日本帝国陸海軍電探開発史

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2023年09月

タキ14のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、Path Finder(Taki-14)とある
パスファインダーとは、空襲の際、最初に爆弾を投下して後続機に目標を示す先導機、嚮導機(きょうどうき)のことである。
製造会社は東芝芝浦電気株式会社である。
日本側での制式呼称は、タキ14である。
 a-1

ブロックダイヤグラムでは、次の5つのブロックの機能で構成されている。
Antenna Unit  Transmitter Unit   Receiver Unit  Indicator-A Unit  Indicator-B Unit  

タキ14の概要
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radarからの抜粋して以下に紹介する。
タキ14は、米軍のSCR 717-Bに類似した索敵レーダーを航法と船舶の探知用に開発しようとする試みであった。
最初の試験モデルは1944年8月に完成し、九七式重爆撃機(キ-21)で試験された。これらの試験から、その機能は貧弱であり、最大範囲はわずか25~30kmであることが判明した。
アンテナとフィーダを改良することで、索敵距離を改善することが望まれた。 
第2の試験モデルは、1945年2月に準備が整った。この範囲で約40~50kmの範囲で探知できた。
これらは、タキ14-1型と呼ばれたモデルで、10台の生産を計画した。
工場への頻繁なる爆撃により、これらを生産することが困難になった。
実験は続けられ、送信機と受信機を変更することによって、電力出力を増加させ、探信距離が70~80kmに改善された。
これはタキ14-2型と呼ばれた。しかし、完全なテストが行われる前に終戦となった。


空中線(Antenna Unit)
A short survey of japanese radar Volume 2からの抜粋
このアンテナは、水平ダイポールと6×4アレイの導波器を搭載した60cmの金網のパラボラアンテナで構成され、垂直面でビーム幅6度(半値電力点)、下方60度のビームが得られるとしている。アンテナは20rpmで回転し、傾斜機能はなく、機体下のペーパーファイバー・レドームに取り付けられている。PPIタイプのディスプレイは120ミリのブラウン管を使用している。ロータリージョイントと水素充填T-R管はアメリカの慣例に従ったものが使用されている。
a-2-IMG_0139-アンテナ系

 
アンテナから送信機及び受信機間の給電系については、このブロックダイヤグラムでは不明瞭であるが、空洞共振器(キャビティ)が使用されていることから矩形導波管が採用されていると思われる。
 a-3

なお、2つの放電管(U tube)が記載されているが、TR管とATR管の機能と推定できるが、このようなTR管とATR管が使用されたのは日本では初めてのケースである。
a-4



受信機(Receiver Unit)
パラボラアンテナからTR管を通し、受信用切換空洞共振器を経由し、鉱石検波器(第一混合部(局発T-305×2))→RH-4×4段(第一中間周波増幅(中間周波数22.5Mhz±1Mhz) →RH-4(第二混合部(局発RH-4×2 f=6.375Mhz)→ RH-4×3段(第二中間周波増幅(中間周波数8.75Mhz±0.75Mhz))→DH-2(検波)→RH-4(カソードフォロー)の構成によるダブルスーパーヘテロデイン方式を採用している。
なお、受信用切換空洞共振器は送信用同期パルスが発生しているときには、放電管により受信機能は停止している。
受信パルス信号の流れ
 b-1

使用真空管 T305 RH-4 DH-2
 b-1-1

【コメント】
受信用切換空洞共振器や局発用空洞共振器を用意して1Ghz帯の受信性能の向上・安定化を図っている。
本来はVHF用の小型送信菅であるT-305を局部発振管として採用しており、常時発信では送信部の送信同期パルスに影響したのか受信用切換空洞共振器内に放電管を用意して送信時への影響を排除している。

送信機(Transmitter Unit)
指示機A(Indicator-A)内部で同期信号として500Hzの正弦波を発生させたものを入力として、ソラ(Amp)→ソラ(Amp、微分)→ソラ(Sat.Amp)→ソラ(Sat.Amp)→ソラ(Sat.Amp、微分によりパルス化)→ソラ(パルスAmp)→T307(パルスAmp)→T307(パルスAmp、グリッド変調)→T327(自励発振)→ATR管→アンテナ(電波放出)
一方、受信機の制御信号のため、ソラ(Amp)→ソラ(Sat.Amp)→ソラ(Amp)→受信機用切換空洞共振器内の放電管へ
b-2-


使用真空管 T-327 T307 ソラ
b-2-1


【コメント】
非力なソラを多用した増幅段となっているが、本来ならバワー管を使用すべきであり、変調管にしても非力なT307を使用したため、変調度が浅く送信電力も想定値よりも低下したようだ。
このため、2型ではグリッド変調からプレート変調に変更するとともに、送信菅もシングルからプッシュプルにパワーアップしている。


指示機(Indicator)
PPI表示兼測距用指示機(Indicator-A Unit、Indicator-B Unit)
指示機Aと指示機Bの2つの装置から構成されている。
指示機Aには、マスター発振器及び掃引部、帰線消去部、目盛部、測距部から構成され、指示機Bには表示装置としてブラウン管のみ装備置されており航法士若しくは爆撃士が直接使用する。
 c-1

使用真空管 SSE-120-G-B-2(写真はSSE-120-G) PH-1 RH-4 ソラ
 c-1-1

マスター発振器及び掃引部
 c-2-IMG_0139-指示機-鋸波

マスター発振部
500Hzの音叉発振器を使用することにより、周波数安定度の高い精度を補償している。
音叉発振器→RH-4(OSC)
参考事例 音叉発振器と海軍射撃管制レーダーFD2の回路図事例
 c-3

のこぎり波発生部
ソラ(amp)→ソラ(掃引波位相調整&積分回路)→PH-1×2(amp)→ ゴニオメーター →ブラウン管へ
全方向掃引モードの場合は、PPI用ゴニオメーターを介して回転時間軸に変換 → ブラウン管の垂直軸と水平軸の偏向板へ
単一方向掃引モード(Aスコープの機能)の場合は、アンテナの回転を停止しそのまま掃引波 → ブラウン管の水平軸の偏向版へ

帰線消去部
 c-4-IMG_0139-指示機-帰線消去

Master OSCで500Hzの正弦波を元に、1つはそのまま飽和増幅して矩形波を作り、もう一方では、正弦波をコンデンサーを介し位相を90度遅らせた状態にして飽和増幅して矩形波を作る。この2つの矩形波をAND条件で混合した矩形波生成し、帰線消去信号としてブラウン管のカソードに印加する。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数500Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は300Kmとなる。
この帰線消去信号の効果で約1/4の範囲しか表示できなり、表示域は75Km程度となる。
 c-5-タキ14_動作説明

目盛部
目盛発生部
ソラ(位相調整)→ソラ(飽和増幅)→ソラ(Damping OSC) → ソラ(amp)→ ソラ(飽和増幅)→ソラ(微分パルス化+Mixer)→ ソラ(カソードフォロー)→ ブラウン管の垂直軸の偏向版へ
 c-6-IMG_0139-指示機-目盛

Damping OSCとあるのは減衰振動回路のことで、同期用の500Hzの矩形波を起電力として減衰振動回路を起こすことで高調波成分が発生する。
この高調波成分の中で例えば30Khz(60逓倍)を同調させて取出す仕組みのようである。
この30Khzは索敵用(見張用)指示機のブラウン管の垂直軸の10km単位の電子マーカー(目盛)として表示することができる。
ソラ(Damping OSC)以降のステージは機能が示されてないので正確なことは不明であるが、30Khz(発振周波数値については記載なし)程度の正弦波を飽和増幅して矩形波に変換し、微分回路を通してパルス化したものをプレート検波して正パルスだけ取り出したものが、電子マーカー(目盛)となる。

測距部
ソラ(位相調整)→ソラ(飽和増幅)→ソラ(Damping OSC 2Khz) → ソラ(amp)→測距用ゴニオメーター → ソラ(amp)→ソラ(飽和増幅)→ソラ(微分パルス化+Mixer)→ ソラ(カソードフォロー)→ ブラウン管の水平軸の偏向版へ
 c-7-IMG_0139-指示機-測距

Damping OSCとあるのは減衰振動回路のことで、同期用の500Hzの矩形波を起電力として減衰振動回路を起こすことで高調波成分が発生する。
この高調波成分の中で2Khz(4逓倍)を同調させて取出す仕組みのようである。
2Khzの正弦波をもとに、測距用ゴニオメーターを介して位相調整されたこの正弦波から測距用選択パルスを生成し、指示機Bのブラウン管のグリッドに印加することにより選択している場所を目盛状の輝線としてブラウン管に表示する。
指示機A内の測距用ゴニオメーター(位相調整器)を調節することにより該当する反射パルスの位置に移動させることにより、測距用ゴニオメーター(位相調整器)で移動した移動量を距離機換算することにより正確な測距の測定が可能となる。
表示機Bのブラウン管のAスコープ表示モードの動作事例
 c-8


表示機Bのブラウン管のPPI表示モードの動作事例
電子マーカー(目盛)をブラウン管の垂直軸の偏向版に印加し回転時間軸掃引すれば写真に示すように回転する掃引軸に対して垂直方向の電子マーカー(目盛)が表示されることになる。測距用ゴニオメーターを調節すれば、固定表示の電子マーカー(目盛)に対して測距用選択パルスは掃引軸に対し移動することになり、この移動量が精密な測距距離として読み取ることが可能となる。
 c-8-1


受信信号処理について
 c-9

全方向掃引モード(PPI表示用の機能)の場合は、受信信号は指示機Bのブラウン管のグリッド(G1)に印加する。
単一方向掃引モード(Aスコープの機能)の場合は、受信信号は指示機Bのブラウン管の垂直軸の偏向板(上)に印加し、偏向板(下)に目盛と測距選択パルスを印加する。


