日本帝国陸海軍電探開発史

日本帝国陸海軍電探開発史 電探 陸軍電探開発史 電波警戒機 電波標定機 海軍電探開発史 電波探信儀 電波探知機 デジタル遺品

2018年12月

最新バージョンは以下のURLに記載していますので、こちらを参照願います。

陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察の再検証
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/06/05/193841


以下旧バージョンです。
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陸海軍共同迎撃システムの誘導実験
回想の横空夜戦隊 黒鳥四朗 2012年1月 光人社 抜粋
誘導実験(p113)
昭和20年2月末のころ、隊長が指導する藤沢電探基地(※海軍電測学校もあり、電探の拠点基地)と、横須賀海軍航空隊の私の乗機「月光」に装備した電波発信機(※接敵用海軍航空機搭載レーダー;18試空6号無線電信機(FD-2))とによる電波誘導実験が実施されたが、なかなかうまくいかなかった。
原因は月光の電波発信機の不調が要因だったようで、中止の指令が出た。
この電波誘導実験は電波発信機が不調のため、方式を変更。
横空が神奈川県茅ケ崎に出した派遣隊に、陸軍が開発した味方識別・位置測定用の電波誘導機タチ13号と、海軍の高度測定用6号1型電波標定機を設置して、「月光」との連携による無照明戦闘の実用実験へと進んだ。
茅ケ崎派遣隊が敵位置のデータを無線電話で「月光」へ送り、「月光」は該当空域へ移動ののち、装備する18試空2号無線電信機2型/FD-2機上邀撃レーダー(※制式名称は18試空6号無線電信機(FD-2)機上用接敵レーダー)で、B-29を捕らえる、という手順である。
4月2日工藤重敏飛曹長と市川通太郎少尉が搭乗するヨ-103号機が、東京・八王子上空で敵機の反射波を陰極線表示管に捕らえたが、目視可能域まで到着できなかった。

陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察について
本書は筆者黒鳥四朗氏による横須賀海軍航空隊の回想記を編者渡辺洋二氏が内容を補強されてものです。
要旨は、B-29を夜間迎撃するため、月光に機上接敵用レーダー/FD-2とIFF(敵味方識別装置)を搭載し、B-29を海軍の61号電波探信儀で、自機の位置を機上のIFFと地上の陸軍のタチ13号で追尾し、機械式アナログ計算機でデータ処理し、予測した会合点を無線電話で連絡することのようである。
なお、茅ケ崎に61号電波探信儀と陸軍のタチ13号を設置し、横空の派遣隊が運用したものと推定できる。
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験については、基本的には戦闘機誘導装置については、陸海軍電波技術委員会に於いて、陸軍担当と定められていたこともあり、陸軍の地上のタチ13号と機上のタキ15号による実戦配備は海軍よりもすすんでいたことが背景にある。
ここでの疑問は、機上のIFF(敵味方識別装置)は、陸軍のタキ15か海軍のM-13のどちらの装置を採用したのかという点である。
陸軍タキ15を採用すれば、海軍航空機で採用している電源12Vであり、陸軍機の24Vとの互換がない。
また、海軍のM-13を採用すれば、陸軍のタチ13号の使用周波数が異なり、周波数変更工事を実施しないと利用ができない。
このような事例でも分るように戦争末期でも、陸海軍の壁は大きかったといえよう。
なお、機上設置のIFF(敵味方識別装置)のアンテナを見ると陸軍機は1/4λ波長の単純なポール(棒)アンテナを採用しているが、海軍機には、米軍のコピーの空気抵抗を抑えた折り曲げ折り返し1/4λ垂直アンテナが採用されている。
アンテナ一つをとっても、残念ながら日米の技術格差がよくわかる事例といえる。

