである。
SORA(OSC)→SORA(Blocking OSC)→FZ064-A(Sub Mod)→ T-307(Mod)→T-319×2(PP.OSC)
送信機の中の同期発振器を設け、SORAにより2500Hzの正弦波を生成する。
この正弦波から次段のSORAによりブロッキング発振させてパルス波を生成する。
FZ-064-Aはこのパルス波の整形及び増幅を行い、T-307により変調を行う。
最後にT-319プッシュプルにより、自励発振によりパルス波を送信する。
なお、同期発振器としてSORAにより2500Hzの正弦波は、指示機の時間軸としても使用される。
 d-1

使用真空管T-319、T-307、FZ064-A、SORA
 d-2



受信機(Receiver Unit)
真空管構成は以下の通りである。
UN-954(RF1)→UN-954(RF2)→UN-954(Mix)+UN-955(Local OSC)→RH4×5(IF Amp)→SORA(Det)→RH4(AF Amp)→指示機へ
空中線部の平面ゴニオメーターの機能は、下図のように直交したダイポール(X、Y軸に相当する)につながるピックアップコイルは、回転コイルによって供給され、X、Y軸からの受信信号をベクトル合成した受信信号を取出すことが出来ることにある。
 e-1


受信部については、一般的なスーパヘテロダイン方式を採用しているので詳細は省略する。
 e-2

使用真空管 UN-954、UN-955、RH4、ソラ
 e-3



指示機(Indication Unit)
真空管構成は以下のとおりである。
SORA(Signal Amp) ――――――――|
FZ064-A(Time Axis Amp) ――――――|→ BG-75-A Brown Tube
SORA(Rectangular-wave Generator)-|
本機の指示機は、PPI方式及びAスコープ方式兼用システムで任意にどちらかの表示を選択することが可能である。
 f-1


①時間軸の掃引システム
指示機の仕組みを理解するためには、本機レーダーが使用するパルス繰返し周波数が重要である。
本機のマスター発振器の正弦波によるパルス繰返し周波数の仕様は、2500Hzを使用している。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数2500Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は60Kmとなる。

指示機に必要なブラウン管の水平軸用の「のこぎり波」の掃引周波数とパルス繰返し周波数との関係は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数 ÷ 2 
このため、「のこぎり波」掃引方式ではこの関係式は成立させるためにパルス繰返し周波数から1/2の周波数を分周する仕組みが必要となる。
なお、本機「玉3」は正弦波掃引方式を採用しており、パルス繰返し周波数のもとなる正弦波を直接利用する方式であることから、周波数の1/2の加工処理も不要となる。
このような正弦波掃引方式の採用は、簡易的システムでは合理的な選択といえる。
処理イメージを下図に示す。
 f-2

PPI表示方式の場合は、正弦波2500Hzをアンテナ部のセルシンモーターの回転子に印加する。
Aスコープ表示方式では、正弦波2500Hzをブラウン管の水平軸の偏向板へ印加する。

帰線消去処理
両方式とも、帰線消去処理については、図では正弦波を90度位相ずらし、ブラウン管のカソードに印加しているが、本機では正弦波を90度位相ずらし、SORAの飽和増幅により矩形波に一旦変換した状態で、ブラウン管のカソードに印加することによりブラウン管の動作を停止させている。

指示機の基本スペックについて
ブロックダイヤグラムのコメントをみると、基本スペックとして下記の項目がある。
Range;Stronght Indication: 0から30km and 30から60km
    Radial Indication:    0から10km
Effective Range(Against a Medium Sized Aircraft)4.5km
Accuracy;±5 Degrees on the Front
なお、Radial IndicationとはここでいうPPI方式のことで、Stronght IndicationとはAスコープ方式のことである。

②PPI方式
ここで使用するセルシンモーターは、アンテナの回転と同期して、指示機のブラウン管の時間軸掃引を回転させる目的であり、本来のPPI表示システムは全てこの形態で動作している。
詳細は下記のURLを参照願います。
日本陸海軍のPPI表示式レーダーの解説について