PPI表示レーダーの技術解説については、下記のURLに掲載していますので参照願います。
日本陸海軍のPPI表示式レーダーの解説について

根拠資料
A short survey of japanese radar Volume 2からの抜粋
タキ-14
パスファインダー(嚮導機用電波暗視機)
連合軍の対応名称: ---
技術的特徴:
波長 = 27 cm、2 kW 半径20 km(高度5000 m)の範囲
精度: 距離±2 km、方位角±3°、PPI(航空機位置指示)表示
製造数 = 2または3 設置数 = 1
説明:
タキ 14 はアメリカの SCR-717B の日本版であり、航行、船舶の捜索、そしておそらく爆撃に使用される予定でした。 送信にはグリッド変調三極管 T-327 を使用し、27 センチメートルで 2 kw のパルス電力を生成する。 このアンテナは、水平ダイポールと 6x4 アレイのダイレクターを搭載したクリップされた 60 cm のパラボラで構成されており、垂直面で幅 6 (電力点の半分)、深さ 60 度のビームを与えると主張されている。 アンテナは 20 rpm で回転し、傾斜機能はなく、飛行機の胴体の下の紙ファイバー製レドームに取り付けられている。 ブラウン管の 120 では、PPI タイプのディスプレイが使用されている。 ロータリー ジョイントと水素を充填した T-R チューブはアメリカの慣例に従っている。 タキ 14 号の回路図は付録 II に示されている。
この装置は、対応するマイクロ波海軍機上捜索レーダー(51号)よりもはるかに軽量でした(120 kg対300 kg)。陸軍と海軍の共同技術を結集して、アメリカのAPQ-13に対抗するための5 om機上セットの開発計画が立案されていた。
最初に製造されたタキ 14 (東京芝浦電気株式会社製) は、試験のために陸軍のキ-21 航空機に搭載された。 予備飛行では30kmの海岸の輪郭を示した。 布佐飛行場で爆撃による機体の損傷の修理が行われている間に終戦を迎えた。
Taki-14にはI型とII型の2つのモデルがありました。第2のタイプは、第1のタイプと主に異なる点は、RF回路の空洞調整が使用され、送信機の出力が10 kWに増加したことである。この改善により、大きな陸地上での有効範囲がほぼ2倍になり、70-80 kmになった。
タキ-14の開発の経緯は、多摩研究所の「プロジェクトエンジニア」である魚住少佐によって記された。これは、戦争末期の日本のレーダーエンジニアが直面した問題と困難、および彼らの最新の航空機搭載レーダーの概要を示すものとして、オリジナルの文書の文言を使用して完全な形で提供されてる。

《タキ14(P.P.I.)の研究概要》
多摩研究所、魚住少佐著
タキ14号の研究概要(P.P.I.)
多摩研究所 魚住少佐著
1. 研究の開始時期と設計の概要。 1943年(昭和18年)8月末に研究を開始した。セット設計のための基礎データの収集が完了したため、以下のデータに基づいて東芝通信社でタキ14の試作を開始した。 
送信機:
波長=約25cm
発振器タイプ = 空洞共振器によるバックカップリング
変調タイプ = グリッド変調
ピーク出力 = 2-4 KW
パルス幅 = 1.5μs
繰り返し周波数 = 500 c/s
受信機:
タイプ = ダブルスーパーヘテロダイン
1st I.F.= 21.5 MC/S ± 1.5 MC/S
2nd I.F. = 8.75 MC/S ±1.5 MC/S
感度 = I.F後約110db ステージ
アンテナシステム:
1. グリムリレー方式による連携型送受信
2. 3次元パラボラ反射鏡を備えた八木アレイ
重さ:
整流器とインバーターを除く120kg。 整流器 = 40 kg。
2. 最初の試作を開始したときにセットに期待されていた可能性のある機能。
一方向表示では約70~80Km、パノラマ表示を採用した場合の最も見える半径は約50Kmである。
3. 研究のプロセス
1944年8月に1号試作機が完成し、キ21(九七式重爆撃機)に搭載して実験飛行を試みましたが、その性能は非常に貧弱で実用には不十分でした。 つまり、最も見える半径はわずか約 25 ~ 30 Km であった。
そこで、アンテナ系と給電部を中心に改良を続け、新たな導波管型アンテナとU型給電部の低損失接点を見つけることに成功した。
以上の改良をもとに、昭和20年2月初旬に2号試作機が完成し、再度実験飛行を試みた。 このとき、最もよく見える半径は約 40 ~ 50 Km に改善され、時折、50 Km を超える高山などの大きな天体の反射系統が現れました。したがって、それほど満足のいくものではありませんが、いずれにせよ実用的なセットであることがわかった。
以来、タキ14型1型として20機の製造を計画し、製造と並行して研究を重ねて改良を重ねてきた。
しかし、川崎の制作会社は何度も爆撃を受け、製作途中のセットのほぼすべての部品が完全に灰燼に帰した(試作3号機のみを残した)。
致命的な被害にもかかわらず、私たちは1945年の8月以降も何度も生産を計画したが、戦争が終わるまで無駄でした。 一方、当研究室では送信機の出力を10Kw以上に向上させ、高周波回路をすべてキャビティ回路に改良した実験セットを完成させました。 このタイプのセットをタイプ II と呼ぶ予定である。
この実験セットの最も可視的な半径は、確かに約 70 ~ 80 Km に達した。 しかし、正式な試作が行われる前に戦争は終わった。
さらに、10cm機(タキ24号)と5cm機(タキ34号)の基礎研究を進め、5cm用の強力な送信機マグネトロンを除き、ほぼ完全な設計データを取得した。 タキ14号との違いは高周波回路の寸法と送信菅の2点のみである。しかし、前述のタキ14型Ⅱ型と同様に、製造開始前に終戦を迎えた。
4. 研究所にあったセットの処分
上記のように、セットは実用化される前に突然戦争が終わり、研究室での実験だけが行われた。戦争終結時点でのタキ14試作セットの性能は以下の通りである:
Type Iでは最も見える半径は約40-50 km、Type IIでは約70-80 kmでした。さて、今年の8月14日、戦況が緊迫しすぎて技術者でさえも研究を続けることができなくなりました。私たちは前線に行って死ぬために備えるしかありませんでした──言ってみれば「死ぬ」ためにです。
最終的に、私たちは愛しいセット(お許しください、私が「愛しい」と言ったことを)と、調査や実験の重要な文書をすべて破棄し、戦争が終わる前に突然終戦を迎えました。エンジニアとして、セットや技術文書を灰にする必要があったことをとても残念に思っています。もし8月15日に戦争が終わり、実際にアメリカ軍や空軍が平和に上陸されると分かっていたなら、私たちは決してセットを破棄しなかったと責任を持って言えます。
上記の理由から、タキ14の部品まで持ち出そうとすれば、おそらく東芝通信にしか可能性がないと思いますが、正直言って、あなた方の爆弾はあまりにも多く、すべてを灰にすることなく何かを残す余地はなかったと疑っています。
5. 回路図は、私の記憶と適当なメモの集積で書いたものですが、間違いないと確信しています。II型はI型と違って高周波回路と発振器だけで、つまり前者は高周波回路を完全に空洞型に改良し、発振器はプッシュプルである。

SCR-717の概要
Sバンド航空機レーダ、3100-3400MC、150KW-PP SCR-517をベースに開発したマイクロ波小型パッケージのASVである。SCR-717-Aは、パイロットとオペレータ用にBスコープを提供し、最大レンジは5、20、50、100海里である。前方または後方の180°を任意にスキャンすることができる。SCR-717-Bは、パイロットとオペレーター用のPPIスコープで、最大射程は4、25、40、100海里である。360°スキャンはすべてのレンジで可能で、4マイルレンジではオープンセンター表示も可能である。また、IFF識別用の接続端子も備えている。IR、Bacon、AN/APQ-5(レーダー火器管制)装置との接続が可能である。テストセットIE-57またはLZとPE-143電源装置がメンテナンスのために必要である。
※ASVとは(、air to surface vessel )のこと 空対海上船舶監視レーダーのこと

SCR-717の諸元表を整理すると以下のとおりである。
Frec、mcs ----------------------------- 3100から3400Mhz
Prf、cps -------------------------------4マイル20270、25マイル3239、40マイル2027、100マイル809
パルス幅、μsec --------------------- 不明
ピークパワーアウト------------------- 不明
アンテナ------------------------------不明
指示器--------------------------------SCR-717-AはBスコープ、SCR-717-BはPPIスコープ又は、4マイル時のみAスコープ(open center indication on the 4 mile rang)にも対応
最大範囲------------------------------100マイル
範囲精度------------------------------推定最大索敵距離。5,000〜10,000トン級船舶で70マイル、浮上した潜水艦で20マイル。最小索敵距離 600フィート
容積--------------------------------- 24" x 37" x 43 "
電源----------------------------------飛行機のDC電源から27.5ボルトで100アンペア
重量--------------------------------- 773ポンド
なお、B-24にSCR-717は搭載されていた。
米国と豪州の連合軍は、ニューギニア戦線(ポートモレスビー攻略作戦)でB-24による偵察、爆撃をおこなっている。
この戦線において、B-24の撃墜などにより、SCR-717-Bが日本陸軍に鹵獲されたものと思われる。
z-2

同等の指示機Bの参考事例とし米軍のAPQ-13を示す。
 z-3



【総合コメント】
・タキ14の開発の問題点について
戦後GHQに対して、陸軍多摩研究所魚住少佐は下記の報告書を提出している。
タキ14は1943年(昭和18年)8月末に研究を開始した。セット設計のための基礎データの収集が完了したため、以下のデータに基づいて東芝通信社でタキ14の試作を開始した。 
ここで「以下のデータ」とあるのが米軍のSCR-717を手本にした基本的な設計仕様のことである。
タキ14とSCR-717の相違点について
使用周波数は、タキ14が1111Mh(波長27cm)に対して、母体であるのSCR-717は3100から3400Mhz(波長9.6cmから8.8cm)を使用している。
この理由は、東芝には実用化レベルの磁電管(マグネトロン)がないためSCR-717の3Ghz帯に対応することができず、従来技術の3極管で対応するためには、東芝としては1Ghzが限界であったのが原因である。
このことは、東京芝浦電気株式会社八十五年史に下記のように記載されている。
以上のごとく電探用送信機としては多くの種類を製作したが、これらの大半は三極管方式によったものである。
これは機器内に使用する真空管は極力同一規格の三極管を用いるもので、操作保守を能率的かつ簡便にするには極めて有効な方式である。
もちろん三極管で超短波を発振することには、構造的にも周波数の限界があるが、当社では極力この方針を推進して、戦争末期に当局から磁電管の製作を要請されるまでこの方針を貫き各種の特色ある兵器を完成した。
このうちには三極管を使用した極超短波(マイクロ波)の電探がある。
これは波長30~60cm(周波数500~1000Mc)のもので、それまでの超短波を用いたものよりもはるかに分解能のすぐれたものであった。
航空機用及び船舶用として開発していたが、昭和19年春、南方の戦局非を告げるに及んでこれら新兵器を急速に完成することが強く要望された。
当社はこれに応じて当時の柳町工場、小向工場を主体として、数千人に及ぶ従業員を動員し完成に努力した。
このことは太平洋戦争の全期間を通じて国内軍需産業面におけるもっとも大きな努力の一つであったと思われるが、そのころすでに総合的な組織力を欠いた戦況下にあっては実効をあげることができず、かえって当時の責任者であった今岡技師長を失うという不運な結果となった。

