日本帝国陸海軍電探開発史

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2020年07月

NHK映像ニュース「女子挺身隊 兵器生産へ」をみて考えた事

令和4年2月1日、たまたま夕方NHKの広島ローカル番組をみていたら、広島陸軍被服支廠関連の番組だったように記憶していますが、添付の映像が一瞬だけ放送されました。

ネットで、NHKアーカイブスの戦争証言アーカイブスを確認すると出典元がニュース映像1944年第195号であることがわかった。
昭和19年初頭の無線兵器や電波兵器の製造方法の一端がよく分かる一次資料である。

日本ニュース 第195号
1944年(昭和19年)2月25日
女子挺身隊 兵器生産へ
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300323_00000&seg_number=002

 a-0-NHJK映像


この映像からシャーシ直付けの部品を結線するのではなく、シャーシと分離した独立したサブシャーシの部品に配線(結線)するとともに、大きな束を作ってまとめて配線するなどの合理化した配線方法が取られている。
このサブシャーシには、大型のオイルコンデンサー複数みられることから、大型の送信機(無線機か電波兵器用かなどの機種の特定はできません)の制御装置に使用されるように見受けられる。
複数のサブシャーシ群をメインの装置に装着し、今度はメインの装置とサブシャーシとの配線を行って、最終製品にする次第である。


当時の独、米、日本(海軍と陸軍)の配線(結線)方法を下記に示す。
ドイツ
典型的なドイツ軍用無線機で、真空管は同一のRV12P4000を使用、各ブロックで配線しブロックごとに配線するため抵抗器やコンデンサーの故障への修理は困難というか故障しないことが前提で設計されているようだ。
ただし、真空管は消耗品であるので簡単に差換えできるように工夫されている。
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米国
戦を通じ一貫した合理的な配線方法である。
なお、太平洋戦線のため、下記の故障対策をほどこしている。
軍用無線機に記載されているMFPについて(令和2年10月01日)
米軍が2次大戦中南方戦線で使用する無線機にMFP(Moisture Failure Proof:湿気による性能劣化防止のために、真空管を除く全部品に薄いコーティングをしたもの)処理をして故障率を減じたことは知られている
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日本(陸軍)
本来米国を手本とし、真空管も米国のライセンスをもとに製造しているので、配線方法もほぼ米国の方法と大戦を通じほぼ同様である。
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日本(海軍)
配線方法については、ほぼ陸軍と同様である。
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ただし、大戦末期になると東芝の1機種のみであるが、海軍の電波兵器2号電波探信儀1型の改良版では製造方法には革新となるブロック工法が採用されている。
「本機は総てブロック方式として組立てあるため故障点検等にはブロックを抽出して補用品筐内の接栓を接続して外部にて点検可能なる如くしてある。」
この本格的なブロック工法は軍用無線機器においては世界で初めての採用と思われるほど先進的な取り組みである。
このためブロックの背面部には本体装置との接合のための爪上の端子盤が用意されている。
このブロック工法により、製造もブロック単位で製造でき、試験もこのブロック単位で行うことができる。
しかも、艦上設置後の保守点検や故障時の対応も大変容易で、かつ保守用ブロック用品を用意しておけば故障ブロックを交換するだけで済むこととなる。
このようなブロック工法は米軍でも戦後のトランジスター型の無線機器でないと見ることはできない。
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参考資料 電波兵器の生産状況
内閣情報局 昭和19年8月16日 写真週報 334号
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結語
各国の配線方法から電子機器の生産技術の一端を見ることにより、戦時の日本のエレクトロニクス技術や生産技術が一方的に劣っていたという意見には必ずしも正しくない。
戦後の復興において、エレクトロニクス業界の目覚ましい発展の影には、戦時中の改良・改善の努力があったことを改めて認識する必要がある。




参考文献
NHKアーカイブス 日本ニュース 第195号
仮称三式二号電波探信儀一型指示装置関係取扱説明書案 海軍技術研究所 防衛省戦史資料室
「写真週報 334号」 アジア歴史資料センター、リファレンス番号:A06031092800

独、米(英)、日の各国の戦時IFF開発動向について

レーダーを開発したら、その目標物が敵なのか友軍などかを識別する必要が生じる。
このため、日本を除く各国列強はレーダー開発とセットでIFF(敵味方識別装置  identification friend or foe)も同時開発が行われている。
日本では、レーダー開発には熱心であったが、IFFに関しては陸海軍とも必要性の認識が低かったようだ。
勿論技術陣のほうにも、技術的な未熟さによる確実な動作が補償されなかったことも大きな要因と考えられる。
しかしながら、日本も劣勢になった昭和19年度以降については、IFFに関しては陸軍が主管で開発する方針となり、陸軍ではGCI(Ground-controlled intercept 地上要撃管制)の観点から開発を行っている。
このため、陸軍のIFFには符合化されていない単純なトランスポンダーの機能に限定されている。
参考に昭和20年の陸軍のレーダー関係の生産目標を掲載する。

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 海軍も陸軍との取り決めにも拘わらず独自に開発したが、防戦一方になり必要性が大巾に減退した。

