19試空2号電波探信儀11型(Tama-3) (Prototype 19 Air Mark 2 Model 11 Radarの解説
諸元表
略称-----------------------------------------------玉-3
目的-----------------------------------------------夜間戦闘機用、接敵用
周波数 ------------------------------------------ 150Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 2,500cps
パルス幅 -----------------------------------------2.0μs
尖頭電力出力------------------------------------3 kw
測定方式------------------------------------------等感度法
出力管----------------------------------------------pp T-319
受信機検波菅-------------------------------------UN-954
空中線 ---------------------------------------------送受共用ゴニオ附θ アンテナ及びダブレット
IF、mcs .------------------------------------------17.75Mcs ±750kc
受信利得-------------------------------------------? db
最大範囲-------------------------------------------飛行機4km
測距精度-------------------------------------------5%
測方精度------------------------------------------ 5°
電源-------------------------------------------------直流回転式交流発電機
重量------------------------------------------------ 70 kg
製造-------------------------------------------------日本無線
製作台数-------------------------------------------10
略称-----------------------------------------------玉-3
目的-----------------------------------------------夜間戦闘機用、接敵用
周波数 ------------------------------------------ 150Mcs
繰返周波数-------------------------------------- 2,500cps
パルス幅 -----------------------------------------2.0μs
尖頭電力出力------------------------------------3 kw
測定方式------------------------------------------等感度法
出力管----------------------------------------------pp T-319
受信機検波菅-------------------------------------UN-954
空中線 ---------------------------------------------送受共用ゴニオ附θ アンテナ及びダブレット
IF、mcs .------------------------------------------17.75Mcs ±750kc
受信利得-------------------------------------------? db
最大範囲-------------------------------------------飛行機4km
測距精度-------------------------------------------5%
測方精度------------------------------------------ 5°
電源-------------------------------------------------直流回転式交流発電機
重量------------------------------------------------ 70 kg
製造-------------------------------------------------日本無線
製作台数-------------------------------------------10
玉3夜間戦闘機射撃用電探のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について
http://minouta17.livedoor.blog/archives/33658977.html
日本陸海軍夜間戦闘機 モデルアート10月号臨時増刊 平成13年10月発刊 抜粋版
新型接敵用レーダーを搭載
それでは、夜戦型の仮称「銀河」二一型の真の姿を明らかにしてみよう。
はじめに記したように、この夜戦は搭乗員2名と明記されている。この搭乗員の減少は、この夜戦に装備された新型レーダーの姿を暗示している。
昭和18年初夏、海軍技術研究所・電気4科からの委託研究を行っていた国際電気通信(株)、現在のKDDI、技術研究所の上福岡(埼玉県)では、野戦用の電探(レーダー)開発がはじめられようとしていた。