・日本の磁電管(マグネトロン)の開発の取り組み姿勢について
ここでの問題点は、東芝は技術陣のトップは、磁電管(マグネトロン)の開発に後ろ向きであったという事実である。
タキ14の開発先として日本無線が行えば既に実用化した磁電管(マグネトロン)を持っていたので開発はスムーズに行われ可能性が高い。
更に海軍の2号電波探信儀2型の問題点であった受信機のスーパヘテロダイン方式の採用も早期に可能となったはずである。
また、円形導波管から矩形導波管への転換などマイクロ波技術の大幅な向上が図られる絶好の機会であった。

米国が航空機用のASVのPPI表示レーダーSCR-717を製造しているということは、艦艇用や地上用PPI表示レーダーも開発しているとは容易に想像できるが、当時の陸海軍の電波兵器開発責任者はこのことを理解せず、日本も同じ土俵である航空機に同様なPPI表示レーダーの開発のみに終始している。
海軍であれば、このPPI表示レーダーSCR-717の技術を活用して、艦艇用の水上見張用2号電波探信儀2型の改善とPPI表示化を目指すのが研究開発機関として役目のはずであった。
陸軍でも敗戦末期にタチ28号戦闘機嚮導装置を計画したが、昭和18年中期から陸上用PPI表示レーダーの開発を着手していたら、防空用の戦闘機嚮導に大変役立つシステムとして運営できただろう。

本来なら3Ghzといったセンチ波利用であれば、日本無線の磁電管(マグネトロン)しかないにもかかわらず、開発担当会社としてはまとはずれの東芝や日本電気に開発委託している。
東芝の社史にも<三極管で超短波を発振することには、構造的にも周波数の限界があるが、当社では極力この方針を推進して、戦争末期に当局から磁電管の製作を要請されるまでこの方針を貫き各種の特色ある兵器を完成した。>とあるように、問題は発注側である陸海軍の研究機関のレーダー開発への目標設定とそのマネージメントの欠落であったと指摘せざるを得ない。

・タキ14の高度判定用方法について
タキ14のアンテナについては、下方60度までの電波放出が可能であるが、アンテナは方位角用の回転は可能だが、仰角用の角度調節機能はない。
したがって、自機の真下は電波放出できないので、直接真下までの距離である高度をレーダーで測定することはできない。
タキ14には、アンテナを回転したPPI表示モードに加え、アンテナを停止した状態でAスコープとして使用するモードがある。
Aスコープモードの場合には、ゴニオメーターを使用した測距システムが用意されている。
同様に、米軍のSCR-717にも同様な機能が用意されている。
自機の高度を測定するためには、斜辺の距離とその角度θが分かれば、下記の計算式により三角形の高さとして計算することができる。
H(高度)=R(斜辺にあたる距離データ)sinθ(仰角データ)
しかしながら、上記の設定条件では自機からの仰角θを正確な情報として決定することができないが、本機のアンテナの特性は仰角については水平から下方に60度までのビーム幅を持っていることから、アバウトな情報ではあるがこの60度からθを計算すれば高度情報を得ることは出来る。
なお、タキ14と同系列のタキ34では、<PPIスコープには可変範囲円が現れ、Aスコープにはそれに対応する輝点が軸に沿って現れる。高度測定回路が組み込まれており、地上反射円がちょうど点となるように掃引を遅らせることができる。>との記載があるがタキ14の測距機能のことに言及しているのだろうが、地上反射円が点になる条件はないと思われる。
原文の英文を参考のために掲載する。
A variable range circle appeared on the PPI scope, and a corresponding bright spot along the axis of the A-scope. An altitude measuring circuit was incorporated, by which the sweep was delayed until the ground return circle just closed to a dot. 

<資料1>
タチ34のPPIとAスコープの仕組み
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
4. 住友通信工業株式会社(住友通信工業株式会社) の項から
1944年11月、多摩研究所は住友通信に5cmの航空機搭載用探索レーダーの開発・製造を指示した。「できるだけ出力と飛距離を大きく」という一点のみであった。
このセット(Tachi-34)の指示器(インジケーター)は、鹵獲されたAPQ-13のものにも影響を受けている。磁気回転スイープコイルを備えたPPIスコープを使用していた。 Aタイプの高度用スコープも提供された。 どちらも 0 ~ 50 km の目盛りがあった。鉱石検波器ミキサーは黄鉄鉱やシリコンにタングステンの針がついたものが使われた。中間周波数は当初100MCで、I.F.増幅器は954型エーコン管8本であった。その後、100MCのI.F.を2段だけ使用し、27MCで7段増やし、I.F.増幅率を高く(80db)、バンド幅(± 2.5 MC)広くするように改造された。
80cmのパラボラアンテナ反射板は、2つの回転ジョイントを通して導波管(ウェーブガイド)伝送路で給電されたものを使用した。アンテナは20~60rpmで回転し、仰角は0°~-60°に可変である。
 PPIスコープには可変範囲円が現れ、Aスコープにはそれに対応する輝点が軸に沿って現れる。高度測定回路が組み込まれており、地上反射円がちょうど点となるように掃引を遅らせることができる。
1945年7月に完成した1セットが多摩研の技術者に渡され、網代(東京の西75マイル)の海を見下ろす高い岬にアンテナを取り付けて距離試験が行われた。その結果、陸上目標で12〜15kmの距離しか出ず、満足のいくものではなかった。

<資料2>
A short survey of japanese radar Volume 2
タキ-14
《タキ14(P.P.I.)の研究概要》多摩研究所、魚住少佐著
10cm機(タキ24号)と5cm機(タキ34号)の基礎研究を進め、5cm用の強力な送信機マグネトロンを除き、ほぼ完全な設計データを取得した。 タキ14号との違いは高周波回路の寸法と送信菅の2点のみである。しかし、前述のタキ14型Ⅱ型と同様に、製造開始前に終戦を迎えた。

<資料3>
・PPI画面事例
下図は英国の独逸が鹵獲したPPIレーダーH2Sの技術情報を日本側に提供されたものを整理したものである。
やはりアンテナの下方領域の制約があり、自機の直下は影像として取出すことはできない。
なお、戦略爆撃機に搭載して場弾を投下するのが目的であることから、自機の直下は影像を見る意味はない。
PPI表示では、地面からの反射と市街地の建物からの反射及び湖からの反射を元にしたイメージ図が描かれている当然建物からの反射係数が高いことが分かる。
なお、赤丸は高度常用用指示機(Aスコープ)の画面イメージである。
z-1-99


・ブラウン管の選定について
指示機Bに使用しているブラウン管の型番をみるとSSE-120-G-B-2とあるが、このSSEなる型番は日本電気(住友通信)の固有の型番である。
本機タキ14は東芝が製造したものであるので、本来なら同じく東芝が開発したタチ2のブラウン管BV-120-Aなどの東芝製のブラウン管(当時は東芝製品が標準品として採用されていた)が使用される必要があるが、東芝でもさえPPI表示用レーダーのために必要な残光性のあるブラウン管の製造ができなかったのであろう。
なお、日本電気はSSE-120-Gを戦後も製造したが、120EB1の新型名となっている。
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
4. 住友通信工業株式会社。(住友通信工業株式会社)のレーダー個別研究開発内容
残光性スクリーンを備えた陰極線管 (1944 年 9 月~1945 年 5 月)
レーダーに使用するための特別な残光性を持つ蛍光物質の実験的研究が行われた。 このタイプの陰極線管が生産された。 このようなレーダーの観点から、機械的および電気的要件が分析され、これらの機能を組み込んだブラウン管が製造された。




参考文献
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会
A short survey of japanese radar Volume 1
A short survey of japanese radar Volume 2
Radionerds.com  https://radionerds.com/index.php/SCR-717#p-search
アマチュアのオシロスコープ技術 榎並利三郎 昭和44年6月
東京芝浦電気株式会社八十五年史 昭和38年発行

5号電波探信儀1型(51号)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

本機の概要を「日本無線史」10巻1951年 電波管理委員会からの抜粋で紹介する。
電波暗視機
電波探信儀の輻射電波を回転して得られる反射波を組み集め、一望の下に反射物体の存在を見ようとする電波暗視機に関する海軍の研究は、昭和20年に入り着手したもので、波長10糎、尖頭出力6kw、衝撃幅1.4マイクロ秒、繰返周波数600c/s有効距離20乃至100粁、輻射部の回転速度毎分60乃至45回のものを試作し、高度9000米までは異常なく動作する状態に於いて実用実験をなし、或程度の図形が出るようになったが、その僅終戦になった。

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、Radar NO.51とある
製造会社は日本無線株式会社である。
日本側での制式呼称は、5号電波探信儀1型(51号)更に一般呼称としては、19試空3号電波探信儀30型、「かすみ」及び「かすみ51号」などの呼称がある。
なお、米軍へ提出されたブロックダイヤグラムは、一部ラインに不適切な箇所があると判断して、こちらで修正を行っている。
a-1


ブロックダイヤグラムでは、次の5つのブロックの機能で構成されている。
Gyro Unit  Antenna Unit  Transmitter & Top Amplifier Box  Indicator Box  Intermediate Amplifier Unit  

空中線(Antenna Unit)
パラボラアンテナの構造などの基本情報は明示されていないが、輻射部の回転速度は毎分60乃至45回と記載されている。
下図は、アンテナの回転機構とそのモーター及びPPI用ゴニオメーターの配置を示している。
 a-2

送信部の結線図の一部であるが、金属管のことを「高周波単心(特殊型)」と記載している。
給電線には基本は金属管を採用し、受信部の一部のみ導波管を使用してTR管(B-6)を配置している。
なお陸軍のタキ14にはATR管を採用していたが、本機海軍の51号には採用していない。
給電方式は、米軍のような矩形導波管とTR管、ATR管の使用方法とは全く異なっている。
a-3