IFFの開発については、機上と地上設備間で問合せするための符合(コード)とその符合の暗号化とその復号化を無線通信技術と当時のアナログ技術及び少ない真空管素子を使うことなどの制約の中で如何に実現できるかというのが命題であった。
当時の技術では、暗号化/復号化については、周波数分割(独逸では、123Mhzから128Mhzの5Mhzの帯域を200Hz(5ms)の掃引速度で1ビットのコードを乗せる)が採用されている。
一方、符合化については、独、米(英)では機械式カムを組み合わせたメカトロニクス技術で符合の生成を行っている。
日本海軍では、メカトロニクス技術が未熟であったため、不完全ではあるが全電子式を採用している。

独、米(英)、日の各国の戦時IFF開発動向について
ドイツ
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GERMAN WWII FuG 25a Erstling 原本

GERMAN WWII FuG 25a Erstling 和訳版
https://drive.google.com/file/d/1nJk84hxCk0-Q0qP_5JtkU_qx-uQmwQI3/view?usp=sharing


米(英)
IFFセット
IFFセットは、戦闘空域で使うための識別装置である。
この操作は簡単である。
必要な操作はトグルスイッチでオン-オフすることだけであり、あとは自動的に作動する。
IFFはパイロットが敵地において機体を放棄しなくてはならないときに、その重要な部分を破壊するための自爆装置を内蔵している。
自爆装置は、コクピットの右側にある箱に有る二つのスイッチを押すことで作動する。二つのボタンは同時に押さなくてはいけない。
IFFはまた、墜落時においても自爆装置を作動させるための衝撃スイッチを持っている。
これにより、パイロットが脱出の必要な状況において二つのボタンを押す余裕の無 いときでも、装置は破壊されるようになっている。
自爆装置は装置の内部を破壊するが、パイロットや機体には無害である。
なお、米軍のIFFに関する技術情報は全く公表されておらず、詳しい機能については不明である。
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 IFF MarkⅢ
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/02/02/163339



日本
陸軍 タチ13とタキ15
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本機タチ13とタキ15の運用事例については、下記のとおりである。
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察の再検証
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/06/05/193841



海軍 5試味方識別装置1型 M-13 IFF
E-12  JAPANESE EXPERIMENTAL RADARの第二海軍工廠でのIFFに関する研究の項からの抜粋
IFF M-13型、M-13型改:海軍で最も多く使用されている13型、11-K型警戒レーダーと連携し、敵と味方を識別する特殊信号を発信する機上装置の研究が完了した。 
その性能は十分とは言えないが、この装置は生産され、運用が開始された。
日本無線史」10巻 戦闘機誘導装置からの抜粋
6号2型(浜62号)
味方機測定としては波長二米の電波を用いた六二号電波探信儀(浜六二、一号電波探信儀三型を等感度方式に改造したもの)に依って呼び掛け、機上の味方識別装置からの応答電波に依りその位置を知り、高度は機上からの通報に依り、これらの資料から敵味方の会合点を求める方式であった。

この2点の資料から、友軍機誘導レーダー専用機とし、IFF M-13型、M-13型改に対向した地上局用専用の6号電波探信儀2型(62号、浜六二)を開発するとともに、150Mhz帯の既設の13型、11-K型警戒レーダーにも対応させる狙いがあったようだ。
しかしながら、6号電波探信儀2型(62号、浜六二)が機上用のIFF のM-13とのインターフェースを持って居らず、方位角の等感度方式と測定の長距離化はしているが射撃管制レーダーに分類されるレーダーに過ぎない。
勿論、既設の警戒レーダーの13型、11-K型の機能にもインターフェースはない。
これから、類推できることは、M-13の本来の機能である周波数分割(145、150、155Mhz)による暗号化処理を使用せずに150Mhzのみで運用したのではないか。
この運用であれば、150Mhz帯を使用しているすべてのレーダーで使用することができる。
M-13型改については、資料はないが、恐らく暗号化の処理を省略した陸軍のタキ15と同様な簡易版としたのだろう。


以前に下記のIFF関連のブログをアップしたが、今回改めて再検証するこことした。
捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)(昭和19年11月11日)に関する考察