本機の特長は、通常のPPI型レーダーのアンテナの回転速度が例えば2秒で1回転などの低速なためブラウン管は特殊な残光性のものが必要になるが、本機はアンテナが毎分900回という高速回転のため通常のブラウン管の使用法でも表示には特に支障は生じない。
ブラウン管に表示するための受信信号については、受信機の項で説明したが、再掲する。
空中線部の平面ゴニオメーターの機能は、直交したダイポール(X、Y軸に相当する)につながるピックアップコイルは、回転コイルによって供給され、ダイポール(X、Y軸に相当する)からの受信信号をベクトル合成した受信信号を取出すことが出来ることにある。
ここで重要なことは、アンテナの毎分900回の回転には、平面ゴニオメーターとセルシンモーターが完全に同期して動作することにより、ベクトル合成の受信信号とブラウン管に表示するための掃引波(正弦波掃引)が同期して回転しながら掃引波5000Hzで描画することになる。
ただし、本来のPPI表示である位置表示を目的するものではなく、受信信号は前方140度から常に存在する反射データを立体的に合成したもので、対象物はブラウン管の表示は真正面であれば、常に表示されるため真円として表示されることになる。
なお、対象物との距離はブラウン管の中心から離れる程遠方のものとなる。
真正面からはずれると、三日月形など受信範囲の枠内の信号のみ表示することになる。
したがって、本来のPPI表示レーダーというよりも、特殊型PPI表示もどきのレーダーと分類する必要がある。
f-3-0

実際の表示画面例
 f-3-1


③Aスコープ方式
正弦波掃引として正弦波2500Hzをブラウン管の水平軸の偏向版へ、受信信号をブラウン管の垂直軸の偏向版へ印加する。
 f-4

一般的な日本のレーダーで使用するAスコープ表示のイメージ図
 f-5

➃パイロット用ブラウン管表示器の設置
指示機用ブラウン管は、後部座席の電測士、通信士兼射撃手が操作しているところにあるが、パイロットも直接ブラウン管で目標物を確認・操縦するために分離独立してブラウン管表示器がパイロット席にも設置されている。

使用真空管
 f-6



【総合コメント】
・開発の経緯について
昭和20年8月 研究実験の状況(電波兵器関係) 第二海軍工廠
成果概要
(レ)夜間戦闘機用電探(玉三)
昭和十九年九月研究着手、昭和二十年五月試作完了、同年七月機上実験終了せり。
尖頭出力:約三KW  探信能力:約四粁  円形指示方式を採用す。

航空機搭載型の射撃管制レーダーの間発については、陸軍では住友通信がタキ2、海軍では東芝がFD-2、日本無線が玉3とばらばらに開発しており、日本としての総合力を発揮できない典型的な事例である。
特に玉3に関しては、開発提案が海軍技術研究所の方向探知開発グループの発案であり、その中核研究者は国際電気通信株式会社からり派遣されていた。
このような状況の中で、日本無線株式会社が開発元として下記の結果を残している。
19試空2号電波探信儀11型(Tama-3)  夜間戦闘機用 150Mcs 昭和19年9月研究着手  完成年月 昭和20年7月 実用状況:実用準備中 日本無線

昭和19年9月研究着手といえば、日本では資材不足の影響はあるが、レーダー開発技術の向上もあり、短期開発が想定されたが、結果として10か月かかり、遂に実戦に用いられず終戦を迎えるに至った。
日本無線としては、送信機は、N-6を転用、但し使用周波数を150Mhzに変更する。
19試空1号電波探信儀11型(N-6)  小型機用哨戒索敵用(単発三座機) 250Mhz(波長1.2メートル) 完成年月 昭和19年10月 実用状況:未実用 日本無線
※N-6が使用されなかった理由は、使用周波数250Mhzを採用したため受信機で、日本製のエーコン管では性能の不安定化が多発したのだろう。
受信機は、H-6を転用、但し広帯域信号処理のため中間周波数を17.75Mhzに変更する。
3式空6号無線電信機4型(H-6)は昭和16年末から研究着手し、昭和17年12月実験を終了、直ちに実戦配備に至った。
開発遅延の問題は、国際電気通信株式会社が開発した回転ビームアンテナと指示機とのインターフェース開発に時間がかかったものと思われる。
g-1