送信機(Transmitter Unit)&受信用高周波増幅部(Top Amplifier Box)
送信機(Transmitter Unit)
指示機内の同期発振器により600Hzの正弦波を発生させ、さらに指示機内で1200Hz(未確認)に加工し、これを送信同期信号として送信機の入力として供給している。
送信部は、この送信同期信号パルスをV1(ソラ)とV2(FZ-064A)の2球でパルス増幅し、謎のV3(OXG-4)とV4(K-012X)を介して、V5(磁電管M314)により自励発振を行い、金属管の給電線を介してアンテナから電波放出を行っている。
 b-1

 b-1-1

ここで、V3(OXG-4)の真空管の表記方法は初めて見るものである。
V4(K-012X)については、最初がKで始まることから整流菅であることがわかる。
V3及びV4の機能は明らかに変調部であることがわかるが、戦時の日本のレーダーではパルス生成用にXb-767-Aといったサイラトロンを使用したタチ6の初期モデルの事例はあるが、変調の終段部に放電管を使用した事例は全くない。
なお、送信機部品表には下記の情報があった。
V3 OXG-4(320mmHG of H2)→ 水素を充填した放電管を意味している
V4 K-012X  → Kの表記は一般的には整流菅、Xは高圧を意味しておりKX-142系列か
V5 M-314 → Mはマグネトロン(磁電管)を示す
V7 B6(50 mmHG of H2) → 水素を充填した放電管で、TR管として使用
このことから、V3 OXG-4は放電管、V4 K-012X は高圧整流菅の1種であることは推定できる。

調査にあたり原点に戻り、51号の開発参考元である英国のH2Sレーダーを調査すると確かにTrigatron(トリガトロン)CV85なる放電管による変調方式を採用していることが判明した。
このことにより、日本海軍の51号の開発では、英国のH2Sレーダーからかなりの開発ノウハウを活用していることを意味している。
写真は、英国のH2Sレーダーの指示機、送信部とマグネトロン、変調部とTrigatron(トリガトロン)CV85の事例を示す。
 b-1-2

Trigatron(トリガトロン)の機能概要
高電流および高電圧用に設計されたトリガー可能なスパーク ギャップ スイッチの一種です。これらは構造が非常に簡単で、多くの場合、最も低コストの高エネルギースイッチングである。
トリガトロンには3つの電極がある。重い主電極は高電流スイッチング経路用であり、小さな 3 番目の電極はトリガーとして機能する。通常の動作中、主電極間の電圧は、主電極とそれらの間の誘電体 (通常は空気、アルゴン酸素、窒素、水素、または六フッ化硫黄) との間の距離に対応する降伏電圧よりわずかに低くなる。
高電圧パルスがトリガー電極に印加する。これにより、スパークが発生し、主電極の 1 つとの間の媒体がイオン化し、電極間の非イオン化媒体の厚さが短くなる。スパークが発生すると、メインギャップ内で紫外線と自由電子も生成される。これらは主ギャップの急速な電気的破壊を引き起こし、主電極間の低抵抗の電気アークで最高潮に達する。アークは、電流がアークを消滅させるのに十分に低下するまで伝導し続ける。 トリガー電極は、ほとんどの場合、正の主電極の中心にある穴を通して取り付けられる。穴のない主電極が負極である。初期のレーダー変調器でマグネトロンに高出力パルスを供給するために使用された。
さらにレーダーのバイブルであるMITのPrinciples of RADAR 1952年度版には、アルゴンサイラトロンと水素サイラトロンによるパルス変調機作成の事例が紹介されているが、英国生まれのトリガトロンには言及されていない。 
本機のV3 OXG-4(320mmHG of H2)の仕様から水素サイラトロンの可能性もあるが、サイラトロンの回路図面表記方法はOXG-4のものとは異なっている。
OXG-4の回路図面からはTrigatron(トリガトロン)としての使用方法であることが強く推測される。
送信部の回路図を見ると+2KVと-2KVの直流電圧を用意し、OXG-4の両端に接続し、送信同期パルスをV1(ソラ)とV2(FZ-064A)の2球でパルス増幅したパルスをトリガー端子に印加して、高エネルギースイッチング動作することにより変調部の終段部としている。
さらに、V4  K-012Xは高圧整流菅としてここではマイナスパルスのみ取出し、V5(磁電管M314)に印加し、自励発振を行っている。
なお、送信パルス発生時はB-6放電管(TR管)をショートさせて、受信機への送信パルスの混入を防止している。
真空管事例 XB-767-A CV85 戦後の国産の水素サイラトロンJRC1G45P 東芝2G22P
 b-1-3


受信用高周波増幅部(Top Amplifier Box)
アンテナ →金属管の給電線 → 受信用空洞共振器(局部発振器 磁電管M-60S)→ 鉱石検波器 → RH-4×2(中間周波増幅2段:IFは14 MC/S)→ 受信用中間周波増幅部へ
なお、空洞共振器には放電管(TR管)があり、受信時に送信パルスの混入を防止している。
参考情報
B6はTR管(放電管)50 mmHG of H2
 b-2

b-3

使用真空管はM-314、M60S、FZ-064A、RH-4、ソラである。なお、OXG-4(トリガトロン)とK-012Xについては、仕様を含めて外観を見つけることができなかった。
 b-4


受信用中間周波増幅部(Intermediate Amplifier Unit)
RH-4×7(中間周波増幅7段:IFは14 MC/S)→ソラ(検波)→RH-4(低周波増幅)→RH-4(カソードフォロー)→指示機へ
 c-1

使用真空管はRH-4、ソラである。
 c-2


指示機(Indicator Box)
PPI用ブラウン管の型式は、GB-3と記載されているが、正式には住友通信社製(日本電気)SSE-120-G-B-3のことで残光性の高いPPI用の特殊なブラウン管である。高度測定用指示機のブラウン管は東芝規格のBG-75A(ブロックダイヤグラムではBG-75Gとあるが誤記と思われる)で一般に使用される汎用品である。
使用真空管は、120mmブラウン管の偏向版用のパワー出力管である日本無線製規格のFZ-064A以外はすべて汎用の万能菅と称する新型管「ソラ」のみで構成されている。

PPI表示レーダーの技術解説については、下記のURLに掲載していますので参照願います。


 d-1

なお、各機能の説明の前に、本機の特殊な機能である機首方向信号パルスの機能について触れておく。
A short survey of japanese radar Volume 3の51号の説明文には、「どの瞬間でも機体の進行方向を示す方位線が表示されるようになっている。」と特徴が記載されている。
この特殊機能を実現するため、アンテナの回転部の機首方向部分に特殊なスイッチ装置(回転火花間隙)によりパルスを発生したものを受信信号と混合してブラウン管に表示させることにより実現している。

 d-2

同期用発振器とPPI用表示ブラウン管用「のこぎり波」の生成
V1(600Hzの正弦波+出力側で微分)→V2(Amp+出力側で積分してのこぎり波生成)→V3(Amp)→V4(Amp)→PPI用ゴニオメーター(セルシン変圧器と同等)→V13(住友通信製SSE-120-G-B-3の水平、垂直軸の偏向板への回転時間軸の「のこぎり波」を印加)
【コメント】
「のこぎり波」の繰返し周波数は600Hzとなるが、この600Hzの周波数はPPI画面の解像度との相関関係により決定される。

送信同期パルスの生成
V3(Amp)→ V5(Amp+出力側で微分)→ V6(ブロッキング発振+出力側で微分してパルス化)→ V7(送信同期パルスAmp)→ 送信機へ
【コメント】
V1による600Hzの原発振の正弦波から、V6のブロッキング発振処理により、本来の送信同期パルスの発振周波数(発振周波数は記載されていない)に変換しているが、おそらく1200Hz程度の周波数に変換されていると思われる。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数600Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は250Kmとなる。
パルス繰返し周波数1200Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は125Kmとなる。
なお、根拠資料として日本無線史では<有効距離20乃至100粁>との記載がある。

高度情報用A表示ブラウン管用「のこぎり波」の生成
V5(Amp+出力側で微分)→V6(ブロッキング発振+出力側で微分)→V8(Amp+出力側で積分してのこぎり波生成)→ V12(東芝製BG-75Aの水平軸の偏向板へのこぎり波を印加)
【コメント】
パルス繰返し周波数と同様に「のこぎり波」の繰返し周波数も1200Hzとなるので、高度情報用A表示ブラウン管の表示域は最大測定可能距離である125Kmの範囲に限定される。

➃受信信号処理
受信信号 → V11(Amp) → V12(高度情報用A表示ブラウン管の垂直軸の偏向版に印加)
受信信号 → V9(Amp+V5からの矩形波を混合)→ V10((Amp+機首方向信号パルスを混合)→ V13(輝度変調としてPPI用表示ブラウン管の第一グリッドに印加)
【コメント】
受信信号 → V9(Amp+V5からの矩形波を混合)では、実際の回路図面では、受信信号をG1へ、V5で作った600Hzの矩形波をG3に印加することにより両波を実質的に混合している。混合の結果、V5の矩形波の上に受信信号を畳込む形となっているが、この信号が何を意味しているかと言えば、テレビ受像機の影像信号に直流を加える「直流再生機能」と同等の機能と考えられる。
この技術によりPPI画面は、この疑似「直流再生機能」により画面全体がより明るく、コントラストの効いた効果が得られることを期待したのであろう。
このような技術背景には、NHKの高柳技師が放送技研グループの活躍の結果と思われる。

<参考資料>
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉
51号試作の分担は、高柳技師が放送技研グループを活用してPPI方式の指示機と、そのブラウン管の蛍光塗料を、技研三鷹分室の鳩山道夫技師(ソニー初代研究所長)のグループと霜田氏が日本無線の協力を得て送受切替管、変調放電管、導波管及び空中線関係を、藤波恒雄技術大尉(現、原子力工業センター理事長)が、総体としてのエレクトロメカニカルの部分を担当し、機械設計は日本無線の設計部が行った。試作機が完成に近くなったころ、斎藤技術大尉と高木技手は、22号受信機改二の改造作業から解放されて51号の調整試験のメンバーとして参加できるようになった。(桂井)

テレビジョン早わかり ラジオ科学社編 昭和17年2月第5版より抜粋
 d-3

真空管はブラウン管SSE-120-G(B-3規格のものは入手不能)、BG-75A、FZ-064A、ソラである。
 d-4


Gyro Unit 
日本で初めて航空機搭載用レーダーのアンテナに、縦ゆれ防止対策用のGyrostabilizer( ジャイロスタビライザー)の導入が計画されていた。
 e-1