従来、海軍の艦船や航空機などに装備する電探の研究開発は、伊藤庸二技術大佐のもとに電気2科が担当していた。
電気4科は本来、方向探知機(放探)の研究が主業務であり、高原久衛大佐(海兵47期)のもとで、外部の技術スタッフが各種の研究開発をサポートしていたのである。
この放探の研究開発において、技術スタッフのひとりであった、宮憲一技師の発明した、平面ゴニオメーター(Goniometer)が好成績を示して、電波の到来方向が高感度で受信できるようになった。
目標からの電波の角度を高感度でキャッチできるのだから、レーダーの受信機に応用すれば高精度の電探を開発することができるうえに、360度を探る方探の特性を利用すればPPI(Plain-Position-Indicator)方式 -空中線を中心とした平面図のような映像上で、目標の方位と距離を同時に表示する方法- のレーダーが開発できるわけである。
この新型レーダーの開発にあたるために、技術スタッフは高原久衛海軍大佐が総指揮をとり、国際電気通信・技術研究所の仲上稔課長が総括、同研究所宮憲一技師が空中線、同じく大島信太郎技師が指示器、送信機を日本放送協会(NHK)の山口清技師、受信機を日本コロンビアの山崎孝技師が担当するという、官民合同のチームが編成されたのである。
やがて「玉-3」となづけられるこの電探の”玉”は玉砕の”玉”といわれ、文字どおり最終決戦兵器であった。
開発チームは完成を急ぐために、送信機部はおなじように開発途上にあった「N-6」(天山艦攻、零式三座水偵、彩雲偵察機)向けの索敵用電探で波長120cmの同調回路を改造する。
さらに、受信機も主な海軍機に装備されて、実用中の「H-6」の索敵用のハードを流用して、新設計の表示器部のみで日本海軍初めてのPPI方式及びAスコープ方式兼用の、操縦席に設置されるディスプレイが製作されたのである。
空中線を担当した宮憲一さんは、次のように回想してくれる。
「この電探は、回転ビーム方式でゴニオメーターを回転することにより、機体内部の金属反射板の作用と相乗効果をおよぼして、立体指向性を機種方向を軸として回転させる構造をとった。
すなわち、空中線は送受共用できるので、(送受信の)空中線切替装置が不要である。
波長200cmに比して、小型で装備に便利であり機体内部に収容できる。
空中線は写真でわかるように、上部に二分円空中線(一組みの張高するダイポールアンテナ)が回転して、下部には円周約1波長(200cm)の円形状の円空中線が置かれて、中央にゴニオメーターが付属する。
これらの組み合わせにより、合成の立体指向性が得られるようになっている。
指示器はPPI方式で、上図に示すように、方向と距離が同時にわかる。
目標への接近は簡単明瞭である」
昭和19年4月13日から17日にかけて、試作装置(U-1)を用いた地上実験が行われて、実用性ありと判断される。
次いで実用装置(U-22)が作られて9月21日に航空機に対して実験が行われた。
この間にも連合艦隊は、マリアナ沖海戦、台湾沖航空戦、比島沖海戦と惨敗して、ついて11月24日にはマリアナを発進した94機からなる第73爆撃航空団のB-29が首都圏の空爆を開始した。空襲の合間を縫うように12月6日、21日と、横須賀航空隊を「玉-3電探」の試作機を搭載した一式陸攻が離陸して、伊豆大島上空に向かった。
伊豆大島上空3,500~4,000mで単機の九六式陸攻を目標にした空中での実験であった。
21日の実験は機器も正常に作動して高性能が確認されて、技術スタッフの思惑どおりに、「目標の識別はきわめて容易で、立体感を直感的に得ることが可能、目標との距離4,000m程度で確実に探知でき、最短測定可能距離は約600m以内である。」と、充分に実用価値が認められたのである。
そして、宮憲一さんの保存してきた資料には「玉-3」の「極光」への貴重な取り付け図が残されていた。
図に見られるように、電波の送受信に影響をおよぼさないように、機首尖端の600mmがソリッドノーズとなり、尖端から850mm位置には金属製の反射板がセットされる。
空中線は機首部に格納され、空気抵抗の影響を受けることなく、機速の低下をまぬがれた。
偵察員席に空中線や送受信機部などが搭載され、機首トップをソリッドとしたため、充分な視界も得られなくなり、偵察員は搭乗不能となる。
すなわち、搭乗員は操縦員と航法を兼ねる電信員の2名となった。そして、20mm斜銃が4丁装備され、いずれは制式採用された五式30mm機銃に換装されるかもしれない。
夜戦搭乗員にとってこの「玉-3接敵用電探」は、PPI方式の表示画像の示すままに愛機を操ればよく、目標への接近も容易であった。
最短探知距離の600m以下に接近すれば、B-29の巨影が目視できたはずである。
「玉-3」を装備した夜戦が多数配備されていれはじ、中高度以下を行動するB-29にとっては手ごわい迎撃戦闘機となったであろう。
新型接敵用レーダーを搭載
それでは、夜戦型の仮称「銀河」二一型の真の姿を明らかにしてみよう。
はじめに記したように、この夜戦は搭乗員2名と明記されている。この搭乗員の減少は、この夜戦に装備された新型レーダーの姿を暗示している。
昭和18年初夏、海軍技術研究所・電気4科からの委託研究を行っていた国際電気通信(株)、現在のKDDI、技術研究所の上福岡(埼玉県)では、野戦用の電探(レーダー)開発がはじめられようとしていた。
従来、海軍の艦船や航空機などに装備する電探の研究開発は、伊藤庸二技術大佐のもとに電気2科が担当していた。
電気4科は本来、方向探知機(放探)の研究が主業務であり、高原久衛大佐(海兵47期)のもとで、外部の技術スタッフが各種の研究開発をサポートしていたのである。
この放探の研究開発において、技術スタッフのひとりであった、宮憲一技師の発明した、平面ゴニオメーター(Goniometer)が好成績を示して、電波の到来方向が高感度で受信できるようになった。