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関連資料
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
味方識別装置
昭和十六年夏、伊太利海軍からの情報により、英海軍で電波探信儀に味方識別装置が使用されていることが判り、我が海軍でも研究し、昭和十七年夏には試作装置が完成し、性能実験の結果、応答率100%でなく、実用とはならなかった。
その後種々の案に就き研究を進めたが完成しなかった。
しかるに昭和十九年秋に至り、敵側が味方識別装置を盛んに使用していることが通報され、敵側の実物が手に入れられたので、これを参考として設計が進められ、翌二十年一月には実用に供し得るものが試作されたが、戦局は急激に悪化し、本装置の必要性も減退し、遂に実用に至らなかった。
戦闘機誘導装置
本問題は陸海軍電波技術委員会に於いて、陸軍担当と定められていたものであるが、海陸両軍の飛行機性能の差異と、防御受持区域の相違とから、海軍に於いても本問題の解決を必要とするに至り、横須賀鎮守府を中心とした、B-29邀撃に関する特別委員会が組織され、検討の結果、対敵測定用としては、波長六米の電波を使用する一号電波探信儀四型を用い、敵機を洋上遠方に捕捉し、波長三米の電波を使用する一号電波探信儀一型を、等感度方式に改造したもので(これが六三号電波探信儀・浜六三か?)、これを追尾し、近距離となれば波長六〇糎を用いた六一号電波探信儀(略称S8B、二号電波探信儀三型の反射鏡を直径七米に改造したもの)を以て、距離(最大探知距離一三〇粁、標定距離三五粁、測距誤差正負二〇〇米)及び高度(測角精度上下三度、最低仰角三度)を計測し、これを計算機に入れて、敵機の高度及び進路を算出する。
又味方機測定としては波長二米の電波を用いた六二号電波探信儀(浜六二、一号電波探信儀三型を等感度方式に改造したもの)に依って呼び掛け、機上の味方識別装置からの応答電波に依りその位置を知り、高度は機上からの通報に依り、これらの資料から敵味方の会合点を求める方式であった。
急遽整備の要求に依り、既製兵器を改造し、昭和二十年三月第一号装置の装備を完了し、実目標(敵機)に対する訓練を実施した。
しかし戦況の逼迫はそれ以上大規模に実施する能わず、量産に移らなかった。


海軍 6号電波探信儀1型 S8b (Mark 6, model 1)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022324.html

陸軍 タチ13とタキ15
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022261.html

海軍 18試空6号無線電信機(FD-2)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022302.html

海軍 5試味方識別装置1型 M-13 IF
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022303.html

戦略爆撃調査団「ジャパニーズ・エアー・パワー」からの抜粋
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022289.html


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参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
[e15]  世界の傑作機 海軍夜間戦闘機「月光」 分林堂
回想の横空夜戦隊 黒鳥四朗 2012年1月 光人社


タキ23
電子妨害装置の説明とブロック図
(日本人により英語で記述されている)
原理
ここでは、攻撃の目標であるレーダーAとタキ23 B、BはAから送信されたインパルスを受信するレーダーのこととする。
BはA波の周波数の約20~50倍のブロッキング発振器を持ち、新しいインパルス波を生成する受信信号の出力と同期する。
超短波送信機は、タキ23の一部であり、Aと同じ波長に同調され、これらの新しい衝撃波によって変調される。したがって、放射パルス波を増幅させる。
 Aがそれを受け取ると、Aオシロスコープでは多くの複雑な画像を見ることになり、目標から戻ってくる画像を見ることができなくなる。
したがって、Aはその機能を失うこととなる。
使用方法
 Bは図Ⅰに示す構造をとっている。
Bが設定され、受信機、モジュレータとオシロスコープは、動作中のマルチバイブレータ、動作中の送信機、送信機は開始準備している。
まず、BはA波を受信する。その出力はBオシロスコープで連続的に監視される。
第2に、B送信機は作動状態に設定され、A波と同じ波長に設定される。
B受信機とB送信機は、マルチバイブレータからの出力から互いに動作する。
この相互作用が自動的に生起されるので、オシロスコープ上で二重像(A信号およびB信号)を見ることができる。
オシロスコープ上のこれらの2つの画像の比較によれば、変調波と同期電圧を調整してこれらの2つの画像を固定し、周波数関係を20~50倍に保持する。
オシロスコープで画像を見ると、A送信機と同じ波長になるようにB送信機を調整し、受信機のダイヤルで受信する位置を確認できる。