解説
励磁機から直流発電に加わる電圧の大きさは、抵抗ブリッジを使って調節する。もしブリッジの平衡がとれていれば、直流発電機の界磁電圧は零となり、空中線駆動用電動機の回転は止まる。
ブリッジの辺にある平衡調整用の抵抗を変えると、直流発電機の界磁電流が流れ、その電流の方向及び大きさにより電動機の回転が変化するわけである。
ブリッジの抵抗を変えるための短絡の接点は、差動セルシン電動機から歯車機構で連続した「てこ」Lで動作させる。「てこ」が動くとブリッジ抵抗片の短絡接点の上を短絡片が動き、これで主直流発電機の界磁に加える電圧の大きさ及び方向を制御するのである。
 e-2



【総合コメント】
・開発の独自性についての考察について
開発の着手は下記の資料のとおりである。
第二海軍技術廠の敗戦時の電波兵器研究実験の状況について(GHQ報告資料)
(ホ)大型機(ママ;船)用電波暗視機(五一號)
十九年七月研究に着手、試作機二〇年四月完成、実用実験中なるも識別能力不足
波長  一〇糎      尖頭出力  五KW 磁電管方式
能力  未定
第二海軍技術廠とあるが、昭和20年2月時点に統合化されたもので、それ以前の開発組織は、海軍技術研究所電波研究部と海軍航空技術廠の別々の組織で開発が行われていた。
ここで開発組織としては、<海軍技術研究所の電波研究部と横須賀の航空実験隊とが直接協力して行った。>とあるが横須賀の航空実験隊とは海軍航空技術廠のことであり、航空機用電波兵器の開発の所管は当然海軍航空技術廠である。
ただし、海軍航空技術廠が主務者ではあるが研究能力・人材は電波研究部が圧倒していることから「直接協力」との用語を使用しているが実務的には電波研究部が主導して開発は行われたようだ。
さらに、<終戦時の第二海軍技術廠の組織体制について>の資料によると
(3) 大型機用レーダー(ロッテルダム型)の研究(かすみ51号)
このレーダーは飛行機からパノラマスキャンを得るためのもので、220型センチレーダーから発展したものである。 三沢で試作されたが、満足のいく結果は得られなかった。 
この資料では、海軍技術研究所電波研究部による220型レーダーとあるのは31号のことから、5号電波探信儀1型(51号、かすみ51号)の開発も電波研究部も事前に研究していたことが分かる。
なお、陸軍 タキ14は1943年(昭和18年)8月末に研究を開始した。東芝通信社に試作を命じており、このベース技術としては米軍のSCR-717であることは判明している。
このため、5号電波探信儀1型(51号)も米軍のSCR-717の影響をある程度受けていると思われるが明確にどの部分を参考開発したかは資料もなく指摘できない。
逆に、ブロックダイヤグラムの解析からは英国のH2Sレーダーとの類似性を送信機の変調部にみることができる。
ただし、給電線としての金属管の採用やTR管の配置方法など独自技術の可能性が高いことが覗える。
どちらにせよ敗戦末期に日本でもPPI表示レーダーを不完全ながらもシステム構築できたことは大きな成果であったといえるだろう。

・開発の経過について
開発着手は、1944年(昭和19年)7月であり、アンテナ系の輻射器の設計図面は1944年(昭和19年)11月30日であることがわかる。
送信機結線図は、1945年(昭和20年)3月13日に決定するも4月16日にも仕様変更するなど設計確定には更に時間がかかっている。
昭和20年(1945年)4月 海軍5号電波探信儀1型(51号)の完成と記録されている。
f-1

 

・給電線として金属管の採用について
写真のコメントには、「High Frequency “Plumbing” and 400 Cycle Dynamotor」とあることから、直訳すれば高周波”配管or鉛管”となり、矩形導波管(waveguide)ではなく、所謂金属管(Plumbing)が使用されていたことが分かる。
しかしながら、不鮮明な写真ではあるが写真を見る限り同軸ケーブル(coaxial cable)に見受けられることが少し気になる点である。
なお、51号の開発着手時期には、31号や33号にアンテナとの回転可動部に二重同軸ケーブル(日本無線史にて記載されている用語)の採用が計画されており、金属管と二重同軸ケーブルとの関係が同じものではないかという疑念が払拭されない。
もし金属管と二重同軸ケーブルが同じものであれば、今度は日本無線株式会社が同時に陸軍のために独逸のウルツブルグレーダーの国産化を目指しているタチ24の高周波同軸ケーブルと同種のものの可能性もあるが、これ以上の情報がなく特定することができない。
 f-2
f-3

なお、写真のコメントには、「High Frequency “Plumbing” and 400 Cycle Dynamotor」とあることから、電源は航空機仕様の400Hzのダイナモが採用されていたことが分かる。

・英軍のH2Sレーダーの実際の運用画面
上がPPI画面、下が高度情報をAスコープ表示し、距離測定(自機と目標物の距離;斜辺)したものを右下の高度計算機で入力したら、アナログ表示のドラムにより実際の高度を読み取ることができる仕組みのように見受けられる。
 f-4
 f-5


・海軍5号電波探信儀1型(51号)の外観 
指示機はH2Sが縦型に対して、51号は横型の外観に見受けられる。
 f-6


参考情報 タキ14と51号の機能比較
 f-7

【感想】
日本海軍技術研究所、空技廠及び日本無線の技術者は、78年前の敗戦末期に英国の「H2S」レーダーの国産化のために全力傾注した。
翻って、今日ではロンドンと英中部を結ぶ次世代高速鉄道「HS2」の建設計画に、日立製作所が仏アルストムと共同で第1期の車両の製造や保守管理などを19・7億ポンド(約3600億円)で受注している。
隔世の感というか何と皮肉なことなのだろうか。




参考文献
「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「続日本無線史」第一部 昭和47年 続日本無線史刊行会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 原書房
機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二
日本無線社史 五十五年の歩み 昭和46年6月1日発行 日本無線株式会社
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011008900、技術資料調査表(防衛省防衛研究所)」
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C08011009000、研究実験の状況(防衛省防衛研究所)」
A short survey of japanese radar Volume 1
A short survey of japanese radar Volume 3
テレビジョン早わかり ラジオ科学社編 昭和17年2月第5版
レーダー工学(上巻)
ブラウン管及び陰極線オシログラフ 昭和17年2月発行
無線工学ポケットブック 日本電波協会 オーム社 昭和29年11月発行
ケンさんのホームページ トリガトロン
http://kawoyama.la.coocan.jp/tubestorynspecialstabilizer.htm
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Yahooオークション情報

3号電波探信儀2型(32号)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、TYPE 32 (105S2)とある。
製造会社は日本無線株式会社である。
日本側での制式呼称は、3号電波探信儀2型(32号)である。
なお、米軍へ提出されたブロックダイヤグラムは、信号制御ラインなどに不足・誤記の箇所があると判断して、こちらで修正を行っている。
 a-1

ブロックダイヤグラムでは、次の13のブロックの機能で構成されている。
Antenna Unit Receiver Range Unit Indicator for waring Synchronizer  Transmitter  Modulator  Attachment
Indicating parts:Constant voltage rectifier  Constant voltage apparatus
Receiving parts:Control box 
Transmitter parts:Control box  Rectifier

外観と機械室内部について
 a-2

注 Chogoとは藤沢市長後のこと。昭和19年9月1日に海軍電測学校が辻堂演習場にも近い神奈川県藤沢市辻堂字浜見山(現・辻堂東海岸)に開かれた。
藤沢には航空用電波兵器・光学兵器整備訓練教育を実施する藤沢海軍航空隊が6月に開隊されている。

空中線(Antenna Unit)
送信用矩形電磁ラッパ1個及び受信用矩形電磁ラッパ2個(横口径2000mm、縦口径600mm、長さ2750mm、アンテナ利得20db)である。
導波管は受信アンテナ部のみ矩形導波管を採用し、等感度方式のため交換機(分配器)による左右の受信信号を分離し、下部の機械室までは円形導波管を使用して受信機に接続している。
なお、送信部については、全て円形導波管で従来どおりの設計となっている。
アンテナである送信用矩形電磁ラッパ1個及び受信用矩形電磁ラッパ2個と下部の機械室は固定設置しているので、アンテナの向きを変える為には機械室全体を回転させる必要がある。
 a-3

a-4
 
等感度方式について
ブロックダイヤグラムのアンテナの部分には下記のキーワードが記載されている。
Interchanger         交換機
Interchanging signal generator  交換信号発生器
Interchanging signal  交換信号
driving motor   駆動モーター
brightness suppressor signal   輝度抑止信号

等感度方式を実現するために、Interchanger (交換機)を用意し、矩形導波管の中に半円状の円板を電動機で回転することにより導波管の信号を遮断できる仕組みを用意し、左右の矩形電磁ラッパからの受信信号を交互に受信機用導波管に導く仕組みをとっている。
a-5

 
更に、ブロックダイヤグラムでは省略されているが、同じ電動機軸に左右の受信信号を分配器と連動して配置し、受信機出力の受信信号をアンテナの左右の信号の同期を取り、方位角用指示機の垂直軸の入力信号として送り込むことにより、左右交互受信信号を同時にブラウン管に表示することができる。
このような仕組みは大戦初期のシンガポールで鹵獲した英国のSLCレーダーの位相環(Phase Shifter)のノウハウを利用している。

参考に、海軍4号電波探信儀3型(L1)の位相環を示す。
 a-6

3号電波探信儀2型(32号)は、空中線(Antenna Unit)の構造は根本的な改良が図られたが、受信機(Receiver Unit)、送信機(Transmitter Unit)及び同期発振機(synchronizer)、測距儀(Range Unit)及び見張用指示機(Indicator for waring)については、既存の2号電波探信儀2 型 改4の機能を踏襲している。
したがって、各部の機能説明については、下記のURLを参照願います。
2号電波探信儀2 型 改4のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について


受信機(Receiver Unit)
受信信号の流れ(方位角指示機のみ機能追加分)を下図に示す。
a-7



同期発振機(synchronizer)、測距儀(Range Unit)、見張用指示機(Indicator for waring)及び方位角用指示機(Indicator for Bearing)について
2号電波探信儀2型については、同期発振機(synchronizer)、測距儀(Range Unit)及び見張用指示機(Indicator for waring)の機能があったが、3号電波探信儀2型(32号)は2号電波探信儀2型のシステムに追加して方位角用指示機(Indicator for Bearing)の機能が追加されている。
 a-8


