日本帝国陸海軍電探開発史

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2022年01月

タチ25

日本無線史からの抜粋
地上用電波標定機 タチ25
移動式、ドップラー方式
部分研究終了、第二次兵器として設計中のところ爾他緊急研究事項の関係上昭和19年度(1944年)下期中止
 タチ25

Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-1 分冊E-13に以下の文面がある。
Ⅲ. 当社が実施したマグネトロン研究の課題(H.今井)
(d) 電波標定機でインパルス方式を用いた場合、山のような固定物体の有害なイメージを指示器から排除することはできない。 しかし、ドップラー効果を適用すれば、高速で移動する物体だけを検出でき、さらにその物体の絶対速度を測定することができる。 後者のデメリットは、ノイズのない安定した高出力の連続デシメータ波を得て、直読で距離を測定することが難しいことにある。 この報告書の筆者である今井氏のもとで苦労して開発された電波標定機(ロケータ)の概要は次の通りである。
波長・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20cm
送信機・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12分割マグネトロン(空冷式)
アンテナ出力・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・150W(連続)
検波器・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・水晶
放物面の直径・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.5 メートル 
測距システム・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・F.M.
有効距離・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中型爆撃機では25km 
                                     B-29では40キロ
なお、本電波標定機(ロケータ)が実際に使われるようになったわけではない。

上記の当社が実施したマグネトロン研究の課題(H.今井)の資料では、メーカー名も機種名もありませんが、ドップラーレーダーの試作品であることは確かである。
これを裏打ちするような資料として、「東京芝浦電気株式会社八十五年史には18年9月、多摩陸軍技術研究所川崎研究室が川崎本工場内に設けられ、軍・民共同で電子工業(電波兵器)の研究および量産にあたるこことなった。」とあるので、上述のマグネトロン研究の課題(H.今井)の資料のメーカー名については、東芝の電子工業と断定できる。
なお、電波兵器-電子研が、試作または内示をうけて生産したものは、つぎのとおりである。
タセ3号         10台   20台   ※タセ2号の記述ミス
タチ23号(G2)               5台    -    ※タチ4号の記述ミス
タチ31号(G4)     10台   25台
タチ25号(ち8号)    1台
これらの資料からReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-1 分冊E-13の資料が「タチ25」ということと思われる。


参考文献
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会 
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946 E-1 分冊E-13
東京芝浦電気株式会社八十五年史 昭和38年12月 総合企画部社史編纂室

4号電波探信儀1型のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

米軍へ提出されたブロックダイヤグラムのタイトルには、Type 41(S3)Anti-Aircraft Radarとある
製造会社は住友通信(日本電気)である。
日本側での制式呼称は、海軍4号電波探信儀1型である。
なお、米軍へ提出されたブロックダイヤグラムは、制御ラインなどに不適切・不足箇所などがあると判断して、こちらで補正などの修正を行っている。
a-1_img018

 
ブロックダイヤグラムでは、次の6つのブロックの機能で構成されている。
Receiver(Bearing) Receiver(Elevation) Transmitter Selector Unit Range Unit Mechanical Computer

空中線(Antenna Unit)
 a-2

a-3

 
送信用空中線は半波長ダイポール水平2列4段反射器付のスタック構成である。
方位角測定用空中線は半波長ダイポール水平1列4段反射器付を左右2組用意して空中線切替器を利用して等感度方式を実現している。
仰角測定用空中線は半波長ダイポール水平1列3段反射器付 を上下2組用意して空中線切替器を利用して等感度方式を実現している。
日米開戦の初戦によりフィリピンで鹵獲した米軍のSCR-268を参考に開発したことから、空中線構造にはかなりの類似点がある。
 a-4


受信機(Receiver Unit)
 a-5

a-5-1_z-1_受信機_img209
 

Receiver(Bearing) Receiver(Elevation)のコメントがあるように、受信機は方位角用と仰角用に同じものを2組用意している。
なお、英軍のSLCレーダーでは位相環により、1つの受信機で上下、左右の4つの空中線の受信信号を処理しているのが大きな違いである。
エーコン管による高周波増幅2段、中間周波増幅6段、検波、低周波増幅2段及びAVC制御付加した標準的な受信機構成に、選択器の機能であるゲート機能を受信機内に設けている。
※参考事例:ST管によるレーダー実装事例について
日本電気製の海軍4号電波探信儀1型(ペリリュー島、1944年10月にて米軍に鹵獲)
2台の受信機の内部構造がよくわかる資料である。
a-6


送信機(Transmitter Unit)
 a-7

a-7-1_z-2_送信機_IMG208-1

UZ-42による1Khzの正弦波を発生させて、これを同期信号の基準としている。
次のUZ-42で飽和増幅して正弦波を矩形波に変換し、出力側で微分回路を通し、送信同期用バルス波を生成する。以降段のUY-807(Amp)→XB767R(B.O.;バッファ増幅)→TB500C(Mod)プッシュプルでグリッド変調器からTA1504×4本のリング発振器より送信電力を生成している。
使用周波数は200Mhzである。

