日本帝国陸海軍電探開発史

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2022年12月

ウルツブルグ型電波標定機「タチ24」の国産化の顛末について

ウルツブルグ・レーダーの国産化に関する資料としては、「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著が有名ですが、日本無線の製造関係者の視点から論述されているため会社関係者として好ましくない事項は意図的に省略され、史実からは少しバイアスがかかっているようだ。
このため、ウルツブルグ・レーダーの国産化に関する資料・文献及びネット情報に基づき、ウルツブルグ・レーダーの国産化の歩みを総合的に考察するこことした。

ドイツのウルツブルクD型(FuSE-62D型)
A-1_写真合成090

関連情報をもとに重要イベントを抜粋して時系列に列挙するとともにその解説をすることとする。

第一次遣独艦
伊号第三十潜水艦(艦長遠藤忍海軍中佐)…1942年(昭和17年)8月6日、フランス・ロリアン入港 (Lorient)。復路の1942年(昭和17年)10月13日、シンガポール港にて自軍の機雷(同港占領時に故意に残された英軍のものという説もある)に触れ沈没。
ウルツブルグD型の製作見本器材は3台と図面を取得し(1台は海軍に分譲)出荷手続きを完了した。
海軍は搭載物の引き揚げを図り、20ミリ機銃弾のほとんどと魚雷発射誘導装置、ウルツブルク射撃管制レーダーの設計図等を回収したが、多くの荷物は破壊され、最も重要な積荷であったウルツブルク射撃管制レーダーも破損してしまった。
1944年(昭和19年)4月15日に除籍された。
【コメント】
海没したウルツブルク射撃管制レーダーの設計図及び本体機器は、全く利用できなかった。

イタリア側の遣日潜水艦作戦
イタリア海軍は、1943年(昭和18年)6月16日に、伊号第三十潜水艦が成功しなかったウルツブルク・レーダーの器材・図面の輸送を挽回すべく、イタリア海軍の潜水艦ルイージ・トレッリ号がドイツ・テレフンケン社(Telefunken)ウルツブルク・レーダー技術者ハインリヒ・フォーダス(Heinrich Foders)と電波兵器専門家の佐竹金次陸軍中佐を乗せ、ボルドーを出航した。
ルイージ・トレッリ号は1943年(昭和18年)8月30日に無事シンガポールに到着した
シンガポール到着後にフォーダスは空路日本に向かい、無事帰国した。
【コメント】
1943年(昭和18年)9月、佐竹が帰国して多摩研三科長に就任した。ドイツからの資材が未着のため、フォーダスと東芝により佐竹式ウルツブルグ(タチ4号改)の開発に従事。
佐竹の在独報告書と電子回路と構想図面及びフォダスが携行したテレフンケン社製ウルツブルグの技術資料(A4版で厚さ3cm余の立派な書)が活用された。
作業分担では、指示機とウルツブルグの肝となる技術である精密測距器は岡本少佐と学生2名、後から木塚技師と東芝研究所グループであった。

第二次遣独艦
伊号第八潜水艦(艦長内野信二海軍大佐)…ヒトラーが日本に無償譲渡するUボートU1224号をドイツから日本に回航する要員60名を乗せ、1943年(昭和18年)6月1日呉港を出港、同8月31日ブレスト港に到達、1943年(昭和18年)10月5日ブレスト港を出港し帰路についた。同12月5日シンガポールのセレター軍港に入港した。
1943年(昭和18年)12月21日呉港に入港。
ウルツブルク射撃管制レーダーの設計図面及び本体機器一式を入手した。
交換兵器の一覧
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【コメント】
念願の設計図面とウルツブルグ本体は、1943年(昭和18年)12月21日呉港に入港した。

津田氏の「幻のレーダーウルツブルグ」からの抜粋
1944年(昭和19年)1月7日、多摩研佐竹大佐から待ちに待った図面が、海軍技術研究所に届いているから取りに行けと電話がかかって来た。
「ドイツ図面は精緻を極め、図面どおり忠実に生産すれば、本物と同じウルツブルグが再現できる完全な製造図面で、無言の命令図といえよう。
その特徴の一部を紹介する。パルス用五極真空管LS50は、表のごときボタンステムの構造だが、その中味を四倍、一〇倍に拡大し、作業工程に従い素材の性質、寸法の歩留まりや仕上代、加工前後の処理方法、作業上注意すべき要点、ガラス材と金属材の寸法公差と熱膨張係数の許容値、排気の値、そして、試験方法とデータの許容値などが詳細に記入されていた。
電子機器の接続配線は配線1本ごとに寸法と交差、素材、端末処理、試験方法、また多芯ケーブルの図面には湿気の絶対に入らぬように端末処理の方法までが克明に指示されていた。
かくして、ドイツ図面の日本化の方針が確定し、いよいよ行動を述べるに当たり、方針を再掲しておく。
1.独逸図面はすべて三角図面で書き改める。
2.5,000枚の図面は500枚に縮減する。
3.8桁の図面番号は3桁とし、関連を明示できる親子、孫らの親族番号とする。
4.組立図で構成要素と寸法そして親族番号がわかり図面番号を図表で首引きする仕事は全廃する。
5.図面の日本化は1944年(昭和19年)3月末完成を目標とする。
【コメント】
図面の日本語化は1944年(昭和19年)3月末に計画どおり完成した。

佐竹大佐が1944年(昭和19年)4月1日、三鷹の日本無線に現れ、生産責任者中島社長以下関係者を集め、ウルツブルグの、日本化された図面を前にして、生産方針を次のように明示した。
1. 現在、日本電気で生産されている「タ号3型電波標定機」の生産を打ち切り、ウルツブルク・レーダー(タチ24)に生産を切り替える方針である。
2. 試作機の完成しは、1944年(昭和19年)末を目標とし、調整、検査改修完了は、1945年(昭和20年)2月末、電波兵器実験の完了は、1945年(昭和20年)5月末とする。
3.標定機用架台は高射砲架台を官給する。
4.反射鏡は広島県下の東洋工業(株)に日本無線が発注し、多摩研が連絡する。
5.ブラウン管は東芝研究部が担当する。
6.ドイツ電子管は、日本無線が担当する。
7.その他の生産と取り纏めは日本無線、三鷹工場(皇国第294工場)とし、生産責任者は、中島進治社長とする。
8.多摩研究所の責任者は新妻精一中佐、仕事の担当者は山口直文大尉とする。
9.生産遂行上の障害は、多摩研が責任をもって処理をするから、遠慮せず山口直文大尉に申し出られよ。佐々木工場長は、陸軍工場の小杉繁造部長にウルツブルグの試作機を、今年末までに是非とも完成せよ、と命じた。
ウルツブルグの電子管はわずか11種で、3種がブラウン管、8種が発振増幅変調などの真空管であった。超小型、小型、円周走査ブラウン管は、米国にも無い特殊な電子管だが、東芝のCRT技術ならは出来ると、浜田成徳電子工業研究所長が引き受け、岡部豊比古博士、大田芳雄、平島正喜、漆原健技師などによってテレフンケン以上のブラウン管が生まれた。
さて、残の8種は、ウルツブルグの性能を左右する波長50cmの送、受信管のパルス用の電子管だった。これら電子管の日本無線の責任者は、岡田高陸軍真空管部長(諏訪工場長)でった。
【コメント】
陸軍の電波標定機における日本電気の役割であるタチ3の開発は、昭和19年10月を以てお役御免となっているが、陸軍としては日本無線、東芝、日本電気の3社にウルツブルの生産を依頼している。

A short survey of japanese radarからの日本電気の関連事項を抜粋
住友通信工業株式会社
円形時間軸(円周走査)陰極線管(1941年8月~1944年9月)
円形の時間軸に電磁偏向コイルを使用し、強力な偏向による円錐形の同軸偏向板を使用する陰極線管が調査され、LB-2の製品名で生産された。
※コメント
この特殊な円周走査ブラウン管の製造は、ドイツから導入した何らかの機器の国産化との関係が疑われるが真相は不明である。なお、戦争後期には、肝心な円形時間軸(円周走査)陰極線管LB-2に関しては1944年9月に生産停止していることから、ウルツブルの生産とは関係していないことは明白である。

ウルツブルク電波標定機用真空管 (1940年3月~1945年8月)
ドイツのウルツブルグ電波標定機で使用されていたTelefunken社製のLS-180とLG-1真空管、LB-1 LB-I3/40ブラウン管を模倣して製作された。 これらの真空管の大量生産が開始された。 
※コメント
ウルツブルク電波標定機用というよりこれらテレフンケンの真空管は、ドイツから導入した何らかの機器の国産化との関係が疑われるが真相は不明である。なお、ウルツブルグ電波標定機の真空管とは異なるドイツ製の真空管(参考例:LD1、LB-I3/40)も日本電気で生産している。
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陸軍は19年度からタチ24(4式電波標定機)を重点兵器として生産管理をおこなう。
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昭和19.12.26策定の整備計画(昭和20年自1月至4月)電波器材
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計画では、反射鏡は広島県下の東洋工業(株)、標定機用架台は高射砲架台を官給品とする予定であったが、実際は両方とも東洋工業(現マツダ)が生産を委託されている。
東洋工業(株)『東洋工業五十年史. 沿革編 1920-1970』
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表の4式電波標定機架台装置の月産は約500個となっているが、月産15個が正しい数値と思われる。