戦史に掲載されたIFF(敵味方識別装置)に関する資料を下記に掲載する。
機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二からの抜粋
第三節 電波応用兵器 P152
一. 味方識別装置
昭和16年の夏伊太利海軍からの情報で、英国では味方識別装置とも称す可きものが使用されて居ることが判った。
一部省略
ところが、電探の出現によって、敵味方識別の方法に急に曙光がさした。電探との併用が今迄色々提案されたものの内の最も積極的な解法であるらしく見えたのである。海軍技術研究所は極めて簡単であったが伊太利情報を基として電探と組合せ、16年末には既に之が具体的計画を進めたが、或る目標が電探の電波に曝された場合にそれに応えて全く同じ波長の電波を送り返す技術が未解決であった等、色々の問題が残されたままに17年5月の伊勢、日向の電探実験に望んだ。そして此の実験の時にようやく技術上の一案が提起され、直ちに之を試作した。併し関係者が審議した結果は
(a)応答率が100%でないから応答しない場合は味方を攻撃してしまう。
(b)各電探に一様に応えることが困難である。
との理由で、兵器採用は見合せられた。これは英国では夙(しゅ)くこれを使って居るとの情報を耳にしたあとの判断である。
一部省略
味方識別装置は自己を曝露する恐れが多い。軽々には用いてならないと云う自重論である。
一部省略
處が19年秋の情報は敵が此の味方識別装置を盛んに使用して居ることを続々報じたのである。かくなると又問題がせわしくなる。研究再開が命じられた。そして追いかけ50基の兵器生産が緊急命令として発令されたのである。如何にも泥縄式である。此の場合斯(か)くなるには研究者側にも相当の責任があるにはあった。併しその本質は用兵者に技術の見透しがあまりに欠けて居た為である。尚日本人の考え方の特徴である他のものを兼ねさせる。所謂一石二鳥を善なりとする考えが此の場合に基調となって居たことも見逃せない。此の処置は折柄熾烈に展開することになっていた。比島方面の戦闘に単座戦闘機を偵察に用いる為、味方識別機をして電信機をも兼用せしめようとするものであった。
本来充分な準備なく、直ちに量産に移ることは技術者の決してとる可き道ではない。併し切羽つまった用兵上の要求は、遂にそれを邁進せざるを得なくした。幸に実験も順調に進み、翌20年1月には地上試験を行い、予期の性能が得られたので、更に次の実験にうつったが、一部要求性能をみたし得ず、而も比島方面の戦況も一変して、渡洋爆撃の機会も少なくなり、遂に試用の形で終戦に至ったのである。
味方識別装置は用兵者と技術者の物の考え方に不一致を来し、実現す可くして実現されなかった最も顕著な例の一つである。初めは用兵者が非常に厳格な条件を固持してゆずらず、戦力化に協力せず、必要に迫られて、用兵者が一歩譲った時には戦局が緊迫化して兵器製作が後手、後手となり、何等戦力に寄与し得なかったものである。
味方識別装置は戦術上の要求から陸海軍共通のものを是非用いたかったものであるが、両者は遂に一致し得なかった。それは電探発達の経緯が夫々異なり、その上に立つ味方識別装置は自ら違わざるを得ない為であつたのである。此の事については陸海軍電波技術委員会は極めて慎重に協議した。そして、何れ第二段の階程に於て一致させようと決めたのであった。併し運命は第一段をも完了させることなく、すべてを終わらせたのである。之程の利器に技術研究陣としては真の斧銊を加えることもせず、用兵者としては先見を失い。遂に敗退し去ったのである。かっての国防責任者の動きとして実にも慚愧の極みである。
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孤独な戦闘機 電探早くの声にこたえて 連合艦隊司令部付 海軍大尉 立石行男からの抜粋 
夜間でも射撃用電探によって射撃しようとする米国では、この味方識別を重視したらしいのであって、編隊には必ず味方識別の電探を発射する装置のある飛行機がはいっておった。米国の見張電探では味方機が近づくと、その反射波と同時に味方識別電波が重なってブラウン管に出る来るので、ハッキリと味方だと判る訳である。
ところがこの味方識別の電波が、日本にとっては却って好都合なところとなった。というのは、ソロモン方面の作戦以来、米軍飛行機の来襲のあるときは、大抵、日本の見張用電探が極めてハッキリと、数秒間に1回位の割で、点滅して表れるからである。はじめは何だか判らなかったが、段々米機の味方識別電波だと判ってて来ると、この電波が出ただけで空襲警報を出すようになった。距離もかなり遠くから現れ、150粁とか200粁位のところから現れていたようである。B-24、P40、PBY等の飛行機のときは極めて鮮明に出たが、ボーイングB-17は余りはっきりと出なかった。何れにしても面白い現象だったと思っている。
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上記海軍大尉立石行男氏の記録を裏付ける資料として下記の捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)を掲載する。
捷號作戦戦訓抜粋(電波兵器)(昭和19年11月11日)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022336.html

上記の戦訓による「(ニ)敵飛行機ハ味方識別ヲ使用セルモノノ如ク13號電探ニ現レタル反射波ハ絶エズ点滅ヲ繰返シツツ接近セリ 但し21號ニハ此ノ種ノ現象ヲ認メズ(若月)」を検証する。
まず、米軍航空機に搭載されたIFF Mk IIIの諸元を以下に示す。 
IFF Mk III 諸元
Frequency range 157-187 MHz, I Band
Type of Wave Pulse-modulated
Frequency range 157 to 187 Mc/s continuously swept in 2.5 seconds.
Flyback time less than 0.5 second (HT is switched of during this time)
このことから、ドイツと同様にIFF Mk IIIは157から187Mhzにわたった連続波を使用していることが分かる。
一方、日本側のレーダーについては、13号電探では敵のIFF電波を受信できるが、21号電探では受信できなかったとの指摘である。
13号電探(正式呼称には1号電場探信儀3型)
使用周波数は、150Mhz帯である。
周波数使用範囲幅は、下記の写真のとおり、150Mhz±5Mhzであることから、145Mhzから155Mhzで運用されていることがわかる。
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21号電探(正式呼称には2号電場探信儀1型)
使用周波数は、200Mhz帯である。