選択機(Selector Unit) 
B-1_img018

b-1-1_z-3_選択器_img211

 
この選択信号の生成方法は以下のとおりである。
送信機で生成した同期信号パルスを変調段で誘導コイルなどにより選択機に引き込み、UZ-6C6×2本(M.V.)のマルチバイブレーターのトリガー信号として同期信号パルスを利用している。
マルチバイブレーターの発振周波数は原発振周波数では1Khzであるが、この周波数ならば理論的な測距可能距離は150Kmとなり実用的な射撃完成レーダーの範囲を超えている。
したがって、マルチバイブレーターの発振周波数はたぶん2Khzとして、理論的な測距可能距離は75Kmと設定しているものと判断される。
このマルチバイブレーターにより、のこぎり波を生成し、選択機の指示管と方位角用指示管の水平軸の掃引として印加している。
受信機(方位角用)の受信信号は、同じように選択機の指示管と方位角用指示管の垂直軸に印加される。
一方、選択機能の仕組みとしては、マルチバイブレーターより2Khzの「のこぎり波」を作っているので、この「のこぎり波」を利用して、Limitterのところで真空管をCクラス動作させ、カソードバイアス電圧を可変とさせることにより、「のこぎり波」の波形の大きさを調節できる
更にPulse Genの機能としてこれを微分回路に通すと位相を可変した選択信号パルスを生成できる。

位相調整器-動作説明-汎用説明


生成した選択パルスについて、選択機の指示管、方位角用指示管、仰角用指示管及び測距用指示管のグリッドに輝度変調として印加することにより、選択された移相のところで輝点として発光する。
このように本機では、特殊な回路による位相調整器を実現しているが、一般的には、ツーロン回路やゴニオメーターによる位相調整器が採用されている。
選択機の処理イメージを下記に示す。
 b-3


測距機(Range Unit)
 c-1_img018

c-1-1_測距器_c-1-1_img213

送信機で生成した同期信号パルスを変調段で誘導コイルなどにより選択機に引き込み、UZ-6C6×2本(M.V.)のマルチバイブレーターのトリガー信号として同期信号パルスを利用している。
マルチバイブレーターの発振周波数は原発振周波数では1Khzであるが、この周波数ならば理論的な測距可能距離は150Kmとなり実用的な射撃完成レーダーの範囲を超えている。
したがって、マルチバイブレーターの発振周波数はたぶん2Khzとして、理論的な測距可能距離は75Kmと設定しているものと判断される。
このマルチバイブレーターにより、のこぎり波を生成し、測距機の指示管と仰角用指示管の水平軸の掃引として印加している。
受信機(方位角用)の受信信号は、同じように測距機の指示管と仰角用指示管の垂直軸に印加される。
測距機のブロックダイヤグラムをみても、残念ながら移相調整機能は明示されていない。
このままでは、単なるオシロスコープの機能にすぎない。
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946には、4号電波探信儀1型の各機能の配線図が付属しているが、その配線図をみても位相調整機能は特定することができなかったが、外部接続端子らしきものは確認できる。
実機の写真から測距機を観察すると、測距機の横に位相調整器が独立して設置していることが判る。
このことから、測器機の外付けの機能として位相調整器が独立していると判断される。
参考元の米軍のSCR-268の測距機にはゴニオメーターか採用されていることから、本機の位相調整器も、ゴニオメーターと考えられる。
位相調整器には移相を変化させるハンドルを廻すことにより、その移相変化分を距離換算した距離をデジタル表示することができる。
c-2

測距用指示管の処理イメージを以下に示す。
 c-3


照準用指示管(方位角用と仰角用)
本機能は選択機と測距機内の付属機能として装備されているが、独立した項として取り扱う。
 c-4_z-5_照準用指示管

本ブロックダイヤグラムを眺めても、動作原理を推論することはできない。
したがって、今回は配線図のみを考察して、具体的な動作原理を確認することにした。
なお、本機能は、4号電波探信儀2型改2の照準指示管と同じ仕組みが採用されている。
 c-5_z-6_照準指示器_img212

照準装置(方位角と仰角用)の指示管のブラウン管の配線状況を見ると、全く一般のオシロスコープの機能を搭載している。
具体的には、焦点、輝度、上下、左右及び入力調整の基本機能を用意している。
ただし、掃引部の調整機能は付属していない。
この理由は、水平軸には一般的な「のこぎり波」などの掃引を使用せず、交流信号を使用した直交ベクトル合成方式により描画を実現していることであり、そういう意味では特異な使い方のオシロスープといえる。
照準装置(方位角と仰角用)は、水平軸用増幅部及び垂直軸入力部の2つの機能から構成されている。
水平軸用増幅部
受信機からの受信信号をUZ-6302(Amp)で増幅し、ブラウン管の水平軸に印加する。
垂直軸入力部
検波された受信信号のうち選択機(41号では受信機内の機能)により選択された受信信号のみ通過させ、分配器により上下、左右の4つの受信信号として取り出し、照準装置(方位角と仰角用)の指示管のブラウン管の垂直軸の偏向板に印加する。
特徴
水平軸に印加された受信信号(交流)と垂直軸に印加された分配器により上下、左右の4つの受信信号を直交ベクトルデータとして、照準装置(方位角と仰角用)に表示する。
この時、分配器により上下、左右のアンテナの機械的SWによる時間差分が上下と左右の2本の直交データとして表示されることになる。
したがって、照準装置(方位角と仰角用)のこの2本の像を平行にするようにアンテナの向きを行うことで、目標物の正確な方位角や仰角の情報を得ることができる。