いろいろ努力の結果、ようやくにして自信が持てる製品(真空管のこと)が完成し、それを三鷹に送り、ウルツブルグ試作第一号機でテストした。しかし、それでも不具合の点が生じフォダスが諏訪工場に出向いてきて、細部の修正などを行い、やっとのことで実用品が供給されたのである。
【コメント】
受信用真空管については、日本無線の諏訪工場で試験操業にはいっているはずであるが、上記文書では完成した真空管を試作一号機でテストしたとの記述がある。
この試作一号機は、実はドイツから搬入した本物のウルツブルグそのものであれば、上記の文言には矛盾はないが、そのような記載は残念ながらされていない。
真空管製造品種事例
受信管
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送信用3極管
 f-2

送信出力管
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試作1号機が、1944年(昭和19年)末に出来上がり、大沢実験場に運び、山口大尉たちが実験を開始した。フォダスの指導により山口少佐、伴大尉、小林少尉、古川見習士官、小池軍曹、神前伍長、工員3名が順序よく試験をしたのだが、ウルツブルグの性能は発揮されなかった。フォダスは根気よく各部分を調べ回ったが、試作したままでは働かず、フォダスが帰ったあと、日本無線の宮下、内田、三佐保技師(タキ1開発に従事)たちが多年の経験を生かして必死に調整を試みたが、やはり結果は同じであった。
1945年(昭和20年)に入るとB29の来襲が激しくなったが、ウルツブルグ2号機から5号機までの生産を続けていた三鷹工場は、危険を感じるようになり、生産速度が次第に落ちてきた。
B29の空襲頻度に比例して生産能率は低下し、1945年(昭和20年)3月10日には長野県川中島工場に移転せざるを得なかった。
試作機から得たデータで各部分を修正して、やっとのこと1号機を送り出し熟練工員諸侯が、その成果を聞きに来るので、まだ、試験中だというと、「何時まで試験している。2号機が出来ているのに」と文句をいわれた。
様子を聞きに大沢多摩研究所に行くと、ウルツブルグ第1号機は久我山高射砲陣地に運んで装備中であり、第2号機の検査受入準備中との事だった。
【コメント】
ここでいう1号機は、「幻のレーダーウルツブルグ」では純国産化のような文面で記述されているが、実際は田丸直吉氏の「日本海軍エレクトロニクス秘史」で明らかなように、ドイツから搬入したウルツブルグの原型機そのものであり、国産初号機は、試作2号機ということになる。
しかしながら、原型機である試作1号機といっても、ドイツ提供資材から欠落したコントロール盤のユニットと日本側で製造する予定の反射鏡(アンテナ)や標定機用架台の製造及び装置全体の結線などの作業をする必要があった。
ただし、日本無線としては、1号機を出荷しても、2号機は組立を完了していることから2号機の動作には自信があっての出荷なのか、5式15cm高射砲の久我山陣地の構築に合わせての無理やりの出荷だったのか本当の理由は不明である。
基本的には、日本無線側が虎の子のドイツのウルツブルグ原型機を生産管理上手放すことはないはずである。

久我山の高射砲陣地
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※「本土決戦 土門周平ほか」には、高射砲112連隊指揮班小隊長・陸軍曹長高橋一雄氏によると、久我山陣地の高射砲によるB-29撃墜については、「電探射撃はどうか」との中隊長の問いに「電探諸元がはいらない」とのことで目視射撃を行ったとのことであることから、タチ24は何らかの理由で肝心な時には機能していなかったようだ。

田丸直吉氏の「日本海軍エレクトロニクス秘史」からの抜粋
伊8潜は1943年(昭和18年)12月21日無事呉軍港に帰投し、貴重な積荷は間もなく東京の海軍技術研究所に送られてきた。そして無事多摩研究所に届けられた。ドイツから発送の時の手違いからコントロール盤のユニットだけが欠除していたが、その他の機器は全部完全な状態で到着した。架台やパラボラ反射鏡は統べて日本で作ることになっていたので、之と一緒にコントロール盤も新たに作ることになった。
現品見本を入手した陸軍の佐竹グループは機構部分の製作に懸命の努力を注ぐ結果、19年の秋頃にどうやら第一号機を纏め上げることが出来た。そこで之を基本として内地の高角砲台用として射撃用レーダーを製造することになった。製造は日本無線の長野工場が引き受けることになったが、資材の準備をし、一部製造をした程度で遂に終戦を迎え実際に射撃用として活用されたのは、ドイツから遥々(はるばる)送られて来たドイツ製機材を組み立てた第一号機のみであった。之は武蔵野市の中島飛行機の工場の空襲を受けた際に立派に射撃用として活用されたと云う。
【コメント】
空襲による工場の被災や生産資材の枯渇などで実際はこれ以上の生産活動はできなかったのだろう。
東芝の真空管製造所関係の被災状況を以下に示す。
 g-1_東芝工場空襲被害一覧

ここでA short survey of japanese radarのタチ24に関する概要を紹介する。
タチ - 24 
ウルツブルグ型電波標定機
対応する連合国呼称 なし 
技術的特徴 
波長=50cm、 出力10KW、 測距距離40Km
精度       距離±40m、 方位角1/8°、仰角±1/8°
製造数:3台、   設置台数:0台 
概要
日本無線は、ドイツの小型ウルツブルグ50cm射撃管制用レーダーの複製として製作した。
1944年1月にドイツから潜水艦で青焼き図面と真空管などの特殊な部品が運ばれてきた。
20 人もの技術者がその製造を支援する計画で来たと噂されていたが、実際に確認できたのはドイツ人技術者のフォダス氏1人だけであった。
日本無線が日本仕様に改造し、最初に3セット、そのうち2セットを住友、東京芝浦両社に送り、大規模生産のモデルとしてもらうことになった。
当初は50台の発注があったと言われている。
この最初のモデルの製作に1年半を要したことについては、陸軍の技術者とメーカーとの間で、どちらが主体となっているのか、意見が分かれているようである。
いずれにせよ、この最初の機種は、住友や東芝から供給されるはずのブラウン管などが、工場の空襲で入手できなかったことが主な原因で、一度も稼働することがなかった。
メーカー側は「あと1カ月戦争が続けば、『タチ-24』が稼働していただろう」と語っている。
もし、日本軍が6ヶ月早く、追尾精度に優れたこのセットを持っていたら、日本軍の高射砲防衛の効果は非常に大きくなり、日本軍のB-29はより大きな損失を被ったかもしれない。
写真は、東京エリアの三鷹近くの工場に設置されていた『タチ-24』 の最初の、そしてほぼ完成したモデルを示している。

日本無線三鷹工場のウルツブルグ・レーダーの国産初号機のタチ24(制式名称:4式電波標定機)
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【コメント】
ここでは国産化初号機の問題点として、「住友や東芝から供給されるはずのブラウン管などが、工場の空襲で入手できなかったことが主な原因で、一度も稼働することがなかった。」とあるが、日本電気が製造していた円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」の在庫があればと思うばかりである。

最後に、日本電気において、この円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」をウルツブルグに適用できなかった原因を考察する。
この理由としては、陸軍のウルツブルグ開発に対して、この円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」は海軍向けの電子機器である可能性が考えられる。
根拠資料として、日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室からの抜粋 
第2節 国家統制への対応と住友通信工業への改称 p207
軍部による企業管理の進展
1943年10月31日に公布された軍需会社法は、後述のようにトップマネイジメントに大きな影響を与えた。そして軍部は、工場の管理にまで直接介入するようになった。翌44年1月17日の第一次指定で、主要な製造所、工場が軍需工場となり軍部の直接的管理下に入った。同年4月25日の追加指定によって、住友通信工業の全事業所が軍管理下に置かれた。
工場では、常駐した技術将校によって、「同じ建物の中を真ん中から分けましてね。こっちは海軍工場、そっちは陸軍工場」というような直接的な指揮・命令が行われた。また、生田の研究所においては、従業員が「陸軍関係者はR、海軍関係者はKの印のバッチを着けて区分されていました。私たち技術者は、陸軍の仕事もすれば海軍の仕事もしましたから、二つのバッチを持っていて、適宜使い分け(中略)、陸・海軍がおたがいの所管資材を侵されることを警戒して、資材の持ち分けには眼を光らせていた(中略)、Rの指令による実験と結果は、Kの試作には適用させない(中略)、技術についても、それぞれの持ち分を利用させまいという姿勢」であった。航空機・電波兵器増産が最優先されるなかで、一つの兵器生産計画があるのではなく、陸軍の計画、海軍の計画が実施される事態になっていたのである。
【コメント】
日本電気に常駐している海軍将校が海軍向け製品に対して、これを陸軍向けに許可をすることなど当時の状況ではありえないことは明らかである。
まず、この可能性が高いことから、日本電気としては陸軍向けの製品として提供できなかったのが実態だったのだろう。

