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陸海軍共同迎撃システムの誘導実験
回想の横空夜戦隊 黒鳥四朗 2012年1月 光人社 抜粋
誘導実験(p113)
昭和20年2月末のころ、隊長が指導する藤沢電探基地(※海軍電測学校もあり、電探の拠点基地)と、横須賀海軍航空隊の私の乗機「月光」に装備した電波発信機(※接敵用海軍航空機搭載レーダー;18試空6号無線電信機(FD-2))とによる電波誘導実験が実施されたが、なかなかうまくいかなかった。
原因は月光の電波発信機の不調が要因だったようで、中止の指令が出た。
この電波誘導実験は電波発信機が不調のため、方式を変更。
横空が神奈川県茅ケ崎に出した派遣隊に、陸軍が開発した味方識別・位置測定用の電波誘導機タチ13号と、海軍の高度測定用6号1型電波標定機を設置して、「月光」との連携による無照明戦闘の実用実験へと進んだ。
茅ケ崎派遣隊が敵位置のデータを無線電話で「月光」へ送り、「月光」は該当空域へ移動ののち、装備する18試空2号無線電信機2型/FD-2機上邀撃レーダー(※制式名称は18試空6号無線電信機(FD-2)機上用接敵レーダー)で、B-29を捕らえる、という手順である。
4月2日工藤重敏飛曹長と市川通太郎少尉が搭乗するヨ-103号機が、東京・八王子上空で敵機の反射波を陰極線表示管に捕らえたが、目視可能域まで到着できなかった。
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察の再検証
https://minouta17.hatenablog.com/entry/2020/06/05/193841
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陸海軍共同迎撃システムの誘導実験
回想の横空夜戦隊 黒鳥四朗 2012年1月 光人社 抜粋
誘導実験(p113)
昭和20年2月末のころ、隊長が指導する藤沢電探基地(※海軍電測学校もあり、電探の拠点基地)と、横須賀海軍航空隊の私の乗機「月光」に装備した電波発信機(※接敵用海軍航空機搭載レーダー;18試空6号無線電信機(FD-2))とによる電波誘導実験が実施されたが、なかなかうまくいかなかった。
原因は月光の電波発信機の不調が要因だったようで、中止の指令が出た。
この電波誘導実験は電波発信機が不調のため、方式を変更。
横空が神奈川県茅ケ崎に出した派遣隊に、陸軍が開発した味方識別・位置測定用の電波誘導機タチ13号と、海軍の高度測定用6号1型電波標定機を設置して、「月光」との連携による無照明戦闘の実用実験へと進んだ。
茅ケ崎派遣隊が敵位置のデータを無線電話で「月光」へ送り、「月光」は該当空域へ移動ののち、装備する18試空2号無線電信機2型/FD-2機上邀撃レーダー(※制式名称は18試空6号無線電信機(FD-2)機上用接敵レーダー)で、B-29を捕らえる、という手順である。
4月2日工藤重敏飛曹長と市川通太郎少尉が搭乗するヨ-103号機が、東京・八王子上空で敵機の反射波を陰極線表示管に捕らえたが、目視可能域まで到着できなかった。
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験の考察について
本書は筆者黒鳥四朗氏による横須賀海軍航空隊の回想記を編者渡辺洋二氏が内容を補強されてものです。
要旨は、B-29を夜間迎撃するため、月光に機上接敵用レーダー/FD-2とIFF(敵味方識別装置)を搭載し、B-29を海軍の61号電波探信儀で、自機の位置を機上のIFFと地上の陸軍のタチ13号で追尾し、機械式アナログ計算機でデータ処理し、予測した会合点を無線電話で連絡することのようである。
なお、茅ケ崎に61号電波探信儀と陸軍のタチ13号を設置し、横空の派遣隊が運用したものと推定できる。
陸海軍共同迎撃システムの誘導実験については、基本的には戦闘機誘導装置については、陸海軍電波技術委員会に於いて、陸軍担当と定められていたこともあり、陸軍の地上のタチ13号と機上のタキ15号による実戦配備は海軍よりもすすんでいたことが背景にある。
ここでの疑問は、機上のIFF(敵味方識別装置)は、陸軍のタキ15か海軍のM-13のどちらの装置を採用したのかという点である。