照準装置(方位角と仰角用)の指示管の処理イメージを下記に示す。
c-6_動作説明-c-6_03

機械式計算機(Mechanical Computer)
e-1

 
当時の射撃管制レーダーで取得できる直接データは、目標物の飛行機に対して直角三角形の斜辺にあたる距離データとその仰角データの2つのみである。
しかしながら、高射算定具の入力データは、目標物の高度データと仰角データが必要となる。
このため、斜辺にあたる距離データとその仰角データから高さである高度データを計算する必要がある。
計算式については、ブロックダイヤグラムにも以下のようにコメントされている。
H(高度)=R(斜辺にあたる距離データ)sinα(仰角データ)とある。
上記の計算式を歯車機構などによるアナログコンピューターで実現している。
更に、高射算定具の入力データまでのデータ入力を自動化するため、方位角用ハンドル、仰角用ハンドル及び測距用ハンドルを回転させることに連動してセルシン・モーター(シンクロのこと)と結合しておき、自動的にこの機械式計算機(Mechanical Computer)の入力データとして連動させている。
計算結果については、更にセルシン・モーターにより高射算定具へ送られる。
この仕組みについては、米軍のSCR-2684のConverter BC-437の機能をコピーしたものと思われる。
参考に米軍のブロックダイヤグラムを示す。
 e-2_d-1-SCR-268Blockdiagram


参考に海軍の高射算定具を示す。
 e-3_d-2


※参考資料 高射砲部隊の実際の運用について





参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
日本海軍小禄(那覇)飛行場 http://evnara.blog.fc2.com/blog-entry-50.html
米国国立公文書館
電波探信儀および電波探知機装備工事心得 国立公文書館
Anatoly Koshkarov提供資料

戦争後期の謎の28号(TYPE 28)レーダー開発に関する考察について(令和4年11月08日)

旧軍のレーダー関係の資料を整理していると1枚のブロックダイヤグラム図に目が留まりました。
a-1_img031-01


本資料については、あまりにもアバウトな内容しかなく、しかもタイトルがTYPE 28とあるだけで日本無線史などの公式資料にも掲載されていないことから長い間放置しておりました。
最近は陸海軍の射撃管制レーダーに関する資料の分析を多くしていた関係上、再度あらためて目を通すと達磨さんの絵のようなものに目が留まり、これは明らかにパラボラアンテナを示していることに気づき、本機は大変貴重な新型のセンチ波レーダーであることを認識しました。
今回はこの1枚のブロックダイヤグラムの情報を元に、TYPE 28レーダーの実態を明らかにすることにしました。
最初に本レーダーの開発元は、陸軍なのか海軍なのかを明確する必要があります。
本資料の出典元については、Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946の付属資料のようです。
 a-2

この資料からTYPE 28は海軍が所管し開発したレーダーであることが判明しました。
海軍であれば、海軍技術研究所・電波研究部の組織表(昭和19年2月)からの研究内容を確認します。
昭和19年2月の時点では、107号、109号、23号、24号がメインテーマの研究課題のようです。
従って、28号(TYPE 28)は昭和19年2月以降に新たに研究対象として計画されたことが判ります。
 a-3_電波研究部の組織図

次に、ブロックダイヤグラムに記載されている英文のキーワードを列記します。
TYPE 28 
Details of selector and range unit are almost similar to those of L-3
Switching Box
Receiver L.O  LD1 Mixer Crystal RH8 IF. Amp.
Oscillator  LD212C Modulator Unit Discharge Tube Pulse Amp.
Power Supply
W.L Motor Selsyn Gen Bearing Rotaing Joints
Range Selsyn Range Handle SSF75G Ranging Unit Selector Unit
Controlling Panel Limitter Coth Fol
W.L Control Handle   Bearing Unit
Wave Length  28cm
Power Output  1kw
Pulse Length  2μsec
Range          11Km(Destroyer → Destroyer)
Accuracy      ±100m ±0.3°

上記キーワードから、今度は開発メーカーを特定します。
一般的に日本海軍の見張用レーダー開発については、艦船用、航空機用、地上用は日本無線と東芝が独占して開発・製造を行っています。
なお、地上用の射撃管制レーダーについてのみ日本電気が一括受注しています。
基本的には、東芝、日本無線及び日本電気の大手3社が開発・製造を一手に担ってしましたが、戦争後期には川西、日立、安立、日本音響、沖、富士通、三菱や七欧無線なども参入しています。
Details of selector and range unit are almost similar to those of L-3のメモにより、本機はL-3こと4号電波探信儀3型改2の機能を移植していることが判ります。
この4号電波探信儀3型改2(L-3)の開発メーカーは、日本電気(当時は住友通信)であることからTYPE 28も日本電気が開発を担当したことが有力です。
もつ一つのキーワードは、SSF75Gでこれは日本電気特有の75mmブラウン管の呼称で、他のメーカーは制式名称のBG-75-Aを使用するはずです。
更に、Receiver L.O  LD1 Mixerとあるように、受信機の局部発振部にLD1なる真空管が採用されています。
送信機のOscillator  LD212C とあるLD212Cなる送信管があるが、このLDの名称は日本電気が採用している真空管(送信管)の商標の一部です。
このような事実から、本機TYPE 28の開発メーカーは日本電気(当時は住友通信)で間違いないでしょう。
 a-4_超短波真空管一覧表

ただし、LD1については、日本電気の真空管ではなく、ドイツのウルツブルグレーダーで使用している真空管の可能性が高いので、日本無線からこの真空管の提供を受けたと思われます。
 a-5