次に、この円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」を海軍ではどんな電子機器に使用したのかを考えると、根拠資料として、日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室からの抜粋
第3節 軍需生産への転換と生産現場の混乱 p213
兵器生産の内実
パッシブソーナー(水中聴音機)の生産は沖電気株式会社と二分し、アクティブソーナー(探信儀)にも取り組んだ。
また、43年に制式化された九三式探信儀を生産し、その生産規模は月産30から50台になった。
【コメント】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの抜粋によると、
「三式探信儀はドイツ海軍で使用されていたS装置(S-Anlage)を参考にした聴音探信装置で、これは2つの磁歪式振動子よりなる送受波器と二組の映像器と特殊受振器を使用して目標艦船の推進器音より発生する超音波の到来方向をブラウン管上に表示し、さらに任意の時刻に探信を行い目標までの距離を測定するもので、1943年以降に急速に発達した。1944年(昭和19年)に三式探信儀二型が海防艦「千振」に装備実験され、極めて良好な成績であった事から駆逐艦、海防艦、商船などに急速に装備される事となった。」とある。
三式探信儀はドイツ式を採用したことから、ドイツ製の真空管やブラウン管が採用されている可能性が高く、この装置に円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」も採用した可能性が有力である。
しかしながら、三式探信儀二型の回路図を見る限り、円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」を使用している形跡はない。
したがって、日本電気がどのような電子機器にこの円形時間軸(円周走査)陰極線管「LB-2」を使用したのかについては、残念ながら言及することができなかった。
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参考文献
「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著
日本海軍エレクトロニクス秘史 田丸直吉 昭和54年11月 原書房
東洋工業(株)『東洋工業五十年史. 沿革編 1920-1970』(1972.01)
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14011031700、重点兵器生産状況調査表 昭和19年度(防衛省防衛研究所)」 
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13120839800、電波器材 昭和19.12.26(防衛省防衛研究所)」 
伊号潜水艦訪欧記 伊呂波会 2013年4月 潮書房光人社
A short survey of japanese radar
真空管物語
日本陸軍の火砲 高射砲 2022年12月 佐山二郎 光人社NF文庫
日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本土決戦 土門周平ほか 2001年5月 光人社


敗戦末期の日本電気製PPI型センチ波レーダー「タキ-34」の研究開発について

陸軍の航空機搭載用PPIレーダーについては、東芝のタキ-14の開発でスタートし、タキ-24、タキ-34と展開するこことなるが、これら全体の開発の概要については以下のURLで紹介している。
陸軍によるPPIレーダーの開発の考察について
しかしながら、タキ-24とタキ-34については、「Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army」の資料しかなく、ほとんど簡単な概要だけに留まっていた。
この度、新たに「A short survey of japanese radar」の資料を入手したので、日本電気のタキ-34に焦点を絞り再考察するこことした。

日本電気は戦時中にマグネトロンを使用したセンチ波レーダーの製造実績もないにも拘わらず、6Ghz(5cm)のセンチ波のPPI型(パノラマ)航空機搭載探索レーダーである「タキ-34」の研究開発を昭和19年(1944年)11月から住友通信研究所により開始している。
しかも、敗戦直前の昭和20年(1945年)7月には初期試験のための「試作品」モデルを不完全ながらも完成させている。
わずか、9か月間のことであり、しかも空襲による生産低下や資源枯渇の中での驚異的な出来事である。

この開発の大きな転機となったのは、昭和年19年(1944年)11月21日長崎県で撃墜されたB29のレーダーを12月初旬から陸軍多摩研究所に搬入し、陸海軍合同により12月12日から15日まで丸4日がかりで分解調査を実施した。
霜田光一氏によると、B29のレーダーはWestern Electric社製のAN/APQ13という波長3cm(X-band)のレーダーであって、調査担当者による報告会が昭和20年(1945年)1月8日に行われている。
更に、「日本電気ものがたり」からの電波兵器の関連のところを小林正次さんの「日記」<未完の完成>から関連内容を抜粋する。
昭和19年12月6日
昨日イ号が熱海の玉の井旅館に命中して火事を起こしたという。
B二九の電波暗視機を見る。波長三センチ、受信管は金属管を用いた導波管を使いこなしてある。大変参考になる。
この日誌からでも分かるように、昭和19年12月6日に、陸海軍合同によるAN/APQ13分解調査開始前から日本電気も参画していることが確認できる。

B29の電波暗視機であるAN/APQ13の概要を以下に示す。
 a-1

AN/APQ-13の諸元
波長          3cm
パルス幅        0.5マイクロ秒
パルス繰り返し周波数   1350Hz
スキャンレート         13rpm (サーチモード),50スキャン/分(セクタスキャンモード)
送信機         送信管マグネトロン730A
出力                   1kW
受信機         ダブルスーパーヘテロダイン方式
局部発振        クライストロン723A/B×2個
走査距離               港湾ブイ上15海里(28km)
5000トン級船舶で40海里(74km)
沿岸の大都市で95海里(176km)
最短走査距離           180m
アンテナ               パラボラ型
スコープ               PPI
精度          距離精度1%
爆撃精度 440ヤード(400m)
重量                   370ポンド(168kg)
Main Control Box
AFC ON AFC OFF BEAC ONと表示された切り替えSWが見えるが、レーダーの機能に加え、自機の方位を失った場合に備えて、基地局からのBEACON波を受信する機能まで付属させている。なお、AFCとは自動周波数制御のことである。
 a-1-1

ブロックダイヤグラム
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 受信機の局部発振に使用されたクライストロン723A/B
 a-3_クライストロ723a無題

この調査により、米軍の最新のWestern Electric社製のAN/APQ13という波長3cm(X-band)のPPIレーダーの構造に関しては、陸海軍の研究所レベルで把握できたので、早速このレーダーをベースとして国産化が進められることになった。
しかし、全くのコピーであれば使用周波数は米軍と同じ3cmのはずであるが、国産化に当たっては5cmが採用されている。
まずはマグネトロンに関係した技術的な背景を考察するこことする。
この時点での各社メーカーの研究所レベルのマグネトロン開発状況を見ると以下のとおりである。
日本無線   
No.S-60 - 5cm wavelength;18kw peak output
No.S-51 - 3cm wavelength;22kw peak output
※実用品として水冷式のM-312(10cm)、MP-15(15cm)を既に軍に提供しており、更に海軍のPPI用51号レーダーのために空冷化したM-314(10cm)を開発している。
東芝
3cm wavelength;1kw peak output – air cooled
5cm wavelength;3kw peak output – air cooled
10cm wavelength;5-10kw peak output – air and water cooled
※マグネトロンの使用波長は不明であるが、タチ25、タチ30を陸軍に納品している。
日本電気
5cm wavelength;1kw peak power
3cm wavelength;試作のみ(パワー半減)
※日本電気のみ受信機用のクライストロンについては既に開発が進行していた。

コメント
このような開発状況であることから、日本電気がタキ-34開発するのであれば、当然5cmのマグネトロンを選択するしか手段がなかったことがわかる。
残念なことは、このようなマグネトロンの開発状況を陸軍、海軍、日本無線、東芝、日本電気とも情報の把握・共有をしていなかったことにある。
本来の陸海軍の研究所の技術士官が、開発プロジェクトのマネージメントするためにどこに・どんな技術情報があるかを把握し、各開発部門であるすべての民間部門を含めてフィードバックさせる必要があった。
技術士官が単にメーカーと同じレベル技術開発者としてふるまったことに大きな過ちがあったのだ。
しかも民間の技術者と違って彼等技術士官には軍をバックとした大きな権限があった。

「陸軍のタキ14は、米軍のSCR 717-Bに類似した索敵レーダーを船舶の航行と探知用に製作しようとする試みであった。最初の試験モデルは1944年(昭和19年)8月に完成し、九七式重爆撃機(キ-21)で試験された。」とある。これらの試験から、その機能は貧弱であり、最大範囲はわずか25~30kmであることが判明した。
アンテナとフィーダを改良することで、探索距離を改善することが望まれた。 
さらに東芝はタキ-14の改良に取り組むこととなるが、陸軍としては、タキ14の1Ghzであったことから、周波数を3Ghzとしたタキ-24を日本無線(資料がないので開発指示への確証はないが)へ、周波数を6Ghzとしたタキ-34を日本電気へ昭和19年11月に開発を指示している。
開発着手すると昭和19年12月にB-29を撃墜してAN/APQ13を入手したことから、タキ34をSCR 717-B からAN/APQ13に開発目標を変更にしてさらに日本電気の高性能なレーダー開発を目指すこととしたのだろう。

タチ-34を開発するにあたり、日本電気のバックグランドとなる基礎研究内容を紹介する。
A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
4. 住友通信工業株式会社。(住友通信工業株式会社)のレーダー個別研究開発内容 
パルス波発振用超高周波送信管(1941年8月~1945年8月) 
1941年に研究を開始、最初の製品は波長3m、出力10KwのTR-593、1942年には波長4m、出力50KwのTR-594が完成した。1943年(昭和18年)には TA-1504(波長1.5m、出力5Kw)、TA-1506(波長80cm、出力1Kw)が製造された。1943年から1944年にかけては、波長28cmの送信管を研究し、出力1KwのLD-212-Cを開発、1945年には特殊な構造を利用して波長10cm、出力1.25 KwのLD-22-1Bを開発したが、実用化には至っていない。上記の出力値はピーク出力値である。

高相互コンダクタンス受信管(1941年1月~1945年8月) 
テレビ用ビデオアンプ受信管の高相互コンダクタンス化を検討し、電極の構造を改良して10ミリアンペアで8500マイクロホの相互コンダクタンスを持つMC-658-Aを開発した。1942年、この真空管は量産工場に移された。その後、この種の管の研究は中止されたが、電子倍増(2次電子放出)管の研究は続けられている。