以上の日本側2つのレーダーの使用周波数と米軍航空機が使用しているIFF Mk IIIは157から187Mhzでは、使用範囲が異なり日本側のレーダーでは受信できないことになる。
戦訓の別の項に「24日夜間敵水上部隊ニ近接セル際200,150,120Mcノ電波ヲ感5ニテ探知セリ 200,150Mcハ音色清澄(ピーピー)150Mcハ「ヂ―」音何レモ味方ノモノニ比シ勢力強ク前者ハ旋回時隔探信、後者ハ常時探信ヲ実施シアリキ時隔探信電波輻射時間ハ概ネ30秒以上3乃至5分程度ナリ(日向)」とあるように、日本側も戦闘中に各艦では電波探知機(E-27受信機;本機は80から400MHzのVHF波を5バンドに分け受信する)を使用して電波情報収集として敵の電波の使用周波数を測定していることがわかる。
したがって、米軍航空機が使用しているIFF Mk IIIが157から187Mhzで電波を発信しているとも認識していたはずである。
ここからは推測となるが、13号電探を使用しての前提となるが、本来レーダーは送信波と受信波は同一でないと運用できないが、電波探知機での受信周波数情報をもとに、本来のレーダー運用ではなく、レーダーの受信機だけ使用して受信調整して157Mhz以上の受信を行ったのではないのだろうか。
写真のダイヤル目盛を見ると、アッパー側への受信のマージンは高そうである。
もう一つの推論は、大艦隊でのレーダー運用では各艦の電波使用周波数を分散することが望ましい。
このため、13号電探の使用周波数の割当てにおいてたまたま157Mhzを割り当てられた艦船で受信ができた可能性があるが、設計仕様外の軍の運用には少し無理があるように思われる。
しかも、レーダーの電波運用で使用周波数の割り当てをしたような記録をみたことはない。




参考文献
Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
GERMAN WWII FuG 25a Erstling target identification transponder
https://www.cdvandt.org/FuG25a-Erstling-Hans-Jucker.pdf
機密兵器の全貌 昭和51年6月 元海軍技術大佐 伊藤庸二
孤独な戦闘機 電探早くの声にこたえて 連合艦隊司令部付 海軍大尉 立石行男
JACAR(アジア歴史資料センター)Ref. C08030036800、昭和19年10月20日~昭和19年10月28日 捷号作戦戦闘詳報(比島方面決戦)(3)
「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13120839800、電波器材(防衛省防衛研究所)」
New England Wireless & Steam Museum  https://newsm.org/

秋水用のタチ200とタキ200(特別飛翔体対飛誘導装置)に関する技術的考察について(再検証版R05.10.31)

秋水用のタチ200とタキ200(特別飛翔体対飛誘導装置)に関しては、下記の電波報國隊の記録を契機として簡単な調査したものを既にブログにアップしていたが、今回はもう少し技術的な側面から考察を行うことにした。
<2020年6月27日掲載分>電波報国隊によるレーダー関係記録の考察について
https://blog.goo.ne.jp/minouta17/e/456e601b0c653e986c969412ed6aefb5

電波報國隊/昭十九会からの抜粋(再掲)
3号電探/矢部五郎
電波兵器の検査を3ヵ月経験したことは、新米の海軍技術中尉として呉海軍工廠電気部外業工場に配属され、潜水艦の無線蟻装を担当したとき、熟練した工員などからも評価された。この時にイ号48潜水艦の橋本艦長とお会いして、電探整備を念入りに要望されたことは印象に残っている。
 戦争最後の段階で、厚木と伊丹に秋水(液体燃料[ヒドラジン・過酸化水素]コロケット戦闘機)の配備が予定され、その誘導装置の工事が進められていた時期に、伊丹航空隊の設備工事を担当した。詳しい説明は何もなく現地工事の実務だけベテランの技術大尉から指導を受けたが、電探そのものは百も承知として準備をしていた。考えてみると、おかしな話で、呉の山の上に3号2型(実際は4号2型のこと)は1台あったが、3号1型(実際は4号1型のこと)を知っている技術士官は誰もいなかった。なんの抵抗もなく、この仕事を引き受けたが、潜水艦と水上特攻を担当中の僕が突然、伊丹に行けと言われたのは、勤労動員の経歴が関係したのかも知れない。
 秋水誘導装置は2台の電探で味方の秋水戦闘機と敵B29爆撃機の高度と位置を時々刻々求め未来位置高度を計算し、敵を攻撃するために秋水が飛行する方向(方位角と目標高度)を操縦士に伝える装置である。当時の計算機はアナログ方式であったが、電探から送られたデータを計算することができた。秋水戦闘機は非常に高速で飛び航続時間も短いので、操縦士が敵を目視で捕らえて接近することは無理だから、地上から敵の飛行する方向と速度を測定して、操縦士に方向を指示する必要があった。
 結局、伊丹に行く準備中に戦争が終わり、この仕事も幻になった。なお、厚木の秋水誘導装置については内田敦美君(第二工学部電気同期生)が浜名風(海軍技術浜名会編、1994年5月)の35ぺ一ジに述べている。