【開発の経緯】
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会より抜粋
見張用電探の改善流用-失敗
そこでまずは既装備電探の改善で対応することが試みられた。二号電探一型波長1.5メートルのアンテナを二組に分け、また二号電探二型(波長10センチ)の受信電磁ラッパを二個とし、それぞれアンテナ切換装置を付属させ、左右両部の切換えを行って等感度受信方式を採用することより、測角精度を向上させ、また精密測距装置を付加して測距精度をも高めることにした。この両方式のものを戦艦大和に仮装備し、対水上射撃用電波探信儀としての性能実験を、昭和18年7月から8月にかけて実施した。その結果、部分的に不備な点はあるが、それらの改善を行うならば実用可能であるとの結論を一応得た。しかし、その後も二号二型の受信機の作動安定化の研究は依然として思うように進まず、また切換装置も不安定であったので、当分整備の線からははずされることになり、取り敢えずの対応策として二号一型系を昭和18年末から翌19年1月にかけ、巡洋戦艦及び重巡洋艦に整備することにした。しかし、調整困難で信頼性が不十分であったので、装備済のものも撤去し、対空見張用に復旧されることになった。

戦局はいよいよ切迫しつつあった。この窮境を打開するため、昭和19年3月、射撃用電波探針儀促進に関する会議が海軍省で開かれた。この会議は非常に緊張した空気に包まれた中で進められ、その論議の中で「使用できぬ主砲5砲台よりも使用可能な主砲4砲台の砲が有効である。1砲台撤去しても射撃用電探を装備すべきだ」とか「今年の6月末までには是が非でもこの装置を整備に移したい。この機会を逸したら、この装置を実用する機会は永久に失われるであろう」などの有力な意見が述べられた。そこで重量と容積に対する制限は著しく緩和され、精度も多少悪くとも一応射撃ができる電波探信儀を6月末までに整備すべしという厳重な決議が採択された。
このような切羽詰まった要求を受けた技術陣はあらためて奮起し決議の線にそって懸命な努力を集中した。
その研究実験の成果として登場したのが、二号三型、三号二型、三号一型及び三号三型の各種電探である。

昭和19年7月には二号三型及び三号二型が略完成したが、この頃には既に艦隊は殆ど全部内地を出港し、昭南島方面に集中中であった。
これがために装備上の制約も加わり二号三型は有効距離が少し不足と云う理由に依り、又三号二型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で実装備を断念するに至ったのである。
三号二型は出来る限り能力の増大をはかるため、従来採用した電磁ラッパのみを回転する方式を廃し、機器も電磁ラッパと共に回転する方式とし、且つ偏波面を整正にする目的を以て、矩形電磁ラッパを採用し、且つこれを大型となし、空中線利得を二十数dbに増大した。
左右二個の受信電磁ラッパの切換装置としはラッパの喉元で半円形のアルミニュウム板を電動機で回転して行う方式を用いている。
三号一型は、三号二型が重量、容積大で、非現実的であるとの非難に対し、二号三型に使用した架台竝に反射鏡を使用し、導波管を架台内部に収め、本体は同軸ケーブルを用いて接続し、空中線装置のみを回転する方式のものである。


【総合コメント】
・開発手法の考え方とその課題について
公式資料には、<三号二型は出来る限り能力の増大をはかるため、従来採用した電磁ラッパのみを回転する方式を廃し、機器も電磁ラッパと共に回転する方式とし、且つ偏波面を整正にする目的を以て、矩形電磁ラッパを採用し、且つこれを大型となし、空中線利得を二十数dbに増大した。
左右二個の受信電磁ラッパの切換装置としはラッパの喉元で半円形のアルミニュウム板を電動機で回転して行う方式を用いている。>とある。
この開発の背景としては、2号電波探信儀2型の原型機を製作した時点のものをみるとよく分かる。
基本的に性能を上げるのであれば、アンテナを巨大化させればよい。ただし、艦船に搭載した巨大アンテナでは、操作運用上に支障が生じるため、実際搭載されたアンテナは口径75cmの円形の電磁ラッパとなってしまった。
b-1

 
32号の開発のためには、「1砲台撤去しても射撃用電探を装備すべきだ」との意見のもとにすべての制約を除く条件となったことで、開発当初の原型機のアンテナ型式を円形から矩形型電磁ラッパに変更して巨大化したものを採用するに至った。
巨大アンテナの採用規格について
送信用矩形電磁ラッパ1個及び受信用矩形電磁ラッパ2個
受信用 横口径2000mm、縦口径600mm、長さ2750mm、アンテナ利得20db
送信用 横口径810mm、縦口径500mm、長さ1690mm
 b-2

この新しく開発した3号電波探信儀2型を射撃レーダーとして運用するためには、射撃の照準をあわせるため方位角の変更を行う必要があるが、アンテナを巨大化させたため容積重量のため物理的にアンテナ自体の回転ができなかったというよりも、当初から機械室を含んだ小屋全体を回転するように計画されたものと思われる。
このような仕組みのものでは艦船搭載には運用を考慮すれば無理があると判断される。

・射撃精度の改善について
第4班:「センチメートル波」レーダーの研究
105-S2型と220型レーダーは海軍の艦艇用で、船舶の探知と位置確認を目的としたものである。 2号2型と105-S2型レーダーは送信用と受信用の2つの電磁ホーンを持つもので、その改良を試みた。 この装置は陸上用だけでなく、大型の艦船への搭載も想定されている。 方位角測定は比較法によって得られる。 220型レーダーは放物面反射鏡(直径1.7m)を持ち、最大法で方位を測定する。 中型船、大型船での使用を想定している。 テストでは次のような結果が得られた。
戦艦から戦艦へ
型式     範囲(Km) △R(meter) △e(degrees)        
105-S2     35     100     0.5      
220      40     100     0.6       
注 連続トラッキング ポイント・バイ・ポイント測定 
△Rはレンジの誤差(メートル)
△eは方位の誤差(度)
しかし、終戦間際には大型艦が少なくなったため、レーダーは設置されなかった。 220型では、連続追尾が可能な「直接指示最大法」の取得に取り組んだが、実験は未完成であった。

・32号の制式採用脱落後の転用先について
三号二型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で実装備を断念するに至ったとのことであるか、その後性能の優秀さを活かすため、陸上用の対水上見張用レーダーとして60台の生産が計画されている。
 b-3


対水上艦艇専用見張の電探については主力は32号であるが実戦配備されたのは極少数という状況で、大島(東京都大島町)、日ノ御碕(和歌山県日高郡日高町)、浦生田(徳島県阿南市椿町)、都井埼(宮崎県串間市?)の4カ所に実戦配備され、残りの39カ所は計画中のまま終戦に至っている。
地上用22号については、布良(千葉県館山市)、潮岬(歌山県東牟婁郡串本町)、観音崎(神奈川県横須賀市)、生地鼻(富山県黒部市)の4カ所だけだが、すべて実戦配備されている。
見張用電波探信儀配備表
 b-4





参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 昭和54年11月 原書房
電波探信儀及電波探知機工事心得(国立文書館 記号番号44-5)
海軍通信戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
A short survey of japanese radar Volume 1 1945年11月20日
A short survey of japanese radar Volume 3 1945年11月20日
真空管物語 http://kawoyama.la.coocan.jp/tubestory.htm
無線工学ハンドブック 昭和29年11月 社団法人日本電波協会
My Home Page(T.Higuchi)   http://home.catv.ne.jp/ss/taihoh/
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3号電波探信儀3型(33号)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、TYPE 33-1 (105S11)とTYPE 33-2 (105S12)の2機種である。
製造会社は日本無線株式会社である。
日本側での制式呼称は、3号電波探信儀3型(33号)である。

3号電波探信儀3型(33号)は、空中線(Antenna Unit)に旋廻機構を新たに設けて、機械室は固定設置するように改良が図られたが、受信機(Receiver Unit)、送信機(Transmitter Unit)及び同期発振機(synchronizer)、測距儀(Range Unit)及び見張用指示機(Indicator for waring)については、既存の2号電波探信儀2 型 改4の機能を踏襲している。
したがって、各部の機能説明については、下記のURLを参照願います。
2号電波探信儀2 型 改4のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

3号電波探信儀2型(32号)の課題とその対応策について
A-1

 
アンテナの規格について
送信用矩形電磁ラッパ1個及び受信用矩形電磁ラッパ2個
受信用 横口径2000mm、縦口径600mm、長さ2750mm、アンテナ利得20db
送信用 横口径810mm、縦口径500mm、長さ1690mm
開発の目的は、射撃用の距離と方位角の精度向上のために、等感度方式として2個の受信用電磁ラッパを設けることと受信感度の向上のためアンテナである電磁ラッパの巨大化と矩形導波管の導入により、アンテナ利得20db向上することができた。
このアンテナの巨大な設計の結果、アンテナ自体を回転駆動することが物理的に困難となったため、アンテナを含めた機械室全体を回転する方式をとらざるを得なかった。
a-2


その後の33号としての改良について
昭和19年後期には高周波用の二重同軸ケーブル(通常の同軸ケーブルと同じものと思われるが詳細は不明)の実用化と矩形電磁ラッパの小型化により、アンテナ自身が旋廻できるような仕組みが考案された。
性能的には、測距測定距離が35kmから30kmに低下したが、距離精度や方位角精度は3号電波探信儀2型と同程度の性能を示した。


TYPE 33-1 (105S11)
 a-3

諸元表
略称------------------------------------------------ 33-1号 105S11 
目的------------------------------------------------艦船用対水上射撃用
周波数 -------------------------------------------- 3000Mcs
繰返周波数----------------------------------------- 2500cps
パルス幅 -------------------------------------------10μs
尖頭電力出力----------------------------------------2 kw
測定方式-------------------------------------------等感度法
出力管---------------------------------------------M312空胴共振式
受信機検波菅---------------------------------------鉱石検波器、M60-S
空中線 --------------------------------------------送信用矩形ラッパ×1と受信用矩形ラッパ×2個
IF、mcs .------------------------------------------14.5Mcs ±1MC
受信利得-------------------------------------------IFgain 90 db
最大範囲-------------------------------------------戦艦30km
測距精度------------------------------------------±100m
測方精度------------------------------------------±1/2°
電源-----------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量---------------------------------------------- 800kg
製造----------------------------------------------日本無線
製作台数---------------------------------------