残光性スクリーンを備えた陰極線管 (1944 年 9 月~1945 年 5 月)
レーダーに使用するための特別な残光性を持つ蛍光物質の実験的研究が行われた。 このタイプの陰極線管が生産された。 このようなレーダーの観点から、機械的および電気的要件が分析され、これらの機能を組み込んだブラウン管が製造された。

速度変調管(1942年7月~1945年8月) 
クライストロン型送信管は当初試作されたが、失敗した。1944年、10cm局部発振器用の反射電界型速度変調管が開発されたが、周波数ドリフトのため実機製作に難航した。1945年、特殊な構造を採用し、管の外側に電気空洞を設けることにより、周波数漂遊特性が低く、周波数調整が容易なLD-237管を製作した。この管は3cm波までの発振器に使用することができる。

マグネトロン (1944 年 6 月~1945 年 8 月)
波長5cmのレーダー用送信管を試作。 プレート電圧6000~10000ボルト、磁束17000~26000ガウス、出力1Kw(ピーク値)。 また、波長3cmのマグネトロンも試作。
マグネトロンの参考見本例
a-4_IMG_0001-01

 
コメント
PPIレーダーを構成する基礎研究は既に行っており、残光性スクリーンを備えた陰極線管、速度変調管(クライストロン)、5cmマグネトロンなどの基礎研究をベースに、タキ-34の開発を目指した。
しかしながら、AN/APQ-13の3cmのマグネトロン相当品の実用化はされていなかったので、5cmのレーダーを開発せざるを得なかったのが実態のようだ。

ここからは、米軍の各種調査報告資料からタチ34関連項目を抜粋する
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Armyからの抜粋
6.6 タキ34:
その他の名称:なし
このセットの研究は、1944年12月に住友通信研究所で開始された。 明言はされていないが、最初の実験ではタキ14、24の結果を改善するためであったが、研究が進むにつれてアメリカのAN/APQ-13の詳細がわかり、可能な限りこの装置を模倣するようになったと思われる。 スケッチや回路図(付録7参照)を見ると、タキ34とAN/APQ-13の間には多くの類似点があることがわかる。 
1945年7月、初期テストのための「試作品」モデルが完成した。 装置は熱海の海沿いの丘の上に設置された。 その結果はわずか12から15kmの範囲から得られた情報しかなく、その機能は貧弱であった。終戦時までに製品は完成しなかった。
以下は、モデルの諸元表である。
諸元表:
Frec、mcs ---------------------------- 6000
Prf、cps ----------------------------- 1500
パルス幅、usec ----------------------- 2
尖頭電力出力-------------------------- 1 kw
アンテナ-------------------------------共用T-R、矩形導波管で給電された80cmパラボラ反射鏡。回転速度 - 20 - 60 rpm。傾斜角 - 0 - 60°
IF、mcs .------------------------------ 100&27(double superheterodyne)
 IF帯域幅----------------------------- 5 mcs(?)
Rcvr利得------------------------------ 100 db(IFを介して)
較正範囲------------------------------- 0 - 50 km
最大範囲------------------------------- 12 - 15 km
精度-----------------------------------不明
コメント
本資料がタキ-34の公式資料として幅広く流布している。

A short survey of japanese radar Volume 1からの抜粋
4. 住友通信工業株式会社(住友通信工業株式会社) の項から
1944年11月、多摩研究所は住友通信に5cmの航空機搭載用探索レーダーの開発・製造を指示した。「できるだけ出力と飛距離を大きく」という一点のみであった。当時、我が国のB29が3cmレーダーを装備していることや、その波長を試した可能性があることを知らなかった。
真空管研究室では、最終的に5cmのマグネトロンにイコライザーリングを付けて、1Kwのパルス電力を発生させることに成功した。これは、後に墜落したB29のAPQ-13セットから回収されたものに倣ったものである。1945年の初めに陸軍の多摩研究所から研究用に提供されたもので、そのうちのいくつかは動作状態であった。
しかし、5KW程度しか出なかった。
その主な特徴は
Eplate = 10 kv If = 4.0 amp
H = 3000ガウス λ = 5 cm
Ef m 3,5 v パルスパワー = 1 kw
受信機用ビート周波数発振器として開発された周波数可変の速度変調管(周波数制御可能なマグネトロンB.F.O.を作ろうとしてもうまくいかなかった)。下はこの真空管のスケッチで、3〜5cmの範囲で動作し、より短い波長では約半分のパワーしか得られない。ガラス管を通過するフランジにクランプまたはハンダ付けされた金属キャビティの大きさが、共振周波数を決定する。この周波数は空洞を機械的に圧縮することで最大+5%まで変化させることができる。リペラ(※反射電極のこと)の電圧は、最大出力が得られるまで変化させることができる。
b-1_A-short-survey-of-japanese-radar-Volume-1_page-0064-01

 
このセット(Tachi-34)の指示器(インジケーター)は、鹵獲されたAPQ-13のものにも影響を受けている。磁気回転スイープコイルを備えたPPIスコープを使用していた。 Aタイプの高度用スコープも提供された。 どちらも 0 ~ 50 km の目盛りがあった。鉱石検波器ミキサーは黄鉄鉱やシリコンにタングステンの針がついたものが使われた。中間周波数は当初100MCで、I.F.増幅器は954型エーコン管8本であった。その後、100MCのI.F.を2段だけ使用し、27MCで7段増やし、I.F.増幅率を高く(80db)、バンド幅(± 2.5 MC)広くするように改造された。
80cmのパラボラアンテナ反射板は、2つの回転ジョイントを通して導波管(ウェーブガイド)伝送路で給電されたものを使用した。アンテナは20~60rpmで回転し、仰角は0°~-60°に可変である。
 PPIスコープには可変範囲円が現れ、Aスコープにはそれに対応する輝点が軸に沿って現れる。高度測定回路が組み込まれており、地上反射円がちょうど点となるように掃引を遅らせることができる。
1945年7月に完成した1セットが多摩研の技術者に渡され、網代(東京の西75マイル)の海を見下ろす高い岬にアンテナを取り付けて距離試験が行われた。その結果、陸上目標で12〜15kmの距離しか出ず、満足のいくものではなかった。しかし、8月の終戦により、この開発は中止された。
このほかにも、研究所では多くの研究が行われた。レーダー、電子工学に関係すると思われるものを表2に示す。

コメント
APQ-13の影響をうけているのは指示器との指摘であるが、実際はパラボラアンテナ系及び矩形導波管関係のほうが影響大ではないだろうか。
逆に、APQ-13では廃止されているAスコープの高度指示器は、英国のH2S及び米国のSCR 717-Bのまま付属機能として開発が継続されている。
B-29で使用された高度計(SCR-718)
 b-3_0


A short survey of japanese radar Volume 2からの抜粋
タキ - 34 
マイクロ波航空機搭載用探索レーダ 
対応する連合国呼称: ------
技術的特徴
f = 6000 MC/S (λ= 5 cm)、 1KW、 距離15Km
精度不明。
製造数=実験機1台 
解説 
アメリカのB-29に搭載されているAPQ-13に匹敵する性能を日本陸軍が目指したセットである。日本陸軍の技術者が鹵獲したAPQ-13を研究し、そこからヒントを得たアイデアが多く盛り込まれている。
5cmのマグネトロンは住友通信が開発したが、出力は1kw程度であった。80cmのパラボラアンテナ反射鏡は、2つのロータリージョイントを経て、導波管で給電される。アンテナは20〜60rpmで回転し、0度から-60度まで傾いた。
受信機は鉱石検波器ミキサーと速度変調ビート周波数発振器を備えたダブルスーパーヘテロダイン受信機を使用した。I.F.周波数は100MCと27MCであった。
表示機は可変範囲円の 0 ~ 50 km 掃引距離の PPI スコープと、それに対応する輝点の範囲マーク付きA型スコープを平行に配置した。
高度決定は較正された掃引遅延回路によって行われ、地上反射円が点だけになるまで狭められる。高度の範囲は0〜15kmである。
1944年11月に研究が開始され、1945年7月に1台の実験セットが陸軍に引き渡され、テストが行われた。高所に設置された陸上からの距離は12〜16kmと、非常に残念な結果だった。
b-2


コメント
本資料の米軍のコメントは唯一好意的というか正当な評価がなされている。
アンテナは、AN/APQ-13が採用しているコセカント型のアンテナではなく、通常のパラボラアンテナのように見受けられる。
受信機のブロックダイヤグラムにはエーコン管の954、955及び広帯域増幅菅の(US-)6505の記載がある。
 c-1