この記録から分かることは、『ロケット機「秋水」に秋水誘導装置は地上の2台の電探で味方の秋水戦闘機と敵B29爆撃機の高度と位置を時々刻々求め、敵を攻撃するために秋水が飛行する方向(方位角と目標高度)を操縦士に対して誘導する装置である。』とのことである。
この電探に関しては、日本側の資料である日本無線史第九巻の下記の内容が該当する。
特別飛翔体対飛誘導装置
電波標定機又は特殊電波装置の等感度線に沿って特殊飛翔体を目標機に向かい半自動制御或は(航路表示による)手動的に誘導するものである。
地上部「タチ二〇〇」(改四型電波標定機の一部を改修せるもの)
周波数二〇〇Mc、尖頭出力一〇Kw、方向精度正負五度、重量二.五瓲
機上部「タキ二〇〇」
周波数二〇〇Mc、尖頭出力五〇W、重量五〇瓩
試作会社東芝電子研(三菱電機を併せて予定)
第三次兵器として基礎的研究概成、一応方式としての目途を得飛行試験計画中、また連続波(周波数三〇〇Mc、出力一〇W)方式に就ても研究中
なお、東京芝浦電気株式会社の社史には、特別飛翔体対飛誘導装置(機上用50W)を生産したとの記録が残っている。

また、戦後米軍が調査したJapanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar,の資料では下記のURLに掲載している。
Tachi200-Taki200

これらの情報から全体のシステムを想定すると以下のように考えられる。

全体システムの仕組みについて
タチ200とタキ200間の送受信インターフェースは下図の通りである。
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まず、陸軍のタチ31(超短波標定機改4型)を一部改造したもの使用してB-29を追尾するとともに、友軍機の秋水をタチ200で追尾しておき、タチ31でB-29を追尾したデータをタチ200に取り込み、更にタチ200から友軍機の秋水へ追尾データを送信する。
秋水に搭載されたタキ200は、その追尾データに基づき、B-29の追跡方向を指示メーターで表示されるので、パイロットはその方向へ飛行すればいいことになる。
これは、世界初の無線系テレメーター中継装置の考え方ではないだろうか。
タチ200については、米軍が調査したJapanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radarには、単にタチ31を参照のことしか記述はなく、機能説明はないので以下の推定をすることにした。
タチ200は、送信パルスの反射波を受信する従来型のレーダーの機能とともに、前述の陸軍のタチ31(超短波標定機改4型)を使用してB-29を追尾するとともに、友軍機の秋水をタチ200で追尾しておき、タチ31でB-29を追尾したデータをタチ200に取り込み仕組みが必要になる。
このため、タチ200で生成する送信同期パルス(3750Hz)とタチ31で測定したB-29の追尾データをベースバンド上で重畳する。
重畳方式については、下図のとおりであるが、タチ31の位相環の情報をタキ200の送信部の変調段に単純に挿入すればよい。
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友軍機の秋水の機上タキ200を中心にデータ授受の動作を解説について
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①まず地上のタチ200により、送信パルスにタチ31で測定したB-29の追尾データをベースバンド上で重畳した送信データを友軍機の秋水へ向けて送信する。
②秋水の機上のタキ200の受信部でスーパヘテロダイン方式として混合、IF増幅、検波及びビジオ増幅を行いことにより、ベースバンド信号を生成する。
③次に分離部(Separator)により、SORA(Limitterにより上部のデータのみ残す処理(具体的にはプレート検波すればよい)で、SORA(パルス増幅)、SORA(波形整形)、PH-1(変調)からT304(発振部)により受信データより送信パルスを抽出して送信部で地上のタチ200へ向けて送信同期パルスとして送り返する。
この送信同期パルスはIFF機能の意味ではなく、単なるトランスポンターとしての応答動作であるが、地上のタチ200側では、この送信同期パルスを受信することは勿論ではあるが、本来レーダーの機能とし秋水の機体からの反射波も同時受信し、表示用のブラウン管にダブル表示することになる。
この処理方法の趣旨がはっきりしないが、機体の反射波よりもタキ200からの送信同期パルスのほうが受信感度としては感度が高いことから、秋水がレーダー圏外近くとなっても秋水を追尾する可能性が高いことから取られた方式と考えられる。
➃更にタキ200の分離部では、分離した送信パルスをトリガーとしてマルチバイブレータ―回路により25Hzの固定周波数を発振させ、のこぎり波を生成しプッシュプル増幅し、同期モーター起動のための交流電源として使用している。
⑤最後に、受信部のベースバンドの信号を位相環に接続し、その信号切換端子から上、右、下、左の受信信号に分離し、写真の航路計に接続する。
⑥秋水のパイロットは、左右と上下の2つの航路計針が0点になるように操縦すれば、目的のB-29へ誘導することが可能となる。
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タチ31とタチ200の送信パルス間の同期の問題について
下図のとおりタチ31とタチ200の同期発振部は双方独立して動作しており、この同期発振器は、120Khzの水晶発振子による原発振をもとに、3750Hzの正弦波を生成している。
この正弦波をもとに送信同期パルスを生成することになるが、タチ31とタチ200とも発振周波数は大変正確であるが、両者のパルスの位相には同期関係がない。
この送信同期パルスの位相が一致しないと、タチ31で測定したB-29の追尾データをタチ200により重畳することができない。
このため、事前準備作業としてタチ31とタチ200の送信同期パルス間の同期を一致させる必要がある。
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送信パルスの同期方法
同期補正については、タチ200の測距用指示機の表示ブラウン管を見ると、タチ200の送信機からの直接パルスが表示されるが、タチ31とタチ200の2つのレーダーは隣接した状態で運用されているため、タチ31の送信機による直接パルスも合わせてタチ200の測距用指示機のブラウン管に表示されることになる。
このため、タチ200の同期パルス位相調整器によりこの2つの直接パルスを一致させれば、両者の位相は完全同期したことになる。
a-5