このように昭和18年後半からは、センチ波の射撃管制レーダーは、陸海軍とも急速に開発を行う機運が高まったので、このことに関連した当時の開発状況について紹介します。
「元軍令部通信課長の回想」からの抜粋です。
陸軍は早くから射撃用レーダーの開発に重点を置いており、独軍レーダーを導入して国産開発に資したいと考え、独空軍に交渉して同レーダーの開発に従事したテレフンケン社のフォーデルス技師の派遣方諒承を取りつけ、交渉に当たった陸軍の佐竹中佐と同技師は昭和18年(1943年)6月ボルドウ出港のイタリア潜水艦リキ・トルリ号に便乗して日本に向かい同年8月30日シンガポールに到着した。それより4日後の9月3日にイタリアは降伏し、この潜水艦はドイツ海軍に接収されたが、佐竹中佐とフォーデルス技師は共に9月12日航空便で無事日本に帰着、携えて速国産化への準備に着手した。研究グループは佐竹中佐を長として12名ほどで編成、日本無線の協力を得、シンガポール攻略時入手した探照灯連動の英軍SLCレーダーの研究に従事した山口直文技術大尉もこれに参加した。その後、陸軍へ譲渡の独軍レーダーの実物見本を積んだ伊号第8潜水艦が18年12月21日無事呉に帰着、レーダーは海軍技術研究所を経由して陸軍の多摩研究所に届けられた。この時点で、陸海軍は同レーダーの国産化に対する方針を協議、陸軍は独軍のものを忠実にコピーし国産化することとし、海軍はこれを参考にしてわが高角砲に適応した射撃用レーダーを開発するこことなった。
射撃用レーダーの開発には、既に見張用電探の改善・流用の失敗しており、技術的手詰まり情況に対して、戦局はいよいよ逼迫しつつあった。この窮地を打開するため、昭和19年3月、射撃用電波探信儀促進に関する会議が海軍省で開かれた。そこで重量と容積に対する制限は著しく緩和され、精度も多少悪くとも一応射撃ができる電波探信儀を6月末までに整備すべしという厳重な決議が採択された。
この結果、東芝製の2号3型、日本無線製の3号1型、3号2型、3号3型が新規開発されたが、結局は完成期日の遅れや能力不足などのため実効を収めるまでに発展することはできなかった。

以上が日本無線史などに記載されている公式資料の内容ですが、昭和19年3月以降においてこれらの機種以外にも海軍技術研究所では28号(TYPE 28)を企画して、日本電気に開発を依頼したものと思われる。
このように昭和19年初頭からは、センチ波を使用した射撃用管制レーダーの本格的な開発が始まった契機は、ドイツのウルツブルグレーダーの技術導入であった。
 b-1_写真合成090


ここからは、本ブロックダイヤグラムについて技術的な検討を行います。
b-2
 
まずブロック図を見ると、艦船上部に設置する受信用と送信用パラボラアンテナと受信機の混合部から中間増幅部までのブロックと送信部全体を一体化した構造物として、この構造物が回転できる構造体となっている。
この利点は送受信とアンテナ間の導波管や高周波ケーブルなどによる伝送損失を極力低下させることにあるようである。
下部構造物として、選択機、測距機及び方位角測定用指示機などは艦船内部のレーダー室に設置している。
受信用アンテナは円形のパラボラアンテナではなく、上下をカットしているのは方位角の情報のみ必要なので仰角(高角)を測定する必要がない対艦船用の射撃のためと、搭載面積を減少させる2つの目的のためである。
受信アンテナの放射器として1/2λのダイポールアンテナが2本あるが、これはSwitching Boxを経由して交互に受信して等感度方式による計測の精度を高める技法である。
28cmの波長を使用することから、このダイポールアンテナは14cmの長さのものとなる。
参考資料 パラボラアンテナ事例
森田清氏は昭和10年(1935年)6月~7月には東京工業大学に於いて試作した放物線反射鏡付波長68cm電子振動型、出力3wattの発振器を以て東工大、茨城県筑波山頂間の80kmに亘り通信実験を行った。
送信は工大側より行なったもので電話としての出力は1~2wattであろうが、受信機に超再生検波二段のものを用いて充分山頂で拡声器が働いた。
 b-3


受信機
混合部には空洞共振器(記載なし)を介して局部発振としてLD1、ヘテロダイン検波として鉱石検波器が採用されており、以下RH-8を使用した中間周波増幅5段の構成である。
RH-8の真空管事例
 b-4_写真合成089

具体的な参考事例としては、東芝製の陸軍航空機用タキ14の詳細なブロック図を示す。
なお、タキ14では、Switching Boxは、機械式ではなく電子スイッチ式が採用されている。
 b-5


送信機
同期パルスを元に、変調器で増幅し、Discharge Tube(放電管)0XG4を介して同期パルスが通過する時のみカットオフから開放され発振器LD212Cが動作する仕組みである。
システム構成は既存の設計のものと変わらず、特にコメントすることもない。
 
選択機(Selector Unit)、測距機(Ranging Unit)については、4号電波探信儀3型改2(L-3)と同機能であるので、そちらの内容を参照願います。
4号電波探信儀3型改 0、1、2  (Mark 4, Model 3 Modifications 0, 1, and 2 ) (L1, L2, L3)の解説
選択機の事例(L-1)
 c-1