[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
イメージ 1
 

A short survey of japanese radar Volume 2からの抜粋
タキ-8、タキ-23 
電波妨害機
連合軍の対応名称:--。
技術的特徴: -- 
タキ-8:
波長 = 7 ~ 1.5 M。連続 50 W。インパルス 500 W。自動または手動シンクロナイザー。
タキ23:
波長 = 1.5-0.8 M、連続 10 W、インパルス 200 W。
製造数 = タキ-8 = 10、設置数 = タキ-8 数台
         タキ-23 = 5.     タキ-23 = 0.
説明
80cmから7mまでの範囲をカバーする2台のスポット・ジャミング装置である。受信機が配置されており、信号を見つけると増幅され、妨害送信機のキーとして使用することができる。この装置では「なりすまし」が簡単にできるのだが、遅延装置は組み込まれていない。受信した信号はブラウン管で見ることができる。妨害信号はパルス状でも連続波でも良いが、連続波送信の場合、妨害機の出力で受信信号を見るための工夫はされていない。受信用と送信用の反射板付き水平ダイポールは、飛行機の反対側の翼の下に設置されている。両者の合計重量は210ポンド。
a-3

a-4


[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会 抜粋
電波妨害機
機上用「タキ二三」強制妨害式
波長1.5から0.8(0.75?)米、出力連続30W、衝撃700W(?)、自動又は手動方式、重量220(50?)瓩、試作会社三菱電機、第二次兵器「タキ八」の波長範囲拡大用として研究終了、試作中。
なお、第三次兵器として「タキ八」、「タキ二三」を統合せる標準型「タキ三三」を研究中であった。
[d1]  三菱電機社社史創立60周年 昭和57年3月
三菱電機は何故か通信機やレーダー製造に積極的に関わっていないようである。
社史には、唯一、1台の機上レーダーを掲載していおり、型式は特定できていないが、タキ23と思われる。

イメージ 2

[e21] 機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
電波妨害機
電探の発達と共に直ちに出づ可き兵器である。電探の電波に丁度合わせ波長の電波を協力に出し、電波の受信を混雑せしめようとする装置である。
電探が米波と糎波の二種類に大別された様に、本装置も二種類になる。
その内比較的古い技術の米波妨害機は陸軍が之を担当して一通り作り上げた。
ところが愈々生産になって困難に逢着した。
陸軍の為の生産に急をつげ、海軍に渡せないと云うのが結果である。
之では海軍は困る。それで又自ら研究を開始した。
出来上がった結果は陸軍側よりは少し簡単な方式をとって居る。
従って量産にも都合が良い。
それで至急生産を開始したが、相次ぐ爆撃によって工業力の低下著しく、遂に実験的な試用に止まり、真の実用には至らなかった。
糎波の妨害機は計画を一応立てたが、米波程にも至らない内に終戦になってしまった。
而して陸海軍電波技術委員会は戦時中相当良く活躍した委員会である。
但し折角委員会の沽券を発揮し得た電波妨害機の終局は前記の通りであった。
電波欺瞞紙装置と反射防止
アルミ箔を空に撒いて対空電探を欺瞞しようとする考えは日本に於いては陸軍の発明である。
昭和十八年春実験され、直ちに実用された。
之は陸海両軍に於いて各種作戦に効果的に用いられたものである。
その最も明らかに効果を発揮した例は第四次ブーゲンビル沖海戦である。
此の戦闘では飛行機を以て攻撃隊の反対側に之を撒布し、敵をして之に射撃を加えしめて、反対の方向から雷撃機が突撃して戦果をあげたのである。
此の問題の海軍側の研究は横須賀海軍航空隊が担当した。
海上作戦に用いる欺瞞体は呉海軍工廠が研究した。此処では特に糎波に対するものが対象となったが、九〇度の角度を以て交わる二つの金属板或は網の反射体は効果があった。
之はレーダーの反射板として昨今一種の電波燈台として港湾の入口や、難所に掲げられているものに略等しい。
航行用レーダーの電波を反射させんが為である。