指示器の配置の説明からタキ-34の本体部のイメージは、英国のH2Sレーダーの本体を横置きしたもののようだ。
 c-2


日本側の資料である日本無線史第九巻からの抜粋
電波暗視機「タキ三四」
昭和十九年(1944)夏以降本土防空に際し撃墜されたB29の残骸中から、その装備暗視機を殆ど完全な状態で数機入手出来たので、稲葉技術大佐を中心に、これが技術調査を行うと共に、それと同様な波長数糎の高性能機(タキ三四)の試作研究に着手した。
然しながら当時なお本邦に於いては極超短波用電磁管及び絶縁材料は未完成の状態にあったためこの試作はその完成を第三次兵器として数年後に期するの外なかった。
また、B29の暗視機附属図書中に北九州や、東京附近の暗視映像地図が発見せされ、このことは若し海陸の境界、形状を電波的に偽装するならば、彼をして爆撃進路を誤られる可能性のあることを思わせるものがあった。
そこで、予てから大岡山研究室の材料関係嘱託と協力して超短波及び極超短波に対する反射、吸収材料の研究を担当していた真野国夫技術少佐を中心に、電波偽装に関する一部の実験研究を実施すると同時に北九州八幡地区に就て偽装計画案を作成した。
假すに時日を以てせばよしやB29に対する電波偽装の目的は達成し得なかったとしても新用途-例えば飛行機の航法上に於ける-を開拓し得たことと考えられる。

コメント
これがタキ-34に関する日本側の公式資料であるが、撃墜されたB29のレーダーが開発着手の理由であったわけではない。
電波偽装についても、米軍のレーダーマニュアルにもあるようなデータをどう偽装するのか理解に苦しむ。
 e-1_

最後に日本電気の社史を紹介するが、社史からレーダーの開発姿勢が読み取れ日本電気としてマグネトロンの開発については積極的でないことは明白であった。
東芝を含めて日本電気の研究所幹部は今次大戦にはマグネトロンは間に合わないというか無理ではないかという消極的な姿勢が見受けられる。
センチ波レーダーにおいても、両社はあくまで既存技術の3極管をベースとしたレーダー開発が行われていた。
そんな社風の中でも、5cmのマグネトロンを使用したタチ-34を曲がりなりにも開発を完遂できたことに改めて驚嘆するだけである。
日本無線と対比すればマグネトロンに対する考え方に大きな相違が感じられる。

日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室からの抜粋
研究所では1941年4から5月ころから研究を超短波パルス発射のレーダの実用化に切り替えた。海軍技術研究所の要請もあって、7から8月に送信所を玉川、受信所を生田に置いて試験し、10月には送信所を生田、受信所を宇都宮から100kmの白子に置いて、宇都宮までの飛行機の反射を確認した。小林は「8月9日、生田上空で会社の飛行機の反射波がスクリーンの上に出た。その瞬間の喜びは例えようがなかった。」と日記に記している。この電波探知機はB-29来襲の際、その早期発見に役立った。しかし、連合国はさらにマイクロ波を利用するまでに進展していたのである。
また、「板極管」の開発と生産が生田を中心に行われた。しかし、従来の三極管では有効利用の波長の限界は1.5mであったが、レーダの精度向上のために数10cmの電波を用いる必要かあり、1944年4月に、ドイツからシャイベンレーレといわれる三極管の使用の情報を得た。これを推測しながら試製してできたのが、JRBという板極管であったが、「成績ハ良カッタガ試作管ガ出来上ガッタノミデ、終戦トナッタ」のである。
純技術的にいうと、メートル波とセンチ波の相違、システムエンジニアリングの欠如、正確な測定技術にもとづく定量的設計の欠如など、技術開発の遅れは否めないが、マイクロ波通信がレーダの延長上にあったから、無線誘導機、無線誘導爆弾の開発を含めて、自力開発の経験は貴重であった。
しかし、戦局の悪化とともに、研究開発も軍部が直接「統制」するようになった。1943年7月には、陸軍は陸軍技術研究所や航空技術研究所に分散している電波関係の研究部局、人員を集約して、電波兵器開発を促進するため、多摩陸軍技術研究所を設立した。多摩技研は「研究室」制度を採用し、参与・嘱託制を併用して大学や民間企業の研究機構も動員した。東京芝浦電気の電子工業研究所が川崎研究室とされたのと同様、住友通信工業研究所生田分所は生田研究室とされ、小林が嘱託に任命された。44年12月には研究所の主力は生田に集結して、研究を進めようとしたが、戦争末期には、空襲、実験機材・人員などの不足で研究が行えない状況にたちいっていた。
技術開発面で、日本がアメリカに及ばなかった理由の一つは、森田正典が指摘しているように、オープンな協力体制のもとで技術開発を進めたアメリカとは違って、日本では陸・海軍のセクショナリズムがついに解けず、オープンな協力体制が欠如していたことにあったのである。

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参考資料1
B29搭載レーダーの調査資料については、土居氏の横浜旧軍無線通信資料館のHPに東京大学名誉教授 霜田光一論文として掲載されていますので是非参考に願います。
東京大学名誉教授 霜田光一論文のURLは下記の通りである。
B29搭載レーダーの調査のURLは下記の通りである。
http://www.yokohamaradiomuseum.com/shimodawebsite/page0201.html

参考資料2
米軍のWestern Electric社製のAN/APQ13に匹敵する3cmのPPI型レーダー開発については、雑誌「船と科学」昭和27年(1953年)4月号の広告欄に日本無線が「日本無線で試作されたJRCマリンレーダー」と掲載している。
日本無線により戦後7年目でやっと当時の米国のレーダー技術に追いついたということだろう。
記事内容に、「JRC製マグネトロン及びアノード構造においては、マグネトロン(JRC-M-302)は外形、寸法、特性は殆ど米国のマグネトロン730Aと同一で、差換え使用もできる。またアノード構造はJRCが戦前、戦時中に大いに研究して完成した橘型アノードを使用しており、米国で用いられている所謂Strapped Typeの陽極よりマグネトロンの作動が安定である。」とあるが、AN/APQ13で使用していたマグネトロン730Aの互換管を誇らしく紹介している。
 d-1_funenokagaku-vol05-1952-04_page-0015





参考文献
日本電気株式会社百年史 2001年12月25日 日本電気社史編纂室
日本無線史第九巻
 Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army
A short survey of japanese radar Volume 1
A short survey of japanese radar Volume 2
土居氏の横浜旧軍無線通信資料館のHPに東京大学名誉教授 霜田光一論文 http://www.yokohamaradiomuseum.com/
Radar Observers' Bombardment Information File (ROBIF)
https://drive.google.com/file/d/1LUIFFAwGjTy9JwPaLTMOXgW4dG_3kjAb/view?usp=share_link
船の科学 昭和27年4月号


7.7  タセ7(出典:日本無線史9巻)
タセ7:船舶用電波標定機
海軍側担任(対艦船105-S2、対艦対空両用S3 相当)
第二次兵器として研究中、陸軍としては生産化に至らず。
標定距離対大艦30km、対小艦20km、測距精度±50m。
測角精度±0.5°。
因みに右に相当する独逸の制式は、標定距離最大(対中艦)20km、測距精度±50m、測角精度±0.1°(?)。

105-S2とは3号電波探信儀2型、S3とは4号電波探信儀1型のこと。





参考文献
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会



Australian War MemorialのKIRIGUSHI, JAPAN. 1946. JAPANESE RADAR AERIALの考察について (令和5年01月28日)

Australian War Memorialのデータベースを検索していると、下記の資料をヒットした。
https://www.awm.gov.au/collection/C250528

 a-1

Description
KIRIGUSHI, JAPAN. 1946. JAPANESE RADAR AERIAL FOUND BY MEMBERS OF THE DIRECTOR OF ENGINEERING EQUIPMENT SECTION, BCOF.

写真は、大型のパラボラアンテナであるが、海軍か陸軍のものか、はたしてどのような機種なのかも含めて、本写真をもとに機種を特定するこことした。
とりあえず、KIRIGUSHI, JAPAN. 1946とあるので、この「KIRIGUSHI」なる場所の特定から調査を開始した。
しかしながら、「KIRIGUSHI」なる地名をネツトで検索してもヒットしない。
日本にある市町村名には該当しないようである。
ただし「KIRIGUSHI」ではあるが、下記のデータがヒットした。
Kirikushi Okagensan | Get Hiroshima
このことから、「KIRIGUSHI」ではなく「Kirikushi」が本当の地名であるのではないかと考えることとした。 
これで再検索すると、広島県江田島町切串の地名ではあることが判明した。
切串が「KIRIGUSHI」ではなく「Kirikushi」であるのは間違いないようである。
撮影日は1946年であることから、英連邦軍としてオーストリアの部隊も含め、広島、呉方面へ占領軍としての進駐しており、この時に広島県江田島町切串にて撮影したものと思われる。
日本の陸海軍が開発したパラボラアンテナを使用した極超短波帯のレーダーについては、少数しかないので、わかる範囲で紹介する。
海軍
2号電波探信儀3型 (S8)
 b-1

2号電波探信儀3型 (S8A)
 b-2

3号電波探信儀1型 Mark 3, Model 1  (220)
b-3

陸軍
タセ2
b-4


オーストリア軍によって撮影されたパラボラアンテナと陸海軍のレーダーアンテナを比較しても完全に一致するものはない。
特にアンテナの構造体の骨組みに使用している梁の数が全く異なっている。
ただし、陸軍のタセ2のアンテナを支える支柱構造物については酷似している。
このことから、タセ2号の改良型のアンテナであることが有力のようだ。
c-1