アンテナの旋廻機構は、2号電波探信儀2型改4と同じものを採用している。
ただし、2号電波探信儀2型改4がアンテナから送受信機まで全て円形導波管で接続していたが、 33-1号(105S11)では、アンテナの回転部から同軸ケーブルで接続したのち、艦内の送受信機部の円形導波管に接続している。
基本的には、アンテナ形状の小型化による受信信号の低下と同軸ケーブル採用による高周波損失により、トータル受信性能は低下した結果、測距測定距離が5kmほど悪化している。
33-1号アンテナ規格
送信用矩形電磁ラッパ1個及び受信用矩形電磁ラッパ2個
横口径700mm、縦口径560mm、長さ1600mm
 a-4


TYPE 33-2 (105S12)
 a-5

諸元表
略称----------------------------------------------- 33-2号 105S12 
目的------------------------------------------------艦船用対水上射撃用
周波数 -------------------------------------------- 3000Mcs
繰返周波数----------------------------------------- 2500cps
パルス幅 -------------------------------------------10μs
尖頭電力出力----------------------------------------2 kw
測定方式--------------------------------------------等感度法
出力管----------------------------------------------M312空胴共振式
受信機検波菅----------------------------------------鉱石検波器、M60-S
空中線 ---------------------------------------------送信用矩形ラッパ×1と受信用矩形ラッパ×2個
IF、mcs .-------------------------------------------14.5Mcs ±1MC
受信利得--------------------------------------------IFgain 90 db
最大範囲--------------------------------------------戦艦30km
測距精度--------------------------------------------±100m
測方精度--------------------------------------------±1/2°
電源------------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量----------------------------------------------- 800kg
製造-----------------------------------------------日本無線
製作台数---------------------------------------

アンテナの旋廻機構は、2号電波探信儀2型改4と同じものを採用している。
ただし、2号電波探信儀2型改4がアンテナから送受信機まで全て円形導波管で接続していたが、 33-2号(105S12)では、アンテナの回転部から同軸ケーブルで接続したのち、艦内の送受信機部の円形導波管に接続している。
基本的には、アンテナ形状の小型化による受信信号の低下と同軸ケーブル採用による高周波損失により、トータル受信性能は低下した結果、測距測定距離が5kmほど悪化している。
33-1との相違は、アンテナの回転旋廻機構が1軸のものが採用されている点にある。
米軍のコメントを参考に示す。
Transmitting parts, receiving parts and indicating parts are same as the type 32.  Dimensions of electromagnetic horns, coaxial cables and the interchanger are some as type 33-1.  The character of this type is double coaxial feeder in order to turn transmitting and receiving horns with a common axis.  

33-2号アンテナ規格(33-1号と同じ規格と思われる)
送信用矩形電磁ラッパ1個及び受信用矩形電磁ラッパ2個
横口径700mm、縦口径560mm、長さ1600mm

【総合コメント】
・日本海軍の水上射撃レーダーの開発の終焉について
本機が実用化実験を完了した昭和20年1月では、艦船搭載用射撃レーダーを製造してもまともに搭載すべき戦斗艦は燃料不足と米軍艦載機による被弾で単に退避するしかすべはなくなっていた。
勿論、大砲による艦隊決戦もレイテ海戦をもって終結してしまった。
このような背景のもとに、日本海軍の水上射撃レーダーの開発はこれを以って終了するこことなった。

・水上から対空射撃レーダーへの転換
本土防衛戦となるとレーダーは航空機の探知と対空射撃レーダーが最優先される。
磁電管を使用したセンチ波による探知と対空射撃レーダーが何故構築できなかったのか。
基本的には、送信機に使用する磁電管のパワー不足が主原因である。
また、日本無線の2号電波探信儀2型は、受信機は運用が安定しない超再生検波方式やオートダイン方式に留まっていた。
受信機にスーパーヘテロダイン方式にたどりついたのが、昭和19年7月頃であり、ここでやっとまともなセンチ波レーダーのシステムが構築されてが、これ以上の受信性能向上のための改良が行われていない。
受信機の性能向上のためには、シングルスーパーからダブルスーパーヘテロデイン方式への転換が必要だった。
このような、改善がみられないため、水上から対空射撃レーダーへの転換も検討されなかったようだ。
海軍技術研究所で、最低でも、31号、32号や33号による対空見張のための測定データを得る努力が必要ではなかったのではないだろうか。




参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 昭和54年11月 原書房
電波探信儀及電波探知機工事心得(国立文書館 記号番号44-5)
海軍通信戦史 昭和24年3月 第二復員局残務処理部史実班
A short survey of japanese radar Volume 1 1945年11月20日
A short survey of japanese radar Volume 3 1945年11月20日
真空管物語 http://kawoyama.la.coocan.jp/tubestory.htm
無線工学ハンドブック 昭和29年11月 社団法人日本電波協会
My Home Page(T.Higuchi)   http://home.catv.ne.jp/ss/taihoh/
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日本陸海軍のPPI表示式レーダーの解説について

PPI画面の開発の着想について
下図は3式空6号無線電信機1型(H6)取扱説明書の中の第5図「野島崎より大島、三宅島方面を望む」のAスコープによる画面表示である。
この状態でアンテナを360°回転する仕組みにすれば、PPI画面として表示できるのは明らかである。
 a-1

米国では1942年(昭和17年)ごろには、このような発想をもとに、艦艇搭載用PPI表示レーダーを早くも開発を開始している。
 a-2

このタイミングでは、センチ波用のマグネトロンを使用したレーダーは出現していない。
当時の米国のSAやSCなどのPPI表示レーダーは、日本と同様にVHF帯の200Mhzを使用していることから、PPI画像の解像度は大変低いことが想定される。
しかしながら、直ぐにセンチ波用のマグネトロン(磁電管)を使用したSGレーダーが出現する事態となり、この既存技術であるPPI表示機能は当たり前のようにこのSGレーダーに装備されることになる。

PPIスコープとは
PPIスコープ(Plan Position Indicator scope)は、レーダーの位置を基点として、アンテナビームの回転に同期させて放射状に掃引を行なって、受信した信号を表示するものである。
 a-2-1

参考資料 米軍のレーダー運用(南太平洋開戦ほか)

PPIの動作原理
PPIレーダーでは、長残光性の蛍光面を持ったブラウン管を利用して、レーダー設置を中心とした平面図のように物標を表示するPPI(Plan Position Indicator)という表示方法がとられるようになった。この画面は、アンテナをモータで回転させ、これに同期して中心から周辺に向かって電子走査線を走らせ(これをスイープという。)、反射波があったらその強さに応じて明るく発光させる方式で、海岸線があればPPI画面に海図のような陸地を描き、船があればその方向と距離に応じて輝点が表れるものである。残光性のある蛍光面を持ったブラウン管を利用しているので、アンテナが数回転以上する間、輝点として光っている。さらにアンテナの回転移動に伴い、スイープが移っても映像が残り、円形の平面図として表示されるのである。

PPI表示方式のシステム構築技法について
2種類の陰極線菅(ブラウン管)について
今では指示器といえば、テレビ同様にカラーの液晶画面が使用されており、今更ブラウン管といったら絶滅危惧種だろうが、最後のあがきとして、記録に留めておくことにする。
指示機には陰極線菅(ブラウン管)を用いればよく、大部分のレーダーにこれを使用している。
陰極線管は一般にビームの収束と偏向方法によって2つの型式に分類される。
一つは静電形陰極線管と呼ばれ、ビームの収束と偏向に電界を使用する。
 a-2-2

今一つはその目的に対して磁界を使用するもので、電磁形陰極線管と呼ばれる。
 a-2-3

PPI方式のシステム構築技法には電磁形陰極線管(回転コイル)PPIと静電型管極線管PPI方式の2方式がある。

電磁形陰極線管(回転コイル)PPI方式
ここでPPI型のレーダーを考える下記の電磁形陰極線管(回転コイル)PPI方式が最も簡単に構築できる。
a-2-4

a-2-5

米海軍によって、CXBE (SA) は1942年9月より引渡しが開始されて、最終的には計400基が生産された。その後、平面位置表示器(PPI)の導入などの改良を加えたSA-2(865機)へと発展したが、本機SC-3にも上記の電磁形陰極線管が採用されている。
 a-2-6

静電型管極線管PPI方式
PPI表示のレーダー画面の考え方
PPI表示のレーダー画面を考える前に、ブラウン管方式のテレビジョン画面がいかなる方法で表示されているか説明する。
テレビジョンの画面は日本ではNTSC規格に準じ、走査線525本、像数は、毎秒30枚であり、水平方向に1画面あたり525回、そして1秒間にこの画面を30枚処理することになる。
 a-3

このように、テレビジョンではブラウン管のX軸とY軸を直交したアドレスに受信信号を印加することによりテレビ画面を再生することができる。
 a-3-1

PPI表示のレーダー画面は、ブラウン管の画面を円形の回転時間軸としたX軸とY軸をアドレスとして受信信号を印加することによりPPI画面を再生することができる。
なお、PPI表示のレーダー画面は、テレビジョンの走査線525本とか、像数は毎秒30枚といったデジタル的な規格はなく、後述のゴニオメーターのアナログ的な連続動作変化分によりPPI画面を生成するこことなる。

ゴニオメーターによる信号とのアドレッシングについて
ゴニオメーター(セルシン変圧器と同じ意味)は1つの回転子と2つの互いに直交した固定子コイルを持っており、その関係は、もし回転子コイルに電圧を加えた時に、いずれか一方の固定しコイルに誘起する電圧が、回転子コイルの軸と、着目している固定しコイルの軸となす角θの余弦に比例するようになっている。したがって、他方の固定子の誘起電圧は上記の角θの正弦に比例するわけである。
図に示す接続では、陰極線管の水平および垂直偏向コイルで生じる偏向力は、それぞれcosθ及びsinθに比例する。したがって合成磁界の大きさは一定でθに無関係であるが、基準軸に対してこの角θだけ傾いている。
そこで必要な大きさの偏向電流を回転子に流してやり、空中線と同期して回転子を回転すれば、PPI表示に必要な回転時間軸掃引が得られる。
同時に輝度変調として、ブラウン管のG1に受信機からの受信信号を印加すれば、ゴニオメーターでPPI表示に必要な回転時間軸掃引が行われることにより、受信信号とブラウン管表示域のアドレッシングに画面表示ができることになる。
なお、時間軸発生源には、送信同期パルスをもとにした「のこぎり波」を使用する。
 a-4