参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[e21] 機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
[g3] ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%95
チャフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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米海軍のチャフ・キャニスター(RR-129とRR-124)
ほぐした状態のチャフ(大戦期英軍の「ウィンドウ」)
チャフとフレアを同時に展開するB-1B
チャフ(電波欺瞞紙、英: chaff、独: Duppel)は、電波を反射する物体を空中に散布することでレーダーによる探知を妨害するもの。電波帯域を目標とし誘惑と飽和を任務とした使い捨て型のパッシブ・デコイである[1]。
最も古くから用いられている対レーダー用デコイであり、現代では、軍用機や軍艦の多くにレーダー警報受信機などと連携させて搭載されている[2]。
歴史[編集]
第二次世界大戦中の1940年に、イギリスによってドイツの捜索レーダー「フライア」、射撃管制用測距レーダー「ウルツブルグ」や航空機用機上レーダー「リヒテンシュタイン」を妨害するために開発され、「ウィンドウ」と命名された。
イギリス空軍の夜間爆撃では電波妨害装置と共に使用されてドイツ軍の高射砲や迎撃機の回避に大きな成果を上げた。
また、第二次大戦中の日本軍では、模造紙に錫箔を貼ったものが主に用いられた。1943年11月13日の第四次ブーゲンビル島沖航空戦で、大日本帝国海軍航空隊は、敵艦隊の一方にチャフを散布し、そちらに警戒を惹きつけたうえで、反対側から雷撃を加えて、大きな戦果を挙げた[4]。


A short survey of japanese radar Volume 2



THの解説
諸元表
略称---------------------------------------------TH
目的---------------------------------------------特攻用小型舟艇誘導用
周波数 ----------------------------------------- 200Mcs
繰返周波数---------------------------------------1000 cps
パルス幅 ----------------------------------------6μs
尖頭電力出力-------------------------------------13 kw
測定方式-----------------------------------------等感度法
出力管-------------------------------------------pp TR1501
受信機検波菅-------------------------------------UN-954
空中線 ------------------------------------------送受共用:1×4 垂直
IF、mcs .----------------------------------------?Mcs
受信利得-----------------------------------------? db
最大範囲-----------------------------------------20km以内
測距精度-----------------------------------------0.3km
測方精度-----------------------------------------0.5°
電源---------------------------------------------
重量---------------------------------------------500 kg
製造---------------------------------------------住友
製作台数-----------------------------------------

[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
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イメージ 5
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イメージ 8
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イメージ 10
イメージ 11

[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
特攻兵器誘導装置(TH装置)
対空射撃用四号電波探信儀の一、二及び三型が出来たが、対空射撃効力は揚らず、眼鏡で完全に照準出来ても、有効弾を放つことが困難なる状況に鑑み、弾薬搭載の飛行機を無線操縦方式に依って、目的物に的中させることが計画された。
この計画は原理方式の研究のため、簡単な水上艦艇を目標とする実験から始めることとし、昭和十九年末、月島に於いて実験中特攻兵器誘導用に計画変更することになった。
これがTH装置と称するものである。
TH装置試作一号機が昭和二十年四月完成し、根岸実験所で実験した。
この装置は被操縦艦艇内の指示器に方向を指示し、これと別に指令電話をも置くもので、電波探信儀のイムパルスを時間変調した所謂位相変調方式を採用したものである。
この時の実験の結果、試作機の有効距離が小なることと、操縦円滑ならざる点あり、その後四号電波探信儀三型改二の改造に依る改良機一組を同年六月試作した程度で終わった。

参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
[e21] 機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房


6号電波探信儀3型 (Mark 6, Model 3)  (63)の解説
諸元表
略称---------------------------------------------63号、浜六三
目的---------------------------------------------敵位置遠距離測定用
周波数 ----------------------------------------- 100Mcs
繰返周波数---------------------------------------416.7 cps
パルス幅 ----------------------------------------20μs
尖頭電力出力-------------------------------------40 kw
測定方式-----------------------------------------等感度法
出力管-------------------------------------------pp TR1501
受信機検波菅-------------------------------------UN-954,RE-3
空中線 ------------------------------------------送受共用:6×4 水平
IF、mcs .----------------------------------------?Mcs
受信利得-----------------------------------------? db
最大範囲-----------------------------------------単機160km
測距精度-----------------------------------------0.5km
測方精度-----------------------------------------°
電源---------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量---------------------------------------------8,700 kg
製造---------------------------------------------東芝、住友、日本音響(日本ビクター)
製作台数-----------------------------------------1