参考資料
位相環(住友通信製)
一. 概説 四組の受信空中線よりの信号は位相環に加えられる。
位相環に於ては受信空中線指向特性を中心軸に対して一定角度を保持して回転する。又本機回転軸には選択出力切替器を連結し空中線切換器と同時に切り替えを行う。
本機は次の三部より構成されている。
空中線切換部
選択出力切換部
電動機
二. 入力及び出力
受信信号
切換信号
三. 空中線切換部
切替器内部には直径14cmの環がある。上下左右の四点に夫々空中線を接続する。この環の内側に更に之と密接して同軸の回転する環がある。この一点より出力は中心に装置し電動機と反対側の側面より取出す。斯(か)くの如く切換に容量式を採用するのは接点より生じる雑音を防止する為である。
四. 選択出力切換部
選択出力の切換には刷子を使用する。切替接点は円周を八等分にした金属より構成する。この上を刷子が回転し出力は八接点の内一つ置きの四接点より取出す。
※刷子とは、ブラシのこと
五. 電動機
前記両切換部の回転用として、次の如き電動機を使用する。
電圧 220V(当分は100V)
馬力 1/25
極数  4
回転数 1500
図面
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参考情報
b-2

 

<秋水(しゅうすい)>
秋水(しゅうすい)は、太平洋戦争中に日本陸軍と日本海軍が共同で開発を進めたロケット局地戦闘機である。ドイツ空軍のメッサーシュミット Me163の資料を基に設計を始めたが、試作機で終わった。
正式名称は試製秋水。海軍の略符号はJ8M、陸軍のキ番号はキ200である。「十九試局地戦闘機」と称されることもあるが、1943年(昭和18年)の兵器名称付与標準の改訂に伴い、1944年(昭和19年)には年式を冠称した機体開発は行われなくなっていた。計画初期には「Me163」の名で呼ばれていた。 
航続距離が短いロケット機では自機が発進した飛行場上空しか防衛できないため、事前に敵に配備基地を迂回されてしまう他、噴射終了後は滑空機でしかないため、護衛戦闘機によって容易に撃墜されることが予想された。このように、航続距離の短さから、迎撃は敵機が行動範囲内に進入した後の待ち伏せ的な戦術が主流となるが、この方法はレーダー施設などの索敵施設との連携が不可欠であり、当時の日本の技術力ではとても望めるものではなかった。
 b-3


参考資料
ME-163 KOMET ドイツ軍ロケットエンジン搭載戦闘機

本家ME-163には、先端にプロペラ発電機があり蓄電器の充電を行い、電気系統に充分な電力を供給している。
なお、機体上部にアンテナが見えることから電話無線機が用意されていたようだが、日本のような誘導装置などはコックピット内ではみつけることができない。
b-4


 

参考文献
電波報國隊/昭十九会 http://todaidenki.jp/hist/?cat=11
「日本無線史」9巻 1951年 電波管理委員会
Japanese Wartime Military Electronics and Communications, Section 6, Japanese Army Radar,
東京芝浦電気株式会社八十五年史 昭和38年発行
仮称4号電波探信儀3型 取扱説明書 ⑥兵器 475 防衛省戦史資料室
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二号電波探信儀三型
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
2号電波探信儀3型 (S8)の解説
諸元表
略称--------------------------------------------- S8
目的---------------------------------------------艦船用対水上射撃用
周波数 ----------------------------------------- 518Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 3750cps
パルス幅 ----------------------------------------2.5μs
尖頭電力出力-------------------------------------5 kw
測定方式----------------------------------------等感度法
出力管------------------------------------------空胴共振式
受信機検波菅------------------------------------2400
空中線 -----------------------------------------送信用と受信用パラボラ 直径1.74m
IF、mcs .---------------------------------------?Mcs
受信利得----------------------------------------? db
最大範囲----------------------------------------駆逐艦13km
測距精度----------------------------------------0.05km
測方精度----------------------------------------±1.0°
電源--------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量--------------------------------------------1,000 kg
製造--------------------------------------------東芝
製作台数----------------------------------------