受信機に関しては、外観は全く同一のように見える。
 g-2


・日米の技術者の開発に関する意見相違について
A short survey of japanese radar Volume 1
戦争終結時、海軍は 2 つの夜間戦闘機用レーダーを開発していた。500 メガサイクルの FD-2 型セットは方位補正のみを表示し、スコープの表示はアメリカの SCR-521 と非常 に似ていた。もう 1 つのセットである 150 メガサイクルの玉-3 型は、2 つの前方向層に 組み込まれた珍しい固定アンテナを使用していた。回転式のゴニオメータ型コイルを通じ てそれらに供給することで、回転する前方ローブが生成される。これに対応する表示は PPI スコープ上に表示される。このセットの解像度は非常に低いと思われる。ビーム幅は 約 70 度である。ただし、日本海軍の技術者は、このように厚いビームが必要であり、そう しなければ航空機の前方全域を十分に探索することができないと主張している。明らかに、 非常に狭い前方向きの放射線による迅速なスキャンというアイデアには、彼らには実用的ではあるとは思えられなかったようである。

何故、米軍の技術者は、日本の玉3のビーム幅は 約 70 度であることにあきれたのか。
この理由は、既に実戦投入されていたAN/ASP-4、AN/ASP-6の機能を見ると明らかであるが、日本側ではこのような形態のレーダーを考えることも出来なかった。
日本では接敵すること自体が主目的であって、接敵による射撃管制レーダーの射撃精度まで考慮することができなかったことが実態だったのだろう。
レーダー射撃のためには、電子ビームを絞ることは自明の理である。

AN/ASP-6の事例
 g-3

a. 65マイルの索敵範囲
b. 25マイルの索敵範囲
c. 5マイルの索敵範囲
d. 1マイルの索敵範囲
索敵 65マイル(105 kmから)、25マイル(40km)の索敵範囲を120度、Bスコープ
5マイル(8km)レンジに切り替えると、索敵範囲は、15度、Hスコープ
1マイル(1.6km)レンジに切り替えると、射撃モードに切り替え、索敵範囲は、15度、Gスコープ
飛行機マークの翼が伸びてこの線にちょうど届くようになったら、その飛行機は射程距離(250ヤード:=228.6m)に入っていることになる。

このセットの解像度は非常に低いと思われる。
一般的なPPIレーダーを使用周波数150Mhzで動作させれば、受信時の広帯域データを取得することはできず、ブラウン管でみると解像度が低くとても鮮明な画面を見ることは困難である。
米国では1942年(昭和17年)ごろには、米海軍のCXAMレーダーは使用周波数200MhzのVHFレーダーにも拘わらず艦艇搭載用PPI表示レーダーを早くも開発を開始している。
しかしながら、当然解像度が低く実用性が低く、この後マグネトロンを使用したGHZ帯のSGレーダーなどにより実用化を果たしている。
この経験から、日本の玉3へ言及したのだろう。
ただし、日本の玉3は、PPIではなく、Aスコープ情報を回転させて表示したものので、アンテナの回転も900rpmの高速回転もあり、画面の解像度というか画面表示には支障がなかったものと思われる。
g-3-1


・レーダーのデータ表示形式からの分類について
MITにより上梓されたPrinciples of RADAR 1952年5月版からの抜粋
このデータ表示形式については、戦時中の米・英・独・日で製作されたレーダーの表示形式を総括したものである。
続日本無線史に玉3の機能の概要では、下記の文面がある。
<アメリカは終戦のころ拿捕した本装置についてその性能をMITにおいて分析研究した由であった。>
I形式は、おそらく日本の玉3のレーダー表示形式を意識して特別に掲載されたものと思われる。

日本の玉3は、索敵モードとしてA型、射撃モードとしてPPI型ではなくI型と定義できる。
米軍のAN/APS-6は、索敵モードとしてはB型とH型、射撃モードとしてはG形が採用されている。
g-4