[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
 
イメージ 1
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
戦闘機誘導装置
本問題は陸海軍電波技術委員会に於いて、陸軍担当と定められていたものであるが、海陸両軍の飛行機性能の差異と、防御受持区域の相違とから、海軍に於いても本問題の解決を必要とするに至り、横須賀鎮守府を中心とした、B-29邀撃に関する特別委員会が組織され、検討の結果、対敵測定用としては、波長六米の電波を使用する一号電波探信儀四型を用い、敵機を洋上遠方に捕捉し、波長三米の電波を使用する一号電波探信儀一型を、等感度方式に改造したもので(これが六三号電波探信儀・浜六三か?)、これを追尾し、近距離となれば波長六〇糎を用いた六一号電波探信儀(略称S8B、二号電波探信儀三型の反射鏡を直径七米に改造したもの)を以て、距離(最大探知距離一三〇粁、標定距離三五粁、測距誤差正負二〇〇米)及び高度(測角精度上下三度、最低仰角三度)を計測し、これを計算機に入れて、敵機の高度及び進路を算出する。
又味方機測定としては波長二米の電波を用いた六二号電波探信儀(浜六二、一号電波探信儀三型を等感度方式に改造したもの)に依って呼び掛け、機上の味方識別装置からの応答電波に依りその位置を知り、高度は機上からの通報に依り、これらの資料から敵味方の会合点を求める方式であった。
急遽整備の要求に依り、既製兵器を改造し、昭和二十年三月第一号装置の装備を完了し、実目標(敵機)に対する訓練を実施した。
しかし戦況の切迫はそれ以上大規模に実施する能わず、量産に移らなかった。

参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
[e16] 遥かなる戦場 太平洋戦争証言シリーズ20 丸別冊 潮書房
[e21] 機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
[y2] 米国国立公文書館
[z1]  所在源不明



6号電波探信儀2型  (Mark 6, Model 2)  (62)の解説
諸元表
略称---------------------------------------------62号、浜六二
目的---------------------------------------------味方位置測定用
周波数 ----------------------------------------- 150Mcs
繰返周波数-------------------------------------- cps
パルス幅 ----------------------------------------10μs
尖頭電力出力-------------------------------------10 kw
測定方式-----------------------------------------等感度法
出力管-------------------------------------------pp T-311
受信機検波菅-------------------------------------UN-954
空中線 ------------------------------------------送受共用:4×4 垂直
IF、mcs .----------------------------------------?Mcs
受信利得-----------------------------------------? db
最大範囲-----------------------------------------100km以上
測距精度-----------------------------------------0.8km
測方精度-----------------------------------------0.4°
電源---------------------------------------------AC 220V 3相 50~60c/s
重量---------------------------------------------3,000 kg
製造---------------------------------------------東芝、日畜(日本コロムビア)
製作台数-----------------------------------------1

[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
イメージ 1

[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
戦闘機誘導装置
本問題は陸海軍電波技術委員会に於いて、陸軍担当と定められていたものであるが、海陸両軍の飛行機性能の差異と、防御受持区域の相違とから、海軍に於いても本問題の解決を必要とするに至り、横須賀鎮守府を中心とした、B-29邀撃に関する特別委員会が組織され、検討の結果、対敵測定用としては、波長六米の電波を使用する一号電波探信儀四型を用い、敵機を洋上遠方に捕捉し、波長三米の電波を使用する一号電波探信儀一型を、等感度方式に改造したもので(これが六三号電波探信儀・浜六三か?)、これを追尾し、近距離となれば波長六〇糎を用いた六一号電波探信儀(略称S8B、二号電波探信儀三型の反射鏡を直径七米に改造したもの)を以て、距離(最大探知距離一三〇粁、標定距離三五粁、測距誤差正負二〇〇米)及び高度(測角精度上下三度、最低仰角三度)を計測し、これを計算機に入れて、敵機の高度及び進路を算出する。又味方機測定としては波長二米の電波を用いた六二号電波探信儀(浜六二、一号電波探信儀三型を等感度方式に改造したもの)に依って呼び掛け、機上の味方識別装置からの応答電波に依りその位置を知り、高度は機上からの通報に依り、これらの資料から敵味方の会合点を求める方式であった。
急遽整備の要求に依り、既製兵器を改造し、昭和二十年三月第一号装置の装備を完了し、実目標(敵機)に対する訓練を実施した。
しかし戦況の切迫はそれ以上大規模に実施する能わず、量産に移らなかった。

参考文献
[a1]  Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
[e16] 遥かなる戦場 太平洋戦争証言シリーズ20 丸別冊 潮書房
[e21] 機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
[y2] 米国国立公文書館
[z1]  所在源不明



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