測距機の事例(L-1と同時期の米軍のSCR-270/271)
 c-2


セルシン(シンクロ)機構について
ブロックダイヤグラムから2つのセルシン機構(シンクロ)が採用している。
d-1

 
W.L Motor Selsyn Gen Bearing  W.L Control Handle  のキーワードについて
W.Lは、Wheel 車輪のことを意味しそうですが、実際は上アンテナ部の部構造体を左右に動かくことで方位角の測定に使用する。
まず、艦船内のレーダー室では、方位角指示器を見ながら、等感度方式の反射波の受信レベルを平衡にするようにアンテナの向きを調整するため、室内に設置したW.L Control Handleを操作し、上部構造体を電動モーターで回転させる。
その動きに同期するようにセルシンモーターが動作し、防空指揮所の受信用セルシンが動作し、方位角を正確に読み取ることができる。
Range Selsyn Range Handle のキーワードについて
一方、測距器には、測距用指示器の反射波の位置まで位相調整用のゴニオメーターにより移動させれば、その移動量がセルシン送信器により防空指揮所の受信用セルシンが動作し、目標物までの距離を正確に読み取ることができる。
防空指揮所では、この基本情報をもとにアナログ計算機の高射算定具により未来位置を予測して射撃を行うこととなる。
空母葛城の事例
d-2


参考資料 セルシン機構(シンクロのこと)
 d-4


最後に、続日本無線史<第一部> 昭和47年2月発行の無線機器製造会社から下記の重要なヒントを発見しました。
日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)
海軍関係(レーダー関係)
S-3装置 150Mc帯、高角砲用、航空機標定電波探信儀、地上用 数組
S-24送信機 150~200Mc帯、電波探信儀送信機 100数十台
L-1金物 電波探信儀用指示器 数百台
M-22号、M-130号、M-213号指示器 電波探信儀用指示器各種
R金物、β金物 電波探信儀用精密測距器
SH-4金物 波長10cm、速度変調管使用、電波探信儀用受信機
241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀

ここで、最後に掲載された「241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀」は波長28cmであり、他のレーダーで波長28cmは使用例がないことから、TYPE28(28号)そのものと断定できる。
なお、民間企業で軍需品を生産する時には、「241号金物」のような秘匿名称が通常使用されるが、もしかしたら、軍の制式呼称は、2号電波探信儀4型改1と呼べるのではないかもしれない。
28号の諸元を整理すると以下の通りとなる。
諸元表
略称---------------------------------------------- 28号
目的----------------------------------------------艦船用対水上射撃用(小型艦艇用)
周波数 ----------------------------------------- 1071Mcs
繰返周波数------------------------------------- 不明cps
パルス幅 ----------------------------------------2.0μs
尖頭電力出力-----------------------------------1 kw
測定方式----------------------------------------等感度法
出力管------------------------------------------ LD202C
受信機検波菅----------------------------------鉱石検波器(OSC:LD1)
空中線 -----------------------------------------送信用と受信用パラボラ 
IF、mcs .---------------------------------------?Mcs
受信利得---------------------------------------? db
最大範囲----------------------------------------駆逐艦11km
測距精度----------------------------------------±100m
測方精度----------------------------------------±0.3°
電源----------------------------------------------
重量----------------------------------------------
製造----------------------------------------------住友通信(日本電気)
製作台数----------------------------------------


<新たな謎の24号について>
「日本電気ものがたり」からの電波兵器の関連のところを抜粋
小林正次さんの「日記」<未完の完成>から、研究所生田分所の解説から終戦にいたる経緯を辿ってみます。
昭和18年12月20日
真鶴に行き25センチの対空試験を行う。15粁まで中型攻撃機が追跡できる。空二四号として飛行機搭載を決める。
昭和19年5月2日
犬吠埼にタチ二〇の実験、三〇〇〇メートルの飛行機を50キロまで高度を正確に追いかけることが出来た。
昭和19年7月8日
タチ二〇は急速整備をすることとなった。一〇〇キロまで高度が測定できるものは世界に類がないので大いにやることになる。
昭和19年8月15日
タチ二〇は最重点兵器となった。伊藤大佐同行、横須賀-野比に行き二四号の対艦試験を行う。対駆逐艦二六キロの成績を得た。二四号も重点兵器となる可能性あり。 
昭和19年12月6日
昨日イ号が熱海の玉の井旅館に命中して火事を起こしたという。B二九の電波暗視機を見る。波長三センチ、受信管は金属管を用いた導波管を使いこなしてある。大変参考になる。
昭和20年7月9日
原島君から波長五センチの受信管の完成報告を受ける。外国にも例のない立派なものが出来上がった。大変愉快である。これによって重要兵器が出来上がるであろう。
昭和20年8月15日
我が国は、あまりにも科学技術を軽んじた。今後の行きかたは科学技術の育成ということを第一にかんがえなければならぬ。各人の仕事に改めて目標を至急着けてやる必要がある。新しい日本への具体的な仕事の目標を示してやる必要がある。