・玉3の課題と改善方法について
本機には、PPIモードと索敵モードとしてAスコープと射撃モードとしてPPIモード(本来はI型であるが便宜的にPPI型として取扱う)の2つの表示形態がある。
設計目標では、パルス繰返し回数を2500Hzとして、索敵モード(Aスコープのこと)では、最大60kmの測定距離を0から30kmと30から60kmの分割距離切換えを行えるようになっている。
射撃モード(PPIスコープのこと)では、最大測定距離は10kmとある。
続日本無線史では、<一式陸攻の尾端に装備した結果では、最大使用可能距離10km、探知確実距離4km、正面精度±5度、哨戒範囲180度であった。>とあるがPPIモードの性能の記載はあるが、Aスコープの性能の記載がないようだ。
このため、Aスコープ使用時の索敵の最大測定距離が不明であるが、Aスコープを使用しても30km以上の索敵は技術的に無理があったものと思われる。
敢えて性能改善を提案するとすれば、Aスコープ使用の場合、玉3の回転ビームアンテナから独立した八木アンテナの採用ができれば望ましいと思われる。
米軍の指摘もあるが射撃モードでは、接敵可能としても、ビーム幅を現行よりも大幅に狭くしない命中度を確保するのは困難と思われる。
この対策は、使用周波数150Mhzでは対処のしようがなく、基本的には、射撃管制レーダーの使用周波数はGhz帯が必要となる。
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・ブロックダイヤグラムの作成について
終戦後、米軍の各部門からの日本側へ調査要求による資料作成が行われることになった。
本資料は、筆跡から同一人物による作成であるが、当時コピー機もなく、要求元単位に手書き作成しているが、微妙に資料が異なることがある。
後世の者にとっては、このような資料にあたると大変つらい。
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【参考情報】
A short survey of japanese radar Volume Ⅲからの抜粋
玉 3 
夜間戦闘機 
連合国の対応名称: —— 
技術的特性: f = 150 MC/S 出力3 KW、中型機に対する射程 4.5 キロメートル 
精度:射程±5%、方位角±5° 
製造数=10、設置数=いくつか 
解説: 玉-3 は、150 MC/S で動作する新しく完成した日本海軍夜間戦闘機セットである。 方向探知技術を利用して特別に構築されたアンテナは、前方向に円錐状のスキャンを生成する。 
取り付けられた放射素子は、その軸が平面の軸と一致しており、固定されている。 
2 対のダイポールにつながるピックアップコイルは、回転コイルによって供給され、生成される 1 対のローブがプロペラと同じように平面の軸の周りを回転する。 
このパターンは、 以下のスケッチの「正面」ビューで、平面に面した状態で示されている。 この回転フィー ルドに重ね合わされるのは、いわゆるθアンテナによって作成される固定ドーナツ型フィールドである。
2 つのフィールドを加算すると、回転カーディオイドが生成される。
パターンの対応する側面図がそれぞれの場合に示されている。 
この方法で作成されたローブは、下部で示されているように非常に幅が広くなる。 
アンテナゲインは 2.5~3.0db。給電用ゴニオメーターコイルを駆動するモーターにより 900 rpmで回転する。飛行機の前方約 140° をカバーする。
もちろん、セルシン同期 PPI スクリーン上の画像は非常に広範囲で、識別できるのはせいぜい約 5° である。 
設計者たちは、夜間戦闘機の前にある航空機を確実に捕捉するには、これほど広いビームが必要であると強く主張していた。 
横須賀海軍基地での昼間の飛行試験では、目標となる中型機に対して 4.5 kmの射程が示 された。
夜間や目視での迎撃は試みられませんでした。 
名前の「玉」は、玉砕(ぎょくさい)という海軍研究所の名前から派生したもので、「すべて自決」を意味している。


陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察の再検証

日米夜間戦日米夜間戦闘機射撃管制レーダーの比較検証について




参考文献
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
A short survey of japanese radar Volume 1
A short survey of japanese radar Volume 3
無線工学の基礎 1アマ 無線工学 
http://www.gxk.jp/elec/musen/1ama/H13/html/H1308A20_.html
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
Principles of RADAR 1952年5月版
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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