2号電波探信儀3型(S8A)のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について

2-3-01

2-3-02



2号電波探信儀3型 (S8A)の解説
略称--------------------------------------------- S8A
目的---------------------------------------------対空射撃用
周波数 ----------------------------------------- 500Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 3750cps
パルス幅 ----------------------------------------2.5μs
尖頭電力出力-------------------------------------6 kw
測定方式-----------------------------------------等感度法
出力管-------------------------------------------空胴共振式
受信機検波菅-------------------------------------2400
空中線 ------------------------------------------送受共用パラボラ 直径2.9m
IF、mcs .----------------------------------------?Mcs
受信利得-----------------------------------------? db
最大範囲-----------------------------------------駆逐艦13km
測距精度-----------------------------------------±50m
測方精度-----------------------------------------±1.0°
電源---------------------------------------------
重量---------------------------------------------1,000 kg
製造---------------------------------------------東芝
製作台数-----------------------------------------
2-3-50

2-3-51

特1号練習艇


 
丸別冊 遥かなる戦場 平成4年4月 潮書房からの抜粋
本機はドイツのウルツブルグの系統をひくUHF波使用(波長58cm)のパラボラアンテナを使用し、回転ダイポールで精密測角をする方式である。
従来方式に比し幾多の特長を持った新鋭機で、練習艦特一号に装備しての実験結果も良好であった。
しかし、残念ながら昭和19年7月の完成時には、すでに戦機を失い、艦隊はリンガ方面に集結中のため生産、装備をあきらめざるを得ないことになった。
なお、一方では以下の矛盾した記述がある。
昭和19年6月末にいたり、新型対水上射撃電探(仮称3号2型および2号3型)研究が完成し、実用試験に供された。
その結果は、またもや不幸にも3号2型は重量容積過大、2号3型は探知能力不足で、ともに不採用に決定された。
「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
昭和19年7月には2号3型及び3号2型が略完成したが、この頃には既に艦隊は殆ど全部内地を出港し、湘南島方面に集結中であった。
これがために装備上の制約も加わり2号3型は有効距離が少し不足と云う理由に依り、又3号2型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で、実装備を断念するに至ったのである。

「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会からの抜粋
昭和19年7月には2号3型及び3号2型が略完成したが、この頃には既に艦隊は殆ど全部内地を出港し、湘南島方面に集結中であった。
これがために装備上の制約も加わり2号3型は有効距離が少し不足と云う理由に依り、又3号2型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で、実装備を断念するに至ったのである。
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
二号二型系のものは、昭和十八年十月軍艦大和に於ける実験に使用した切換方式が不完全であることが判り、早くも整備の線から脱落したものである。
この結果昭和十九年三月射撃用電波探信儀研究促進に関する会議が開かれた。
その席上、使用出来ない主砲五砲台よりも、使用可能の主砲四砲台の方が有効である。
一砲台撤去しても射撃用電波探信儀を装備すべきだとの意見も出る位で、重量容積に対する制限も著しく緩和され、精度は多少悪くとも一応は射撃の出来る電波探信儀を同年六月末までに整備すべししの厳重な決議があった。
玆(ここ)に於いて二号三型(波長五八糎)、三号二型(波長一〇糎)及び二号一型の改良型が登場し、研究実験に異常の努力が集注せられた。
同年七月には二号三型及び三号二型が略完成したが、この頃には既に艦隊は殆ど全部内地を出港し、昭南島方面に集中中であった。
これがために装備上の制約も加わり二号三型は有効距離が少し不足と云う理由に依り、又三号二型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で実装備を断念するに至ったのである。
?に於いて窮余の策として、同年七月各艦に緊急装備した二号二型の操縦装置を改善し、これを以て決戦に臨むことに決意された。
即ち増力機の操縦装置竝に電探射撃に必要な諸関係装置を、人員と共に昭南島方面に特派し、第一〇二工作部に於いて最後の整備を行ったのである。
水上艦船の一斉整備は事実上これを以て終り、この装備の状態を以て緋想なる比島沖の決戦に突入したのである。この後対水上射撃用電波探信儀に対する要望は、急激に下火となったのであるが、研究は更に継続され、三号一型及び三号三型は昭和十九年末に至り完成し、同二十年一月、水雷学校所属の特一号練習艇に於いて実艦実験を実施し、略満足すべき結果を得た。
三号二型は出来る限り能力の増大をはかるため、従来採用した電磁ラッパのみを回転する方式を廃し、機器も電磁ラッパと共に回転する方式とし、且つ偏波面を整正にする目的を以て、矩形電磁ラッパを採用し、且つこれを大型となし、空中線利得を二十数dbに増大した。
左右二個の受信電磁ラッパの切換装置としはラッパの喉元で半円形のアルミニュウム板を電動機で回転して行う方式を用いている。
三号一型は、三号二型が重量、容積大で、非現実的であるとの非難に対し、二号三型に使用した架台竝に反射鏡を使用し、導波管を架台内部に収め、本体は同軸ケーブルを用いて接続し、空中線装置のみを回転する方式のものである。
三号三型は既装備の二号二型に小改造を施し、従来の有効距離を短縮することなしに、測角、測距精度を要求値に高めんとし、従来の旋回装置に矩形電磁ラッパを取付け、受信電磁ラッパを円筒式切換機器に依って切換え、旋回部に二重同軸ケーブルを用いて従来の導波管をその儘使用するものである。
しかし、三号一型及び三号三型はいずれも完成の時期を失し、実装備を見ずして、終戦となったのである。