日本電気株式会社(住友通信工業株式会社)の海軍関係(レーダー関係)の生産情報では、28cmのセンチ波のレーダーは、「241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀」しかありません。
しかしながら、日本電気の小林正次氏(元日本電気(NEC)専務取締役)の日誌では、「空24号」として波長25cmのセンチ波の航空機搭載型のレーダーの軍の立合試験に臨んでおり、制式化の可能性にも触れておられます。
日誌の情報はごくわずかですが、下記の仕様として整理してみました。
本機の仕様は、波長25cm、航空機搭載用レーダー、探索距離15km(対中型攻撃機)、26km(対駆逐艦)
この仕様のレーダーの目的を考えるとあまりに機能が中途半端で警戒用レーダーとしては、探索距離が短すぎ、射撃管制レーダーとしては探索距離が長すぎてなんの目的のレーダーかわからない。
想像するに航空機に小型の大砲を装備した火器管制レーダーとしか考えられない。
しかし、伊藤大佐といえば、海軍技術研究所電波研究部の責任者であり、メーカーの開発責任者とも、この試験結果に満足しているような結果が記録されている。
更に、海軍技術研究所・電波研究部の組織表(昭和19年2月)からの研究内容にある第六科(航空用探信儀)第二班24号(新川)とあるように、日誌にある「空24号」は24号と同一のものと思われる。
ただし、ここでも更に疑問なのが、昭和19年度時点では、本来航空機用レーダーの所管は、海軍航空本部の航空技術廠のはずだが、何故か海軍技術研究所では航空機搭載用の23号と24号の開発を行っている。
勿論、海軍内部の人事交流もあると聞いているが、海軍技術研究所では空技廠ではできない高度な技術のものをテーマに研究していのだろうか。
ただし、24号については航空機搭載用レーダーを断念し、駆逐艦などの小型艦艇用の射撃管制レーダーに用途を変更して、新たに28号の型番を付与して制式化をめざしたのかもしれない。
そうすると、「空24号」が「24号」そのものであり、かつ「241号金物 波長28cm、艦船用電波探信儀」でもあり、かつ「28号」と考えると、実は全て事柄のつじつまが合うように思われる。
これ以上考えても、新たな資料が出て来ない限り謎のままで終わりそうです。

<参考情報>
第二海軍技術廠の敗戦時の電波兵器研究実験の状況について(GHQ報告資料)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/28875362.html


<R05.03.19>追加資料
「日本無線史」9巻には、下記に示す「タセ7」の記載がある。
タセ7:船舶用電波標定機
海軍側担任(対艦船105-S2、対艦対空両用S3 相当)
第二次兵器として研究中、陸軍としては生産化に至らず。
標定距離対大艦30km、対小艦20km、測距精度±50m。
測角精度±0.5°。
因みに右に相当する独逸の制式は、標定距離最大(対中艦)20km、測距精度±50m、測角精度±0.1°(?)。
本資料から、開発は陸軍では行わず、海軍側の担当となったとあるが、この陸軍のタチ7相当品を、海軍が28号(TYTP 28)として開発したのが事の真相ではないだろうか。



本文へ


参考文献
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
仮称4号電波探信儀3型 取扱説明書 ⑥兵器 475 防衛省戦史資料室
機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
「ケンさんのホームページ」 真空管「Hシリーズ」 http://kawoyama.la.coocan.jp/tubestoryhsiries.htm
グランパーズ・シャック Grandpa’s shack
http://www.grandpas-shack.com/parts/item.php?itemid=7493
北鎮海軍工廠(防空指揮所)
http://blog.livedoor.jp/hokutinkaigun/archives/55668311.html

電波兵器開発従事者の人物調査について

戦後ともいっても、敗戦直後の昭和20年11月3日発行の電波探知機なる本が発行されています。
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著者は紀平信氏とありますが、ネット情報では彼の戦時中の経歴や戦後の経歴などの情報もありません。
本書のはしがきに、<「図解科学」、「機械化」に掲載したものを加筆したもので、多少ニュース的には古いと思われる点もあるだろうが、われわれの企画した警告が実現し得なかった経過を知る意味において、そのままとすることとした。>とあります。


特に、本書の内容が戦時中のレーダー開発技術全般を幅広く網羅しており、第一線のレーダー研究開発技術者には間違いありません。
ただし、著者の所属が明らかではなく、なんとか彼の経歴を知りたいと思っておりました。
もう一人は、新川浩氏ですが、この人の経歴については、ネット情報で明らかにすることが出来ました。
戦時中新川浩氏は技師の身分で、海軍技術研究所電波研究部伊藤庸二技術大佐の次席として、特にメートル波レーダーの開発にご尽力されました。
また、新川浩氏は、無線と実験 昭和21年2月号「敗れ去った日本海軍の電波兵器」を寄稿されており、戦後は国際電信電話株式会社 に勤められ、1959年通常無線通信主管庁会議を始め、CCITT、CCIR、インテルサット等の会議に数次に渡り参加され、特に前記主管庁会議において短波輻輳の救済を研究するために設置された「7人の専門家」の1人に選出されるなど、主に周波数に関連した諸問題の解決に尽力、貢献されました。とのことです。
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a-2 (2)