陸軍タキ15を採用すれば、海軍航空機で採用している電源12Vであり、陸軍機の24Vとの互換がない。
また、海軍のM-13を採用すれば、陸軍のタチ13号の使用周波数が異なり、周波数変更工事を実施しないと利用ができない。
このような事例でも分るように戦争末期でも、陸海軍の壁は大きかったといえよう。
なお、機上設置のIFF(敵味方識別装置)のアンテナを見ると陸軍機は1/4λ波長の単純なポール(棒)アンテナを採用しているが、海軍機には、米軍のコピーの空気抵抗を抑えた折り曲げ折り返し1/4λ垂直アンテナが採用されている。
アンテナ一つをとっても、残念ながら日米の技術格差がよくわかる事例といえる。




関連資料
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
味方識別装置
昭和十六年夏、伊太利海軍からの情報により、英海軍で電波探信儀に味方識別装置が使用されていることが判り、我が海軍でも研究し、昭和十七年夏には試作装置が完成し、性能実験の結果、応答率100%でなく、実用とはならなかった。
その後種々の案に就き研究を進めたが完成しなかった。
しかるに昭和十九年秋に至り、敵側が味方識別装置を盛んに使用していることが通報され、敵側の実物が手に入れられたので、これを参考として設計が進められ、翌二十年一月には実用に供し得るものが試作されたが、戦局は急激に悪化し、本装置の必要性も減退し、遂に実用に至らなかった。
戦闘機誘導装置
本問題は陸海軍電波技術委員会に於いて、陸軍担当と定められていたものであるが、海陸両軍の飛行機性能の差異と、防御受持区域の相違とから、海軍に於いても本問題の解決を必要とするに至り、横須賀鎮守府を中心とした、B-29邀撃に関する特別委員会が組織され、検討の結果、対敵測定用としては、波長六米の電波を使用する一号電波探信儀四型を用い、敵機を洋上遠方に捕捉し、波長三米の電波を使用する一号電波探信儀一型を、等感度方式に改造したもので(これが六三号電波探信儀・浜六三か?)、これを追尾し、近距離となれば波長六〇糎を用いた六一号電波探信儀(略称S8B、二号電波探信儀三型の反射鏡を直径七米に改造したもの)を以て、距離(最大探知距離一三〇粁、標定距離三五粁、測距誤差正負二〇〇米)及び高度(測角精度上下三度、最低仰角三度)を計測し、これを計算機に入れて、敵機の高度及び進路を算出する。
又味方機測定としては波長二米の電波を用いた六二号電波探信儀(浜六二、一号電波探信儀三型を等感度方式に改造したもの)に依って呼び掛け、機上の味方識別装置からの応答電波に依りその位置を知り、高度は機上からの通報に依り、これらの資料から敵味方の会合点を求める方式であった。
急遽整備の要求に依り、既製兵器を改造し、昭和二十年三月第一号装置の装備を完了し、実目標(敵機)に対する訓練を実施した。
しかし戦況の逼迫はそれ以上大規模に実施する能わず、量産に移らなかった。
海軍 6号電波探信儀1型 S8b (Mark 6, model 1)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022324.html
陸軍 タチ13とタキ15
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022261.html
海軍 18試空6号無線電信機(FD-2)
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022302.html
海軍 5試味方識別装置1型 M-13 IF
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022303.html
戦略爆撃調査団「ジャパニーズ・エアー・パワー」からの抜粋
http://minouta17.livedoor.blog/archives/18022289.html
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参考文献
[a1] Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
[e15] 世界の傑作機 海軍夜間戦闘機「月光」 分林堂
回想の横空夜戦隊 黒鳥四朗 2012年1月 光人社