参考資料
2号3型電探は略称名「S8」として当初送信用と受信用として別々のパラボラアンテナを使用していたが、その後、改良され送受信共用のアンテナの略称名「S8A」と呼称されたものとなった。
更に、電波誘導機のため、直径7mの巨大化したパラボラを持った6号1型電探(陸上要地)の略称名「S8B」、「浜61」と進化させ、敵高度及び位置測定用として電波の指向性を大とし、能力を格段に向上させた。
 

参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
丸別冊 遥かなる戦場 平成4年4月 潮書房



3号電波探信儀1型、2型、3型(艦船装備対水上射撃用)について
3号電波探信儀1型の解説
三号一型及び三号三型は昭和十九年末に至り完成し、同二十年一月、水雷学校所属の特一号練習艇に於いて実艦実験を実施し、略満足すべき結果を得た。
三号一型は、三号二型が重量、容積大で、非現実的であるとの非難に対し、二号三型に使用した架台竝に反射鏡を使用し、導波管を架台内部に収め、本体は同軸ケーブルを用いて接続し、空中線装置のみを回転する方式のものである。
しかし、三号一型及び三号三型はいずれも完成の時期を失し、実装備を見ずして、終戦となったのである。

諸元表
略称---------------------------------------------  220号, 31号 
目的---------------------------------------------艦船用対水上射撃用
周波数 ----------------------------------------- 3000Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 2500cps
パルス幅 ----------------------------------------20μs
尖頭電力出力-------------------------------------2 kw
測定方式----------------------------------------等感度法
出力管------------------------------------------M312空胴共振式
受信機検波菅------------------------------------鉱石検波器、M60-S
空中線 -----------------------------------------送信用と受信用共用パラボラ 直径1.8m
IF、mcs .---------------------------------------?Mcs
受信利得----------------------------------------? db
最大範囲----------------------------------------戦艦35km
測距精度----------------------------------------±100m
測方精度----------------------------------------±4.0°
電源--------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量-------------------------------------------- kg
製造--------------------------------------------日本無線
製作台数----------------------------------------
31-img034

 31-k02-レーダ01-2

3号電波探信儀2型の解説
昭和十九年七月には三号二型が略完成した。
三号二型は出来る限り能力の増大をはかるため、従来採用した電磁ラッパのみを回転する方式を廃し、機器も電磁ラッパと共に回転する方式とし、且つ偏波面を整正にする目的を以て、矩形電磁ラッパを採用し、且つこれを大型となし、空中線利得を二十数dbに増大した。
左右二個の受信電磁ラッパの切換装置としはラッパの喉元で半円形のアルミニュウム板を電動機で回転して行う方式を用いている。
三号二型は重量容積大にして装備工事に多くの日時と工数を要し過ぎるとの理由で実装備を断念するに至ったのである。

諸元表
略称---------------------------------------------  105S2号, 32号 
目的---------------------------------------------艦船用対水上射撃用
周波数 ----------------------------------------- 3000Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 2500cps
パルス幅 ----------------------------------------10μs
尖頭電力出力-------------------------------------2 kw
測定方式----------------------------------------等感度法
出力管------------------------------------------M312空胴共振式
受信機検波菅------------------------------------鉱石検波器、M60-S
空中線 -----------------------------------------送信用と受信用電磁ラッパ×2個
IF、mcs .---------------------------------------?Mcs
受信利得----------------------------------------? db
最大範囲----------------------------------------戦艦35km
測距精度----------------------------------------±100m
測方精度----------------------------------------±1/2°
電源--------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量-------------------------------------------- kg
製造--------------------------------------------日本無線
製作台数----------------------------------------
 32-mg016

32-o-レーダ01-1

32号-01



3号電波探信儀3型の解説
三号一型及び三号三型は昭和十九年末に至り完成し、同二十年一月、水雷学校所属の特一号練習艇に於いて実艦実験を実施し、略満足すべき結果を得た。
三号三型は既装備の二号二型に小改造を施し、従来の有効距離を短縮することなしに、測角、測距精度を要求値に高めんとし、従来の旋回装置に矩形電磁ラッパを取付け、受信電磁ラッパを円筒式切換機器に依って切換え、旋回部に二重同軸ケーブルを用いて従来の導波管をその儘使用するものである。
しかし、三号一型及び三号三型はいずれも完成の時期を失し、実装備を見ずして、終戦となったのである。
諸元表
略称--------------------------------------------- 33-2号 105S12 
目的---------------------------------------------艦船用対水上射撃用
周波数 ----------------------------------------- 3000Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 2500cps
パルス幅 ----------------------------------------10μs
尖頭電力出力-------------------------------------2 kw
測定方式----------------------------------------等感度法
出力管------------------------------------------M312空胴共振式
受信機検波菅------------------------------------鉱石検波器、M60-S
空中線 -----------------------------------------送信用と受信用電磁ラッパ×2個
IF、mcs .---------------------------------------?Mcs
受信利得----------------------------------------? db
最大範囲----------------------------------------戦艦30km
測距精度----------------------------------------±100m
測方精度----------------------------------------±1/2°
電源--------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量-------------------------------------------- kg
製造--------------------------------------------日本無線
製作台数----------------------------------------
 33-01-img032

33-02-img033

 33-03-111-SC-290052-35%




参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会

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