呉といえば、呉鎮守府があり、呉海軍工廠もあり海軍の一大拠点である。江田島についても、海軍兵学校があり海軍関係のレーダーがあってもおかしくないのだが、写真から判断すれば陸軍のレーダーである。
江田島方面に関する陸軍関係部門を調査すると
江田島町の北部、幸之浦という地区に旧陸軍の海上挺進戦隊「船舶練習部第10教育隊」の基地があったことがわかる。
海上挺進戦隊とは、船舶特別幹部候補生の少年を主体とし、陸軍からの選抜下士官、将校の精鋭によって編成された、250kg爆雷を積んだベニヤ製のモーターボート(四式肉薄攻撃艇 秘匿呼称”連絡艇”:マルレ艇の通称で広く知られる)で1艇を持って一隻を葬る、いわばボートによる特攻を行う部隊でした。
幸之浦はその教育隊が置かれていた地。幸之浦の正面にある似島(にのしま)との間にある海域で訓練を行っていた。
この近くの広島県江田島町切串に切串港あることがわかった。
このことから、旧陸軍の海上挺進戦隊「船舶練習部第10教育隊」の付属施設としてタセ2をこの切串地区の山頂に設置して水上見張の訓練に利用したのだろう。
四式肉薄攻撃艇
 d-1


レーダー配置については、その他、近隣の広島市宇品には船舶司令部があることから、その防衛のための水上見張として実戦配置された可能性も考えられる。
 d-2

ここで、タセ2について概説する。
日本側の公式資料である日本無線史第九巻からの抜粋
船舶用電波警戒機 
対潜用電波警戒機(タセ二)
波長一五糎、尖頭出力一kw、警戒距離対大型艦船三〇粁、対浮上潜水艦一五粁、対潜望鏡二粁、測距精度正負一〇〇米、測角精度正負一度、重量二瓲、試作会社東芝通信及び日本無線、実用化及び生産化せるも成績思わしからず、陸上用に転用すべき研究し一部改修実用の目途を得た。
第二次兵器として普通の三極管又は多極管を使用するものを研究中のところ未完。

戦後、米軍が取りまとめた「A short survey of japanese radar」からの抜粋
概要 
陸軍輸送船水上見張用のこの装置は、20 cm の波長で動作するように設計されていた。 しかし、この時期、15 cm の空冷マグネトロンが日本無線 (MP-15) によって開発され、東京芝浦電気によって 20 セットが製造された後、装置はこの波長で動作するように変更された。 特別に設計された「Barkhausen-Kurx」混合管 (BK-15) を備えた局部発振器として、非常に小型のマグネトロン (電磁石を備えたもの) が使用された。ダイポールが水平に偏波され、その前にロッド反射板が取り付けられた大型パラボラアンテナの方位角を手動で変更する仕組みであった。 この装置は、寿命がわずか約 30 時間の動作時間であった固定タングステン ギャップを含む水素充填の TR管(放電管)を使用していた。
タセ 2 は、送信マグネトロンの出力が非常に小さい (1 kw) ため、2 ~ 3 km 先の潜水艦を検出できなかったため、まったく満足のいくものではなかった。 日本無線は陸軍に対し、タセ 2 を製造する代わりに、すでに成功を収めている海軍の 波長10 cmの2号電波探信儀2型を採用するよう促したが、陸軍は手遅れになるまで納得しなかった。 最終的に陸軍は2号電波探信儀2型(タセ6)に切り替えた。

上記資料からの考察について
2つの資料から分かることは、タセ2の開発の本来の目的は潜望鏡深度で潜航しているに潜水艦の探知距離2Kmの性能を持つ機能のレーダー開発である。
このためには、使用周波数は従来のメートル波ではなく、センチ波が必須要件となる。(※現代では、ミリ波が採用されている)
このため、陸軍としては初めてセンチ波の開発を目指したことになる。
ここで日本無線史の資料からわかるように試作会社を東芝通信(東京芝浦電気配下の会社)及び日本無線の2社が選定されている。
本来試作会社は別々に製造し、陸軍のほうでどちらの会社のものを選定することとなるはずだが、この試作段階や選定に関する資料はない。
センチ波レーダーについては、日本無線が開発した海軍の2号電波探信儀2型しかなく、本来なら日本無線で決定されるべきもののばすであった。
しかしながら、日本無線史の中で東芝の試作品は、初期には波長20cmのものであったということから、東芝が試作会社として選定されたことを意味するように考えられる。(※東京芝浦製の波長20cm、出力 300W、12分割管MV14マグネトロンが使用されたと思われる。)
この後、日本無線が波長15cmの導波管(マグネトロン)を開発したことから、東芝はこの波長に仕様を変更したようだ。
このことから、このタセ2については共同開発というか東芝主導で日本無線が導波管(マグネトロン)のみ供給とみてもよいのかもしれない。
ところが、タセ2の製造に関しては、日本無線が60台、東芝が20台という実績となっているのが少し矛盾がありそうだが、東芝としては製造余力がなかったのだろう。
ここで東芝主導開発にこだわるのは、センチ波レーダーを開発するのであれば日本無線が開発した海軍の2号電波探信儀2型をベースするのが早道であるはずだが、日本無線のノウハウは全く採用されていない点である。
勿論、同一メーカーであっても、海軍と陸軍へのレーダー開発のノウハウ・資材は利用できないのは理解できるが、これほど日本無線のノウハウが利用されていないのは奇妙にさえ思われる。
逆に東芝の独自技術が目立って採用されている点である。
特にアンテナに関しては、日本無線の電磁ラッパではなく、本来採用すべきパラボラアンテナが採用されている。しかも、送受共用を可能としている。
しかしながら、センチ波のノウハウ不足なのか日本無線で採用した導波管を採用せず、平行線と同軸ケーブルを組み合わせて採用したため全体的な高周波特性を相当悪化させたことが推定できる。
このため、タセ2は、潜望鏡深度で潜航しているに潜水艦の探知距離2Kmの性能には至らず、陸上からの船舶を警戒するレーダーと目的変更された。
ただし、現代のミリ波を利用したレーダー技術では、探知距離2Kmなど可能かもしれないが、当時の技術レベルで本当に潜望鏡深度で潜航しているに潜水艦の探知距離2Kmが技術的に可能だったのか、当時の米軍の技術レベルも含めて技術的検証を行わない限り、この議論の結論を出すことは困難である。
この単一のパラボラアンテナの採用には、日本無線が長年苦しみ、敗戦直前に海軍の3号電波探信儀1型を開発するまで成功しなかった。
しかも完成した時点では、日本の主力艦隊は壊滅状態となっていた。
e-1

 

最後に、日本無線の技術者が米軍に語った一言を掲載してこの章を終わることにする。
日本無線は、陸軍のタセ2を海軍の22号(※2号電波探信儀2型のこと)に比べればおもちゃのようなものだと評価している。22号が導波管とホーンアンテナであるのに対し、タセ2は大型のパラボラアンテナを使用していた。タセ2は約60台、22号は約500台が製造された。日本陸海軍のレーダー関係者の間では、22号は "日本で最も優れたレーダーセットである "と一般に認められていた。




参考文献
A short survey of japanese radar
日本無線史第九巻
Australian War MemorialのKIRIGUSHI, JAPAN. 1946. JAPANESE RADAR AERIALの調査 
https://www.awm.gov.au/collection/C250528
江田島市観光協会 海上挺進戦隊戦没者慰霊碑
https://etajima-kankou.jimdo.com/%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E5%8F%B2%E8%B7%A1/%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E5%8F%B2%E8%B7%A1%E3%81%AE%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8/%E6%B5%B7%E4%B8%8A%E6%8C%BA%E9%80%B2%E6%88%A6%E9%9A%8A%E6%88%A6%E6%B2%A1%E8%80%85%E6%85%B0%E9%9C%8A%E7%A2%91/
大日本者神國也 陸軍船舶練習部 第十教育隊
http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-1684.html?sp

タチ24のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、Radio Locator “Wurzburg” Type (tachi-24)とある
日本側での制式呼称は、四式電波標定機(タチ24)である。
製造会社は日本無線株式会社である。
なお、独逸のウルツブルグD型(FuSE-62D型)を完全にコピーして、タチ24として国産化を目指したものである。
なお、米軍へ提出されたブロックダイヤグラムは、制御ラインなどに誤記があると判断して、こちらで修正を行っている。
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ブロックダイヤグラムでは、次の6つのブロックの機能で構成されている。
H.F.Unit Amp.Unit(Receiver)Transmitter Modulator Unit Measuring Unit Indicator Unit 

空中線(Antenna Unit)
アンテナに関する情報としては、下記の資料から抜粋する。
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6
Xm antenna-----------------eccentric dipole with parabolic refector, conical scan by rotating dipole. 
Rcvr antenna---------------common t-r
送信・受信共用アンテナは、ダイポールを回転させることによる円錐スキャンを持った放物面鏡を備えた偏心ダイポール方式を採用している。
なお、偏心ダイポールを1/25秒で回転させ、上下左右の4点からの信号により等感度方式を実現している。
z-a-1-1

z-a-1-2

Eccentric(ity) statical   Single doublet    Reflector parabolic corn  Rotary Switch for Indicator Unitのコメントが記載されている。

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なお、空中線を送受信共用するために発明されたポザネ整合回路については、言及がないのでここでは取り扱わない。