具体的には、時間軸発生器で「のこぎり波」を生成し、ゴニオメーターの回転子に偏向電流として流してやる。固定子1にはcosθに比例した誘導電圧が固定子2にはsinθに比例した誘導電圧がそれぞれ発生する。
固定子1と固定子2の誘導電圧の合成ベクトル電圧に対応する画面上のX軸とY軸のアドレスが回転時間軸として生成されることになる。
 a-5

PPI表示用の時間軸発生源の「のこぎり波」の掃引周波数の考察について
指示機の仕組みを理解するためには、本機レーダーが使用するパルス繰返し周波数が重要である。
PPI表示用レーダーのマスター発振器の正弦波によるパルス繰返し周波数の仕様は、下記のとおりである。
陸軍 東芝製タキ14 使用周波数1111Mhz 1型 500Hz  2型 200Hz
海軍 日本無線製5号電波探信儀1型(51号) 使用周波数3000Mhz 600Hz
英国 「ロッテルダム」装置(英国のH2Sレーダーのこと)使用周波数3000Mhz 600Hz
米国 Western Electric社製のAN/APQ13 使用周波数10Ghz 1350Hz

反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数200Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は750Kmとなる。
パルス繰返し周波数500Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は300Kmとなる。
パルス繰返し周波数600Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は250Kmとなる。
パルス繰返し周波数1350Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は111Km(69マイル)となる。
Aスコープの指示機に必要なブラウン管の水平軸用の「のこぎり波」の掃引周波数とパルス繰返し周波数との関係は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数 ÷ 2 
このため、「のこぎり波」掃引方式ではこの関係式は成立させるためにパルス繰返し周波数から1/2の周波数を分周する仕組みが必要となる。

航空機搭載用のPPI表示レーダーは、一般的には100Km範囲内の測定距離があればよいはずである。
したがって、パルス繰返し周波数1350Hz以上を選択すべきだが、何故これより低い500Hzや600Hzが選択されたのだろうか。
PPI表示レーダーに関するパルス繰返し周波数の決定は、従来のAスコープの指示機の概念に加え、「のこぎり波」の掃引周波数は画像の分解能に直接影響するパラメーターとなる。
基本的には、受信周波数が高ければ受信情報量は増大し、これに対応してパルス繰返し周波数を高くすれば、画面の分解能は高まり、高精細度の画像が得られることになる。
このPPI表示レーダーの先行開発である英国の「ロッテルダム」装置(英国のH2Sレーダーのこと)使用周波数3000Mhz、パルス繰返し周波数600Hzを基準と考えればよいだろう。
海軍の日本無線製5号電波探信儀1型(51号) は英国のH2Sレーダーの基本仕様をそのままコピー採用している。
一方、陸軍のタキ14 1型は、使用周波数1111Mhz、パルス繰返し周波数500Hzを採用していたにも関わらず、2型では逆に使用周波数1111Mhz、パルス繰返し周波数200Hzに低下させている。
このことは、使用周波数が比較的低い1111Mhzを使用しているので受信する信号の情報量は少ないにもかかわらず、パルス繰返し周波数を500Hzにしたため、荒い情報量に対して高い分解能で掃引した結果、画像の解像度は逆に低下したため、2型ではこれを補正するためパルス繰返し周波数を200Hzに低下させ、画像の解像度を適正化させる狙いがあったのだろう。
このような理由により、PPI表示方式には<「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数 ÷ 2 >の公式は成立しない。
回路事例から考察すれば、PPI用指示機のブラウン管には、<「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数>の設定が適切と考えられる。

オシロスコープによる回転時間軸生成の実験
RF発振器により500Hzの正弦波を発生させ、これを入力信号として便宜的にオシロスコープのX軸とY軸に印加し、水平及び垂直Ampを調整してゴニオメーターの回転時間軸の動作をシミュレートしたものである。
なお、デジタルオシロではこのような原始的な測定機能は削除されている。
 a-6


残光性ブラウン管について
一般的な静電形陰極線管を以下に示す。
 a-7

PPI表示用の静電形陰極線管の必要要件について
戦時中における軍用の汎用ブラウン管の製造会社は、東芝、日本電気(住友通信)、日立(理研)及び川西機械の大手4社のみである。
a-8


PPI表示用の静電形陰極線管は、360度全体を掃引するため数秒かかるため、残光性の高い特別なブラウン管を用意する必要がある。
国内メーカーで唯一この残光性のあるブラウン管を製造したのは日本電気(住友通信)のようである。
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
4. 住友通信工業株式会社。(住友通信工業株式会社)のレーダー個別研究開発内容
残光性スクリーンを備えた陰極線管 (1944 年 9 月~1945 年 5 月)
レーダーに使用するための特別な残光性を持つ蛍光物質の実験的研究が行われた。 このタイプの陰極線管が生産された。 このようなレーダーの観点から、機械的および電気的要件が分析され、これらの機能を組み込んだブラウン管が製造された。

日本海軍におけるPPI表示型レーダーの開発経緯について
日本で最初にPPI表示方式に言及したのは、昭和17年5月ごろNHKに在籍されていた日本のテレビの父と呼ばれた高柳健次郎氏の着想が最初と思われる。
次いで、軍艦日向のその時の副長馬場正治氏が同様の着想を伊藤氏へ提案されている。
しかし、海軍技術研究所電波研究部の実質トップである伊藤氏は、単に絵に描いた餅の如きものと判断し、艦艇用レーダーへのPPI方式への開発は行われることはなったようだ。
当面の研究開発に追われて当時の技術陣に、将来電探の方向として取り上げて研究するだけの余裕と関心がなかったのが本音であろう。
ただし、PPI方式の開発は、海軍航空技術廠によって航空機搭載用の海軍5号電波探信儀1型(51号)として開発を目指すこととなる。 

機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二
敢えて、又話は前にもどるが、軍艦伊勢、日向への電探装備実験の時の事である。実験委員会の中に前述の高柳健次郎氏が居られたが、氏は此の時一つの着想を筆者にもらされた。それはPPIの考え方であったのである。
PPIと云えば今レーダーを云々する人は誰でもうなづける。併し、当時としては真に新しい着想であった。それを一口に云えば、電探を以て地形図を描かせる構想であった。此の高柳氏着想は真に基本的なものであった。之とは又無関係に軍艦日向のその時の副長馬場正治氏が同様の着想を私に示された。
それから2年余り後の事である。撃墜されたB29から取り外した飛行機用電探に高柳、馬場両氏の着想を実現する装置が発見されたのだ。そして、いまの電探と云えば民需用のものは悉くが此のPPIである。両氏の着想は真に基本的な着想であったのだ。

日本陸海軍におけるPPI関連開発の時系列基礎情報について
◎軍艦伊勢、日向への電探装備実験  昭和17年5月日向に装備(見張用警戒レーダー21号、22号 Aスコープ機能のみ)
◎東芝の陸軍タキ14 1943年(昭和18年)8月末に研究を開始(米軍のSCR 717-Bを参考)
◎駐独大使館情報 1944年(昭和19年)4月8日 英機の対独空襲における機上電探「ロッテルダム」装置(英国のH2Sレーダーのこと)について  
英機の対独空襲に於ける機上電探「ロツテルダム」装置について
◎1944年(昭和19年)年5月 高柳健次郎氏は海軍技師嘱託(電波研究部第三科長:探信兵器担当) 戦時中は電波兵器及び暗視装置の研究に従事
◎海軍航空技術廠 海軍5号電波探信儀1型(51号)  1944年(昭和19年)7月研究に着手
◎東芝の陸軍タキ14 1944年(昭和19年)8月に1号試作機が完成
◎B29から取り外した飛行機用電探調査 昭和年19年(1944年)11月21日撃墜、12月12日から15日調査 Western Electric社製のAN/APQ13
◎東芝の陸軍タキ14改2の試験モデルは、1945年(昭和20年)2月に準備が整った。この範囲で約40~50kmの範囲で探知できた。
◎1945年(昭和20年)5月 海軍5号電波探信儀1型(51号)完成(日本無線社史より)
◎日本無線の海軍5号電波探信儀1型(51号)  1945年(昭和20年)7月 一式陸上攻撃機(一式陸攻)に搭載し、海軍三沢航空隊において、我が国初の航空機搭載レーダの試験実施。三〇キロメートル圏内の八甲田山の反射波を明らかに捉えるまでまの成果を得た。
◎日本電気の陸軍タキ-34 敗戦直前の昭和20年(1945年)7月には初期試験のための「試作品」モデルを不完全ながらも完成

参考情報
地図ユニットの追加機能について
空港や港湾施設に設置された固定局用レーダーでは、実際の空港や港湾施設の図形のもとに、レーダー情報を重ねることができれば利便性が図れる。
今日のデジタル情報の加工技術があれば、簡単に実現できるが、1950年代では添付のような光電管を使用した仕組みのものが採用されていた。
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【総合コメント】
・日本で最初にPPI表示レーダーの開発着手したのは誰か
突如、陸軍多摩研究所で、タキ14を1943年(昭和18年)8月末に研究を開始している。
開発の背景を類推すると、以下の経過が推定できる。
ニューギニア戦線において鹵獲した米軍のSCR 717-Bをもとに、セット設計のための基礎データの収集が完了したため、東芝通信社でタキ14の試作を開始した。
なお、米軍のSCR 717-Bに関する鹵獲情報や関連する陸海軍の協議資料などの公式資料はみあたらない。
公式記録では、陸軍がタキ14を1943年(昭和18年)8月末に研究を開始ことだけである。

・終戦までに、PPI表示レーダーは完成したのか。
終戦までには、東芝が陸軍タキ14、日本電気(住友通信)が陸軍タキ34、日本無線が海軍5号電波探信儀1型(51号) として不完全ながらも動作可能な航空機搭載用PPI表示レーダーを開発している。

・英軍のH2Sレーダーの実際の運用画面
上がPPI画面、下が高度情報をAスコープ表示し、距離測定(自機と目標物の距離;斜辺)したものを右下の高度計算機で入力したら、アナログ表示のドラムにより実際の高度を読み取ることができる。
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参考文献
機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二
 英機の対独空襲における機上電探「ロッテルダム」装置について 海軍技術研究所電波研究部(複写)防衛省戦史資料室
レーダー工学[上巻](MITレーダースクールの教科書)昭和34年3月
実用レーダー工学[上巻]昭和31年3月 宇都宮敏男
3式空6号無線電信機1型取扱説明書 昭和18年9月1日 海軍航空技術支廠
A short survey of japanese radar Volume 2
『ウィキペディア(Wikipedia)』 レーダー

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