 
今回ネット検索していると紀平信、新川浩両氏の戦時中の雑誌への投稿記事の本があったので、早速購入するこことしました。
副羊羹書店からの購入
[商品名]:図解科学 昭和19年1月(第3巻第1号)―特輯・電波兵器―電波探知機(紀平信)、超短波(小谷正雄)、真空管(椎名雄平)、電気と兵器(湯浅光朗)ほか 仁科芳雄 監修/紀平信、小谷正雄、椎名雄平、湯浅光朗、栗山一衛 ほか[36128] 
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本雑誌は陸軍検閲済みとあることから、紀平信氏は、軍技術研究所の電波兵器部門の技師の可能性が高いと思われますが、確定するような資料は未だ発見できません。
なお、軍の技術部門の人なら所属、階級、を含んだ氏名が記載されます。
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[商品名]:科学朝日 昭和18年5月(第3巻第5号)―特輯・海軍電気兵器―海軍と電気兵器(森住松雄)、超短波応用の対空兵器(新川浩)、水中聴音機(松本倫平)、方向探知機(高原久衛)、無線操縦装置(田邊一雄)ほか 森住松雄、新川浩、松本倫平、高原久衛、田邊一雄、伊藤庸二 ほか[36124] 
     1,000 円 x  1 個     1,000 円
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 なお、図解科学:電波探知機(紀平信)、科学朝日:短波応用の対空兵器(新川浩)とも記事の内容は戦時中であることから、軍の検閲もあり平凡な内容で技術的には参考程度のものであった。




参考文献
電波探知機のPDFファイルアドレス
https://drive.google.com/file/d/1QgU-CCKaYUhLQi6xYFToS0r17PaAZocx/view?usp=sharing
無線と実験 昭和21年2月号「敗れ去った日本海軍の電波兵器」
https://www.radiodesign.net/PDF/MusenJikken/1946-2/kaigun-denpaheiki.pdf

第百三十号海防艦に搭載された最新の電波兵器について(令和4年10月07日)

月刊誌「丸 2022年11月号」に、米軍フォトリポート 日本海軍海防艦の死闘(写真提供;原勝洋、解説;小高正稔)の日本海軍の海防艦の写真が掲載されています。
解説には「第百三十号海防艦の可能性が高く、電磁ラッパの大きい22号電探は改良を加えた22号電探改四ないし改五だろう」とのコメントがあります。
この写真で驚いたのは、海防艦の前檣に22号電探の電磁ラッパが1つしかない点です。
いままでの資料では、電磁ラッパが1つしかない22号電探は、敗戦末期の潜水艦用にしか搭載されなかったはずなのに、本写真で水上艦艇である海防艦にも搭載されていたことが明らかにされました。
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a-2_写真合成062

 
 
ここでセンチ波レーダーである2号電波探信儀2型(22号電探)の電磁ラッパの1本化が実現したことは、レーダーの指向性の精度が格段に向上すること意味します。
この状態でアンテナを回転させれば、反射波を360度ブラウン管に表示させると、パノラマ画像(PPI)として全景を一度にみることができる現代のレーダーと同等の機能となりますが、22号電探ではPPI機能(Plan Position Indicator scope、Pスコープとも)については実現することはできませんでした。

それでは、22号電探の開発過程について各種文献をもとに簡単に説明します。
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会の抜粋版
二号電波探信儀二型
この兵器は、波長10糎を使用し、艦船用対水上見張として計画されたもので、最初はダイポール空中線を奥行の長い放物面反射鏡(仮称鮪)を附し、送受信機が空中線と一体となって居り、部屋と共に回転する方式のものである。一〇三号と仮称せられた。
昭和十七年五月日向に装備して、実験を行い、その僅キスカ進攻作戦に進撃し、実験員もこれに参加して一応の成績を収めたのであるが、不安定なるため取扱に熟練を要し、且つ檣上装備としては重量容積が過大であった。
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参考資料
仮称二号電波探信儀二型の取扱説明書 昭和17年11月26日 海軍技術研究所電気研究部
 c-2_5DSC_0515

(二号電探二型改二)
その後本機は、対潜見張用として小型艦艇に装備する要求が出た。依って全体に構成を変更し、電磁ラッパ及び導波管を使用することに改めた。
即ちラッパを載せた旋回装置を使用し、これを艦の高所に置き、本体を下方の電波探信儀室に装備し、電磁ラッパのみを旋回する方式が取られたのである。
これは昭和十七年十月に完成し、二号二型改二と呼ばれ、駆逐艦、海防艦、駆潜艇及び掃海艇に対し、月産四、五台程度で整備されるようになった。
第3.27図は二号電波探信儀二型改二の電磁ラッパの部分の写真である。
しかしこれも依然として安定性に乏しく(超再生検波方式が原因)、使用者はその取扱に苦労し、装備調整も調整を専門とする技手の手を煩わさねば物にならぬと謂う状況であった。
なお、電磁ラッパは、円形断面開口直径75cmのものを採用した。
 c-4_22-1


(二号電探二型改三)
その後潜水艦用として電源に50c/sの交流を使用し小型化した二号二型改三が生まれ、昭和十八年十二月頃から逐次潜水艦に装備され始めたが、作動不安定なため評判悪く第六艦隊から邪魔になるばかりだから速やかに撤去していただきたい等と電報が来るような状態であった。
 c-5_2号2型-02
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二号電探二型改三の初期型の特徴
受信機と送信機から別々の円形導波管が室外へ配置されていることから、電磁ラッパは2つのものと思われる。
水上艦の二号電探二型の電磁ラッパの回転には手動のハンドルが用いられるが、本機には床に旋回管制器があり足元で操作する。
表示器は、水上艦のものは縦型のものであるが、改三では横型となっている。
なお、昭和二十年に入ってからは単一導波管方式が実用化され、伊二〇一潜水艦に装備された。しかしながら導波管関係になお問題が残されていた。

Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946からの抜粋
2号2型改3(Mark 2 Model 2 Modification 3)レーダー
この装置は、特に潜水艦用に設計されたもので、その上にのみ設置されている。電気的には改4の装置に似ているが、機械的な構造ははるかにコンパクトである。送信機、RFシステム、アンテナ、およびパルス数にはいくつかの電気的な違いがあるが、これは毎秒600である。完全な特性は表IIに含まれ、完全な配線図は別添(H)に含まれている。
この装置は、送信と受信の両方に単一のホーンアンテナを使用している。導波管のウォーターシールについては、このレポートの設置セクションに記載されている。この装置で使用された異例の二重化とRFシステムは、円偏波を生成した。
c-30

 
二号電探二型改三の最終型の特徴
送信機と受信機からの円形導波管がジョイント部で接続して1本の円形導波管として外部へ導かれ、1本の電磁ラッパに接続されている。
表示器も横型のものが採用されている。
米軍のReports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan,にもあるように、本二号電探二型改三は、水上艦で使用されている二号電探二型とは構成する仕様が大幅に異なっており、別機種といってもいいだろう。
特に、レーダーの基本仕様を決定するパルス繰り返し周波数は、水上艦が2500Khz(探索距離60km)に対して、改3は600Khz(探索距離250km)を採用している。
水上艦二号電探二型が、パルス繰り返し周波数に2500Khz(探索距離60km)を採用する目的は、水上見張と射撃管制の両機能を実現するためであるが、改3は600Khz(探索距離250km)を採用し、潜水艦としての必要機能である水上見張に徹した機能のようであるが、水上以外にも対空見張を意識した仕様のものかもしれない。(なお、当時のセンチ波の対空探知能力はないとの当初判定であったはずなのだが?)
ただし、対空見張は1号電探3型(13号電探)の専用のレーダーほか電波探知機などが用意されている。

(二号電探二型改四)
しかし昭和十九年一月にオートダイン式受信機(二号電探二型受信機改一)が完成して稍小康を得たが、水上艦艇用のものに対しては、更に送信機関係の故障対策として変圧器類に改良を加え、量産に適するように設計を変更し、これを二号二型改四と名付けた。
昭和十九年三月には緊急生産が下命され、続いて七月緊急整備が行われ、戦艦、巡洋艦を初めとして多数の艦艇に対して整備が行われた。
更に同年七月には鉱石検波器を使用したスーパーヘテロダイン式受信機(二号電探二型受信機改二)が完成し、その上に自己鑑査装置を附属せしめることに依り、著しく作動安定化し、且つ洋上に於いて調整用の目標の無い場合にも最良調整を保持することが出来るようになった。
?(げん)に於いて引き続きこの受信機の整備工事が実施され、研究試作に当たった人員を南西方面に送り、水上艦艇に対して、受信機の換装工事と共に、電探射撃に必要な関連工事を行い、比島作戦準備として最後的修理再調整を行った。同年八月には、全速に実施された。
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 残存艦は全て2本の電磁ラッパの22号電探が装備されている。
 c-21_写真合成060


Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
2号2型改4(Mark 2 Model 2 Modification 4)レーダー
この10センチメートル波装置は、すべての戦闘艦に対水上見張装置(改4M)または対水上見張および射撃管制装置(改4S)の組み合わせとして設置された。後者のタイプの設置では、より大きな電磁ホーン、セルシンアンテナ制御システム、および追加の電圧安定化装置が使用された。
アンテナは、2つの電磁ホーンが上下に取り付けられて構成されている。(標準的な取り付けについては、図5を参照にすること。)上側のホーンは受信用、下側のホーンは送信用である。 改4S(Modification 4S)アンテナの利得は13デシベルと言われていた。

二号電探二型改四の特徴
改4の特徴は、基本的には受信機の改良に重点が於かれており、超再生検波方式からオートダイン式受信機(二号電探二型受信機改一)、更にスーパーヘテロダイン式受信機(二号電探二型受信機改二)と改良することにより性能がやっと安定化し、その上に自己鑑査装置を追加し最良調整を保持することが可能となった。
電磁ラッパの回転は、手前にあるハンドルを手動でまわす必要がある。
そのほか、電磁ラッパは、円形断面開口直径80cmに拡大し、空中線利得を増加させている。

考察
ここで、表題の「第百三十号海防艦に搭載された最新の電波兵器について」の水上艦に搭載された単一電磁ラッパの件を検討する。
まず、「大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE」で第百三十号海防艦について調査すると、本艦は昭和19年02月22日に起工し、昭和19年08月12日に竣工している。22号電探の新設工事日の記録がないので、同型艦の第百三十二号海防艦を調べると昭和20年3月16日から21日にかけて「二十二号測距儀新設」とあるので、第百三十号海防艦にも同時期に22号電探の新設工事があったものと思われる。
なお、水上艦には最終型の二号電探二型改四の新設工事となるが、このレーダーには単一電磁ラッパは採用されていない。
唯一、採用されているのは、潜水艦用の最終型の二号電探二型改三しかない。
このことから、昭和20年から装備された水上艦である海防艦などの艦種には水上見張の機能しか必要ないことから、最新型の二号電探二型改三を採用したものと思われる。
何故潜水艦用の二号電探二型改三を水上艦用のレーダーに採用したのかという理由は今となってはわかりません。




参考文献
丸 2022年11月号 潮書房光人新社
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
真実の艦艇史無 2005年5月 学習研究社
大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE
http://www.tokusetsukansen.jpn.org/J/index.html
Anatoly Koshkarov提供資料

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