高周波装置(H.F.Unit)
Mixer(LG-2)→Lacal Osc(LD-5)の2球の構成である。
受信機(Receiver)を高周波段として混合部と局部発振部を高周波装置(H.F.Unit)として切り出し、中間増幅部段以降の受信機の機能を単に増幅装置(Amp.Unit)として分離している。
パラボラアンテナで受信した600Mhzの受信波を局部発振部Lacal Osc(LD-5)と混合部Mixer(LG-2)で混合することにより、中間周波数25Mhzに変換する。
更に、変調装置(Modulation Unit)で生成した送信パルスから負のパルスに変換したものを混合部に印加することにより、送信波の混入を抑止する。

増幅装置(Amp.Unit)
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受信機の形式はダブルスーパー方式であり、すべて真空管は独逸のRV12P2000を国産化したRE-3で構成されている。
第一中間周波3段第二混合部を経由して第二中間周波数6Mhzで4段の増幅を行っている。
左写真が独逸のオリジナルRV12F2000と右写真は国産化したRE-3
a-4

 

送信機(Transmitter)
送信管LS-180による自励発振により、600Mhzパルス出力10Kwの送信波を出力している。
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 変調装置(Modulator Unit)
測距装置(Measure Unit)からマスター発振として3750Hzの正弦波を入力として、Amp.(LS-50)→Amp.(LS-50)でパルス観測器(Pulse Viewer)のブラウン管の掃引として掃引周波数3750Hzの「のこぎり波」を印加する。
※内部の観測装置の表示であることか1/2の掃引周波数ではない。
Amp.(LS-50)飽和増幅して微分回路→Amp.(LS-50)飽和増幅して積分回路を通してのこぎり波を生成するということだろう。
更に、Amp.(LS-50)→Pulse Gen(LS-50)→Amp.(LS-50)→Amp.(LS-50)→Recharge Tube(LS-50)とあるが具体的な回路図がないと動作を理解することができないが、基本的には送信パルスを生成することにある。
なお、特に、再充電管(Recharge Tube)などの動作概念も理解できないところである。
基本的には真空管1段通すと位相は180度進む関係から、正パルスと負パルスの反転するが、カソードフォローの場合には反転しないなど各素子と位相の関係をよく理解する必要がある。
Negative Sappreserとコメントがあるところのパルスは、当然負パルスである必要がある。

測距装置(Measuring Unit) 
測距装置は、以下の4つのステージで構成されている。
Master OSC Stage  Measuring Stage Measuring Spot Stage Detector Stage
マスター発振器部(Master OSC Stage)
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マスター発振器にMagnetostriction OSC(磁歪発振器)が採用されている。
ブロックダイヤグラムからみると直接30Khzの正弦波を生成し、第一ゴニオメーターの入力となっている。
本来ウルツブルグの完全コピーと思っていたが、オリジナルのウルツブルグではマスター発振器は60Khzの水晶振動子から正弦波を発生させて、分周することにより、30Khzの正弦波を生成している。
同じ仕組みを応用している東芝製のタチ31では、120Khzの水晶振動子から正弦波を発生させて、分周することにより、30Khzの正弦波を生成している。
このことから分かることは、独逸では60Khzの水晶振動子を製作できるが、日本ではこの規格の水晶振動子を作ることが出来なかったと理解するしかないようである。
日本のレーダーでは、低い周波数のマスター発振器としては、音叉発振器がよく採用されているが、30Khzという高域の超音波領域には対応できない。
このため、日本無線では正確な30Khzの正弦波を生成する仕組みとして「Magnetostriction OSC 磁歪発振器」を新たに導入したようだが、このようなウルツブルグの仕様変更にはお目付け役のテレフンケン社のフォダス氏も仕方なく許可したのであろう。
※参考資料 磁歪振動子の励振
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30Khzから3750Hzへの分周回路について
ブロック図から類推すると、30Khzから3750Hzの分周については、1/8の分周した発振周波数のマルチバイブレーター方式が用いられている。
具体的には、マスター発振の30Khzに対して正弦波から飽和増幅により矩形波に変形し、更に微分することにより30Khzのパルス波を生成する。
一方、3750hzの時定数によるマルチバイブレーターで、3750hzの発振を行い、これを取り出し3750Hzのパルス波を作成する。
この両者のパルス波をMixer部で混合し、両者パルスが一致した時だけ、30Khzのパルス波を3750hzの時定数によるマルチバイブレーターのトリガーとして動作する。
こうすれば、水晶発振によるマスター発振周波数を基準として、正確な3750Hzの発振周波数を得ることができる。
さすがにここまで考察していたのかと独逸の回路技術に脱帽するのみである。

津田氏の「幻のレーダーウルツブルグ」でも、「水晶発振周波数の精度が低いと、他のレーダーが発射する送信電波のパルスがブラウン管上を移動して標定を困難にする欠点を生じる。多数のレーダーを同じ地域に装備した場合でも、相互の干渉による誤動作は生じないようになっていた。」との言及がある。
【捕捉説明】
指示機の仕組みを理解するためには、本機レーダーが使用するパルス繰返し周波数が重要である。
本機のマスター発振器の正弦波によるパルス繰返し周波数の仕様は、3750Hz と30,000Hzを使用している。
反射パルスによる理論的な最大測定可能距離は、(光の速度÷反射パルスの繰返し周波数)÷2で定義される。
パルス繰返し周波数3750Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は40Kmとなる。
パルス繰返し周波数30,000Hzを採用すると、理論的な最大測定可能距離は5Kmとなる。


測定部(Measuring Stage)
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ウルツブルグ式精密測距方法について
ウルツブルグの精密測距方法については、大変特異な測距方式が採用されている。
移相方式は、2つのゴニオメータ―を採用しているが、入力周波数が3.75Khzと30Khzで、半回転で180度の移相を変化できるゴニオメーターを各1個づつ用意し、しかも歯車機構でこの2個のゴニオメーターを1:8の倍率のもので連結し、どちらのゴニオメーターを回転させていても、連結しているので1:8倍の比率で回転する。
更に、ゴニオメーターを作動させる発振部は、一方は3.75Khzの粗調整用ゴニオ(GO-2)に注入し、他方は1:8倍のバーニア機構付きで30Khzの密調整用ゴニオに注入する。
この条件下で、2つのゴニオメーターの動作は、一方の3.75Khzの粗調整用ゴニオのものは180度の角度が、0から40Kmの範囲で比例する。
連結された他方の30Khzの密調整用ゴニオのものは180度の角度は、0から40Km(5Km×8倍)の範囲で比例させるため1/8倍の角度変化で回転することとなる。
逆に、30Khzの密調整用ゴニオ(GO-1)を回転させれば、この時連結された3.75Khzの粗調整用ゴニアの角度変化は8倍されて回転する。
また、30Khzを注入した密調整用ゴニオメーターの調節により、測距で標定された黒点パルスを表示機の索敵(粗距離)、方向、高低の各ブラウン管に送られ黒点表示することでどの位置の受信パルスが標定されたか正確に認識することができる。
移相調整については、正弦波が条件となるが、一方指示器に表示される受信パルスに対する標定のため、ゴニオメーターの出力として移相された正弦波を矩形波に変形し、微分回路を通してパルス化したものを更に極性反転し、負パルス(黒点パルスと称している)としたものを表示機のブラウン管の第1グリッドに輝度変調として注入する。
これによって、ブラウン管の表示で黒点として交点が非表示状態(カットオフされる)となり、受信パルスに標定した位置(移相)が正確な測距距離となる。
測距機の測定結果については、通常はデジタル表示されるが、ウルツブルグでは複雑な歯車機構のため、測定結果については目盛スケールによる読取りが必要となる。

【参考情報】ウルツブルグの測距装置
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測定用黒点処理部(Measuring Spot Stage)
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30Khzの黒点パルスと3750Hzで生成した黒点パルスが一致する時のみゲートを開き黒点パルスを測距(Range)のブラウン管のグリッドに印加する。
ただし、索敵(Detector)のブラウン管には無条件にグリッドに印加している。
何故このような機能があるのかといえば、30Khzの第一ゴニオメーター(GO-1)と3750Hzの第二ゴニオメーター(GO-2)は連結されており双方から動作可能であるが、零点調整など内部処理のため位相を少しずつ変える必要があり、その動作の校正及び精度保証のための機能と思われる。

※黒点については、日本の射撃用レーダーでは、一般的に目標物を選択すると正のパルスを使用した輝点として表示するが、独逸では負パルスにより、ブラウン管から選択点を表示させない方式を採用しており、タチ31については独逸のウルツブル式を採用したため、黒点表示もそのまま採用したものと思われるが、測距などの精密測定のためには輝点より黒点のほうが操作性は確かに優れている。

索敵部(Detector Stage)
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測距指示管
増幅装置(Amp.Unit)からの受信信号を中間周波の6Mhzを入力として、プッシュプルの中間周波増幅から検波し、低周波増幅1段により測距用指示管の垂直軸に注入している。
測距(Range)の時間軸処理については、粗調整用ゴニオ(GO-2)のアウトプット(移相を変化した正弦波)から増幅管LV-1を経由して測距(Range)のブラウン管の水平軸(時間軸)に正弦波掃引として印加している。