目標からの電波の角度を高感度でキャッチできるのだから、レーダーの受信機に応用すれば高精度の電探を開発することができるうえに、360度を探る方探の特性を利用すればPPI(Plain-Position-Indicator)方式 -空中線を中心とした平面図のような映像上で、目標の方位と距離を同時に表示する方法- のレーダーが開発できるわけである。
この新型レーダーの開発にあたるために、技術スタッフは高原久衛海軍大佐が総指揮をとり、国際電気通信・技術研究所の仲上稔課長が総括、同研究所宮憲一技師が空中線、同じく大島信太郎技師が指示器、送信機を日本放送協会(NHK)の山口清技師、受信機を日本コロンビアの山崎孝技師が担当するという、官民合同のチームが編成されたのである。
やがて「玉-3」となづけられるこの電探の”玉”は玉砕の”玉”といわれ、文字どおり最終決戦兵器であった。
開発チームは完成を急ぐために、送信機部はおなじように開発途上にあった「N-6」(天山艦攻、零式三座水偵、彩雲偵察機)向けの索敵用電探で波長120cmの同調回路を改造する。
さらに、受信機も主な海軍機に装備されて、実用中の「H-6」の索敵用のハードを流用して、新設計の表示器部のみで日本海軍初めてのPPI方式及びAスコープ方式兼用の、操縦席に設置されるディスプレイが製作されたのである。
空中線を担当した宮憲一さんは、次のように回想してくれる。
「この電探は、回転ビーム方式でゴニオメーターを回転することにより、機体内部の金属反射板の作用と相乗効果をおよぼして、立体指向性を機種方向を軸として回転させる構造をとった。
すなわち、空中線は送受共用できるので、(送受信の)空中線切替装置が不要である。
波長200cmに比して、小型で装備に便利であり機体内部に収容できる。
空中線は写真でわかるように、上部に二分円空中線(一組みの張高するダイポールアンテナ)が回転して、下部には円周約1波長(200cm)の円形状の円空中線が置かれて、中央にゴニオメーターが付属する。
これらの組み合わせにより、合成の立体指向性が得られるようになっている。
指示器はPPI方式で、上図に示すように、方向と距離が同時にわかる。
目標への接近は簡単明瞭である」
昭和19年4月13日から17日にかけて、試作装置(U-1)を用いた地上実験が行われて、実用性ありと判断される。
次いで実用装置(U-22)が作られて9月21日に航空機に対して実験が行われた。
この間にも連合艦隊は、マリアナ沖海戦、台湾沖航空戦、比島沖海戦と惨敗して、ついて11月24日にはマリアナを発進した94機からなる第73爆撃航空団のB-29が首都圏の空爆を開始した。空襲の合間を縫うように12月6日、21日と、横須賀航空隊を「玉-3電探」の試作機を搭載した一式陸攻が離陸して、伊豆大島上空に向かった。
伊豆大島上空3,500~4,000mで単機の九六式陸攻を目標にした空中での実験であった。
21日の実験は機器も正常に作動して高性能が確認されて、技術スタッフの思惑どおりに、「目標の識別はきわめて容易で、立体感を直感的に得ることが可能、目標との距離4,000m程度で確実に探知でき、最短測定可能距離は約600m以内である。」と、充分に実用価値が認められたのである。
そして、宮憲一さんの保存してきた資料には「玉-3」の「極光」への貴重な取り付け図が残されていた。
図に見られるように、電波の送受信に影響をおよぼさないように、機首尖端の600mmがソリッドノーズとなり、尖端から850mm位置には金属製の反射板がセットされる。
空中線は機首部に格納され、空気抵抗の影響を受けることなく、機速の低下をまぬがれた。
偵察員席に空中線や送受信機部などが搭載され、機首トップをソリッドとしたため、充分な視界も得られなくなり、偵察員は搭乗不能となる。
すなわち、搭乗員は操縦員と航法を兼ねる電信員の2名となった。そして、20mm斜銃が4丁装備され、いずれは制式採用された五式30mm機銃に換装されるかもしれない。
夜戦搭乗員にとってこの「玉-3接敵用電探」は、PPI方式の表示画像の示すままに愛機を操ればよく、目標への接近も容易であった。
最短探知距離の600m以下に接近すれば、B-29の巨影が目視できたはずである。
「玉-3」を装備した夜戦が多数配備されていれはじ、中高度以下を行動するB-29にとっては手ごわい迎撃戦闘機となったであろう。
<R05.11.10> 追記及び訂正
日本陸海軍夜間戦闘機 モデルアート10月号臨時増刊 平成13年10月発刊 抜粋版で記述されている開発着手日、機上実験の年月日では、終戦までに確実に実戦配備可能となることから誤記と判断される。
下記の公式資料が正しい年月日である。
昭和20年8月 研究実験の状況(電波兵器関係) 第二海軍工廠
成果概要
(レ)夜間戦闘機用電探(玉三)
昭和十九年九月研究着手、昭和二十年五月試作完了、同年七月機上実験終了せり。
尖頭出力:約三KW 探信能力:約四粁 円形指示方式を採用す。
玉3夜間戦闘機射撃用電探のブロックダイヤグラムによる動作概念の解説について
http://minouta17.livedoor.blog/archives/33658977.html






日本海軍レーダー解説
参考文献
[a1] Reports of the U.S. Naval Technical Mission to Japan, 1945-1946
[a2] 「日本無線史」10巻 1951年 電波管理委員会
[a4] 「元軍令部通信課長の回想」昭和56年 鮫島素直
[e18] 日本陸海軍夜間戦闘機 モデルアート10月号臨時増刊 平成13年10月発刊
[e21] 機密兵器の全貌 昭和51年6月 原書房
[g4] 横浜旧軍無線通信資料館 http://www.yokohamaradiomuseum.com/