【捕捉説明】
指示機に必要なブラウン管の水平軸用の「のこぎり波」の掃引周波数とパルス繰返し周波数との関係は以下のとおりである。
「のこぎり波」の掃引周波数 = パルス繰返し周波数 ÷ 2 
このため、「のこぎり波」掃引方式ではこの関係式は成立させるためにパルス繰返し周波数から1/2の周波数を分周する仕組みが必要となる。
なお、上記の掃引方式ではなく、正弦波掃引方式では、パルス繰返し周波数のもとなる正弦波を直接利用する方式であることから、周波数の1/2の加工処理も不要となる。
このため、移相調整器による正弦波掃引方式の採用は大変合理的な選択といえる。

処理イメージを下図に示す。
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指示表示装置(Indicator Unit)にも同じようにIF増幅段と検波段の仕組みのものがあるが、物理的に装置が独立していて、それぞれ別々に動作させているので冗長性、耐防護性などが考慮されたものだろう。
測距担当者は索敵担当者と連携しながらゴニオメーターを調整して目標物を標定する。
参考に津田氏の「幻のレーダーウルツブルグ」の参考資料を示す。
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指示表示装置(Indicator Unit) 
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各指示管のブラウン管への掃引については、各指示管での相違を整理しておく。
索敵用指示管(Detector)については、円周走査ブラウン管(J形表示)を使用した特殊なものであり、掃引についても、特殊なCircular Sweep(円周走査)を使用している。
この掃引の入力としては、マスター発振器で生成された3750Hzの正弦波に対してゴニオメーターを介さず、そのままの状態の正弦波を直接使用している。
 仰角用指示管(Elevation)、方位角用指示管(Azimuth)及び測距用指示管(Range)については、マスター発振器で生成された3750Hzの正弦波にゴニオメーター(GO-2)で移相を変えた状態の正弦波を各指示管のブラウン管の水平軸に印加する正弦波掃引方式が採用されている。

ウルツブルグの円周走査ブラウン管(J形表示)について
津田氏の「幻のレーダーウルツブルグ」の「ドイツ真空管の生産すすむ」からの抜粋
ウルツブルグの電子管はわずか11種で、3種がブラウン管、8種が発振増幅変調などの真空管であった。超小型、小型、円周走査ブラウン管は、米国にも無い特殊な電子管だが、東芝のCRT技術ならば出来ると、浜田成徳電子工業研究所長が引き受け、岡部豊比古博士、大田芳雄、平島正喜、漆原健技師などによってテレフンケン以上のブラウン管が生まれた。
上記資料により、円周走査ブラウン管も国産化されたものと思われる。
ウルツブルク・レーダーでは、索敵用に円周走査ブラウン管(J形表示)の120mmのブラウン管が採用されている。
索敵のためには、下記のような円周走査ブラウン管(J形表示)を行えば敵味方の航空機を一方向ではあるが、0から40Kmの範囲で即座に距離を把握することができる。
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日本でも、昭和17年2月発行の「ブラウン管及び陰極線オシログラフ」の中に同様な説明がされているが、東芝でライセンス製造されていたのかは不明である。
Circular Sweep(円周走査)の掃引については、通常スコープ表示で使用されている「のこぎり波」ではなく、掃引電圧を水平及び垂直偏向板に加え、輝点に円運動をおこさせる必要がある。
このために基本的には、掃引については3750Hzの正弦波とその正弦波の移相をコンデンサーにより90度進めたものを、ブラウン管の垂直軸と水平軸に印加すればよいことになる。
また、ハードウェア的には通常のブラウン管に特殊な偏向装置を附属させる必要がある。
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指示表示装置は、Circular Sweep(円周走査)生成部、のこぎり波生成部、電子マーカー生成部、中間周波増幅部の4つから構成されている。
なお、電子マーカーについては、索敵用指示管に対して黒点と同様に正パルスを垂直軸に印加することにより、マーキングする機能と思われる。

仰角用指示管(Elevation)、方位角用指示管(Azimuth)及び測距用指示管(Range)の画面表示について
ウルツブルグの実際の動作画面を参考に示す。
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この写真の画面では、仰角用指示管(Elevation)、方位角用指示管(Azimuth)及索敵用指示管(Detector)で分かるように、円周走査の索敵用(Detector)は探索距離40kmであるのに対して、仰角用指示管(Elevation)、方位角用指示管(Azimuth)の画面は一部の数kmの距離を拡大している画面に見える。
この3つの仰角用指示管(Elevation)、方位角用指示管(Azimuth)の画面の拡大方法は、正弦波3750Hzの正弦波掃引を印加させ口径75mmのブラウン管に合わせた表示を行わず、あえて水平軸に印加する正弦波を過度に増幅させることにより口径以上の画面表示させることにより、掃引の開始点から数kmの距離のみ表示させることにより実現している。
この表示方法により見かけ上画面拡大しているように見えるという効果が可能となる。

なお、移相調整器(ゴニオメーター)による反射波パルスの動きと各指示機との関係は以下のとおりである。

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※参考資料
津田氏の「幻のレーダーウルツブルグ」の「ウルツブルグの構造」からの抜粋
構造は、架台、筐体、空中線よりなり、架台は三脚または四脚(移動用)により大地に固定し、筐体は架台と巨大な球軸承(ボールベアリング)で結合し、架台上を360°方向把手で、軽くガタ無く回転する。回転の中心に電気多極接触器があって、可動部(本体)と固定部分(架台)との、電源、各種入出力信号を伝達するもので、外から筐体への電力供給や筐体から架台を通して出力(距離、方向、高低の諸元)などが伝達される。
接触器の手入れのため、筐体下部に窓が設けられたのは、使用環境の最悪な戦場での体験に基づいて生まれたものである。
機長は筐体から右に突き出た椅子に座り、指示器を見ながら操作盤で機器を操作する。
夜は照明、寒い時は暖房が入る。
敵機が送信波を攪乱すれば、送信波長を変更して標定を続け、また、自分のレーダーが良好に性能を発揮するよう保守点検を行い、自信を持って目標を捕捉するよう、独軍では教育訓練していた。
筐体は上部で空中線を支え、扉中には送受信部、中間周波増幅部、パルス発生と変調部、各回路試験機、敵味方識別装置、各種の保安用リレー類が収容されている。
扉の反対側には電源変圧器、交直変換用セレン整流器類などがありプラス8.3KV、マイナス2.3KV、プラス200Vなどが交流180Vから得られるようになっている。
商用交流電圧は220Vだか、戦場での電圧変動を考え、炭素板の電圧調整装置(炭素板リングを二列に多数積重ねて機械的圧着力と電磁力のバランスによる電圧調整器)を使用して、180Vの定電圧に保つ設計だった。
空中線(直径3m反射鏡の焦点で偏心回転するダイポール)は、筐体上の中空軸を支点に水平から180°俯仰回転を高低把手で行う。
反射鏡は特殊なバネでバランスを保ち、水平から180°俯仰回転の間、反射鏡の重量によるトルクを感じさせず、軽くガタなく高低把手で操作できる設計だった。
反射鏡の焦点にある偏心回転空中線は、約3°の偏心指向性で1秒に25回転するもので、それに同期して回転する、方向、高低を表示するブラウン管への時間切替器の構造は図⑬に図説した。
偏心ダイポール空中線と同軸回路との変換には、トップ・クライスという立体回路を用い、対称と非対称回路を能率よく変換している。
同軸ケーブルは可撓性に優れ、しかも、700Mhzの超高周波に対してきわめて低損失の優秀製品が要求されるため、池谷宗太海軍少将がケーブル会社に国産化研究を頼んでようやく完成したものが用いられた。


【総合コメント】
・ウルツブルグレーダーの特徴の一つとして、円周走査ブラウン管(J形表示)の採用がある。
日本においても、日本電気が下記のとおり円周走査ブラウン管を生産している。
円形時間軸(円周走査)陰極線管(1941年8月~1944年9月)
円形の時間軸に電磁偏向コイルを使用し、強力な偏向による円錐形の同軸偏向板を使用する陰極線管が調査され、LB-2の製品名で生産された。
しかしながら、この生産が海軍用のソナーなどの目的(ただし、確証はとれなかった)であったため、レーダー用として採用される機会がなかったようだ。

・電波妨害対策について
本家のウルツブルグレーダーでは、操作盤で送信周波数の変更が可能となっている。
これは妨害電波対応の機能とおもわれるが、日本のタチ24にはこの機能の記載されていないが、実際の機能はあったのだろうか。
また、操作盤を見ると、やはり実践的な機能が取り入られており、照明・暖房の外、時計まで標準に装備している。
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・レーボックについて
津田清一著の「幻のレーダーウルツブルグ」にレーボックについての記載があるが、本書によると陸軍はドイツから提供されたレーボックの見本をそのまま模造生産したのに対して、海軍では洋上での試験ができるように発想の異なった簡易なレーボックを考案している。
この分野では、日本海軍に軍配があがりそうである。
ウルツブルグのレーボックの運用状況について
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参考文献
「幻のレーダーウルツブルグ」昭和56年12月 津田清一著
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar, 1 April 1946
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
TM11-1510 SERVICE MANUAL FOR RADIO SETS SCR-270-B
レーダー工学(上巻)
ブラウン管及び陰極線オシログラフ 昭和17年2月発行
無線工学ポケットブック 日本電波協会 オーム社 昭和29年11月発行
磁歪振動と超音波 菊池喜充 コロナ社 昭和44年9月

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